暑い、暑かった夏も9月も半ばになったら、急激にそれは退散していって、あっと言う感じに秋がやってきた。と同時に一気に寒くなった。最近の口癖はもっぱら「寒くなったね」である。
…けれど、10月に入ればまだ暦上は秋の筈なのに、もう薄手の長袖では肌寒く感じてしまう。
本当に最近は、四季が夏と冬しかないような気がする。(これじゃあ四季じゃなくて二季だ)
ふうと、ため息をつきながら、は自分の仕事である部日誌をつらつらと書いていた。それをある程度まで書き上げたところで、ふ、と顔を上げた。それから、目の前にいる人物に眉根を寄せて、彼の名前を呼んだ。この表情は一見怒っているように見えるのだが、彼女のこの場合の眉根を寄せて、は「困惑」を意味する。困ったような顔を作り、目の前の人物に視線を送った。
「…山本先輩」
ぽつ、と落とすように、けれども、ちゃんと彼には聞こえるように名前を呼べば、山本は「ん?」とすかさずの言葉に反応を返した。ニっと笑う仕草に、意表をつかれて、の頬に赤みが増す。うっと怯んでしまって、次に言おうとした台詞が一気に頭から吹っ飛んでしまうのを感じながら、いかんいかんと心の中でそんな自分を叱咤して、ぎゅっと持っていたペンを握り締めた。
「あの、…つかぬ事をお聞きしても宜しいですか?」
一大決心をして、唇に言葉を乗せれば、山本は一瞬きょとんとした顔をに向け、それから数秒の後、プッと吹き出した。それからはもう遠慮なしにクックと笑いながら、声を出している山本。「何でそんなかしこまってんだよ」…声が完璧笑っているのがわかって(多分隠す気など全くないだろうから当たり前なのだが)は口を尖らせた。仮にも彼は先輩だし、一応でも先輩に対しての礼儀は忘れてないはずだ。…ウチの部員は先輩後輩仲は非常にいいが、ほら、良く言う「親しき仲にも礼儀あり」と言う奴で、敬語は欠かさない。
「…むう」
明らかに不機嫌です、と言いたげな物言いで山本をじとっと見つめると、山本はその視線に気づいたのはまたハハっと笑って、の頭に手を伸ばした。自分とは違う山本の大きな手のひらは、すっぽりとの頭を包んでしまう。それからガシガシっと髪の毛が乱れない程度に撫でながら「冗談冗談」なんて笑い飛ばす。
「んで?なんだよ」
数度頭を撫でていたと思ったら、その手はぱっと放された。喪失感を感じずにはいられなくて、は少し物足りなさを感じるが、まさかそんなこと言えまい。と山本はただの一部活仲間なのだから。…少なくともはそれ以上の想いを山本に抱いてはいるのだが。
は暫くの間もごもごと口を動かしていたかと思えば、山本のほうをちらりと見やって、そして一度小さなため息を漏らした。
「えと、…また、身長…伸びました?」
言えば、山本は一瞬呆けたように目をまんまるくさせてを見ていた。けれどもそれは数秒にも満たない時間で。彼女の言葉を理解すると、ぽり、と頬を掻いた。んー…と声を発しながら少し考える素振りを見せる山本を食い入るように見つめる。
「まあ、ちょっと、な」
そして、彼の口から出た真実に、やっぱり、とは心の中で呟いて山本に気づかれないようにその表情に影を落とした。自分の勘違いではなかったのだ、そう思うとまた山本との距離が遠くなったようで悲しくなった。
中学2年の男子ともなれば、今が一番伸び盛りなのだから仕方ないのかもしれない。けれど、殆どの男子が伸びる季節は殆どが夏の間だ。なのに、どうだろう。目の前の先輩は秋にもなったというのに、まだ伸び続けている。そういうものなのだろうか。
には兄弟がいないからわからなかった。
何処かしら沈んでいるに気づいたのか、山本は小首を傾げると、「どうした?」と言葉を乗せた。ストレートな物言いは、性格故なのだろう。そんな山本のさっぱりとしたところがは好きだった。
「いえ…なんでもないです」
なんでもなくないと言うのに、そう言ってしまう自分とは正反対だったから、惹かれたのかもしれない。はそんなことを思いながら、日誌に視線を落とした。あとはスコア表の整理をしたら、本日の仕事は終了だ。
無意識のうちにの口からため息が漏れると、山本はそれに気づいたのか、の顔色を見た。
「おい、大丈夫か?」
言いながら、さっと山本の手のひらがの額に触れる。たったそれだけの仕草の筈なのに、の心は千切れそうなくらいにぎゅうっと脈打つのがわかって、身じろぎした。声にならない声を発して山本を見れば、心配してる、彼の顔。ツキン、と胸が痛むのを感じながら、けれどの口から何か発されることはなく、出来た行動と言えば、視線を落とすことだけだった。
