さよなら、シェリー
「ううわ不っ細工な面」
くるんとはねたくせっ毛が、風に乗って舞うのと同時に、その声は降ってきた。見上げればそこらの女子よりよっぽど大きくくりくりした瞳と、それを縁取る長い睫毛と見つめ合う形になる。
瞳から静かに視線を落として顔全体を見ると、ニキビや肌トラブルなんて無縁そうな肌が視界に入った。冬のせいもあるだろうけれど、スポーツ選手とは思えぬほど白く、キメ細かい。
そして寒さの所為か、その白をベースに、チークを塗ったような淡いピンク色の頬。そんなそこらの女の子顔負けの可愛らしい外見。女の敵だ。けれどもそれとは裏腹に全く無遠慮な物言いで、椎名は肩を竦めた。
先ほどの椎名の言葉に言い返したかったけど、涙でぐちゃぐちゃになってるであろう顔は確かに椎名の言うとおり"不っ細工"であろうことが明白だったので私は言い返しようがなかった。
出かかった言葉をごくりと飲み込んで、でもなんだか無性に悔しくて代わりに思い切り椎名を睨んでから、私はまた膝の上に顔をうずめる。
なんでこんなとこいるのよ!泣いてるんだからもっと気の利いたこと言えないわけ?よりにも寄ってブサイクって何!そんなの本人重々承知なんですけど!
てゆうかほんと最悪。誰にも見られたくなくて、こうして一人で泣いてるって言うのに。なんでコイツがここに現れるわけ!グラウンドとは正反対の場所じゃないのよ。
傷心中の私を嘲笑いにきたわけ?ほんと、趣味悪い!
心の中でそう思っても、それが言葉になる事はなかった。否、出来なかった。
今それを言葉にしようものなら、泣いてるせいでまともな言葉として発せられず、更に情けなさを倍増させる事間違いないからだ。
言葉の代わりに情けない鼻をすする音だけが存在を主張している。
てゆうか、早くどっか行ってよ。もう十分ブサイクな面は拝見したじゃないか。だからもうどっかいけ、どっかいけっ。
呪いのように心の中で繰り返す。するとじゃり、と地面を踏む音が聞こえて、その音が先ほどよりも近づいている事に気付いた。
決して顔をあげはしなかったけれども、雰囲気的に椎名が横に腰かけたのがわかった。一緒に聞こえるのは、大きなため息。
私の願いは、聞き届けられなかったようだ。てゆうか、ため息つくくらいなら帰れば良いのに。
誰も、待っててくれなんて頼んでないのに。てゆうか、もしかしてまだ何か言い足りないんだろうか。あれだけ溜めに溜めたぶっさいくって言葉だけじゃこの男は満足しないんだろうか。
これ以上私の傷口を広めないで!早く大好きな部活行けば良いじゃない!色々心の中で考えこんで、私は意を決して顔をあげ、椎名を見た。けれども、これまた私の想いに反して、椎名は真正面だけを見つめて、私の方を一切見ようとはしなかった。横顔からは、これから私を馬鹿にするつもりだとかそういう雰囲気は一切ない、ように思う。
もうすでに部活が始まっている時間のはずなのに、ここはそんな日常とは違い静まり返っていた。遠くの方できっと各々の部活メンバーは汗水たらして勤しんでいる事だろうに。
それなのに、ここだけは、まるで別世界のような…非日常的な光景のような気がした。それが今のこの状況で、余計に物悲しさを増長させる。
椎名がいるこんなところではもう泣くもんか。と思ったのに、無理そうだった。ぽろり、と新たな涙が零れ落ちる。
冬の所為で、冷たい風が吹きつけて、瞳から零れた直後は生温かかった涙の後が急激に冷えるのがわかった。
声を押し殺そうとしたけど、無理だった。きっとこんなに近くにいるんだ。椎名には私がまた新たに泣き始めたことなんてお見通しだっただろう。
それでも椎名は茶化すような事以前に何も言葉にしなかったし、かと言って、私が泣いている理由を追及しようともしなかった。
ただ、傍に居て。
ただ、私の横にいて。
真正面を見たままの横顔は何を考えてるのかわかんない。何も考えてないようにも見えたけれど、何か真剣に考えてるようにも見えた。
でもその顔は真剣そのもので、いつになく真面目だったから―――だから、それで、だ。気付いたら私は口を開いていた。
「…………好きな子が、ね、いるんだって」
椎名が来るよりずっと前に、ここに来た彼はそう言った。別に、100パーセント上手くいくなんて自信があったわけじゃない。
それでも、どこか…他の女の子達とは違う"特別"を感じていたのは否めなかった。もしかしたら、って言う希望はあった。
だから、勇気を出して、精一杯の告白をここでしたのだ。そして、返ってきた言葉はそれ。
いつも見てた笑顔はそこにはなくて、ただただ、歪んでいた。きっと私が傷ついたのと同じくらいに、彼もその言葉を言うのに辛い想いをしたに違いない。
「の事、嫌いじゃないし…特別だと思ってたけど、そういう風には見れない」
まだ鮮明に思い出せる彼の言葉。ごめん、ごめんと何度も何度も私に謝って、深く頭を下げたその顔は終始辛そうだった。
そんな彼に、私が出来ることなんて、「良いよ」って笑って言う事だけだった。「私なら大丈夫だよ」って。
私が告白した所為で彼に辛い顔してほしくなかったなんて、どこかのヒロインみたいに優しい心の持ち主だったからではなくて、ただ、ただ辛そうに謝る彼の顔を見たら、まるで私の告白は彼にとって嬉しいものではなくただの迷惑でしかないと言われてるみたいで…だから、せめて私は彼の前で泣く事はしなかった。
