Good old days-----04






少し前、父親が趣味で集めていた古書の中に一際古ぼけた表紙の一冊に、この呪文は書かれていた。
きっとホグワーツなら間違いなく『禁書』の棚に並べられるであろうその本は生命力、意思、魔力が十二分にないと成功することが出来ない程の高等呪文。その呪文を見つけたときは、余りの恐ろしさに震えるほどだった。その呪文の結果が、怖かった。理由は良く解らなかったけれども、とにかく怖くて…情けない事なのだけれども、泣きそうになったのを覚えている。





父母、妹の葬儀を終えて数ヶ月が過ぎ、あれから殆ど外に出ていないは額に脂汗を浮かべながら真四角の部屋の中でへたり込んでいた。
眉間に皺を寄せて、ぜえぜえと息を荒げながら額の汗を手の甲で拭うと吐き捨てるように呟く。

「また…失敗、かあ…。あー…もう、…チクショー…、莫迦やろー…」

頬に張り付いた自身の長い髪の毛をうっとうしげに掻きあげながら、は忌々しげに歯軋りをした。
暫くの間、その場に座り込んで乱れた息を整えていたが、やがて、もう何度目かも解らないほど使った杖先を睨みつけながら、ローブを翻し立ち上がる。目の前には両手に収まるくらいの小さなごてごてと様々な装飾の付いた箱がたった一つ――チョコン、と置かれていた。
その派手な小箱を睨みつけながらはゆっくりと深呼吸をして、心を無にさせる。そして、静かな瞳で杖先をその箱に向けた。

「いい加減、従いなさいよ、莫迦箱」

それから何を思ったのか箱に喧嘩を売る始末。…返事は勿論ありはしないのだが。それを見て、はチっと舌打ちをして、また杖を握る力を一段と強めた。その時だ。それが目に入ったのは。ふと視界の先に入ったものにハっと息を呑む。眉を潜め、歯軋りをした。新たに騒ぎ出す憎しみが心の中で強く生まれた。それは他ならないと今この魔法界でその名を轟かす、闇の魔法使いの所為で死んでいった家族の写真だった。

…こんな、…こんなところでへこたれて、どうすんの!

はその気持ち悪いほどの装飾の施された箱を強く――そして鋭く睨みつけ、新たな力を胸に感じていた。怒気を含んだような声が零れ落とされる。

「我…・ディーンの名において、此処に命ず。我の魂を封印したまえ。そして我が願い叶わず死が訪れたとき、その全ての記憶、想いをそのままに、もう一度、この世に生まれ変わるよう」

後、淡い、紅い炎のような光が箱から発せられた。そして共鳴するかのように杖先からも蒼い光が滲み出し、その光に対抗するかのように光り輝く。は余りの眩しさに目を細めて杖を更に強く握り締めた。何度も…何回も繰り返しては失敗し、の白く綺麗だった掌には今ではいくつもの肉刺(まめ)が出来ていた。それでもは気にしない。生唾を嚥下し、はゆっくりと一歩踏み出し、深く息を吸う。

――…此処が正念場。

心の中で意気込む。…そう、いつも此処で失敗してしまうのだ。この箱に認めて貰わなければならない。紅が勝つか、蒼が勝つか。負けるものか、そう強く思う。箱に認めてもらうには、生命力、肉体力、魔力は勿論の事、精神力やその強い想いも必要なのだ。今、この箱はを品定めしていると言っても過言ではない。
――ぎり、と唇が切れたが、は気づかない程集中していた。
そして、は何度目になるか解らないその呪文をはっきりと唱えた。の杖先の蒼く輝く光が、次の瞬間一層強くなるのがわかる。まるで、水が噴出すかのように、その光は紅い光を放つ箱にめがけて降り注がれる。眩しすぎる光に、は思わず目を瞑り、そして目を開けた瞬間、彼女は驚愕した。

「…え?」

紅い光を放っていた箱は先ほどまで彼女の杖先にあったはずの美しい蒼に包まれ――輝いていたのだ。その美しい光景には目を奪われながらは早くなっていく鼓動を押し込めるように、手をやる。そして、ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。

「…う、そ」

呆然とした様子では呟く。突然脳に直接語りかけてくる声に息を詰まらせた。『願いを』――確かにそう、聞こえたのだ。はゆっくりと目を伏せ、震える唇を開いた。そして、最も憎らしい「例のあの人」の名を声に乗せる。

「ヴォルデモートに、死を」

その言葉が狭い小さな部屋にただ響き、そして間違いなくこの小さな箱に届いた。瞬間――不意に、周りの景色が歪み、はその場に倒れこんだ。痛みに少し顔を歪め、身体を起こそうと試みたが、は自身の目に映るものに、絶句する。

薄く開いた口内から出てきた、白とも銀色とも付かない、球体。
目の前に浮かび上がったそれを何かに取り付かれたように見ていると、自然な動作でその球体は二つに分かれた。球体の半分は箱に吸い寄せられるように消え、もう片方はもう一度の唇から身体の奥底へと静かに戻っていった。

ああ、成功したんだ…

そこで、ようやくは事の真相に気づいた。疲労感と一気に安堵感がを襲う。
ゆっくりと落ちていくように少しずつ薄れていく意識の中で、は満足気に細く微笑んだ。





先ほどまでが苦労していたものは『転生の術』と呼ばれるものだ。
簡単に言ってしまえば元ある魂を半分し、その片方を封印する。それによりもしその魂の持ち主が願い叶わず一度死んでしまったとしても、もう一度生まれ変わることが出来る高度な呪文。魔術であった。勿論、生まれ変わっても全ての記憶を一切忘れる事無く、――その願いをかなえる為に、生きる事が出来るのだ。

此れでもし、この身が滅びてしまっても、次に繋ぐ事が出来る筈。勿論、むざむざやられてしまうなんて、思わないけれど。



嬉しさの余り、は涙が止まらなかった。そうして、ゆっくりとまどろみの中へ意識を手放した。
それは夏も終わり、肌寒い季節に差し掛かったある日の事だった。





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