……今日は、生憎の雨だった。ぽつぽつぽつ、と窓につく、しずく。
それを頬杖をつきながら、ぼんやりと眺めていた。
今日、あの切原赤也と言う少年は来るだろうか……





落ち着ける空間





いつもそんなに客足が多くないこのこじんまりとした店。今日は雨だと言うこともあって、更に客は入ってこない。は、暇だ、とぼやきながらカウンターに座り、テーブルの上で腕を組むと、そこに顔をすりつけた。カチカチという規則的な時計の音と、ぽつぽつと言う微かな雨音がの耳に届く。その音を聞いていると、ああ……自分は一人なんだな……とわけのわからない孤独感のようなものが、を襲った。

「今日は、来ないのかな……」

ぼそりと、また呟いて、はちらりと目だけを上へ上げてドアのほうに視線を送る。………しかし、ドアは全く動く気配など見せない。は小さな吐息を漏らした。その反動で、耳にかかっていた横髪が、揺れる。そうしての頬に落ちていった。それをは払うこともせず、ただぼんやりとテーブルに伏せる。あの中学生のことで、一喜一憂する自分。これが恋なのだと、気づいてしまってなんとも情けなくなった。まさか自分が年下に恋する日がこようとは……。気づきたくなった想い。

「切、原、赤、也」

そう呟きながら、はあごをテーブルにつけて、右手でテーブルに彼の文字を書き始める。


「あ、俺、切原。切原赤也!あかや、の"あか"は色の赤で、"や"は―――」


初めて名前を知ったときに、切原は自分の名前を説明しだしたことを、は思い出しながら、ゆっくりと丁寧に書く。書き終えて、少し手を休めてから、は、はあ、と小さなため息をついた。それから、また腕に自分の顔を乗せる。そうしてゆっくりと瞼を伏せた。

「これだから嫌いよ、年下なんて」

そうぼやくとは、一度瞳を薄く開いてドアを見やった。しかし、やはりドアは動かない。はそれを確認すると、もう一度瞳を閉じた。





「ちわーっす!」

どれくらい経っただろう。店のドアがゆっくりと開いておなじみの、が待っていた声が店内に響く。そうして切原は、うわーびしょびしょと文句を言いながら、ぶるぶると顔を左右に振った。

さーん、今日は雨で濡れちゃったんで、俺あったか〜いコーヒー飲みたいっす!」

へへへと、笑いながら続ける。しかし、返答がかえってこない。いつものならば、「はいはい」と言う声とともに奥の部屋へ行くのに。そんなことを思いながら、切原はカウンターを見やった。すると、小さく伏せているを発見して、切原は目を真ん丸くする。そうして、ゆっくりと静かにカウンターへと足を進めた。

さーん……?」

小さな声で呼びかける。しかし、またもや返事はない。
その代わりに規則正しい、寝息が聞こえた。

「寝てる?」


切原は首を傾げながら、とりあえず持っていたテニスバックを置く。それから自分はの目の前の席へと腰掛けた。そうして、切原はをじっと見つめる。いつも、少し大人びた表情をしている彼女。しかし、今の彼女は、それとは対照的にまるで子どものような顔をして眠っている。これが本当に50だったらすげーよな、なんて思いながら切原はを観察するように見ていた。いつもちょっとばかし歪めている眉。しかし今は眉間に皺が寄っていないため、とても整った形をしている。伏せられた瞼。その瞼からは長くカールしたまつげが伸びていて。ピンク色の唇。ほんの少し開かれてそこから寝息が聞こえる。肌は透き通るように白く、頬のところはほんのりと赤い。

「……ちょっと、失礼しますよ、さん」

一応、切原はに断りを入れる。……まあ、寝ている人物に声をかけても返事は返ってこないのだが……。ゆっくりと自分の指をの頬に近づけた。そしてそっと、触れる。ぷにっと柔らかい感触がした。切原は今度は突付いてみる。起きたら怒るだろうな……と、少しびびったりしながらもその手は止めようとしない。つんつんつんと何度か突付いてみると、はううん、と唸り声を上げた。やばい、と本能的に察知してばっとそこから手を離す。が、は少し身じろぐだけだった。どうやら彼女はまだ夢の中らしい。切原はほっと胸を撫で下ろした。

「しっかし、さん起きないってことは、俺、コーヒー飲めないってことっすか?」

切原は口にすると、苦笑いを零してもう一度を見やる。

「まあ……いっか」

そうして、切原はすやすやと眠るを優しげな瞳で見つめた。カタンと起こさない程度の音を立てて立ち上がると、そっとその頬に口付ける。それから、切原はゆっくりとまた座ると、と同じ体制になって、自分も静かに瞳を閉じた。





「ううん……」

それから暫くして、は目を開けた。まだはっきりと覚醒していないのか、焦点が定まらないようだ。は人差し指で目をこすると、ふあー、と小さな欠伸を漏らした。

「寝ちゃったんだ……」

そう言いながら、は頭をぽりぽりと掻いて、視線を下にずらす。
そして、がたんと思わず立ち上がった。

「な、な……?」

言葉にならない。
とりあえず、落ち着くためにすーはーと数度深呼吸をした。

「……なんで、あなたまで寝てるのよ」

そうして、落ち着いたは問い掛けるように、切原を見る。しかし、返事はない。は息を吐くと自分の座っていた椅子に再び座りなおした。

「赤也」

相手が寝ているのなら強気だ。試しには切原の名前を呼んでみる。それでも返事はない。本当に寝ているようだった。

「可愛い寝顔しちゃってさ」

やっぱり、まだ子どもだな。

くすりと微笑んで、は切原の黒髪に触れた。ふわふわとしていて、気持ちいい。は優しく髪の毛を撫でる。尚も切原は寝ている。はもう一度優しく微笑んで、そっと手を離した。

「……起きたときには、コーヒー淹れてあげるね」

だから、ゆっくり休んで。はそう囁くように呟いた。きっと彼が起きたら、また元気な声で名前を呼んでくれるんだろう。そんな淡い期待を胸に寄せて、奥の部屋へと入る。そして暫くしては戻ってくると、少し冷えていた切原の背中に、カーディガンをかけた。





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