Good old days-----01






カチカチカチ…。
時計の無機質な音が、白く殺風景の小さな部屋に響いては、時を刻んでいる。しぃんと静まり返った部屋の中では。その何気ない音がやけに大きく響いていた。
少し離れた分娩室からはリリーが苦しみ喘ぐ声と、看護師や医者に頼みこんで…と言うか、脅してと言おうか…とにかく『僕のリリーが苦しんでいるのに僕だけが別の部屋でのん気に待っているなんて出来るわけがない!』と立ち合いを許可してもらったジェームズの声が聞こえてくる。

待合室に腰掛ける三人は、改めてその『ただ待つだけしか出来ない』と言う事の辛さを思い知らされていた。
順調だろうか。リリーは無事だろうか。赤ん坊は大丈夫なんだろうか。
先ほどから分娩室の前をうろうろちょろちょろと落ち着き無く回っているシリウスが、突然、思い立ったように大声で吼えた。

「っ―――頑張れリリーーー!ジェームズもしっかりしろーーー!下手な事したら承知しねーぞ!この医」

"医者"と続くはずだったシリウスの言葉は、後ろから物凄いスピードで吹っ飛んできた雑誌によって遮られた。ボカッと盛大な音がした後、シリウスは絶句して後頭部を両手で押さえた。「何す!」また、"何するんだ"言おうと思っていたんだろう。振り向きながら途中まで言葉を紡ぐと、

「病院では静かに。それが基本だよ」

雑誌を投げ飛ばした張本人、リーマスが静かに…だが何処か殺気を含めたような声色でシリウスを咎めると、シリウスは結局最後まで言葉を紡ぐことが出来ず、ただ、チッとしたうちをして先ほど同様に廊下をうろちょろ歩き回り始めた。それから数回回った後、リーマスの隣の開いているスペースに腰を掛け、両手を組むと額に押し当てたまま、終始無言のリーマスを横目でチラっと見つめ、ポツリと呟き落とした。

「お前、良くそんな冷静で居られるな…リーマス」
「そんなわけないだろ」
「本当、どうしてそんな冷静なのよ!リーマス!」
「そういうお前はある意味一番パニクってんな」

すっぱりはっきりとシリウスに言われた彼女―はリーマスの横(つまりはシリウスの座っていない方の隣)で先程から物凄い勢いであや取りをしていた。「………塔」と一言呟いて隣に居るリーマスに見せると、リーマスはそれの中心を引っ張りながら「、大丈夫?」と心配した瞳で彼女を見つめる。その瞳を見つめたは続いてシリウスに視線をやれば、シリウスにすら呆れ顔で見られていることに気づき、は慌てて素早くリーマスの指から紐を引ったくった。それからバシンッと古ぼけた椅子に手の平を叩きつけ、項垂れるとやりきれない様子で言う。

「しょうがないでしょ!何かしていないと不安なのよ…!ああ、リリー!痛いよね、苦しいよね!…もう!出来ることならあたしが代わりに産んであげたいわよ!いつも冷静なリーマスとは違うのよ!ああ、ああ、もう!」

殆ど涙目になって両手で顔全体を覆い隠すの頭をポンポンと優しく叩きながら、リーマスは困ったように微笑んで、「そうでもないよ、ホラ」と呟き、自身の両手をに見せる。が見せられたそれに視線をやったと同時に思わず、息を飲んだ。

「う、わ…」

思わず声を上げると、目を丸くしてリーマスの手を取ってまじまじと見つめた。どうやらリーマスの手は長時間ずっと固く握り締めていた所為で、手の甲ははっきりと、そしてくっきりと爪あとが残り、更にはその部分が青くなり始めていた。はそれを見つめた後、焦ったように問いかける。

「ちょ…こ、これ大丈夫なの!?リーマスッ」
「うん、別に。…こんな風になってるなんて、今まで気づいてなかったし、自分でも」

その言葉に、は黙りこくるしかなかった。呆れたわけじゃない。思い返していたのだ。
思い返してみれば、そういえばリーマスはさっきからずうっと貧乏ゆすりばかりをしていた気がする。ああ、そうか。シリウスと違って感情が外に余り出ないだけなのかもしれない。そう解釈をした。心の中で結論を出したは苦笑交じりの笑みを浮かべて、リーマスを見やった。その横で、やっぱり落ち着き無くそわそわしているシリウスを見やった。全然違うけれども、二人とも二人なりにとても親友の事を心配しているのだと思った。

それから落ち着きのない様子で今度は二人であや取りを始めた。何故二人なのか…それはシリウスがそんなのやってられねぇ!とイライラした様子で断ったからだ。時計の音が煩く、耳に残るのを感じながら、終わらないあや取りを続ける二人。そしてそれを見るシリウス。

その時だった。

バッシーーーーーン!

