アマビリタな密室





「一つ、聞きたい事がある、んですけど」

真剣な声が降ってきて、僕は雑誌から顔をあげた。すると、声色と同じような神妙な顔つきの後輩の姿がある。手をお腹辺りで結んで僕を見下ろすその瞳は、ゆらゆらと揺れていて、不安定だ。
先ほどの言葉からすぐ済むような内容じゃなさそうだと判断して、僕は「まあとりあえず座りなよ」と立ちつくしている後輩に空いている椅子を指さして座るよう促した。後輩はびくりと一度反応したかと思うと、「で、は…失礼し、ます」と歯切れ悪く言いながら、僕の隣に腰かけた。読みかけの雑誌をパタリと閉じる。

「………」
「………」

座ってから数秒。一向に話を切り出してこない彼女。折角こっちは聞く耳持ってると言うのに。少し歯がゆく感じるが、折角の願ってもないシチュエーション。
まさかの二人きりと言う現実の方が歯がゆい気持ちよりも強く、僕は正直嬉しかったので、まあ良いか。なんて結局許してしまう。黙ったまま視線をやれば後輩は気まずそうに視線を落としているままだ。
決して大柄ではなく、どちらかと言えば小柄な彼女はいつにもまして身体を縮こませている所為か、幾分も小さく見えた。この調子はどのくらい続くのだろう。じっと視線を送ってみるが、彼女は顔をあげる様子はない。

ちゃん」

矛盾かもしれないが、この状況(ふたりきり)は嬉しいが、このまま沈黙なのは頂けない。ついにしびれを切らして、僕は彼女の名前を呼んで見る。すると、小さな肩がビクリと震えた。
怖がらせるつもりも驚かせるつもりもなかったんだけどな…。次の瞬間、後輩―ちゃんがそっと頭をあげた。
その表情は―――困惑。
眉間に小さなしわが寄っている。それでもそんな顔ですら可愛いと思ってしまうんだから、もう末期なのかもしれない。
何とかおびえさせないように、今度はもう少し柔らかく(感覚的に、だけど)彼女の名前を呼んでみると、ちゃんはようやく意を決したのか、ポツリポツリと話し始めた。


「あの、不躾な質問、だとは…思ってるんですけど。自分ではどうしようも、出来なくて…ですね」
「うん」
「男の人の意見、聞きたくて。でもこんなこと、沖田先輩にしか、きけなく、て」


僕にしか聞けない。それは僕を特別だと思ってくれている証拠なんだろうか。少しでも信頼されてる。自惚れてしまう。
なあに?警戒心を与えないように笑顔を作るのは得意だ。そうやってこの信頼を築いてきたのだから。勿論、下心付で、だけど。
そうすればちゃんは安心したようにほわりと微笑って、…ホラほんの少し警戒を解く。けれど、次の瞬間ほんのりと白い頬が紅く染まるのが、わかった。

「えと、……あの、…男の、人って……その、一般的に………やっぱり何も知らない女の子って、イヤ、なんですかね?」
「何も知らないって?」
「えと、その…つ、まり……その、……純真無垢、って言うよりも、どちらかと言えば遊んでるって言うか…ええっとその…」

言いにくそうに言葉を並べる後輩をじっと見つめる。何となく、ちゃんの言いたい事と言うのは、わかってしまった。
けれども、こんなことちゃんが言うのは珍しい。だって僕の目の前に居る後輩こそ、前者の純真無垢な女の子の一人なのだから。
決定的な言葉を切りだすのが憚られるのか、なかなか口にしない彼女に、僕は助け船を出す事にする。



「つまり、ちゃんが言いたいのは"処女"か"処女じゃない"かってこと?」



もうちょっとオブラートに包むって事をすれば良かったのかもしれないけれども、遠回りは嫌いだ。
どうせ結論を聞くなら変化球よりも直球の方がわかりやすい。するとちゃんは先ほどとは比べ物にならない程その白い肌を朱色に染めた。
同時に伏し目がちだった瞳が、完全に下へと向いてしまった。「ま、あ…そ、そう、です」それからごにょごにょと殆ど口の中で発したと言った方が正しいくらいの極小さな声で、肯定した。