触れられているところが妙に熱くなっている気がして、おかしくなりそうだ。きっと、こんな感情山本は知りもしないのだろうけれど。
ちらりとが目を上げれば、やっぱり心配そうな山本の顔が見えるだけだ。おいおい、と言いながらの顔を伺い見る姿に罪悪感はあるものの、うまく言葉に出来ないもどかしさをは感じていた。フルフルと無言で首を横に振るけれど、そんなことで伝わるわけもない。
ああ、もう。先輩は優しすぎる。
心の中で文句を言うけど、口に出ることは決してない。結局のところその優しさに甘えているのだ。そして、山本のその優しさを利用しているに過ぎない。こうすれば構ってくれるに違いない、と言う事をは心のどこかで気づいているのだ。
困らせたいわけではないはずなのに、困っていることで自分のことを少しでも考えて欲しいと願ってしまう自分の考えはいかに矛盾しているのかは十分にわかっている。でも、どんな方法だったとしても、は自分を山本の目に写して欲しいのだ。
少しでも、自分と山本の距離が縮むように。と思っての行動なのだろう。
「?」
「…っあ!ごめんなさい!本当に何でも無いんです!ただ、その…また、身長伸びたんだなぁって思っただけ、ですから」
でも、そんなことをしても結局はただの先輩と後輩の間柄は抜けられないことを、は知っている。彼女は何でもない風を装って、山本にあははと微笑みかけた。そして、持っていたシャープペンをぎゅっと握る。自分の色々な考えに押しつぶされそうだ。
好きだから一緒にいたい。そう思うけれど一緒にいると胸が苦しくて息つぎの仕方さえも忘れてしまいそうなくらい辛くて。迷惑をかけたくないのに、自分を気にかけてくれるそれが嬉しく思えて、同じ迷惑を何度もかけてしまって。
……その度に、自己嫌悪に陥るのだ。支離滅裂な考えに嫌気がさすけれど、この想いの終着点は、程遠い。あとどれくらい想ったら、どれくらい傷ついたら、素直になれるんだろうか。正直に、好きです。と言えるのだろうか。そんな途方もないことを考えてため息が漏れた。
ふう、と吐き出した息は目に見えることなく大気に混ざる。これ以上考えていたら、頭がどうにかなってしまいそうだ。そう思っては山本を見やった。そうすれば、帰る仕度は当に済んでいると言うのに一向に帰ろうとしない、先輩の姿。気を遣わせてしまっていることはすぐにわかって、はにこっと笑った。
「あっ、先輩?そう言えば今日、沢田先輩と獄寺先輩が来るって言ってましたよね?」
「え、ああ」
「もうきっと外で待ってるんじゃないですかね?」
ほら、と言いながら自分の腕時計をとんとんと指差すと、山本は釣られたようにそれを見やったあと、ああ、本当だな。と思い出したように声を上げた。早く行かなきゃですよ!となおもは続ける。そんな後輩を山本は見つめると、そうだなぁ…と小さく呟いた。
「ほら!もう部誌も書き終わりますし、戸締りはマネージャーの仕事ですから!先輩は帰って下さい?」
出来うる限りの笑顔で対応する。けれども彼女の気持ちなどわからない山本は良いって良いって!とその申し出を軽く交わす。そんな優しさが痛いだけだと言う事は解るはずもないのだけれど。ズキっと痛む心に、気づかないふりをしてまた無理に笑って立ち上がると山本の腕を引っ張って早くとせがむ。突然の行動に山本が立ち上がると、今度は山本の背を、両手で力いっぱい押し始めた。
「?」
「待たせちゃ、悪いですって!」
「おい、ちょっと」
ぐいぐいと押すのに、結局は男女の差なのだろう。びくともしない山本の体。けれども諦めることなくは押し続けた。ぽろ、と涙が出てきてしまって余計にこの場にいてもらいたくない。何故、涙が出てしまったのか、にはよくわからなかった。色々な感情が、想いがごちゃごちゃになって、涙になってしまったんだろうが、今この場では泣きたくなかったというのに。
せめて山本にバレないうちに山本を追い出してしまおうと思っていたのに、当の本人は一歩も動かずだ。
「…、何泣いてんだよ」
「っ」
ぽた、と零れ落ちた涙が床をぬらしたのを山本は見落とさなかった。そうすればさっきまで背を押していたの手は背中から離れ、かと思えばぎゅっと握られる。握ったのは紛れもない山本の手なのだということには気づいていた。ズビ、と恰好の悪い音が鼻から漏れ恥ずかしさに顔が紅くなるが、涙と一緒でそれは止まってくれない。
、と何度も諭すような声色が更にの涙腺を弱めてしまうことに山本は気づいているのだろうか?
