じれったい奴等め






「今日も切原の応援?」

掃除も後半に差し掛かった頃、いそいそと帰り支度をし始める私に、友人が一言漏らした。私は顔を上げて友人を見つめる。それから、数秒間を置いて、こくり、と肯いた。すると友人がどうでも良いのか、ふぅん、と素っ気無く返すのだ。
この会話も何度繰り返されたか解からない。思えば赤也と仲良くなってからだ。

「ほんと、仲良いよね、アンタ等」

つまらなそうにポツリと呟かれた台詞に思わずきょとんとして、出る言葉を失った。
それから、平然を装ってそう?って返せば、友人の頷き。肯定の意味を表すそれを見て、少しだけ照れた。
…あの気まずい感覚は、あの部活の日から、徐々に薄れていった。そして、また平穏で変わらない日々が流れる。
そう、それはあんな状態なんか初めからなかったかのように、自然で。赤也は変わらず話しかけてくるようになったし、私も彼に答えるようにあくまで普通に接するようにした。

というか、もう開き直っちゃったんだよね

開き直るしかなかった、と言うべきか。あの日、どれだけ赤也のことが好きなのか、改めて思い知った。…きっと、赤也を諦めるなんて、無理。それなら、この辛い現状を乗り切るしかないだろう。
マネージャーさんとの関係を見ていて平気なわけではないけれど、赤也と話せなくなるほうが私にとっては辛かった。
どんなに哀しくても、淋しくても良い。赤也の傍にもう少しだけいたいのだ。一生、は無理なのはわかってる。いつかは私の気持ちがバレてしまうかもしれない。はたまた、赤也とあの子が正式に付き合い出して、この関係が崩れるかもしれない。だけど、今はまだ、友達関係でもいいから、繋がっていたい。そう思うのだ。
たとえ"彼女"という枠に当てはまらなくても。一生"女友達"だと思われていても。だって、こんなに大好きなんだから。

「おーい、何一人自分の世界に入っちゃってるんかな〜?」

友人の声に、私ははっと我に返った。言ったとおり何処かにトリップしていたようだ。
私は慌てて友達に謝った。そうすれば友人は「良いけど」と呆れた笑いを向けながら、箒をロッカーの中に押し込めた。あとは、焼却炉にこのゴミを持っていくのみである。結構な大袋に入ったゴミを二人で見つめた。
それから、お決まりのジャンケン。一緒に行けば良いものの、恒例になっているそれは無くならない。じゃーんけーん、と二人の声が重なる。

「ポイ!」

そして、結果は、出た。私がパーで、友人がグーだ。つまり、私が勝利したわけで。次に聞こえてくるのは隣にいる友人の叫び声。
いやああああと、悲痛の叫びにも似た大声に思わず苦笑してしまった。
それでも、負けは負け。友達は恨めしそうにゴミ袋を睨みつけ小さく息を吐くとともにゴミ袋の持つ部分を握った。けれども、それをすぐに私は制止する。

「私が行くよ」

そういえば友人が呆れたように持ったゴミ袋を手放した。ボトン、と重々しい音を立ててゴミ袋が床に着く。
私はにこっと笑ってそれを拾おうとした。…それでも、友人は良いよ、と遠慮するものだから。私はまた小さく苦笑してしまった。

「本当に良いよ、私、テニスコートに寄るし、ついでだから。…ね?」

続けざまに言えば、友人は渋々手を離した。それから、謝罪と感謝を述べると、笑った。
そして、机に置いてある鞄を引っつかんでごめんね!とまた一言謝る。そんなに謝る必要なんて無いというのに。また苦笑しそうになりながらも、私は彼女の背中を見つめた。
―――でも、いつまでも見つめているわけにも行かない。

数秒経ったころだろうか。私は肩掛けの鞄を肩に掛けて、ゴミ袋を両手で持つと、焼却炉へと向かった。…結構重い。それでも、両手に力を込めてゆっくりと一歩一歩進んでいった。



「っし」

ようやく焼却炉にたどり着いたのは、それから十数分後。思いのほか時間がかかってしまったらしい。
私は手首にしている時計をちらっと見て、そんなことを思った。さて、最後の仕事だ。あとはこの持ってきたゴミ袋を焼却炉に投げ込むだけ。でも、それが結構問題で。いつも居るはずの焼却炉のおじさん(焼却炉にゴミを入れてくれるおじさんのこと)が今日に限って居なかった。
休みなのだろうか。私はこんなときについてないな、と思いながら、重いゴミ袋を抱えようと腰を曲げた。下から持ち上げるようにするが、やっぱり重い。ちょっとあがるけれども、焼却炉の入り口の高さには到底届かない。

「重…っ」

言いながら、また両手に力を込める。それでもやっぱり申し訳ないほどにしかゴミ袋は浮かばない。
こんなときに限って、生徒が一人も来ないのだ。相当自分はついてないんだと思った。
こんなことなら、代わるのではなく友人と一緒にくれば良かった。後悔しても遅い。友人は今頃足軽に帰路している頃だろう。
本当なら私もこんなところでのたのたしておらず、赤也の試合を見ていただろうに。はあ、重いため息が口から漏れる。

「大丈夫ですか?」

すると、後ろから声をかけられた。びくっとして見上げれば、一人の男の人。あ、どっかで見たことがある気がする。と言うか、間違いなく見たことのある顔だ。
私は呆然とその人を見ていると、その男の人は私の持っているゴミ袋へと視線を移した。そこで、思い出す。赤也の部活の先輩だ。えっと、確か、確か、柳先輩じゃなくて、仁王先輩のダブルスパートナーの…

