試合中の彼の表情
相手を罵る彼の言葉
……すべてが、怖かった





初めて感じた

あなたへの恐怖






私は思わず、息を飲んだ。始まって、まだ間もないらしかったのに、凄い迫力で。熱気、真剣さ、情熱……ありとあらゆるものが、伝わってくるような気がした。その中央にいるのが彼、赤也だった。瞳は赤く充血していて、いつもの無邪気な笑みとは裏腹に、冷たい笑顔。

これが、赤也なの?

自分の目を、疑った。今の赤也には、いつもの面影がなかったから。怖い、と正直に思った。

「ゲーム不二1-0」

審判の声が、周りに響く。私の耳にもすんなりと届いた。どっちが勝ってるの?と、いまいち把握していないに私は、不二って子、と返す。

「チェンジコート!!」

と審判の声が続けてする。そのときだった。ぞくっ…背筋に寒気を感じた。赤也を見ると、明らかに怒のオーラを纏っている。私は、ゴクッと生唾を飲み込んだ。喉がカラカラに乾き切っているのがわかる。

「赤也……っ!!」

思わず、小さく声をあげてしまった。そんな私の声に、赤也は気付かない。正直ほっとした。きっと今あの眼で、あの表情で見られたら、怖くて震えてしまいそうで。彼に対する暴言を、吐いてしまいそうだったから。赤也は、不二君と自分を挟むネットを、力一杯蹴ったのだ。テニスに関して私は初心者で、はっきり言って、何も知らない。だけど、それはやってはいけないことだとわかった。でも同様に、彼も相当頭に来ているのだと言うこともわかった。……きっと、勝てると思ってたんだろう。それでも、私からしてみればうまく行かなくて、自分の思い通りにいかなくて、駄々をこねてる子供のようにしか見えなくて、赤也に対して、とてつもない怒りが込み上げてきた。

テニスの話をしていた時のあの顔は、芝居だったのだろうか。

そう思わずにはいられなかった。今、目の前にいる赤也が、いつも私が見ている赤也とは別人なんじゃないか、と思いたかった。審判の声があがる。また、不二君がゲームを取ったらしかった。それからまた、凄い打ち合いが始まる。

「うぅ……凄すぎ……ね、?」
「……そうだね」

私はの言葉を、適当に流す。
目は、赤也を見たままだった。





……どのくらい打ち合っていたかわからないくらい、長い打ち合いが続いたとき、私は、見た。赤也がほくそ笑んでいるのを。そうして彼は、にやっと笑ったまま言ったのだ。

「隙、見ぃーっけ!」

次の瞬間、物凄いスピードで、球が不二君のコートに飛んでいった。威力が凄まじく、不二君の周りが見えない。どうなったのか、わからなかった。ただ、見えたのは宙に浮く、ラケット。太陽の日を浴びてきらめくそれは、静かに落ちていった。コトッと音を立てるラケットを私は目で追うと、不二君が座っているのが見えた。

「不二先輩ーーーーーっっ!!!」

彼の後輩たちの声が、周りに響いた。すると、すぐに不二君が立ち上がる。何事もなかったように立つ彼に、ほとんどの生徒が笑みを見せた。……顧問らしき女性が、彼の側に駆け寄る。何かを話しているのはわかったが、会話までは聞き取れなかった。

「大丈夫かなあ?
「わからない」

おろおろ、わたわたするに、私は小さな声で呟いた。「周りがわざとだ」とか「切原は狙ってやった」だとか、抗議の声を上げる。嘘だって、そんなことするわけない、って言ってやりたかった。あんな、純粋な少年が、そんな卑怯なことするはずない、って……。でも、その言葉が言えなかったのは、きっと私も心のどこかでそう思っていたからかもしれない。呆然とコートから目を離す事なく見ていると、赤也が笑っているのだから。どうやら、試合は続行するらしかった。また、先程と変わらない試合が始まる。私は、小さく息を呑んだ。あんな後なのに、赤也の容赦ない攻撃は、加速していく。これが勝負の世界だ、とは分かっていたが、見ていて、痛かった。全て、私が見ていた彼の姿は、夢、幻だったのだろうか?騙されていたのだろうか?私は歯軋りして、拳を強く握った。何もかもが信じられなくなりそうだった。騙されていたことに、腹が立った。





試合は、どんどん赤也に有利になっていった。ついに、4−5と赤也が不二君を追い越す。すると、にやりとまた赤也があの意地の悪い笑みを見せた。

「良くやりますね、見えてないのに」

その言葉は、私にも届いた。
その瞬間、何かが崩れ落ちるような感覚がした。

……知ってて、わざと、あんなテニスを……?

新たな事実を受け止めたくなかった。こんな奴だったのだろうか?いや、そうじゃなかった。テニスに関して、嬉しそうに話すあの顔からは、ただ単に、大好きだ、という情熱しか感じられなかったのに。私は、今まで、赤也の何を見てきたのだろう。私は、今まで、赤也の何を知ったつもりでいたのだろう。……何も知らないじゃないか。彼の、思いも、何もかも。知ったつもりでいただけじゃないか。そう思うと、涙が出そうだった。赤也のこと、色々知りたいと思ったのは事実だったが、こんなことなら来るんじゃなかった。今までどおり、喫茶店で待ってて、勝って来ました!って笑顔の赤也にアイスコーヒーを渡したかった。何も知らないままのほうが良かった。でも、それでも、こんな非道な奴だって、思っていても、まだ、好きだと思う自分がいた。それが、尚のこと辛かった。

「……?」
「……何?」

私はに声をかけられて、横目で見やると、なんでもない風に答えた。何?と言うと、は困ったように眉を下に下げたが、暫く黙り込んだ後、意を決したように大丈夫?と問うてきた。何が大丈夫?なのだろう。私はしばし考えた。

「どういうこと?」
「だから……なんか……苦しそうな顔してるから」

だからその……、と語尾が小さくなっていくを見つめた。心配してくれてるのだろうと思うと、嬉しかったが、反対に申し訳なくなった。私は大丈夫、と無理に微笑む。来なければ良かった。っていえたら、どれだけ楽になれただろう。見たくなかった。って大声を出して、この場から走って逃げ出せたらどんなに幸せだろう。だけど、そんなこと出来るわけなかった。そんなことしたら、が責任を感じてしまう。………私のためを思って、私がこういうところでは、行動できないこと知ってたから、からかいながらも本当は心配してくれてるのだとわかったから、何もいえなかった。……言いたくなかった。言って、を傷つけたくなかった。



私は目の前の光景を見やりながら、そんなことを思った。
赤也は、笑っていた。それでも好きだと思う自分が、なんだか悲しかった。





― Fin