彼は最後までごめんなって申し訳なさそうに私を見た。私はそんな彼に良いよ良いよと最後まで笑った。
こうして、私の初めての恋と告白は幕を閉じたのだった。世の仲、ハッピーエンドだけなんてそんな都合の良い話あるはずなんてないけれど、でも
「ごめん、なんて言ってほしくなかったっ」
最後の最後まで彼は私の告白を謝りとおした事が、辛かった。例え、フラれたにしても、最後は「ありがとう」って言ってほしかった。
そんな事思うのは、少女マンガだとかドラマの見すぎなんだろうか。でも、
「本気で、好き、だった、のに」
ほんとに本気の大切な恋だったのに。
あんなに申し訳なさそうに言われたら、私はそれを軽い気持ちで「いいよ」って笑い飛ばすしか出来なかった。
「私の方こそ困らせてごめんね」なんて、…なんで私が謝らなくっちゃいけなかったのっ。
「なんで、私が、笑わなきゃいけない、のよ…ぉっ」
でも、それでも、ごめんな、って私の顔を真っ直ぐ見る彼の事が好きで。
本気ですまなそうにしてた彼の優しさが伝わってきて、それがわかるから、わかってしまうから(それだけ一緒にいたから)
だから、私は彼を嫌いになんてなれなくて
「ふぇっ…う、」
涙を流した分だけ、彼の事忘れられたら良いのに。
でも、想いうかぶのは、彼の良いところばかりで。そうそう忘れられそうにない。
子どものように泣き叫ぶ。もう、声を押し殺す余裕、私にはなかった。
隣に座っている椎名は何も言わない。ただ、呆れた様子もなく、ただ、私の傍にいて。
普段なら「ばっかばかしい」とかいうはずなのに、そんな罵声も飛んではこなくて。でも反対に、優しい言葉が来る事もなくて、ただ、ただ黙って傍にいた。
「……っく、…ふえ?」
ようやく涙も治まってきて、重たい頭をあげた瞬間―――そこでようやく辺りが真っ暗になっていることに気付いた。
何が何だか…さっきまでは茜空だったはずの空はいつのまにか漆黒に包まれている。―――日が暮れたのだと、数秒後に理解した。
は、と気付いて隣を見ると、やっぱり変わらず椎名は傍にいて。ただ、静かに座っていて。「しい、な?」大声で泣き叫んだ所為か彼を呼ぶ声はがらがらになっていた。
すると、椎名がようやく私の方をまっすぐみて
「ううわ、…マジ酷いよその顔。…一種のホラーだよ」
怪訝そうに歪められた顔が、暗闇の中ほんのりとわかった。それから椎名が大きくため息をつくのもわかった。
手元に鏡はないけれど、瞼が重いことや茜色の空から真っ暗闇になるまで泣き続けていれば、酷い顔になるのも当然の事と言えば当然の事だけれども、ずっと黙りこくっていた相手からの久々の台詞がそれだと思うと、カチンと来てしまった。うっさいわ!頭の中に浮かんだ台詞を口に出そうとして―――ふっと気付く。
「ほら、帰るよ」
きっと私が泣いていたのは、数十分とかそんな短い時間じゃないはずなのに、
「し、椎名っ」
なんで、彼はここにいるのだろう。面倒くさそうに立ちあがった椎名の背中に向かって叫ぶと、椎名はやっぱり面倒くさそうに振り返る。
「何?まだ泣き足らないわけ?」
「え、あ、いや…そうじゃ、なくって…」
なんで?なんで、なんで?疑問ばかりが頭の中に浮かんでくる。
でもそれと同様に、考え付くのは一つしかなくて。
「…ありがと」
色々言いたい事はあったけれども、今の私には上手く言葉にできそうになかった。ただただ―――伝えたいのは、椎名への感謝の気持ちだけで。
そして、伝えられるのも多分それだけだったはず。たった四文字の短い言葉にめいっぱいの感謝を込めて言うと、暗がりの所為で良くは見えなかったけれど、多分椎名は驚いた顔をした、筈。
それからくるりと私に背を向けて、「が素直に礼なんて、天変地異の前触れかもね」いつも同様に生意気な台詞。でも、そこにはいつもの嫌みはなくて、ただただ、不器用な優しさがあって。
そう思ったら、自然と笑みがこぼれた。―――ああ、なんか久しぶり笑った感じ。告白する前平気に笑ってたくせして、久しぶりなんて大げさかもしれないけれど、でも本当にそう思う。
それもこれもきっと椎名のおかげ。
小さな背中を追いかける。私よりも少しだけ低い背丈の彼。だけどね、今日ばっかりはその小さな背中が頼もしく見えるよ。
「……もう、金輪際こんな役ごめんだからね」
「そんなにフラれることなんて、ないもん」
「どうだか。……まあ、お前が僕を好きになるっていうならこんな事なくなるんだろうけどさ」
思考が、停止した。それって一体どういうことなんだろうか。止まった脳みそを何とかフル回転させて考える。
けど、全然答えなんて出てこない。呆然と椎名を見つめていると、椎名の大きな瞳とかち合った。
「…間抜けな面」
やっぱり椎名の口からついて出てくるのは、そんな小馬鹿にした台詞ばかりなのに。
でも、なんでかな。
その声が、いつもよりも優しいように感じるのは。
その顔が、いつもよりも柔らかく感じるのは。
「ほら、さっさと帰らないと置いてくよ!」
「え、あ、うん!」
その答えは、まだ知らないままでいさせて。せめて、この胸が痛まなくなる頃までは。
後書>>これまた季節はずれも良いトコです。
シェリー→「愛しい人」
20105.13