あの時僕は、泣いてる君を見て、君が傷ついたり、挫けそうになったときには、僕が絶対傍に居て、慰めてあげようって。の支えになるようにって、思ったんだ。それは今も変わらないのに。



哀歌



「さむーい…っ」

ほう、と小さく息を吐き出すと、白いもやが顔の前に現れて、暫くしては顔を消した。それを見れば否応無く冬の訪れを感じさせられる。
は赤くなってしまった手を少しでも暖めようと自身の息を吹きかけては擦り合わせていた。けれども全く効果が無いことは本人にも既にわかっていた。それでも此処を動かないのにはわけがある。
の目の前にそびえ立つ緑色のフェンスの向こう側では、元気な声がこだまする。その中のメンバーには幼馴染の姿を発見すると、小さく笑みを浮かべた。

カキーーーンッ!

小気味良い音が響いて、その白いボールは高く高く打ち飛ばされた。それを追いかけるようにも上を見上げると、こんなに寒いのにもかかわらず空は綺麗な青空で。白い点が確実に空を飛んでいるのが見て取れた。

(あと、ちょっと)

その白い点を追いかけて、外野が走る。けれど、それが彼のグローヴに収まる事は無い事を、は確信していた。
そして、その直後。爆発的な勝利を宣誓する声。にんまり、との口には笑みが浮かび上がっていた。号令が聞こえて試合終了。
今日も幼馴染率いる友ノ浦中学校野球部は勝利した。その事実が嬉しい。場外ホームランで勝ちを取ったのは、の幼馴染だ。彼はいつものように選手達仲間にもみくちゃにされている。「やったなあ!」「さっすがだぜ!」と自分の幼馴染を褒める声には自分の事のように喜んだ。

(やったね、寿)

「あ、

心の中でのお祝いの言葉がまるで本人に届いたように、彼はの方へとやってきた。と言ってもフェンス越しの彼らが触れ合う事は決して無いのだが。

「おめでと、寿!」
「ありがとう。寒くなかった?」

優しい笑みで佐藤はを気遣うと、は「ん、大丈夫!寒かったけど寿達の勝利を見たらそんなの吹き飛んじゃったよ」と笑って返した。そんな頼もしい幼馴染に佐藤は安心したような笑みを浮かべて「あとちょっとだけ待ってて」と言い終え、の肯定を確認するとチームの元へと帰って行った。





「ごめんね、待たせて」
「んーん。はい、おめでと」

遅れて(それでも急いで着替えたりなんなりしたんだけど)やってきた僕に、は嫌な顔一つせず、にっといつもの笑みを浮かべると、今まで彼女の手の中にあったそれを僕に差し出した。温かいポカリスエットを見て、その次にを見ると「冷たいのが良いかなとは思ったんだけど、お腹冷えるといけないからね」といたずらっぽく笑う君。ご忠告どうもと笑って、ホットポーを受け取った僕は、キャップを外し一口飲み込む。うん、これくらいの温かさならちょうど良いかもしれない。
きゅ、とキャップを閉めて、「じゃあ帰ろうか」と合図をすれば、も歩き出す。それからもう一度「おめでとう」の声が聞こえてきて、僕よりも頭一個分違う彼女を見下ろすと、嬉しそうなの表情が目に映った。

「今日も、寿圧勝じゃん。さすが天才捕手」
「大げさだよ。それに練習試合だし」
「練習試合でも。今のところ負けなしだもん。このまま大会優勝だね。そして目指すは甲子園出場!」

うんうん、と頷いて語るに気が早いよ。と苦笑を一つ。中学に甲子園は無いし、それよりもまず目先の地区大会だ。「でも分からないよ。やっぱり手ごわい相手もいるだろうし」…が僕を信頼して言ってくれてるというのは十分に分かっていたから、嬉しくないと言えばそれは大嘘だ。だけど、決して油断出来るわけでも無い。今のメンバーはベストな選手ばかりだけれど、それでも…まだわからない。そう言えば、の顔から笑顔が消えた。

「…そ、っか。……そうだよね。もしかしたら、ごろー君みたいな人、いるかもだし、ね」

ポツ、とつぶやかれた言葉と、『ごろー』と言う人物の名前に、僕は心臓が高鳴るのが分かった。明らかに動揺してしまった。それは紛れも無くが悲しそうに俯くからだ。「?」こんなとき、どう声をかければ良いのかわからなくなる。

「…あ、ゴメ…!」
「ううん…僕は気にしてないよ。…こそ、大丈夫?」
「うん。大丈夫…」

『ごろー君』それは僕との幼馴染だ。そしてごろー君は僕に野球を教えてくれた人。彼が居なかったらきっと僕もも此処まで野球を好きになってなかっただろうし、きっと僕はつまらない人生を送っていたと思う。そんな、彼は小学校六年の頃、リトルで右肩を壊して野球生命を絶たれてしまった。その事を知った僕は勿論ショックだったけれど、でも僕よりもの方がショックだったようだ。雑誌に載ったごろー君の記事を見ると泣き出して学校を暫く休んだ。
あれから、三年。勿論僕らは彼の連絡先を知らないし、彼から連絡がかかってくる事は一切無かった。今どうしているかはわからない。だからこの話題は避けて来たのに。…が悲しそうな顔をするのがわかるから。
きっと、はごろー君がすきなのだと思う。僕に対しての『好き』とは違う意味で、だ。そんな彼女に対して、僕は何も言えない。あの日。自分のことの様に傷ついて泣いてたあの日、僕は絶対の傍に居ようと誓った。
それなのに、励ます事も、慰める事も、出来ないでいる。ましてや彼女の恋路が上手くいくように応援する事も出来ない。
だって、僕だってがごろー君を『好き』なように彼女の事を『好き』だからだ。
最低だと思う。本当はが何を言って欲しいのかわかっている筈なのに、あえてその言葉を口にしない。そうしたら、どんどん離れていってしまう気がするから。ずるいと分かっていても、小学校中学校とずっと一緒に居る事を許してくれてるあの日から、僕はこの気持ちを告げない。
それでも、決しての悲しんでいる顔は見たいわけではない。

