好きって口に出したら壊れてしまう。
それだけは嫌だから、この想いに蓋をした。

きつく、キツク…硬く、カタク。
そして二度と開くことのないように……――――――――――。





素直になりたい、

素直になれない






「……なんで…?」

彼は、黙っていた。黙ったままドアの前に立って、私をじっと見ている。声が震えるのがわかった。自分が冷静になれてないことにも気付いた。下に視線を落とせば震える手が映る。それに気付かれないように、もう片方の手で強く握った。

「…どうして、来たりしたの」

もう来ないって。さよならって言ったじゃない。それなのに今更……。違う。こんなこと本音じゃない。本当はすごく、嬉しいくせに。また赤也と会えて、赤也がこの店に足を運んでくれたことが嬉しいのに。それなのに、こんな言い方しか出来ない自分が嫌だ。……わかっているのに、やめられない。それがもっと、もっともっと嫌だ。

「……俺、さんに聞きたいことがあって」

ふ、と赤也が口を開いた。そうすれば、懐かしい気持ちになる。赤也のこの声を、数年振りに聞いたような…。そんなわけはないのに、それ程までにも赤也の声は久しぶりだった。いつも聞いていた赤也の声。でも今日の、今の声は私の好きな元気な声なんかじゃなくて、最後に聞いたあの声。

「……私は言いたいことないわよ」

それがなんだか無性に悲しく思えた。何気ないふりをして、視線をテーブルに落として布巾で拭く。何か別のことをしてなければ、耐えられなかった。もう磨くところはないと言うのにそれでも力を込めて拭く。何個かあるテーブルの中でこれが一番綺麗だろうな…なんてどうでも良いことを考えた。

さんになくても俺にはあるんすよ」

そう言った赤也の声に思わず顔を上げる。赤也の表情がいつに無く真剣だった。私はそれに対して情けないながらも少しだけ怯む。一瞬だけだったので赤也に気付かれてはいないと思うけれど。私は小さく息を飲んで赤也を見た。すると黙っているのを肯定と取ったのか、赤也が一の字に結っていた口をゆっくりと開く。

「……これ」

言ったのは一言だけ。しかしこれ、と言って出されたそれを見て私は至極驚いた。動揺を隠せない。なんで……!と心の中で問うた。口に出しては言わなかったけど、きっと赤也には解っているんだろう。

「これ、さんのっすよね?」

確かにそうだ。私は心の中でまた呟く。これと言われた物体に目を向けたまま赤也の言葉を聞いた。その物体とは小さな傘。あの日、と遊びに行った日に100均で買ったものだ。しかし帰りに乗ったバスの中に赤也がいて、風邪を引いたらいけないと考え、寝ている赤也の横に掛けた傘。まさかまだ赤也が持っていたとは……。思わぬ赤也の行動に嬉しさ半分後悔半分で複雑な気持ちに陥る。

「違うわよ、人違―――」
さんの、っすよね?」

違うって言ってるのに。赤也はまた同じ言葉を繰り返す。まだ食い下がって来るのか……さっきよりも強めの口調。気を緩めたら頷いてしまいそうになるほどだ。それほど赤也は威圧感があり、真剣なまなざしをしていた。

「……だったら、何だって言うの?」

バレてるのなら、隠すのは余計に怪しい。私は頭の中で判断すると、赤也と同じように強めの口調で言った。ただ赤也と違うのは、冷たい目つきだったと言うことか。しかし赤也はそれに臆する事なく私を真っ直ぐに見る。それが痛い。私は睨んでいた目を下に向けた。

「へへ……」

至極、小さい声だったが、確かに、笑っているような声が聞こえた。私は俯いていた顔をおそるおそるあげる。すると、そこにはやっぱり笑っている赤也の姿があった。よく、見たあの笑い方。人差し指で鼻の下をかく仕種のアレ。途端、また懐かしい気持ちになる。こんな状態でそんな風に思うのは可笑しい。そうだと思ったけれど、素直にそう思ってしまった。そして、私は無意識のうちに赤也を凝視していたらしい。視線を感じた赤也は直ぐに笑いをやめて、さっきみたいな仏頂面になった。それから、じっと私を見つめる。

「……どうして、置いてくれたんですか?」

その声色は、少し明るくなったようだった。何故かは私にもわからない。赤也本人にしかわからないだろう。私は笑顔がなくなってしまった赤也の顔を見て、暫く考えた。本当のことを言うべきか否か。……答えは決まってる。私は可愛い女じゃない。素直な女じゃないのだ。

「置いたんじゃないわ、忘れただけよ」

我ながら、わざとらしい言い訳だと思った。それでも、素直に言えなかったのは、性分。それと、やっぱり自分のプライドを捨てきれない所為だろう。口をついて出る言葉は、そんな言葉だった。私は睨むように目を細め、何でも無い風に赤也に言い放つ。そうすれば、赤也の顔に変化が見えた。でもさっきみたいな笑顔じゃない。それは、笑顔とは正反対な……ひどく、酷く、傷ついたような、そんな顔だった。

「忘れてた…?」



そうして、赤也は確かにそう呟いた。





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