「柳生先輩!」
「はい?」

どうやらドンピシャだったようだ。
人を指差しちゃいけませんと習っていたにも関わらず思いっきり人差し指で先輩を指差して大声で叫んだ。けども先輩は少しも吃驚していない様子で、眼鏡を押し上げる。それから、またゴミ袋を見下ろして。

「手伝いますよ」

言ったのと行動は殆ど同時で。私は制止することも出来ずにあっという間にゴミ袋は高々と上がって、焼却炉へと放り込まれてしまった。すばやい一連の動作に、言葉を失う。
ぽかーん、と間抜けな顔で先輩を見ていたら、先輩は手を二、三度パンパンと叩き汚れを落とした。それから、終わりましたよ。と一言。私はお礼を言うのがようやっとで、深々とお辞儀をした。

「…さん…ですよね?」

顔を上げた瞬間に、紡がれた言葉は私の名前。私はまたフリーズしそうになる脳みそをフル回転させ、コクコクと頷いた。
何故、この人が私の名前を知っているのだろうか。すぐにわかった。赤也だ。赤也から良く聞くのだと言う。
部活でも私の話をしていると言う事実に嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気分になった。
それから柳生先輩と私は目的地のテニスコートまでを一緒に歩き始める。
決して遅いわけでも、そして早いわけでもない歩調。さりげなく合わせてくれる話題。

先輩に何故あんな人通りの少ない焼却炉にわざわざ居たのか聞いてみた。すると、自分の入っている委員会の打ち合わせがあったそうだ。そして、打ち合わせが終わったのが、ついさっき。急いで部活に行こうと向かっていたら、私が重そうにゴミ袋を運んでいるのが見えて、手伝おうと追ってきてくれたそうだ。
それを聞いて、噂どおりの紳士な人だ。本気で思った。

「切原君の応援ですか?」
「…えっ…あ、まあ…」

唐突に振られた質問内容を曖昧に返す。少しだけ顔が火照り始めてちょっとだけ顔を俯かせた。
すると、聞こえてくるのは小さな吹き出す声。と同時に降ってくる大きな手。ぽん、と頭を撫でられた。
勿論困惑して躊躇いがちに先輩を見ると、ほんのちょっと笑みを浮かべている先輩の顔。

「切原君のことが好きですか?」

あれ?…柳生先輩って、こんなこと言う人だったっけ?

勿論、私自身柳生先輩と話すのは今日が初めてだ。だから、柳生先輩のことは噂と、赤也の会話でしか知らない。
でも、その噂や赤也から毎回聞かされる柳生先輩像とはどうにも今の発言は結びつかない。
私は更に困惑して眉根を寄せた。それから「友達ですから」と答えると、面白そうに「そうですか」とだけ返してきた。
頭を撫でていた手はいつの間にか無くなっている。それに気づいたのは、テニスコートが見えてきた辺りだった。





「っあーーーーー!仁王先輩やっぱり!」

それからテニスコートに着いた私たちをいち早く見つけた赤也。あまりの大声に顔が歪む。相変わらず騒がしい。
でも、考えるところは其処ではないのだ。それに気づくと浮かび上がる疑問。…仁王先輩?

あれ?確か…仁王先輩って、銀髪じゃあ…

隣にいる人は紛れもなく銀髪ではない。どう見ても、紳士と呼ばれる柳生先輩ではないか。私は赤也の言ってることが理解できずただ首を傾げるのみ。
そうこうしているうちにコートから出てきた赤也が私の手を引っつかむ。ぐい、っと力強く引っ張られて私は赤也の胸に倒れこむ形になった。
心臓がばくばくと騒ぎ出す。赤也の匂いが鼻を掠める。温かい胸からは少し速い鼓動。走ってきたからだろうか。

「何を言ってるんです、切原君」
「ばっくれて駄目っすよ!今柳生先輩はあそこで試合してるんすから!になんもしなかったでしょうね!」

顔の温度がどんどんと上昇していく中、そんなやり取りが飛び交う。でも、そんなことは今の私にはどうだって良い。ぎゅっと目を瞑った。
すると、あーあ、と残念そうな声が聞こえる。さっきまでは全然聞こえなかった声。また私は目を開いて、ちらりと聞こえた方向を振り返るように見つめた。
そして、唖然とする。さっきまで横に居たはずの柳生先輩の姿は何処にもない。
代わって、銀髪の男の人。これが、仁王先輩?…あの、詐欺師と呼ばれている…。そこまで考えて、はっと気づく。自分が騙されていたことに。

っ、なんもされてないよな?」

焦ったような赤也の声とともに、私の視界に赤也の物凄く心配してそうな顔が映った。
肯こうと首を傾けようとした。けれども、一足先に口を開いたのは仁王先輩。

「いや、さっきは可愛かったのう」

それに固まったのは、私と赤也だ。

え、可愛かった?何のことだ?…私の頭の中で沢山の疑問が浮かび上がる。反対に赤也が私の肩をぎゅっと掴んだ。心なしか少し震えているように見える。
名前を恐る恐る呼ぶと、口を開閉している赤也の姿。

「どういう意味っすか!お、俺の大事な友達に!」
「そのまんまの意味。なっ、

ばち、と目が合った瞬間、ウインクをする仁王先輩に私は素っ頓狂な声を上げることしか出来なかった。
未だ私を抱きしめる赤也だけが怒りに震えている。私はただただ困惑することしか出来なかった。

"大事な友達"
…嬉しいはずなのに、ちょっと痛かった。

それから仁王先輩と赤也の言い争いは、副部長である真田先輩の一喝によって終幕を迎えることとなる。
赤也の頬に真新しく出来た傷跡は、それから一週間は消えることはなかった。





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