この関係に名前を付けるとするならば、それは
好きな人が、いる。ずっと大好きな人がいる。それは、私の片恋なのだけれど。とっても、大好きな人。
世界中の誰よりも大切で。宇宙の中の誰よりも愛しくて。
「おーい、!」
例えば、彼が私を呼んでくれるその瞬間が好き。例えば、彼が照れたように笑いかけてくれるその瞬間が好き。
試合で勝ったときの嬉しそうにガッツポーズをするその瞬間が好き。授業中、こっそり喋りかけてくるその瞬間が好き。全部のそんな瞬間を、忘れずに、頭の中で記憶しておきたいくらい、凄い、好き。
例えば、今日はどうだった、これはこうだった。一日のまとめみたいに私に報告してくれるその瞬間がたまらなく好き。
いつも、その日の終わりに、日課のように電話してくれることが、私の一番の楽しみだってこと、きっと彼は知らない。…そして、それを切ったあと、暫くドキドキで眠れなくなってしまうことも。
恋をすると不思議だ。今まで友達としか思ってなかったのに、彼が凄く輝いて見える。他愛もない話が、今まで以上に貴重で、楽しくて嬉しくてたまらなくなる。
もっと綺麗に、可愛くなりたいって、思うようになる。今まで思わなかった感情をいっぱい発見できた。
「おい、!おいって」
「ふあ、赤也…」
ようやく、彼に呼ばれていることに気づいた。名前を呼べば、少し不機嫌そうな赤也の顔。
何回呼んだと思ってんだよ。ブツブツと文句を言う姿に、少し苦笑してしまう。
申し訳なさも勿論あるのだけれど。ごめんごめん、と平謝りすれば、恨めしそうな赤也の瞳。
「心が篭ってねぇよ」
それから、軽くチョップ。勿論、本気じゃないから痛くない。それでも私は痛い、と冗談半分で言って見せた。
そして額に手をやって。嘘こけ、なんて赤也が言うから、バレた?なんて返して。…こんなどうでも良い会話が心地いい。
赤也は私が座っていた机の前の席に腰掛けた。それから頬杖をつく。開け放たれた窓からはそよそよと冬風が吹いて、ちょっと寒かった。
それでもお互いに窓は閉めない。赤也の髪の毛が風に乗って少し揺れた。クセっ毛の黒髪が、うざったそうに頬を撫でる。
「…最近、さ。元気ねぇな」
ぽつり、と声を落としたのは、紛れもなく赤也。私は初め何を言われてるのか理解が出来なくて黙っていた。
それでも、暫くしてそれを理解して、あー…なんて声を出す。 乾いた唇が重々しい。それでも、赤也に届くように口を開けた。
「そうでも、ないよ?」
言えば、赤也がちら、と私を見つめた。それから呆れたように目を細める。疑ってる目。付き合いが大分長いから、彼の表情で大体のことはお見通し。
私は本当だよ?と念を押すように続けた。それから笑顔。赤也のため息っぽい声が息が聞こえた。
ああ、信じてないな。そう思う。それでも私は笑顔を崩さない。だって、下手に心配されたくないもの。…勿論、心配してくれるのは嬉しくないって言ったら嘘になる、けど。
赤也は友達想いだ。初めの頃は、そんな風に見えなかったけども、実は情もろい一面もあったりする。
友達が本気で悩んでいたら、ちゃんと真面目に話を聞いてくれる人だ。…普段は何でも冗談に済ませようとするから、余計に信じがたいけれども。でも、そんなギャップが好きなのかもしれない。
辛いときには耳を傾けてくれる。哀しいときには泣かせてくれる。寂しいときには傍に居てくれる。そんなヤツだ。
「ほんとかよ」
でも、だからこそ、言えない。頑張って赤也の一番の女友達になれたのに。それなのに、今崩すことなんて出来ない。
彼の笑顔が見れなくなるのは嫌だ。彼に話しかけられなくなったら嫌だ。名前を呼ばれなくなるかもしれない。そう言う不安が募ってくる。
「うん」
私が元気がないのは本当だ。でも、それは悟られたくなかった。だって、それは。
「俺さ、実は…彼女が出来そう、なんだよな…!」
あの日、そのことを赤也の口から聞いた日から。そんなことバレたら、もう友達じゃいられない。
前みたいに馬鹿話なんか出来なくなってしまう。私のこの想いが赤也にバレてしまうから。
だから、元気がない姿なんか知られたくなかったのに。
「元気だよ」
流れ出す沈黙が思いのほか痛くて。私は黙り込んでしまった赤也の変わりに言葉を送った。
