春と言って有名な花と言えば、もちろん桜だと思う。勿論、桜は綺麗だと思うし、こうして春の訪れを感じた頃には毎年お花見をしたりもする。けれども、わたしは春と言って思い出すのは、蒲公英だ。小さくて町の隅にそっとある小さな花なので、良く見ないと誰も気にしないかもしれない。道端に咲く、なんの変哲もないモノかもしれないけれど、それでもわたしはそんな小さな蒲公英が好きだった。
お団子を頂きながら、ほっと一息ついていた時に、お友達であるお千ちゃんとそんな話をしたのは、お団子屋さんの隅に咲いていたたんぽぽを見つけたから。春で一番たんぽぽが好きと言うわたしに、たんぽぽと言えばと教えてくれた、おまじない。今巷の町娘さん達の間で密かな噂になっているらしい。
"たんぽぽの綿毛を一息に飛ばせると両想いになる"
そうゆうおまじない。何故こんな噂が広まっているかと言うのは、まあ時期が関係しているのだと思う。丁度時期的に、綿毛の季節だ。最近まで、黄色の可愛らしい花びらを咲かせていたのに、今はまっ白なふわふわのそれを視線の先に捉えて、わたしはお千ちゃんの話に聞き入った。
「まあ私には想い人なんていないから関係ないんだけどね」
でもちゃんはそうゆう人、いると思って。続いた言葉に、わたしは思わず団子を呑み込んだ。「ケホケホッ」意外に大きな塊だったので、わたしは数度咽(むせ)てしまうと、お千ちゃんが大丈夫!?って言いながらわたしの背中を擦ってくれた。何度か咳をしたおかげもあって、暫くしてわたしは落ち着きを取り戻すと、お千ちゃんにお礼を言った後、温かなお茶を啜り、さっきのお千ちゃんの言葉の返事を返した。
「な、なんで、そう思ったの?」
「何が?」
「え、えっと…だから、わたしには、そうゆう人、いる…って」
だんだん言葉が尻すぼみになってしまったのは恥ずかしさから。咽た所為とは関係なく、頬に熱が集まるのがわかった。戸惑いながらゆっくりとお千ちゃんの顔を見つめると、お千ちゃんはおかしそうに笑っている。「もしかして、隠してるつもりだった?」ふふ、っと鈴のように愛らしい声が聞こえて来て、さらに恥ずかしさが募る。
「え、えっと。その。……」
「…新選組の、……ええっと、あの人でしょう?なんだったかしら。えっと…」
中々名前が思い出せないのか、お千ちゃんは懸命に思い出そうと思考している。それから、ぶつぶつ呟いた後そうそう!とようやく思い出したと言うように「斎藤さん!」と彼の名前を紡いだ。名前を聞いただけで、胸が高鳴るのがわかる。その反応に気付いたらしいお千ちゃんが「アタリ、でしょ?」って、悪戯な笑みを浮かべる。もう、誤魔化せない。
「………うん」
観念して小さく頷く。顔の熱さが半端じゃない程強くなっていく。ああ、もう。絶対今の顔は真っ赤に染まっているのだろう。隠すように両の手で頬を抑えると、決して冷えてるわけじゃない筈なのに、掌が冷たく感じられた(それだけ、頬が熱いと言う事だ)わたしのそんな様子を見て、お千ちゃんが声を出して笑ったけれども、その声は馬鹿にしたような様子はなく、「ちゃん、可愛い」どこか見守ってくれてるような、そんな笑みだった。
「上手くいくと良いわね」
やる、なんて言ってないのに。って口から出そうになったけれど、じゃあやらないの?って聞かれるってわかってたし、その問いかけに対して、わたしの答えは「やる」だったから、結局それ以上わたしは口を開かなかった。ただ、曖昧に微笑んで、残りのお団子を口に入れた。恥ずかしさと緊張とで、最初感じた甘さはわからなくなっていた。
「おまじない、かあ…」
あれから、わたしはお千ちゃんと別れて、一人河原に佇んでいた。そよ風を感じながら、先ほど話していた内容を思い出す。と同時に頭の中に浮かんできたのは―――斎藤さんの顔だった。いつも無表情で、近寄りがたい。そんな第一印象から、不器用だけど優しい人と好印象に変わったのは、もうずいぶん前の事。ああ、でも。
――今日聞いたおまじないで、斎藤さんの心を掴むことなんてできないんじゃないか。
だって、相手はアノ斎藤さんだ。恋愛事なんて二の次に決まっている。だって、彼の頭をいっぱいにしているのは新選組の事だろうから。あの人の休みの日、なんて想像がつかない。町で逢った時は必ず仕事中だし、屯所に行った時にもいつも稽古している。そんな彼だからこそ好きになったのだけれど…。
