私はこの少年のことをそれなりにわかっているのだと、思っていた。

あの時までは……。





落ち着ける心





さんっ」

からん、と音が鳴ると同時に元気な明るい声が届く。は以前から来ていたこの切原赤也と言う人物にひょんな事からなつかれてしまった。それから毎日来るようになったこの少年のことを好きになり、少しずつ心を開いていっていた。……いつからか切原の笑顔に、心のどこかで癒されていく自分に気づいた。

さん?」

いつもならすぐに返事を返してくれるのに、と切原は首を傾げた。は二回目の切原の言葉に我に返る。そうして、いつものでしょ?と問いながら、奥へと入っていく。切原は、はい、と元気良く答え、いつもの自分が座るカウンターに腰掛けた。そうしてしばらくしてかが、アイスコーヒーを持って現れた。切原はに笑顔を向けて、アイスコーヒーを受け取る。ストローに口をつけてアイスコーヒーを飲んだ。ストローから口の中へとコーヒーが運ばれると、いつも飲んでいる馴染みの味が切原の口の中へと広がる。
苦すぎず……かと言って甘いわけでもないこの店のアイスコーヒーが切原は大好きだった。ごくごくと飲んでいた切原は一度ストローから口を離し、ふぅ、とため息をつく。するとに目線を移しにかっと笑った。

「明日、大会の決勝があるんすよ」

そういえば、彼はテニス部でレギュラーだと言うことを話していたっけな

そんなことをぼんやり思い出しながら、は、そう、と短く答えた。

「うわっ、素っ気なっ」

そうして切原はけらけら笑う。じゃあどう言えばいいと言うのだろう。の眉間に皺が寄るのがわかった。それを見て切原は、まあさんらしいっすけどね、とフォローするように言う。

「でも、頑張って、の一言くらい欲しいっすよ〜」
「頑張って」

切原の言葉には間髪いれずに答えた。切原は目を丸くさせを見やる。そして数秒黙った後、吹き出した。は自分が言えって言ったんじゃないと笑っている切原に文句を言う。

「だ、だってさん面白い……!心こもってないし!」

ははは、と豪快に笑いだす。
そんなに笑うことなのだろうか、と思いながらは切原を見つめた。





「あー笑った」

しばらく笑っていた切原だったが、どうやらすっきりしたらしかった。は呆れたように良かったわね、と言葉をかける。するとからん、と音がした。客が入ってきたことがわかると、はドアの方に向き直り「いらっしゃいませ」と頭を下げる。すると入ってきた女の人はににこりと一度微笑むと、切原の隣りに座った。

「じゃあ私も、アイスコーヒーにしようかな」

切原のアイスコーヒーを横目で見やって注文をする。
女は笑っている。

「かしこまりました」

はその女に笑顔で会釈する。
そして奥の部屋へと入って行った。

「ねえ、君ここ良く来るの?」

不意に声を掛けられ切原は?と思いながら、声を掛けた女のほうを見る。女は微笑んでいた。切原は少し引き気味にはい、と答えると、女は嬉しそうにそう、と答える。切原はそれを見て、怪訝そうに問うた。

「それが、なんすか?」
「ううん、別に」

くふふ、と笑う。すると、丁度が出てきた。アイスコーヒーを女の前に置く。そうして、女を見た。その顔は何やら不機嫌そうだ。それと対照的に女は微笑んでいる。切原は二人を交互に見返しながら、首を小さく傾げた。そうして、壁にかかっている時計を見ると、がばっと立ち上がる。

「あ、俺、もう帰んないと……!また来ますね、さん!」
「はいはい、わかりました」
「じゃ、これお金!」

お金をに手渡すと、かばんを素早く持って、出て行ってしまった。は切原がいなくなり、そのお金をレジへと持っていく。すると、声がかかった。

「面白い子だね」
「……そう?」
「あれでしょ?最近良く来る年下の男の子って」

にへへ、と怪しい笑みを浮かべ、頬杖をつく。は、怪訝そうに女の元へ行くと、テーブルに手を置いた。

「なんで、来たの?
「ん?いやーちょっと気になってね。何よ、親友がきちゃいけなかったの?」

口を尖らせて、を見やると、は重いため息をついて、そうじゃないけど……と返す。そうして、は右手を額に押し当てた。はくすりと笑って、アイスコーヒーを飲む。

「それにしてもさ」
「何?」
「可愛い男の子だったね」
「……バカなだけだと思うけど」

素っ気無く答えると、は吹き出した。は眉根を寄せ、彼女を見る。何で笑うんだ、という意味を込めてを睨むような目つきで見ると、は笑いながら口を開いた。

「惚れた?」
「バカなこと言わないでよ」

私、年下嫌いだし……と、の言葉を軽く流す。はうぅん、と苦笑していた。はそれに気づき、奥の部屋へと入っていく。そうして次に布巾を持って戻ってきた。

「……大変だよね」
「何が?」
が!弟君も、おじさんもあんなことになっちゃって」

その言葉を聞いて、は小さく肩を震わせた。はしまった、と思い手で口を押さえる。それを見ては苦笑すると、写真を見て言った。

「……私、疫病神なのかもね」

ふふ、と哀しげに微笑んで、布巾でテーブルを拭く。は眉を逆八の字にすると、テーブルをばんっと叩いた。それに吃驚したようにを見る。

「そんなこと、ないよ!変なこと言わないで!!」

声を上げて、に怒りをぶつける。は頬を掻いて、申し訳なさそうにごめん、と小さく呟いた。その言葉に我に返ると、がバツが悪そうに、俯く。

「あ、私こそ……ごめん。急に怒鳴ったりして……」
「ううん……」

気まずい沈黙が流れる。
その沈黙に耐え切れなくなって、は話を変えた。

「そういえばさ、あの男の子と、何の話してたの?」
「え?……あ、ああ。明日、部活の大会の決勝戦があるらしいの」

の言葉に、へえ、と声を漏らし、手を口元にやる。どうやら驚いているようだった。はそれを横目で見やって、小さく微笑む。「で、見に行くの?」わくわく、と目を輝かせ、嬉しそうにを見る。は静かに首を横に振ると、を見た。は納得がいかないようで、なんで!とブーイングを漏らす。はその声に、呼ばれてないから?と疑問系で返した。

「呼ばれてなくても行こうよ!なんか面白そうじゃん!」
「じゃあ、が行けば?」

は、つっけんどんな言い方ですっぱりと言うと、はがくぅと肩を落とす。
は?と首を傾げて見せた。

「私が行っても意味がないんでしょう」
「なんでよ」


やれやれ、と肩をすくめてみせる。それが気に入らなかったのか、は眉をよせて、を細めて見る。その様子は、いじけた子どものようだ。を見ると、くすくすと笑い出した。

「あの子、に観て欲しいんだって」

行ってあげたら?と続けては優しい笑みを浮かべて、の顔を覗き込むように見つめた。その言葉にの眉間にはしばらく皺が寄ったままだった。





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