そうすれば、また少し眉を中央に寄せて、納得行かない顔をする。
それでも、私の顔を見て、諦めたように手を上げた。降参、という意味だろうか。
「そうなったには勝てねぇよ」
厭味のように言われて、私は苦笑した。赤也はふう、と小さく息を吐くと、ポケットに仕舞ってあった携帯を取り出した。
折りたたみ式の携帯をぱかりと開ける。それから、ディスプレイをしばし見つめたまま、黙り込む。
私はどうしたの?言いたくなる言葉を飲み込んで赤也の横顔を黙って見つめていた。
そうすれば、暫くして赤也の手が動き出す。手馴れた手つきのそれはあっという間に文字を入力し終えたのか、また止まる。
それから、私のほうを見た。私は急に赤也と目が合って思わず胸が弾む。ドキドキと、早くなる鼓動を悟られないように平然を装う。
すると、ポケットの中の携帯が小さく音を立てた。バイブ音のそれが、ポケットの中で暫し振動した。私はポケットから携帯を取り出すと、ディスプレイを開く。
そのときまた一、二回バイブが鳴った。見れば、『メール一件あり』の文字。不思議に私はフォルダを開くと、そこには見慣れた名前。
「…えっ」
そこまで言って私は赤也を見た。そう、メール送信者は、目の前にいる相手赤也から。私は彼の心情を理解できず、赤也の名前を呼ぼうとした。でも、それは叶わない。
赤也の目が私の携帯に釘付けになる。…何も言わず見ろ。と言うことなのか。私は腑に落ちないながらも、フォルダを開こうとボタンを押した。
少し、指が震える。何の音も立てずにメールは開かれる。そして、メール文には、一言。
「…莫迦」
「バカで結構」
泣きたく、なった。少し潤む視界。多分、今瞬きしたら落ちてしまうくらい。
なんでこんなことで泣きそうになるのか。本当に情けない。
だから、私はちょっとだけ俯く。そしたら、冷たい風が私の髪を揺らした。
「…ほんと、莫迦…なんだから」
ずず、と情けない鼻をすすりながら言った言葉は果たして赤也に届いたかわからない。
彼は、黙ってしまったから。それでも近くにいてくれていることだけはわかった。
ふわり、優しく私の頭に置かれたそれが赤也の手だということに気づいたのは、私の瞳から涙が引いてきたくらいから。
その置かれた暖かい手が、私の頭を撫でた、スローペースに。優しく包み込むように撫でる赤也の手が、また私の涙を誘う。
…私を泣かせたいのだろうか、コイツは。そう思ってしまうくらい、一気に涙があふれ出そうになった。今度ばかりは堪えれそうにない。
「…ふ…」
小さな声が、口から漏れた。きっと赤也にも届いただろう。だから、私が泣いていることはバレてしまっている。小刻みに震える身体で、きっと赤也にはバレバレなんだろうけど。
一度出てしまった涙は止まらない。それどころかどんどん加速していって。ぽたぽたと私のスカートを濡らした。
「…っく」
冬の風が、冷たい。私の身体を濡らしてゆく。それでも、私を撫でてくれる赤也の手は凄く、暖かくて。何も言いはしなかったけど、凄く、優しくて。不器用に撫でてくれる指先が、どうしようもなく、嬉しくて。嗚咽が途中から止まらなくなってしまった。
膝の上に置いた携帯にまで涙が落ちる。それでも構っていられなかった。
ぽた、と無数の涙が零れる。この涙と一緒に、赤也への想いも溢れ出すことが出来たらどんなに良いか。
今、此処で好きだ、って言えたならどんなに楽か。でも、その言葉は口に出ることなく、支配するのは嗚咽のみ。
「赤、也…」
赤也は何も言わない。ただ私の頭を撫で続けるだけだ。どうして、彼はこんなにも優しいんだろう。
いっそ冷たくされたなら。いっそ元気がないことを気づかないふりをしてくれてたなら、諦められたかもしれないのに。どうして、私はこんなにも彼のことが好きなんだろう。
そう想って、また一粒涙が流れた。
『お前が元気ないとつまんねーじゃん。は笑ってたほうが良い』
この関係に名前を付けるとするならば、それは…"友達以上、恋人未満"
それが、私と赤也の一生変わらない関係だった。
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