――無謀、だよね。どう考えても。
どう考えたって、上手くいきっこない気がしてならない。そう思うのに、手にはちゃっかりたんぽぽを持ってるんだから、やりたいと言う気持ちは強かったりする。もしおまじない通りやって、その通りにできたとして、それで必ず両想いになるなんて、本気で信じているわけじゃ、ないけれど。
「でも、」
この風に乗って、たんぽぽの綿毛と一緒にこの気持ちが斎藤さんまで届くと良いな…なんて、
例え、この気持ちが斎藤さんに受け入れて貰えないものだったとしても、そう願ってしまうのだ。そんな事を考えてるなんて、斎藤さんが知ったらどう思うだろうか。いや、それ以前に、わたしと斎藤さんの関係なんて、そんな大したものじゃない。斎藤さんからすれば屯所でお世話になってる千鶴ちゃん(町で知り合って友達になった)の一友人。くらいにしか認識がないんだと思う。だから、どう思うも何もない。ああ、考えて一人落ち込んできた。
「…切ないなぁ」
「?」
わたしが呟いたのと、その声はほぼ同時だった。どきり、と心臓が一飛びして、わたしはゆっくりと振り向く。そうすれば、いつもの浅葱色のそれじゃない、服装に身を包んでいる。と言う事は巡回中ではないのかな?頭の隅で冷静に考えている自分と、突然の想い人の登場にどうしようどうしようと慌てる自分がいた。だって、色々気まずい。おまじないをこれからしようと思っている時に、おまじない相手に出くわすなんて、どう考えても…気まずい。「さ、いと…さん」うまく彼の名前が呼べなかったのは、その所為だ。けれども斎藤さんはそんなわたしの様子なんてさして気にもしていない様子で、「隣、良いか」と尋ねてきた。思ってもみなかった申し出だ。むしろ、斎藤さんからそんな言葉が出るなんて思わなかった。きっと出会って初めての経験だ。そう思うと、気まずさ云々よりも喜びの方が大きくて、わたしは「ど、どうぞ!」と少々興奮気味に返事をした。隙の無い所作で斎藤さんがわたしの隣に腰かける。「今日、お休みなんですか…?」やっぱり緊張してしまっている所為で、どこか声が上ずってしまっていた。
「ああ、最近働き詰めだと副長に言われ、唐突に休みを頂いた」
「そ、そうなんですか」
確かに、この人がのらりくらりしているところを見た事ないもん。でもちゃんとそれを見てくれる上司がいるって、凄く幸せな事だと思った。鬼副長(一般市民からは人斬り集団)と恐れられているらしいけれども、本当に土方さんは隊士さん達を良く見てるんだな、と純粋に尊敬する。…斎藤さんが慕うのも、良く分かる。
「だが、突然休めと言われても何をすればよいかわからん。屯所に居ては仕事をしてしまうだろうと追い出され、気晴らしに散歩でもと思ったのだが、何分ゆっくりと静養すると言うのは性に合わんようだ」
「…それで、当てもなく歩いていたところ偶然わたしを見つけた、と言う事ですね?」
「……まあ、そうだ」
こくりと頷いた斎藤さんは、どこか居心地が悪そうだった。本当、休み慣れしてないのかもしれない。一生懸命なのは良い事だけれど、それで無理をしてほしくはなくて、胸が、痛んだ。「じゃ、じゃあ…お話しませんか?」自分自身話上手なわけではないのだけれど、折角の機会だ。勇気を振り絞って提案してみると、斎藤さんが少し思案顔をした後、こくりと頷いた。
「だが、俺は知っているとは思うが、余り話すのが得意では無い。楽しい話題の一つも提供出来ぬかもしれん」
「い、良いんです!」
お傍に居られるだけで十分幸せなんです。つい、そう言いそうになる口を、思いっきり手で押さえこんだ。こんなこと言ったら、斎藤さんをお慕いしているのだと筒抜けだ。折角の二人きりに、わざわざ気まずくなりたくはないと言うもの。わたしの挙動不審な行動に斎藤さんは特別何も言いはしなかった。その代わりに、口許を押さえていない方の手のそれに視線をやった後「蒲公英、か」小さく呟く。あ、とわたしも握っていたたんぽぽに視線をやって、かあ、と顔が熱くなった。
「蒲公英が好きなのか?」
けれどもそんなわたしの様子に気付かなかったらしい斎藤さんは何気ない質問をしてくれたのでわたしは何とか気持ちを落ち着かせてこくりと頷いた。「はい、好きです」無意識に、口角が上がり笑顔になる。すると、つられたのか斎藤さんの口許にも微かな笑みがこぼれた。
