黄昏時アリア





それに気付いたのは、偶然だった。いつも一人で、ひたすらに壁とにらめっこしてボールをけり続ける小さな背中。
毎晩毎晩、飽きもせず―――ただ、一人で彼はサッカーをしていた。

彼―風祭将が桜上水に転校してきたのは、一週間程前の事だ。
文武両道の名門校と言われる武蔵森からの突然の転校。サッカー部顧問の香取先生なんて「これでサッカー部も安泰だ!」ってそりゃあもう目ェキラキラさせて喜んでいた。
ところがどっこい、その風祭将と言う男子、これまたすんごいサッカー下手くそで。詳しく話を聞いたら武蔵森では三軍(ほけつ)だったって言うじゃない(てことは下の下ってことだ)
それから学校の部どころか学校自体欠席する始末。皆の期待は大きかったのだろう。


でもだからって、へたくそがバレたから登校拒否とか、男らしくないと思うのよね


そんな時だった。仲の良い友達と遊んで、一人での帰宅途中、河川敷で、彼を見つけた。
汗を垂らしてボールをけり続ける姿を、私はただ眺めるだけだった(と言っても、五分もいなかったと思う)

無断欠席して、こんなところでボール遊びなんて余裕だな。その程度にしか思ってなかった。
だけど、ちょっとだけ、興味がわいたのも、事実。

次の日も何気に気になって、私は昨日よりも少し早い時間にその場所に来た。


―――いた。


そして、彼の姿を見つけた。風祭は昨日同様にもう汗だくになっていて、服なんてボロボロに汚れている。
一体、いつからやってんのよ。しかも、見るからに昨日と同じ事の繰り返しをしているようだ。まあ、一人で練習、なんて限られてるんだから仕方ないのかもしれないけれど。
…そうだよね。アイツ、うちの学校では友達いないんだもんね。転校してきてまだ一週間ちょっとしか経たない。しかもサッカー部入部初日であんな大恥さらされて登校拒否してるんだから、友達作る暇なんてあるわけない。
それでも―――私の目に映る風祭は、



真剣そのもので。



ほんとに、サッカーが好きなんだと、遠くから見る私でもわかるほどに。





「風祭くん」



だから、きっとこうやって声をかけてしまったのは、ただの好奇心だ。
クタクタになって、座り込んでいる風祭に、私は先ほど買ってきたポカリを投げてよこす。突然投げられたポカリと見事キャッチした風祭は、驚いた顔してた。
それから次にキャッチしたは良いけど、どうすればいいんだろうって、困惑した表情。ポカリと私の顔を交互に見やりながら、彼はやっぱり今の状況を把握できてないようだった。

「私、。一応キミと同じ2−Aなんだけど」
「えっ、あ、ごめん!ぼく…っ」

なんて、嫌味ったらしく言ったけれども、彼が学校に来るようになってから、彼が実質学校にきたのは転校してきてから一週間。そんなのでクラスメイト前任の名前を顔が一致出来たら凄い事だ。ちなみに私だったら無理だ。
「気にしてないよ」と言いながら、私は転がっているサッカーボールを手に取った。土がこびりついたそれは、今までの彼の練習量を物語っているように見える。

「ねえ」

ボールを見つめながら、口を開く。風祭がいまだ私の渡したポカリを開けもしないままずっと持っていた。一瞥してから、ぽつりと、呟く。「そこまで、なんで頑張るの?」と。
転校初日に大恥かいたから?口をついて出そうになった言葉を何とか呑みこむ。風祭を見ると、風祭はぽかんとだらしなく軽く口を開けていて―――でもすぐに私の視線に気づくと口許を軽く緩ませて、へにゃりと苦笑した。



「僕、人よりも下手くそだし、人の倍以上頑張らなきゃ追いつけないんだ」



だから、がんばると言うんだろうか。でも、そうまでして何か徳があるんだろうか。じっと風祭の顔を見つめる。

「僕はまだ全然シロートで、技術も何もないけど、でもそれでも、さ」



「僕は、サッカーが好きだから。好きな事は諦めたくないんだ」



ポリポリと頬を軽くかいて笑う風祭は、真っ直ぐだ。
どこまでも純粋で。その言葉同様に、ほんとうにサッカーが好きなのだとわかる。

「ところで、あの…さん」
「えっ」

名前を呼ばれたところで、ハ、と我に返った。 素っ頓狂な声が上がる。自分でも変な声だと思った。
羞恥心の所為で、心臓がドクリと高鳴るし、顔が赤くなるのがわかった。けれども彼は私の様子には特別何も言ってこないで(言われても、困る、けど)
風祭はただ、困惑して、手元のポカリを見つめてる。「何?」中々続きを言ってこない彼にしびれを切らして続きを促すと、彼はもう一度ポカリを一瞥して私を見てから申し訳なさそうに眉根を寄せた。

「渡された、ポカリ、ぬるくなっちゃった、みたい…ごめん!」
「は?」

何を、言ってるのかサッパリだった。間の抜けた声が私の口から洩れた後、風祭はやっぱり困惑したままの表情で、新しく買ってきた方が良いよね。ごめんね、ほんと!って慌てまくった声。
がさごそと自分のズポンのポケットに手を突っ込んで、何度かまさぐった後、更に申し訳なさそうな顔、した。それから続くのは「ごめん、おかね、忘れてきちゃったみたいで!」

「ええっと…風祭、くん?」
「急いで取りに戻るよ!そ、それまで待っててもらえる?」
「え、じゃなく、って…」

なんで?

私の口から零れるのは、疑問の台詞だけだ。一体何を慌てているのかわからない。
一番の疑問を口にすると、風祭はさも当たり前のように「だって、このポカリさんの、なのに…!」って…。


…莫迦じゃないのか。


「え、ああ…違うよ、それ、風祭くんに上げたのだし」

じゃなかったら、わざわざ投げない。自分で呑むつもりだったら普通に自分のカバンのなかに入れておくものでしょう?
天然、なのかもしれない。それ、と指さして言うと風祭は一度ポカン、と間抜け面した後、またポカリを見つめた。
彼の視線の先には汗をかいたポカリが握りしめられていて。

「え、でも…悪いよ!」
「ううん。…なんてゆうか、…ウン。お近づきの印?みたいなものだから、受け取ってよ」

てゆうのは、ただの今の思いつき。でもそうでも言わないと彼は受け取らないような気がした。
軽口に言ったつもりだったけれど、それでも彼はまだ気にしているようだ。でもたかだかポカリ一本で気に病まれてもこっちが気にしてしまう。
そこで、ふと、思った。



「じゃあ、さ。…ポカリの代わりに、キミがサッカーしてるところ、見せてよ」



なんでそんなこと言ったのか、自分でも謎だ。
それでも無意識に出たと言う事は、多少なりとも彼に興味がある、って事?

「それなら、――――…良かったら、一緒にしようよっ!」

でも、そんなの認めたくない。
笑ってる風祭が、ちょっとカッコイイ、なんて不覚にも思ってしまったけれども、それは多分自分の勘違い。
だけ、れど。

「きっと楽しいよ!」

笑ってる彼の顔に、心臓が騒いでいるのは―――紛れもなく真実(ほんとう)だと言う事。










後書>>第一巻第一話の風祭くんとの出会い。その後タツボンが風祭を見つけると言う感じ。
アリア→音楽用語で「独唱曲」
20105.14