いつものように、笑顔で店に来ていたあの男の子は、いつものように、アイスコーヒーを飲んでいてふと気が付いたかのように視線を私のほうへと向けるといつものように、元気いっぱいの明るい声で、指差していった。

「あのさんの隣に写ってる男は誰っすか?」

その問いに、私は笑顔でこういってやった。

「……元彼」と―――。





落ち着ける君の声





「えええ!??さん、こんな若いやつと付き合ってたんっすか!??」

の元彼宣言に、目を大きくさせ、口をあんぐりと開き、切原は大声で叫んだ。そのあまりに大きな声がうるさかったのか、が自分の手を耳に押し当てる。……そうして、眉をひそめて首を振る。

「ごめん、冗談よ」

冷静に言うと、切原は未だ疑いの目をに向ける。は小さく息をつくと、本当よ、と念を押した。

「本当っすか〜?」
「本当に本当。ただ、あなたをからかいたかっただけ」

不敵に笑うと、切原はうっ、と言葉に詰まったようだった。きっとまんまとからかわれてしまった自分が悔しくてたまらないのだろう。そして、がしっと乱暴にアイスコーヒーを手に取るとずずずと一気に飲み始めた。
はその様子にくすくすと笑う。すると一端ストローから口を離した切原が、笑わないで下さいよ!と怒ったような口ぶりでに言った。

「―――で、じゃあ、あの男、誰なんすか?」

そうして、少し拗ねた様子でつっけんどんな言い方で聞く。は少し寂しそうに笑うと、その写真たてを優しく手に取り、優しい瞳でその少年を見ながら呟いた。

「弟」
「弟?」

の言葉をオウム返しで問い掛ける切原。は一度写真から目を離し切原を見つめると、こくんと静かに頷いた。……その瞳は、やはり淋しそうだ。切原はそんなを見て、眉をひそめた。もしかして……死んでしまったのだろうか……そんな嫌なことが頭を過ぎる。切原は今も尚淋しそうに写真を見つめるに居たたまれなさを感じ、勢い良く立ち上がると、の手から写真たてをとった。は吃驚して切原を見やる。

「そ、そんな淋しそうな顔してちゃ、弟さんうかばれないっすよ!!さんは弟さんのためにも笑ってないと駄目っす!」
「へ……?」

は切原の言葉に素っ頓狂な声をあげた。そうして切原の顔を見上げるように見つめると、いやいや、と首を振っている。…を見る、その瞳は真剣そのものだった。は、混乱した。何故、この少年はこんなにも真剣な…しかし淋しそうな瞳で自分を見るのか。そうして、切原の言葉を思い返し、はもしかして…とある結論にたどり着いた。

「……あのね、誤解してるみたいだから言うけど、私の弟は死んでなんていないわよ?」
「…………………へ?」

その言葉に、今度は切原が素っ頓狂な声をあげた。先ほどの真剣な表情はいとも簡単に消え去り、今では間抜けな面だ。はそれを見て、やっぱりな……、と心の中で呟いた。そう、切原はの哀しげな表情を見るなり、弟が死んだのだと、勝手に想像して、慰めようと試みたのだ。

「勝手に私の弟を殺さないでよ」

そう言って、切原から写真たてを奪い取ると、切原はすんませんと素直に謝った。

「……じゃあ、どうしてそんな淋しそうな顔、するんすか!」

抗議にも似たような言い草で、切原は声をあげた。は切原の瞳を捉える。ゆらゆらと、瞳が動いた気がした。切原の瞳から、の姿が映し出されて、その姿をは見る。………その瞳に映る自分の表情は、今にも泣きそうな、情けない顔だった。

「……まあ、座りなさいよ」

そうして、視線をすっと逸らして、観念したようにため息をついた。切原はういっす、と首を縦に振ると自分の座っていた椅子に座る。その反動でコップの中に入っているアイスコーヒーが、揺れた。も、切原の隣に腰掛ける。……幸い、客は切原のみだった。はもう一度ため息をつくと、両腕をテーブルについて、顔をその上に乗っける。そして、どこか一点をぼーっと見ながら、話し始めた。

「……入院してるのよ」
「………病気っすか?」

しぃんとした店内に、二人の声が響いた。躊躇ったような切原の言葉に無言で首を振る。そうして、は写真を自分の目の前に置いた。

「事故」

そう、一言口にした。切原は黙っての言葉に耳を傾ける。はそれがわかったのか、続けて語り始めた。





の弟は、今年中学三年生になったばかりだった。それまでは元気に毎日を過ごし、健康的な生活を送っていた。体力には自信があるため、学校を休んだことがなく、皆勤を狙っていたくらい。勿論、今年もそれを目標に元気に学校へ通っていた。―――しかし、ある日。部活に行くと言って朝早く学校へと向かったときだった。信号無視をした車に引かれ、瀕死の重症を負った。幸い、すぐに病院に運ばれたため、手術も無事成功し一命は取り留めた。………しかし、今もまだ、目覚めてはいないのだと言う。

「本当に、恨んだ」

話し終えたは、拳を作り、テーブルに置いていた。その拳を、力強く握る。……余りの強さに拳が震えていた。それほど、怒りが強いのだろう。切原はその拳を黙って見つめていた。

「信号無視をした、あの人を……」

憎んだ、とは顔を歪める。その表情は今までに見たことが無いくらい怒りに満ちていて、瞳は泣きたいのか、密かに潤んでいた。切原は、まだ、黙っている。は、とうとう俯いて、悔しい、と吐き捨てるように言った。

「何にも罪がないのに、弟は事故に遭って、そして、今も苦しんでる……それなのに、私は、何にも出来ない。……自分の無力さが、悔しい」

肩が、震えているのがわかった。押し殺した声が、震えているのもわかった。切原はただ黙っての肩に手をやった。切原の触れたところは、二人の体温が重なって、温かさを増す。は、俯いたまま下唇をかみ締めた。

「……何も、出来なくなんかないっすよ。さんは、無力なんかじゃないっすよ」

ぽつりぽつりと呟かれた切原の言葉。その言葉が引き金となって、の瞳から一滴の涙が溢れて、ぽたりとそれが腕に落ちた。

「だから、そんなに自分を責めちゃ、自分が可哀想だし、弟さんも喜ばないっすよ」

泣かないと決めていたのに、ぽたぽたと涙が溢れ出た。はそれを気づかれないように、乱暴に拭う。すると体が右に傾いた。何かにぶつかる。その何か、というのは考えるまでもなく、切原だということがわかった。は掠れた声で、何、と問う。鼻をすする音も混じっていた。

「……見ないから、泣いてください。思い切り」

そう言って、切原は肩にやった手に力がこもる。いつも子どもっぽい仕草に、へらりと微笑むなんとも頼りない表情。そんな彼からは想像もつかないような、落ち着いた声で、を慰めつづける。から、ふふっ、と笑みがこぼれた。

「……ありがと……」

そう呟いて、は切原の胸に顔を埋めた。彼女の涙が切原の服に落ちて、落ちた部分が濡れたが、切原は気にならなかった。ただ、自分の胸に顔を埋めて、小さな嗚咽とともに涙を流すの髪や背中を優しく撫で続けていた。





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