とめどなく溢れ出る涙を拭うことも出来ず、ただ俯く。
笑ってまた明日、部活で!そういって今日も変わらない一日が終了すると思っていたのに。それも今日でお終いだ。言い知れない不安が胸を過ぎる。…この想いが山本にバレてしまったら、きっともう山本は自分に笑いかけてくれなくなるだろうことを想像すると、恐怖だ。
にとって一番怖いのは山本を失うことだ。この関係が壊れてしまうことを一番恐れている。だから今までだってこの想いに歯止めをかけて、堪えてきたと言うのに。
「…行ってくださ、い!」
「行けるわけねーだろ」
「ダメ、です!」
「おい、」
ぐ、と力を込められた手はすっぽりとの手を包んで放さない。半ば強引にを顔をあげるように言えば、観念したのかゆっくりと彼女の顔が山本に向いた。顔は涙でぐちゃぐちゃになっていて、泣いたのなんて一目瞭然だ。目が真っ赤に充血している姿に山本が眉根を寄せる。
「早く、はやく、帰ってください!じゃないと、じゃないと…わたし、言っちゃう、から…!」
「言うって、何―――」
「山本先輩は知らなくて良い事!はやく…っ、お願い…」
最後の言葉は至極掠れた声だった。お願い、と呟くように落とした後、また俯いて涙する。ひっくとしゃくりあげながら未だ離れない手をどうにか放そうと力を込める。けれど、それは更に力が強まって、突然ぐっと力を込めて引っ張られた。
とっさのことに重力は山本へと移動して、とん、と凭れ掛かるような形になる。突然の事態にどうなっているのか対処できず、は無言になる。そうすれば、頭上で聞こえる山本の、大声。
「帰れるわけないだろ!」
怖いほどの大声に、叫び声にも似たその声にびくりと体が上下する。いよいよ抵抗することが出来なくなって、離れることが出来ないまま、は山本に寄りかかっていた。なんでこうなったんだろうかと頭の中で疑問ばかりが浮かぶものの結局答えなんか出ず仕舞い。
黙ってしまったに、また、同じ言葉を山本が言い放った。けれど今度は小さな声だ。落とすような声は何処か淋しげだ。
「…好きな奴が、泣いてるのに、帰れるわけないだろ」
突然の告白。突然すぎる言葉には声も出すことが出来ず、ただ、胸の中で驚くのみだ。ちら、と顔を上げて山本を見上げれば、いつもとは違う怒った表情。けれどあまり怖い雰囲気は見られない。それはほんの少し顔が紅潮しているせいなのだろうか。
次に聞こえた山本の声色は先ほどの怒気は消え去っていつもの、いや、いつも以上の優しさを含んだ声に変わっていた。
「…、俺、バカだから言ってくんねーとわかんねえんだけど」
「……っ」
「泣いてる意味とか、俺に言いたいこととか、言えば良いじゃんか」
耳に、体に、心に染み渡るような声質にはまた涙を誘われて、視界が緩む。
「…全部、受け止めるとは言えないけどさ、全部、聞くから」
ぼんやりとした視界の中で、はっきりと聞こえる声にまた泣いてしまって、ぽた、と頬を伝う涙。それを優しく拭う山本の指先が温かくて次々と涙が溢れ出る。
「わ、わたし…っ、わた、し…先輩が」
「うん?」
「…山本先輩の、ことが、好き…ですっ、泣いちゃったのは、好きすぎた、から、で。身長が、伸び、た先輩に距離、感じちゃった…からで」
「」
「すっごく、すっごく、大好き…なんですっ」
ずっと押し込めていた想いと、今まで我慢していた涙が一気に押し寄せてきて、言ったと同時には泣き出した。
切なさ以上、
悲しみ未満
あとがき>>文中でもわかるとおり、9月半ばに書いてたんだよ、これ。おい、今何月ですか。健忘症なので今が何月なのかわからないんですが。まだ、10月にもなりませんか?(…もう11月半ばですが!)
しかももう終わらなくさかったので、途中で終わらせたモノ。ああ、もう書きたいシーンが結局かけなかった!アホだ!
2006/11/17