半ば叩き壊さんばかりの勢いで、分娩室の入り口の扉が開くと、そこから髪の毛を乱したジェームズが凄い勢いでまるで弾丸のように飛び込んできた。予想していなかった突然の事態に、待合室で待っていた三人がビクッと身体を跳ね上がらせると、顔を引きつらせて一斉にジェームズに視線を向けた。ビニールのカッパとヘアキャップを身につけたジェームズは、はたからみると妙なかっこうだ。けれどもそれに突っ込む者は此処には居ない。ぜぃぜぃと大きく息を切らして膝に手を居て呼吸を整えている。
しぃんと静まり返った部屋で三人は必死に彼の言葉を待った。――奇妙な沈黙が流れ、三人はジェームズを凝視する。

「……………………………うっ」

ゆっくりと顔を上げたジェームズは、うめき声のようなものを発した後、彼の瞳から大粒の涙がポロポロと零れ出て、床に落ちた。三人の顔が更に歪む。

「産まれたーーーーーーーーーーーっ!!!」

それからジェームズはパッと両手を高く上げると、耳を塞ぎたくなるような音量で、そう叫んだ。
―――……。沈黙が再び流れる。それを突き破ったのはリーマスだった。

「…ごめん、もう一度言ってくれるかい?ジェームズ」
「産まれた」

それにが続く。

「もう一回よ、ジェームズ!」
「産まれた!」

最後にシリウスが信じられないといった表情で問いかけた。

「もう一回だ」
「産まれた…!!!」

―――……三度(みたび)の沈黙。

「…いやったーーーー!!」
「わーー!やったー!」
「やったぞ、やった!産まれたぞーー!コノヤロウ!!」

誰が誰の声かもわからないまま、皆は一斉に席から飛び上がって叫んだ。はジェームズに負けず劣らずの勢いでわんわん泣き叫びながら、ほぼぶっ壊れ状態のシリウスに思いっきり抱きしめられる。ジェームズは涙でベタベタになった頬を濡らしながらリーマスの胸に彼の背筋を引き裂かんばかりの勢いで彼にしがみついて泣いた。リーマスはそんなジェームズの背中をベシベシと思い切り叩いてやりながら、らしくもなく声をしゃくりあげて泣き始める。
待合室の大騒ぎは廊下全体に響き渡り、眉を吊り上げた看護師が飛び込んでくるまで、それはずっと続いていた。





「リリー…っ!」

産後で疲れ切った様子のリリーが分娩室から出てきた時に、彼女の目には誰もが顔をぐしゃぐしゃにし、泣きながら喜んでいる親友たちの姿が映った。愛する夫のジェームズに、シリウス、リーマス…そして我が最大の親友を順々にゆっくりと眺め回る。それからリリーがふっと安心したように微笑んだ。

「そんなに騒いだりしたら、…迷惑よ?」

言いつつも嬉しそうに顔をほころばせているリリーに今にもキスしかねない勢いでシリウスが走り始めたが、笑顔のジェームズに首根っこを引っつかまれてあえなく御用となった。そんなやり取りを見ていた看護師が、ほんわかと微笑を浮かべ、「元気な男の子ですよ」と口にする。看護師の宣言と、初めて見た親友夫婦の子どもにはまた泣いてしまった。目を真っ赤にして涙を溢している彼女の肩を、リーマスは強く抱いた。ジェームズの腕にそっと渡された赤ん坊は小さく、か弱い声でけれども確かに自分の存在を証明するように泣いていた。

「こんにちは、ハリー」

"ハリー"それは、この赤ん坊が生まれる少し前に決まった名前だ。
が口角を吊り上げて優しい微笑を浮かべ、ジェームズの手の中の赤ん坊にそっと手を添える。

――まだ、誰も知り得ない。そしてもうすぐその名を知らぬ者は魔法界では誰一人居なくなる男の子――ハリー・ポッターの幸せな、幸せな誕生の瞬間であった。

「産まれてきてくれて有難う」





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