目が合わせられないのは






「ちょ、!待てよ…っ!」

私は気づけは走り出していた。さすが私立と言える立海大。広い校舎をがむしゃらに走って、走って。少し後ろのほうで、赤也の声が途切れ途切れに聞こえる。それさえも、嫌だ。悲しくて、涙が出そうだった。


『別に、理由なんてない』


さっきの赤也の言葉が、本当に死ぬほどショックで。期待してた自分が凄く恥ずかしくて、滑稽で。阿呆で。呆れるくらいに莫迦だと思った。涙が流れる。走っているために、溢れた涙は横を流れる。目じりの横に軌跡が残る。
そんなことはどうでもいい。ただ。赤也の居ないところに行きたかった。ただ、その一心で。嗚咽が出る度に上手く息が出来なくなりながらも、無理やりに走った。きっと今歩いたら、足ががくがくと震えだして歩けなくなってしまうだろう。
安易に想像できて、私は一層スピードを上げて、階段を上り始めた。階段を上がってすぐ曲がる。赤也の声が、下のほうから聞こえる。
私はすぐ曲がった先にある、今は使われていない教室に滑るように入った。ドアを乱暴に閉めて、その前にしゃがみこむ。
ああ、やっぱり。足ががくがくと震えて。立っていることが困難だったんだ。息が乱れる。嗚咽は止まらない。勿論、涙も溢れ出したまま静まらない。高ぶる感情は下がることを知らない。

赤也がああいう台詞を言うのは、解かっていた筈だ。だって、私たちは友達なのだから。なのに、小さな期待を持っていた所為でこんなにも辛い。裏切られたと思うのはお門違いだ。それなのに。悲しくて仕方がない。…理由がない。ってことは、赤也自身私のことなんて本当になんとも思っていないと言うことだ。
つまり、"好きな人"と言う枠に当てはまることはない、と。…これは遠まわしにフラれたも同然だ。

「…なんとも思ってないなら、構うな、馬鹿やろ…」

涙が止まらない。いつから私、こんなに泣き虫になった?…気づけば、赤也のことが好きだと自覚してからだ。
こんなことになるなら、こんな辛い思いするくらいなら、気づかないほうが良かった。知らないまま、ずっと赤也と友達やっていたかった。阿呆みたいな話をして、カラオケやショッピングに行ってