あたしが見た、彼の最後の姿はとても、とても



暑い熱い最後の夏



「…お疲れ様」

控え室から出てきた野球部の中から、目当ての人間を見つけて、あたしは、そっと声をかけた。
そうすれば、うん、って小さな声。その声はやっぱり沈んでいて、それがもちろんさっきの試合だったってことは頷ける。どう声をかけて良いのかわからないあたしをよそに、小森は「みんな先行ってて」と皆を促した。
とたんに、二人きり。
ゴクリ、と生唾を飲み込んで、そっと小森を見つめて

「今日の試合、聖秀だってわかってたけど…」

まさか茂野くんがいたなんて。と小声になった声で言いやった。
茂野くん、とはあたしと小森くんの小学校の頃の顔見知りだ。中学でも途中から転校していて…あたしはともかく、小森君は小、中と同じ野球仲間だった。幼馴染のまさかの再会に、あたしは吃驚していたけれど、小森は知っていたようだ(そりゃそうだ、偵察に行ったと聞いたから)
あたしの言葉に「本田君が居たこと、黙っててごめん」ポツリとつぶやかれた謝罪に、無言でフルフルと頭を振る。小森の考えはなんとなく、わかる。きっと、話したら懐かしさが蘇って、今回の勝負に支障をきたすことになるからだろう。
「油断ならない相手がいる」とだけ、聞かされていたので、それは間違いないだろう。

さん…ごめん、甲子園、行けなくて」
「え、…ううん、良いよ」

少しあたしより背の高い小森に顔を向けて、とっさに右手をブンブンと横に振ったけれど。本当に甲子園に行きたかったのは、小森なんだと知っている。誰よりも努力していたのも知っている。キャッチャーとして、どれだけの事をしていたかも知っている。正直、甲子園に連れて行ってもらうと言う夢は残念ながら叶うことはなかったのだけれど。
落ち込んでいる小森の背中は、凄く頼りなげで。どうすれば良いのかわからない。こんなとき、野球をちょっとかじったくらいのあたしじゃあ何て声をかければ彼が喜ぶのか、そして笑ってくれるようになるのかわからなかった。
あたしの、ばか。
無性にさっきの試合が頭の中をリフレインして、泣きたくなった。泣きたいのは、観ていたあたしよりも小森のほうだと言うのに。スカポンタン。自分に対して毒ついて、

「…甲子園より、素敵な試合を見せてもらえたと、思うよ」

ポタリ、と自分の瞳から涙がこぼれた。小森の顔が、ぼやけて映る。それでもあたしが今小森がどんな顔してるかが何となく、わかった気がする。「…ありがとう」そっと聞こえた声に、フルフルと頭を振って、涙を拭う。
それから、ニって笑って(うまく笑えたかはわからないけれど)

「すっごく、すっごく素敵だったから」

だから、そんなに落ち込まないでほしいと言う気持ちが伝われば良い。
本当に、凄く感動したんだって想いが小森に伝われば良い。

「だから…茂野君と、勝負、出来て良かったね」

また涙が溢れて、きっとすっごく変な顔になってる。でもそれでもあたしは笑うのをやめなかった。小森が一瞬驚いた顔をして、「うん」って頷いて、あたしのほうに手を伸ばす。
その手が、一瞬だけ躊躇して、そっとあたしの頬に触れた。それから、それが優しく涙を拭う。それがまた涙を誘うと言うのに。

あの練習は決して無駄じゃなかったよ。なんて聞こえた声は、どこか泣きそうで、それでもあたしから見える小森は笑顔で。スン、っと鼻を鳴らして、あたしは更に泣いてしまった。

「今日、さん泣いてばっかりだね」

苦笑しつつも、頬に伝う涙を拭ってくれる小森の手は止まらない。
まるで他人事のように言う小森に「小森のせいだよ」としゃくりあげた声で言うと、うん。って何がうんなのかわからないけれども言って笑うから、少しだけ悔しかった。あんな試合見せられて、こんな顔するなんてほんとズルイよ小森。「ごめんね」苦笑した小森の顔がぼやけた瞳でも確認できて、小さく頭を振る。

「い、良いの、…小森、が、泣くの我慢してるから、あたしが代わりに泣くの」

ぐすぐすになった声と顔のまま、そう言ったら、小森がまた少し吃驚したように瞳を瞬かせて、それから薄く笑う。笑ってるのに、泣いてるみたいだった。それがまた涙を誘うって、わかってるのかな。きゅうん、と胸が締め付けられて、やっぱり涙は凝らえられなかった。

「高校野球は、こ、これで終わり、だけど」

ひきつけを起こしてるせいで、つっかえる言葉がひどくもどかしかったけれども、小森は黙ってうんうん、と頷いてくれるから「だから、…大学でも、絶対野球、やってね…っ」ボロボロと涙を零して、もうこんなんじゃあいくら小森が指で拭ってくれても追いつかない。暖かな小森の手を自身の手で包み込んで、顔から引き剥がして、手を握る。

「あたしは、こもりの野球してる姿が好き、だから」

ぐしゃぐしゃの顔で、笑って。きっと後になったら後悔するんじゃないかって言うブサイクな顔での告白。でもそれでも後悔することはないと思う。
今日何度目に見る小森の驚いた顔は、少しの後にくしゃりと笑った。うん、有難う。って言う小森の声がとても優しく感じたのは、気のせいかな。

それでも、触れた手が握り返されたのは、絶対勘違いなんかじゃない。
ゴツゴツとした、一見小森の小柄な外見からは不釣合いな手。
それでも、豆だらけなのにとっても安心できる掌だと思った。

さん、本当に、有難う」

そのときようやく彼の瞳から、一筋の涙が零れるのを、見た。





あたしが見た、彼の野球する最後の姿はとても、とても
―――眩しくて、それはまるでこの青く晴れた大空に咲く、真っ赤な太陽のようだと思った。
こうして、あたしたち三船高校野球部の暑い熱い夏は終わりを告げたけれども、なんだかとっても清々しい気分になれたのは、きっと皆本気で試合をして、十分に力を発揮できたからだと思った。





― Fin





2009/01/02