「ううん…………」
「ほ、ほんと…その、あの!…こんな事、聞くの、どうかとも思った、んですけど…っ、その、私男の人とそんなに仲良く、ナイ、ですし…それに、その…沖田先輩なら、モテるから、ちゃんとした答え、教えてくれそうな、気がしまして…その」
「モテるモテないは別として……そうだね…」

難しい質問だ。目の前にはトマトのように顔を真っ赤にしている想い人。信頼されている、と言うのは、こうゆうとき不便だ。
別の意味で恋愛圏外にされてしまったらしい。
心の中でチっと舌打ちをついて、けれども逆を言えば彼女の真意を知る良いチャンスだと気持ちを切り替える。
「そうだねえ」もう一度同じ言葉を繰り返し、あごに手をやり考えるふりをする。伏し目がちな瞳が僕を見つめるのが視界の端に入った。

「人それぞれだと思うよ。自分と付き合う子が自分とが初めてなら嬉しいと思うし」

当たり障りのない風に言ったが、ちゃんの顔はすぐれなかった。「けど…」曇ったままの表情に、僕はどうしたの?と「けど」の続きを促す。

「今日、友達と話をして、て……その、……初めての女って、重いって……聞いて、」

ああ、それでか。曇った表情のままの彼女の言葉に答えが見えて、僕は心の中で納得をする。
目の前の後輩はしゅん、とモロ落ち込んでますと言う風な態度で、これ以上小さくなれないんじゃないかと言うくらい肩を縮こませている。撫肩の狭いそこにポン、と優しく手をのせると、びくりと相手の身体が強張るのがわかった。今にも泣きそうな瞳と見つめ合う形になり、僕はいつもと同じように微笑んだ。

「確かに、そう言う男もいるかもしれないね」
「……沖田、先輩は、その」

どうですか?

小さく紡がれた台詞に、僕はドキリと一瞬胸が高鳴った。さっきまで一般論を聞かれていたのにまさか自分の事を聞かれるとは…。
けれどそれを顔に出すまいと懸命に抑える。平然を装って、

「僕?」
「ハイ」
「僕は……やっぱり、自分の好きな子には僕が初めてであってほしいと思うけど?」
「ほ、ほんとですか?」
「うん。その方が嬉しい」

ニッコリと笑って見せると、ちゃんの表情が和らいだ。「そう、なんだ」小さな独り言が耳に入ってくる。
そんな反応されたら、自惚れちゃうよ?なんて言いそうになって、とっさに僕は別の言葉を唇にのせた。

「それで?急にそんな質問してくるってことは、…ちゃん、好きなヤツ出来たのかな?」
「へ、え!?」

その反応でわかってしまった。まあ、質問された時から、そうじゃないかとは予想していたけれど。だって、彼女の性格からしてこういった話得意ではないはずだ。
今の真っ赤な顔を見れば、僕の質問に対する答えはイエスしかない。曖昧が確信に変わる。「う、あ…えと」としどろもどろになりながら、ちゃんはどう答えようか迷っているようだった。

「一体誰なの?」

君に想われてる幸せ者は。言いそうになって、その一言を呑み込む。すると「わ、私、いるなんて…!」と今更な否定。けど、そんなの嘘だって、わかっちゃってるよ。クスクス笑ってその柔らかな髪をなでる。
その仕草で、自分の嘘が見破られたのだと察知したらしい。シュウゥとまるでそんな効果音が聞こえてきそう程顔を赤く染めあげ、ちゃんは俯いた。
「片想い、なんで、す」ぽつりと、小さな告白。なんか、面白くない。

「へえ……じゃあちゃんはそいつの為に処女を捨てるべきか、それともそいつに捧げるべきか悩んでるわけか」
「う、あ……そ、そう…デス」

ほんと、幸せ者だ。これで、ソイツが処女は重いとか言いやがるんならはっ倒してやるのに。

「僕の知ってる人?」
「え…っ………知ってる、と言えば知って、ます、し…知らないと言えば、知らない…です」

何、その謎解きみたいな答えは。

ちゃんの表情からするに、その男にべたぼれなのは明白だ。まあ、表情を見なくても悩み事を聞いた時点でわかりきってる。
…無垢な君をこうまでさせる奴がすでにいるなんてね。嫉妬心に掻き立てられる。けれども、悲しいかな、信頼されてしまった立場からは、なかなか殻をやぶるのは難しかった。
本当なら、今すぐにでもこの細い腕を掴んで胸に閉じ込めてしまいたい。小さな桜色の唇から僕以外の男の名前なんて呼べないようにしてやりたい。
そんな事を想っているなんて、きっとちゃんは知らない。知ったら幻滅するだろうか。それとも、ようやく僕の事を男として見てくれるんだろうか。

