揺れるユレル
ガチャ。静かにドアを開けたつもりだったが、それでも少し音が出てしまったようだ。
まあ出てしまったものは取り消せる筈も無い。私は何食わぬ顔で部屋の中に入った。
綺麗なじゅうたんに踏み込んで、部屋を見渡すと、芭蕉がコーヒーを片手に「お疲れ」と声をかけてきたので、私はコクリと頷いた。
まあ座れや、と言いたげに芭蕉が空いている椅子に目配せをしたが私はそれを無視して、今部屋に居ない二人の事を聞くことにした。
「クラピカとセンリツは?」
そうすれば芭蕉は「ふう、」と小さくため息をついて、「俺にゃあようわからん」と両手を軽く挙げたが、私が何かを言う前に、「まあまたどっかで二人で密会でもしてんじゃねえのか?」とどうでも良さそうな返答が返ってきた。
ズキリ、と胸が痛むのがわかる。
それでも私は悟られないように「そう」と素っ気無く返事を返し、テーブルの上に置いてあったチョコレートを一粒摘んで口の中に放り込む。お目当ての相手がいないのならば、此処にいても仕方が無い。
今日はボスの警護に当たっていた。それもようやく終わったのでホテルに帰ってきたわけだ。
ボスは疲れてシャワーを浴びると言っていたから、後は他の使用人の仕事だ。
失礼します、と軽く一礼をして部屋を後にすると、探し人であるクラピカに会いに部屋に入った。
…それなのに彼はいない。今日の彼の任務はなんだっただろうか、考えて確かセンリツと一緒の仕事内容だった事を思い出す。
ぎゅ、と胸を締め付けられるような感覚が押し寄せてくる。
私は居ても経っても居られなくて部屋を後にした。
芭蕉が「休まねえのか」と出しなに問いかけてきた気がしたが私は「うん」と素早く返答だけして部屋のドアを閉める。
行き先が絶対わかるわけではないけれど、多分、彼らはあそこにいるような気がして、私は急いで階段を登る。
カンカンカンと鉄の音を立てながら階段を登りきると、小さくではあるが話し声が聞こえて、私はやましい事も無いのに声を押し殺した。
小声過ぎて所々しか言葉が聞こえない。
……どうしようか。
考え込む。出る瞬間を逃してしまうと出辛くなる。身をもって体感していると、―――空気が、変わった。
「」
凛とした声が降りかかってきて、私は無意識のうちに身を固くしたが、そんな事をしても効果が無いのは解りきってる。となれば私の次の行動は狭まってくる。
直ぐに平然を装い、今来たと言った様子で彼――クラピカの名前を呼んだ。
ひょこっと顔を覗かせると、視界の端にセンリツの姿も捉える事が出来る。――ズキン、ズキン。胸が痛むのが解った。
「二人とも、こんなところに居たんだね!部屋で休まないの?」
にこっと、軽口で言いやれば、センリツと目が合うのが解った。表面上は冷静を装っているけど、センリツにはバレてしまっているだろう。
この、動揺を。
自分でも心音が明らかに高鳴っているのが解るのだ。不協和音を立てる心音に、センリツが気づかない筈が無い。私とクラピカの様子を一瞥すると、センリツはほんの少し、悩ましい表情を浮かべているので、心情を悟られたというのは決定的だった。
「いや、私たちは…もう少ししてから行く事にするよ」
一呼吸置いて、喋り始めたのはクラピカだった。『私たち』と言うのに、私が含まれて居ないことなど当に解っている。
ヅキン、ヅキン、と胸が痛くなる。呼吸が上手く出来なくなるほどのそれに耐えると、私はじっとクラピカを見た。
『私が居たら駄目な話?』声に出していいそうになって、私はすぐさま口を噤んだ。そんな事を言おうものなら、クラピカは困ってしまうに違いないからだ。いや、それは嘘だ。本当は『悪い』って、『がいると話せない』と言われるのが私は怖かった。
「ん、じゃ私は退散するよ。でも、いくら秋だからってあんまり外にいると良くないよ。ある程度したら帰っておいでよ」
にっこりと微笑んで。良い子ぶってる自分に吐き気がする。それでも、クラピカが必要としているのは私ではないと感じ取ってしまった今、もうこの場にはいられなかったのだ。そんな度胸も無い。笑顔を絶やさぬまま、二人に背を向けて、元来た道を引き返す。
そうすると、聞こえてくる声。
「すまない」
小さな謝罪。愛しいはずの人の声なのに、どうして私の胸は苦しくなるのだろう。
どうして私は泣きそうになるのだろう。そんなの、望んだ『言葉』で無いからだ。
どうしても感じてしまった、クラピカとの距離に、涙が出そうになりながら、私は「ん」と小さく手を上げる事しか出来なかった。
こんなに、好きなのに。苦しいほど愛しているのに。それでも彼が選ぶのは、私ではない。
自分の無力さを感じて、反吐が出そうだった。
― Fin
後書>>『愛だけが加速してる』と言う言葉をひしひしと痛感。
2008/10/10