「…寿」

考え事をしていると、突然の声。えっと顔をそちらに向けるとの悲しそうな表情が映った。ああ、もう潮時なのかもしれない。
ずるい考えは、小賢しい考えはもうやめにしたほうがいいのかも知れない。だって、こんなにもはごろー君の事を想ってる。それなら、応援してあげなくちゃならないのかもしれない。…悔しいけど。

「…大丈夫だよ」
「え」
「…ごろー君なら、きっと今でも野球続けてるよ。だってあんなにも野球が好きだったんだから」
「…寿」
「だから…悲しむことは無いよ。きっとの元に戻ってきて、…甲子園連れてってくれるさ」

『甲子園』それは彼女が野球を好きになって、連れて行って欲しいと僕とごろー君に行った約束だ。でも、今彼は僕の目の前には居ない。もし、僕とごろー君が敵同士となるならば、はごろー君に連れて行ってもらいたい筈だ。勿論、もしごろー君が野球復帰したと仮定して、高校で出会ったとして、僕と当たることになったとしても、勿論簡単には負けてやらないけれど。

「……寿、は」

そうすれば、また淋しそうな声。えっ、とまた先ほどと同じような声が僕の口から零れて、を見つめた。すると、薄っすらと涙を浮かばせている瞳とかち合った。

「なんで、そんなこと言うの」
「…え」
「なんで、『甲子園に連れてってくれる』なんて、他人事のように言うの」

だって、それは。…君がそれを望んでると思ったからだ。

「ごろー君に負けるって思ってるの?そりゃあごろー君は強いよ。リトルでも寿は負けちゃったけど…でもあれから何年経ってると思ってるの。また負けるって思ってるの?ごろー君には勝てないって、思ってるの?…そんな弱気な寿は、寿じゃないよ!」

一気にまくし立てた言葉とともに、ついにの瞳からは大粒の涙が零れ出た。あ、と一瞬手を上げたが、その手が涙を拭う前に、の自身の手によって乱暴に拭われた。

「勿論、負ける気なんてないよ。だけど…だって、ごろー君の方がは良いだろ?」
「…なん、で」
「なんでって……だって、は」
「寿は、何にもわかってない…っ」

震える声が聞こえてきて。とめどなく溢れるの涙に気負いして、僕はそれ以上言葉を紡げなくなった。いつの間にかとまってしまった二人の足取り。僕を見上げるの顔は、あの日よりももっと、傷ついているように見えた(それは、もしかしたら僕の願望かもしれないけれど)

「あたしが、何でわざわざリドルの頃毎日練習見に行ってたとか、友ノ浦中に入学したとか、マネージャーでも無いのに今でも練習欠かさず見に来てるとか、寿は何にも分かってない…!」

ねえ、そんな風に言われたら、誤解しちゃうよ。

「そんなの、あたしが寿と一緒にいたいからに決まってるじゃない…!あたしは、ごろー君じゃなくて寿の傍にいたいって思ってるもん!甲子園だってそりゃあ三人そろっていけたら良いなって思ってた時期もあったよ!でも、今は、ごろー君じゃなくって、寿に連れてってもらいたいもん!なのに…っ、なんで、どうしてごろー君に連れてってもらえって言うの…なんで『僕が甲子園連れてってやる!』って言ってくれないの!」

ぽろぽろと流れる涙を、これ以上綺麗だと思ったことは無かった。
零れ落ちる涙を必死で拭うに、なんて言葉をかけようって思う前に、僕はの身体を抱きしめた。
初めて抱きしめたの身体は思ってた以上に小さく、か弱く思えて。「と、しぃ…」耳元で聞こえる声に、僕が泣きそうになった。

、そんなこと言われたら、期待しちゃうよ?」
「ばかぁ…期待、してよぉ」
「…ごめん」

ぎゅ、っと背中に回ってきた手の平が、冷たい筈なのに、何故か心が暖かくなった。



あの時僕は、泣いてる君を見て、君が傷ついたり、挫けそうになったときには、僕が絶対傍に居て、慰めてあげようって。の支えになるようにって、思ったんだ。その権利、持続しても良いのかな。
そう告白すれば、が泣きはらした瞳を細めて、

「バカ。そんなの、初めから寿にしかあげないよ」

そう、僕の好きな顔で微笑んでくれた。





― Fin





あとがき>>勢いです。ごめんなさい。としくん、大好きです。意味がわからないくらいかっこいいんですが。南を甲子園に連れてって!なノリで書きました。すんません、ドリーマーです(笑)にしても野球の部分を何度もテニスと打っては消してました。とりあえず確認はしましたが、テニスって書かれてたら教えてやってください(笑)
2008/12/30