正直、ちゃんに恋愛なんて、早いと思ってさえいたのに。
だって、彼女も言ったように、僕以外の男とそんなに親しくしているところを見た事がないし、多分、僕が男の中では彼女にとって一番大きな存在だと思う。
そして、超がつくくらいの鈍感だから、恋愛なんて…きっと、そこまで重視していないと、勝手な推測をしていた。―――のに。いつの間に、そんな「好きな男(とくべつなやつ)」を作っていたのか。

ほんと、面白くない。

……どうせ、別の男に取られるなら、信頼が崩れようが関係ない、か。

そう、結論づけて。

「沖田、先輩?」
「ねえ、ちゃん」
「……なんですか?」

ちゃんが僕を呼んだけれどそれを無視して言葉を紡ぐと、彼女は一瞬身構えて、それでもへにゃりと笑う。
もうそんな顔も見られなくなっちゃうかな?ちょっとさびしいような、複雑な気持ち。

「誰なの?ソイツ。名前、教えてよ」
「え、ええ?!」
「もしかしたら、協力できるかもでしょ?」
「え、で、出来ないですよ!」
「なんで?」
「なんで、って!だって、私の好きな人は―――っ」

言いかけて、彼女は口を想い切り両手でふさいだ。思わず言いそうになってしまったんだろう。危ない。と思いっきり顔に書いてある。
チッ。あとちょっとだったのに。「誰なのさ」また尋ねたけれど、彼女は口をふさいだまま勢いよく首を左右に振るだけだった。
多分、口を開けば言ってしまいそうになるのだと自分で気づいたんだろう。
でも、そんなんじゃ僕も諦められないから、僕は椅子から立ち上がると、そっと彼女の口を覆っている手をそっとはぎとった。「う、あ」小さな声が漏れ、バッチリと目が合う。
顔全体を紅くさせ―――いや、首までも真っ赤にさせた彼女を見下ろす。「お、きた…せんぱ」少し戸惑っているような、そんな声が聞こえてくる。それでも、僕は引き下がらない。
そのまま身体を曲げると、彼女の耳元にそっと耳打ち。ビクリ、とちゃんの身体が強張った。掴んだままの掌に少しだけ力を加えて握る。

「お、きたせんぱい、その…くすぐったい」

耳が弱いのか、身をよじらせて何とか僕から離れようとするちゃんにはまだ危機感が足りてないようだった。
逃げられる前に、その道を塞いでしまえ。右手を素早く彼女の背に回して、引き寄せた。
驚いたような声が、僕の耳を通過する。こんなに近距離で接するのなんて初めてだ。柄にもなく緊張してしまうが、それを悟られたくはない。

「ね、教えてよ」

そのまま耳にキスでも出来る程近づけて、囁けば、震える声で僕の名前が紡がれた。
ちゃん?」誰?と、何度目かの質問を口にした後、そっと彼女の顔を覗きこむ。潤んだ瞳に鼓動が煩くなる。
俯きそうになった顔を逃がすまいと左の手で彼女のあごを掴んで、そのまま固定させると、逃げ場を失ったちゃんが瞳を閉じた。
そんな無防備になっちゃダメじゃない。忠告したかったけど、辞めた。「ねえ、教えて」もう一度同じ質問。すると、桜色の唇が震えた

「……おきた、せんぱい」
「…まだ、言わないつもり?」

相当強情だな。と、思ったのは一瞬、だ。

「だ、だからっ、……"沖田先輩"、なんですっ…」

うっすら開いた瞳が、僕を捉えた。潤んだ瞳が僕をじっと見つめる。
先ほどのちゃんの言葉を僕なりに整理していると、僕が何か言う前にまた彼女の口が開いた。



「おきた、先輩…が、……私の、好きな、人…なん、です…」



シン、と静まり返った室内に、その声は良く通った。大好きな後輩が、愛しい恋人に変わるのはその数秒後。










後書>>オチを考えるのが苦手です。
アマビリタ→音楽用語で「甘美」
20105.20