「…蒲公英と言えば、先日雪村に聞いたがまじないがあるらしい。…もしやもそれをやろうとしている口か?」
折角良い感じで話がそれたと思っていたのに、まさかの切り返しに心臓が止まるかと思った。大きな声がわたしの口から零れる。そんな反応を見せたらいくら斎藤さんでも気付く筈。斎藤さんは自分の問いの答えを肯定だと確信したらしく、まっすぐにわたしを見つめていた視線がそっと外された。「……想い人がいるのか」呟かれた台詞は小さくてかすれていたのに、しっかりとわたしの鼓膜に届いて、心を震わせる。それは斎藤さんです。そう言えたら、どれだけすっきりするのだろう。けれども、小心者のわたしにはそんな度胸など、微塵もなく。ただ、俯く。「そうか」程なくして、また斎藤さんの呟く声が聞こえた。
「……」
「……」
沈黙が、流れる。痛いほどの沈黙が。居心地が悪くなってしまい、わたしはどうしようか考えあぐねていた。けれども、動揺したままの頭ではよい答え等出てくるはずもない。口を開閉させるけれども、それが音になって出る事はなかった。ただ、魚のように呼吸するだけだ。「……はあ」重々しいため息をついたのは斎藤さんだった。びくり、身体が強張る。怯えながら恐る恐るに斎藤さんを見つめると、斎藤さんはただまっすぐを見つめていた。後、そのさらさらそうな髪の毛をくしゃりと掻き揚げ、
「いや、駄目だ。納得いかん」
ぽつりと吐き出した。そして、次の瞬間、鋭い瞳がわたしを射抜く。呼吸が、止まる。まっすぐすぎる瞳がわたしの姿を映し出しているのが、見えた。「…こ、これから言う事を、…心して聞いて、ほしい」いつもと違う斎藤さんの様子に、止まっていた呼吸をゆっくりと吐き出す。言葉にしなくてはいけないとは思いつつも、緊張でどうしようもなくて、わたしはただ無言でうなずく。そうすれば、そっと斎藤さんの大きな掌がわたしの手を包んだ。わたしの手とは違って、骨ばった男の人の、手。どきり、心臓が跳ねる。
「…想い人がいる、と先刻お前は言ったな。…そして願わくばその男との縁談を結ぶ為にまじないを施そうとしているのももっているそれを見れば理解しているつもりだ」
「は、…は、い」
正確には、目の前の貴方との、なんですが。とは口には出せない。
「俺は、お前を雪村と同じように………その。……思っていた。…だから、の呪いを成功するように願わなければと思った」
だが。
その言葉とともに、わたしの手をにぎる斎藤さんの掌に力が加わった。ぎゅ、っと握りしめられる。
「だが、可笑しいのだ。……俺は、それを快く思う事が出来ぬ。…お前に慕う者がいて、いつかその男と…夫婦の契りを交わすのだと想像しただけで…俺は、……酷く不快な気持ちになるのだ」
「え、えっと…そ、それって」
「故に、俺はお前の恋を応援することなど、出来ん!」
いつしか近くなった斎藤さんの顔が、いつの間にか赤く上気しているのが、目に映った。その表情はいつもの相手に感情を読み取らせないそれとは違っている。けれども、真剣そのもの、と言った風。「そ、それ、って」声が、震える。でも、勘違いでなければ、自惚れでなければ、今言ってくれた言葉は
「遠まわし過ぎて…よくわからないの、ですが」
わかってはいたけれど、どうしても直接的な言葉が聞きたくて、知らぬふりを決め込むと、斎藤さんの顔からは困惑の色が浮かぶ。それから、視線を宙にさまよわせた後、
「こういった事には、慣れていないのだ…」
「それでも、お願い…します」
「……………」
すう、と斎藤さんが息を吸う。彼なりの精神統一なのかもしれない。一緒に閉じられた瞳。そして、次の瞬間また双方の瞳がわたしを真っ直ぐ捉えて
「好きだ」
短い彼の言葉と共に、温かな風が吹き、わたしの手もとのたんぽぽの綿毛をそっと飛ばした。おまじないのように全部が飛んではいかなかったけれども、
「…わたしも、好きです」
きちんとあなたに届いたようです。
― Fin
あとがき>>四月馬鹿企画第3段
今回のテーマは「たんぽぽの綿毛を一息で飛ばせると両想いになる」たんぽぽの綿毛の時期は5月頃ですが、まあ昔は4月だったと言う方向でお願いしますwww3月に桜とたんぽぽ満開って感じで(ちょーテケトー)すんげー難産でした…。出来上がったの23時…ギリギリッス!
2010/03/31