あの日以来、これを捨てられないでいる。 何故なのか、自分自身わからない。 一目逢いたくて 「あー……疲れた」 俺は帰って早々開口一番に呟くと、ベッドに寝そべった。服なんて勿論着替えてない。制服のまま。でも皺くちゃになるとか別に気にしなかった。今、この部屋にいるのは俺だけ。俺は寝転がったまま大きく伸びをする。こうすると少し身体の疲れがほぐれる気がするからだ。それから、よ、っと上半身を起き上がらせる。お世辞にも綺麗とは言い難い自室を意味もなく見渡す。きっと真田副部長がこんな部屋を見たら、こめかみに青筋を浮かべて 「赤也、この部屋はなんだ!たるんどる!!」 って怒るに違いない。そりゃあもう、凄い剣幕で。それをある先輩2人は宥め、ある先輩は面白がり、ある先輩は呆れ返り、ある先輩は俺もそうだと同意するんだ。俺はそんな真田副部長の怒った顔と他の先輩たちの様子を想像乾いた笑いを漏らした。それからどんどん見渡す中で、一つの"それ"が目に留まる。 「そう言えば……」 誰に聞かせるでもなく呟いた俺の言葉は、狭い部屋に静かに響いては消えた。じっと"それ"を見て、吸い寄せられたように立ち上がる。そして、"それ"を手に取った。 「なんで俺、未だにこれを持ってんだよ」 自分に自問して、ため息を吐く。勿論答えなんか返ってこない。俺自身わからないから。返ってくるはずがないわけだ。それでもここに"これ"があるってことは、少なからず"これ"を捨てられない理由があると言うわけだ。じゃなきゃ俺の場合絶対捨ててる。単に、勿体無いからって理由で"それ"を終いにするには、余りにも簡単すぎた。そうじゃなくて、もっと別の理由……それこそ、本当に難しくて、容易には考えつかないような……、そんなもののような気がする。 だんだんと解かりにくくなってきた考えに、消去するみたくため息を吐いて、頭の隅に追いやった。それから、今まさに悩んでいる"それ"を握り締める。 「ただの傘なのにな」 しかも100均の品だ。なんでそんなのを自分が大事そうに持っていなくちゃならないんだ。本気で頭を抱えたくなる。そんなに俺は貧乏性じゃないはずなのに。ジロリと"それ"を睨んでも答えなんかくれないことは重々わかってる。でも睨まずにはいられない。たとえば"これ"が、とても高そうな傘だったら、自分は取っておくだろうが…。それか、大切な人からの贈り物だったり。 「……でもこれは」 その大切な人からの贈り物ではないのだ。誰かも知らない、それこそもしかしたらヤバイ奴からの贈り物かも知れないのに。それなのに、捨てられない。確かにこれは、あの雨の日、凄く役立った。もしこれがなかったら風邪を引いていたかもしれないくらい、凄い雨だった。あの元気なブン太先輩が、次の日頭痛がするって言ってたくらいだから。それでも、たった一日役に立ったからと言って、捨てられないとはちょっと違うような気がした。もどかしい気持ちで、いっぱいになる。 「大体、美人の高校生なんて知らねえっての」 ……ブン太先輩も、ジャッカル先輩も本当に変なことを言う。美人、なんて全くと言って良いほど心当たりが無い。いや、正確に言えば一人いるにはいるのだが、高校生じゃない……と本人は言っていた。でも、それは嘘かもしれない。50歳というには余りにも若くて……いや、幼い感じがして。 「……じゃあやっぱりさん……」 そう考えて、俺は左右に首を振った。もう、そう考えるのはやめよう。それは自分の願望でしかない。自分の都合のいいように考える「ぽじてぃぶ」な性格だって先輩に言われたことがあった。でもそれでもこれはいいように考えすぎだと思う。さんなわけがない。だって、アノ日以来俺は彼女に会ってないから。さんのお母さんが来た日。あの日以来、あの喫茶店には行って無いから。接点といえばそれだけで、自分は全くさんのことを知らない。喫茶店が休みの日は何処で何をしているとか。何が好きで何に興味を抱いてるのか、誕生日も血液型も……何にも知らない。あの頃はそれでもよかったから。知らなくても、十分すぎるくらい嬉しくて、幸せで満足していたから。 「あーあ」 声を漏らして、傘を握り締めてまたベッドの端に腰掛ける。後悔するには遅すぎた。ただの意地で、ここまで来てしまったことに、俺は自分でも呆れ返るしかない。さんはもうあそこに行かなくなった俺のことなんて、きっととうに忘れてる。もう"過去の客人"として消去されてるに決まってる。それがなんだか悲しい気持ちを倍増させた。 「会いたいのになー……」 それさえも上手くいかない。誰も叶えてなんてくれない。こんなときだけ神様がいてくれたらと思っても、やっぱり無理だ。自分で行動しろと言われるのがオチだ。でも、 「出来るわけ、ねーだろ」 あんなに、冷たい視線を投げかけられて平気なわけがない。増してや、好きな人に。告白をして、だ。冷たい視線を、冷めた目で人を見ることはあったけれど、実際それをされると辛くなるんだなと身に沁みて感じた。 「……私、年下は嫌いなの」 好きで、年下に生まれたわけじゃない。俺だって、こうなるってわかってたら、自分で自分の生まれる日を自由自在に決められたらそうしてる。でも、そんなことできるわけがないじゃないか。嫌いだって言われて、じゃあ今年2歳年取りますったって、無理に決まってる。それが、痛い。絶対縮まることがない、こればっかりは縮めようが無いことを、ズバっと言われてしまっては、誰だって落ち込む。 「好きなのに」 好きなのに。忘れられないくらい、愛しいと感じるのに。思い出さない日なんてないのに。それなのに、自分の思うように進んでくれないことに、苛立ちさえ感じる。情けなさでいっぱいになって、むかつく。どうして、俺はこうなんだろう。 「さん」 名前を呼んだって、彼女に会えるわけもないのに。名前を呼んだって、彼女の声は聞こえてくるはずもないのに。名前を呼んだって、名前を呼んだって、自分を好きになってくれるなんてことないのに。ぎゅっと、傘が折れるんじゃないかってくらい握り締めて、床に投げた。小さな音を立てて傘は床に落ちて、静かになる。俺はそれを一瞥して、またベッドに寝転がった。それからぼんやりと上を見る。だけど天井を見ても、何を見ても、気が紛れることはない。考えるのは、さんのことばかり。それからまた傘を見て、俺はぎゅっと唇を噛んだ。一つでも可能性があるのなら、俺はそれに賭けたいと思う。例えそれが違っていても。例えその答えが間違っていたとしても。もう、これしか道は無いから。どうせ、駄目でもともとなんだから。 「はあ……明日が勝負か……」 藁にも縋り付きたい状態。ブン太先輩とジャッカル先輩には協力してもらうしかない。呟いた後、俺は腕で自分の顔を覆って、そのまま目を閉じた。 そのまま俺は夢の中に落ちた。 次に目が覚めたのは、凄いことに次の日の早朝だった。 ― Next |