どうして、神様は彼を選んだの?



心動く

キスしたい衝動




最近、良く咳をしているな、とは思っていた。けれども彼はただの軽い風邪だよといつものように笑っていたのだ。その笑顔に一点の曇りも感じられなかったから、あたしは見事騙されてしまっていた。まさか、彼があの労咳、だなんて。

いくら、阿呆なあたしでもわかる。不治の病だ。沖田さんは、あたしが彼の病気に気付いてしまった事に気付くと、やっぱり小さく笑って「ばれちゃったんだ」と、まるで悪戯がばれたくらいの軽いノリで言った。その声があまりにも普段と変わらない事に、胸が締め付けられて、あたしの瞳からは涙が零れ落ちた。

「なんでっ、なんで笑っていられるんですか!」

本当は辛いはず、なのに。労咳って診断されたと言う事は、もう将来短い人生だと宣告されたようなものだ。どん、と彼の胸を叩くと「痛いって」と沖田さんは苦笑した。それでもあたしは構わず何度も、どん、どん、と胸を叩く。こんな事がしたいわけじゃないのに、それでも笑って話す沖田さんが恨めしかった。そして、もしあたしが沖田さんとお医者さんの話を立ち聞きしなければ、きっと彼はあたしにこの事を告げる事はなかったのだと知って、憤りを感じたのだ。

「泣いても仕方ないでしょ」
「でも、」
「君が労咳ってわけじゃないんだよ?」

彼は心底わからないと言った風な声色で、問いかける。…ヅキリ、胸が軋むように痛む。確かに彼の言ってる事は尤もだ。けれどもあたしからしてみれば、自分が労咳って事よりも、辛いんだ。どうして、彼だったのだろう。どうして神様は彼を選んだのだろう。幾人も存在する人間の中で、どうして、彼を。ただの気まぐれ?それとも運命だったのだろうか。前者なら、あたしは生涯仏の道など信じてやらない。

「どうして…っ」

涙が、あふれて止まらない。こんなの沖田さんを困らせるだけってわかっているのに。どうしても涙も、言葉も思いとどまらせる事は出来なかった。

「どうしてって言われてもねえ」

ほら、困ってる。そう思ったけれど、止められないのだ。あたしは更に沖田さんにすり寄ると、そっとその胸に頭を預ける。ぽたり、と彼の着物をあたしの涙が濡らしたけれど、気にしてなど居られなかった。

「だって、…沖田さんは新選組として、これから色々やっていかなくちゃいけない人なのに」

なのに、こんなのってあんまりだ。ぐず、と情けない鼻音が鳴った。「そんなこと言われてもねえ」のんびりと間延びした声が、更にあたしの涙を誘う。多分彼の表情は綻んでいるに違いないのだ。それこそ、いつもと変わりなく。そう思うと、やるせなかった。

「なんでそんなに平然としてられるんですかっ」

涙をいっぱい貯めたままの瞳で沖田さんを睨みつけると、ぼやけた中で沖田さんの顔が苦笑に変わった。ああ、もう。そんな顔するくらいなら、素直に泣いたりとかしてくれれば良いのに。彼はそれを格好悪いと思うかもしれないけれど、あたしは弱い沖田さんすら愛したいと思っているのに。こんなに、こんなに想っているのに。世界の誰よりも、好きだと慕っているのに。

「…、あ、たしが」

嗚咽が混じる。

「あたしが、代わりになれたら、良いのに…っ」

もしあたしが死ぬ事で彼が生き永らえられるのならば、喜んで死んでも良いと思えるのに。幾度となく流れた涙が、喋っていた口に流れ込んだ。しょっぱい味が口の中に広がる。

「…何、言っちゃってるのさ」

すると、先ほどまでへらへら笑っていたと言うのに、突然声色が変化した。びくっと身体が強張る。いまだにぼやける視界のまま見つめると、先ほどの笑顔は一瞬にして消え去り、冷たい視線がかち合った。

「もし本気で言ってたら、本当に許さないよ」
「だ、って」
「冗談でも、僕の代わりに死ぬなんて、そんな弱い事言う奴は、嫌いだよ」

嫌い。その言葉が、一番今のあたしには痛かった。一番彼に言われたくない台詞が、耳にこびりつく。別の意味で泣きそうになって、眉をひそめると、彼はいまだに怒りを露わにした表情のまま、いつもより乱暴にあたしを抱きしめた。いや、掻き抱いた、と言った方が正しいかもしれない。骨が、軋むほどの抱擁。なんだかんだでいつもや加減してくれてたのだと知る。ぎゅう、と息が止まる程の強い束縛に、あたしの涙が徐々に薄まっていくのがわかった。

「もう二度と嘘でも死ぬなんて言ったら、…僕はを殺すから」

何度も聞いた台詞。でもなんでなの。全然怖くない。殺すって言ってるのに、其処には悪意とか殺気とか微塵も感じられなくて、それが、まるであたしの為を想って言ってくれた言葉だと、安易に想像出来てしまって、あたしは先ほどの様々な意味以外の感情の涙を流した。

「僕はまだ、生きてるんだ。…生きる事を諦めたわけじゃないんだ」

呟くように、けれどもそこには強い意志があって、あたしはそっと彼の背に手を回す。

「精一杯、瞬間瞬間を生きるよ。だから、」

だから、ねえ。君は僕の代わりに死ぬ事を考えずに、僕と共に多くを生きる事を考えてよ。

わかった?と、柔らかな声があたしに降ってきて、でもその声が優しすぎたから、喉が熱くなって言葉にならなかった。ただ、懸命に首を縦に振って、彼の意志に同調しようと試みると、沖田さんはふわりと、微笑んだ。

「ありがとう、

囁き声とともに、あたしの瞼に温かな口づけが舞い降りる。それは一度では終わらずに、場所を変えて何度も何度も降り注ぐ。こんなじゃれ合い、初めてじゃないはずなのに、今までのどの口づけよりも、幸せだった。最後の最後触れあった唇が、一生離れなければ良いのに。そんな事を想った。

一筋の涙が、また頬を伝った。






― Fin





あとがき>>四月馬鹿第4段。斎藤さんが二つだったので、とりあえずSSでももう一点沖田さんが書きたかった
初書きの際くらーくなってしまったので甘さに再度チャレンジ。ビタースウィートな感じで(笑)4月1日まで残り10分!間に合ってよかった(笑)
2010/03/31