残暑厳しい道程を、私は歩く。サンサンと降り注ぐ太陽の陽。
じりじりと暑さを吸収する肌。そして額には小さな光るアセ。
それでも歩く。ただ、ひたすらに、ひたすらに。





忘れたい、忘れられない





ザクザクザク、と砂の音がする狭い道。その道をは一人歩いていた。今は病院の帰り道。弟のお見舞いの帰りだ。そこで丸井とジャッカルに会っただったが、結局深い話をすることなくは彼らと別れた。

あんなところに居たと言うことは彼らもお見舞いか何かなのだろうか。
二人とも目に見える怪我をしたわけでもなさそうだった。
また、風邪を引くようなタイプにも見えないし。

結構失礼なことを考えながらは細長い一本道を歩いていた。都会であるにも関わらず、この道は殆ど人気はなく、周辺にはしか居ない。しかしそれはにとって気が楽でよかった。あまり雑踏に紛れるのは好きなほうではない。自身物静かなほうであるため、どうも人ごみには抵抗があったのだろう。だから、はわざわざこの狭い道を選んで通ることにしたのだ。そうして、ずっと続いた一本道をはただひたすら歩いて、曲がり道に差し掛かった。ここまでくれば、家はもうすぐ其処だ。きっと10分も経てば着くだろう。は秋にしては暑い日の光を浴びて安堵の息を漏らした。もう、とてもじゃないが暑くてやってられないのである。は体力に自信が無いわけではない。しかしあるわけでもない。本当に普通の、並な人間なのである。だからこんなに暑い日差しに照らされ続けると流石にバテてくる。普段汗っかきなほうではないだけれども、今日ばかりは額に汗を浮かべていた。

「あつ……」

不意に漏れる言葉。その言葉と同様に今しがた浮き出た額の汗を右手の甲で拭った。キラリ、と手の甲で拭った汗が光る。その汗をぼんやりと見つめ、また同じようにぼんやりとした脳みそで思い出す。

そう言えば、赤也はいっつも汗を流してたな

自分の家の経営している喫茶店。其処に毎日のように現れた切原。カランという音とともにドアを開け、同時に聞こえてくるのは元気な良く通る彼の声。その声に振り返れば、いつもの切原の笑顔。そして額に浮かぶ汗。それが印象的だった。この暑い中で、部活動を必死で頑張っていたのだと言う証とも言うような汗。その光景を思い出したのだ。とても微笑ましかった。と、そこまで考えて、自分が笑っていることに気付いた。無意識のうちに上がった口角を慌てて直しながら頭を振る。忘れようと思っているのに、気付けば切原のことばかり考えている自分。そんな自分がどうしようもなく嫌だった。最近はそれでも会わない間、少しずつ落ち着きを取り戻してきたのに。……丸井やジャッカルの出現の所為だろうか。前に逆戻りしてしまっている。いや、もしかしたら前以上に……。

ダメダメダメダメ!

好きになってはダメだと、何度自分に言い聞かせてきただろう。アノ日、切原に告白をされた日から呪文のように唱えているそれ。その言葉を今もまた、頭の中では何度も繰り返した。普段ならそうすることで、今にも溢れ出しそうな想いを押し留めることができるのだ。しかし、普段なら、である。今日は何度唱えても無意味に近かった。何か予感がする。よくないことが起こるような。はそこまで感の鋭い人間ではなかった。けれど、今日のようなよくない予感は良く当たるのだ。弟の事故の日も、父親が倒れた日も、嫌な胸騒ぎがしたのだ。今の状況もそれに似ていた。妙な胸騒ぎを覚え、胸の奥がザワザワする。

もう、限界だということなのだろうか。

今までは、諦めようと思えば簡単とまでは行かなくとも諦められた。人生諦めが肝心だという言葉のとおりに。母親が出て行った日から家事洗濯全部をが担当することになった。前から家事洗濯をやることはあったけれど、今よりはマシだった。だから友達と思うように遊べなくなったこともしばしばあった。それでも仕方ないと思えば、それで納得できたのだ。その所為か、こんな風になるのは初めてで。……正直は、まいっていた。ははあ、と溜息を吐いた。頭ががんがんする。そう言えば自分は風邪を引いていたことを思い出した。実際体温を測って熱があるか確かめたわけではないけれど。

酷い頭痛。時々襲ってくる吐き気、フラフラ感。ダルさ。全てを考えると、まず風邪を引いたというのは確実だろう。だからなのか。弱っているときは、とても淋しく感じたりするものだ。それと同じで、切原のことも風邪だからそう考えてしまうだけなのかもしれない。

……というかそうであってくれ

額を押さえながらはまた溜息を吐いた。本当にヤバイかもしれない。そんな考えが思い浮かぶ。それでも休んでなんかいられない。にはやることは山ほどあるのだ。たかが風邪如きに負けるわけには行かないのである。はそう決意し、少し早足で歩いた。

「早く帰って今からでもお店開けなくちゃ」

今更、と言う感じなのだが、だからと言って休むわけにも行かない。それでなくても学校に行っている間は閉めっぱなしなのに。少しでも時間があるときは開けておきたい。自分達の生活がかかっているのだ。…例え客が入ろうが入らまいが。はそんな心境の中更に歩く速度を速めた。

後少しでお店につく。お店に入ればこの暑い太陽ともお別れだ。
自ずと嬉しくなってくる。はまた一歩大きく踏み出した。





「到着」

そうして予想よりも早く店についたはドアにかかっている"CLOSE"という札を逆さにした。そうすれば、次に"OPEN"の文字が姿を現す。それを確認すると店の中に入った。店内は真っ暗であったので、は電気のスイッチを付けた。すると、一気に店内がパッと明るくなる。それからは周りを見渡して、布巾を手に取るとテーブルを拭き始めた。どうせ、客は来ない。それなら少しでも店内を綺麗にしよう。そう言う粋な計らいからだろう。は順序良く綺麗にテーブルを拭く。同様に椅子も。木製の椅子は拭く度にキュッキュと音を立てた。

「こんなものかな」

一通り椅子を拭き終わるとはチェックに入った。とりあえずは綺麗になったみたいだ。綺麗になったテーブルと椅子を見ては満足そうに微笑んだ。それから次のテーブルに移動する。そして、それも一個目同様に丁寧に拭いていく。どんどんとピカピカになっていくそれらを見て、だんだん心も綺麗サッパリしたような気分になった。そうして何個ものテーブルと椅子を拭き、ようやく最後のテーブルになった。

そのとき。カラン、と言う音が店内に響いた。そう、ドアが開いたのだ。お客が来たことにはいつもの台詞を口にする。

「いらっしゃいませ」

その台詞と同時にテーブルから顔を離し、ドアのほうへと目を向ける。そしては今の光景に唖然とする。目を見開き、身体を強張らせたその姿は驚きに満ちていた。それから、瞬きの出来ない人形のように呆然とドアの方向を見つめたあと、小さく口を開く。そうして呟く言葉は疑問系。

「……どうして……」

その呟かれた声は密かに震えていた。そしてその声はとても弱々しく感じられた。どうして、と問われた目の前の人物は驚きを隠せないを見つめる。しかし何も言おうとはせず、黙っていた。そんな目の前の彼に何とか冷静にならなければとは頭をフル回転させる。けれども無理なようだ。

どうして、赤也が……

そう目の前には、切原赤也が立っていた。





― Next