「さよなら」


最後のさんの言葉が、頭から離れない。





愛しいと思う気持ち





「赤也!部活行くぜぃ!」

ざわめく教室から出ると、ドアの前には部活仲間であるブン太先輩がいた。なんで2年の階にブン太先輩がいるのか、謎だった。だって先輩はいっつもならジャッカル先輩と一緒に部活に行く筈だ。何か企んでいるんだろうか。そんなことは容易に考えられた。原因は数日間元気がないこと。きっと先輩なりに心配してくれてんだろう。

「……わざわざ来てくんなくても行きますよ」

今までだってどんなに辛くても休んだことはない。テニスは俺の人生の中で一番だから。テニスやっているときだけは忘れられる。ただ、楽しいとかワクワク感だけを感じることが出来るから。まあ、勝敗がかかってくると、時には苛立ったりするけど。だから、今日サボるとか勿論考えてたわけじゃない。俺は面倒くさそうにブン太先輩に言い放つと、ブン太先輩は呆れたような表情をした。

「俺が来てやったんだからありがたく思えっ!赤也はもっと先輩を敬うべきだろぃ!」

仁王立ちして先輩風をふかしているけど、全然迫力は無い。

「そういうなら、敬いたくなるような先輩になってください」

ほら、憎まれ口もお手の物。ふふん、と馬鹿にしたように笑うとブン太先輩の眉毛がぴくっと動いた。それからひくひくと口先の筋肉が動く。ああ、来るぞ。そう頭の中で予測した瞬間、感じたのは首に巻きつかれた腕の感触。

「てめこのやろ!」
「ぐぇ!…っちょ!ブン、太せんぱ……!!」

思いのほか、首が絞まって痛かった。





テニスバックを肩に担いで廊下を歩く。あれからなかなかブン太先輩は俺を離してくれなかった。一瞬意識が真っ白になって、マジで危ない状態だったっつーのに。なのに「自業自得だろぃ!」と笑顔で言われた一言で終わってしまった。俺とブン太先輩は廊下で話している人達の横を通り抜けるように廊下を歩いた。……あと20分もすれば、部活が始まるだろう。携帯の時計を見て、ぼんやりと思った。

「ところでお前、元気なくね?」

1階へと続く階段を降り始めて、暫くしてブン太先輩が口を開いた。その場所は丁度踊り場。俺はそこで足を止めるとブン太先輩を見た。多分、どういう風に切り出そうが迷ってたって感じ。だけど、先輩はどこぞの詐欺師の先輩とは違って誘導尋問は不得意分野。結局ストレートに訊いてしまったって感じだ。じ、と見られて俺は気まずさを感じた。先輩はさんのことを知っているだけに言い辛い。だけどきっとこうして元気が無い原因を「さん」絡みだと言うことは気付いていると思った。

「別に、元気っすよ」

下手にこの前の出来事を話して、色々訊かれるのはごめんだった。いや、ブン太先輩はそんなことしないけど。ブン太先輩は好奇心旺盛な性格だけど、真剣な話のときは茶化したりしない。そういう先輩だ。それに、この前の出来事を話してしまったら、きっとブン太先輩は責任を感じるんだろう。だって、この前の出来事は元を辿れば「傘」をくれた人を知ってしまったから。そして、それを教えてくれたのは言わずともがなブン太先輩。言い方を返ればブン太先輩が教えてくれなかったら、一生あの「傘」の正体は永久に迷宮入りだったわけだ。そうすればこの前の出来事もなかったわけで。……別にブン太先輩の所為だって言ってるわけじゃない。反対に、感謝してるくらいだ。あんな曖昧な別れ方をして、後悔を感じていたくらいだから。「傘」はきっかけにすぎなかったんだ。だから、ブン太先輩が悪いとは思ったりしてない。

だけど、先輩は気にするだろ?

「はい、嘘」
「嘘じゃねっすよ」

ちっとも先輩らしくないけど、俺はこの先輩が好きだ。一番部の中で気が合う先輩だと思ってる。それを壊したくない。だから何とかこの場を乗り切りたいのに……。こうなったブン太先輩は一筋縄じゃいかない。ブン太先輩の目がキラキラと輝いてるように見えんのはきっと俺の気のせいなんかじゃない。さっきも言ったけど、ブン太先輩は好奇心旺盛だ。

「言ってみろぃ。俺はお前の先輩だろ。訊いてやるから…」

今時青春ドラマくらいしか使うことのない(いや青春ドラマでも使うかどうかわからない)くっさい台詞を言われてブン太先輩を見ればいかにも面白がってますって顔。必死に笑いたいのを堪えてるようにも見えた。

「面白がってるやつには言わないっすよ」

顔、笑ってますよ。そう言えばブン太先輩は自分の顔を手で隠すように触った。俺が言うのもなんだけどこの先輩は単純だと思う。それじゃあ本当だって言ってるようなもんだ。不意にさんの顔が頭を過ぎった。ブン太先輩くらい、さんも顔に出してくれたらいいのに。いつだって見えるのはクールな表情。冷たいと思わせる大人びた仕種。何を考えてるかわからない発言。決して自分の本性をさらけだそうとしないさん。だけど

「……最低……」

あの日、零したあの台詞は、本音だったんだろう。怖いくらい冷たい声色が今でも鮮明に思い出される。怖くて、さんの顔を見ることがどうしても出来なかった。でも、数日経った今でも、あのときした自分の行為を後悔したことはなかった。

どうせ、終わっていたから。

もう出会ったころとは明らかに違っていて、どうせあの行為がなかったにせよ、俺たちの関係はあそこで終わっていたに違いない。

「おい赤也!」

ぼんやりと考え歩きをしていると、ブン太先輩の声が聞こえそっちに意識を向けた。気付けば俺は靴を履いていて、生徒玄関の出口にいた。記憶がないほど考えてたのかと思うと、情けなくなる。そんなにも俺はさんのことが好きだったのか。終わったって言うのに改めて思い知らされる。本当に諦めが悪いと自分で自分を自嘲気味に笑った。

「なんっすか?」

それから何事もないようにブン太先輩に問うてみる。そうすればアレアレ!と校門の方を指差す。だからなんすか、って言いながら右手で後頭部をがしがしと掻いた。それから面倒くさげに校門付近を見つめて……

……さん

心の中で、名前を呼んだ。





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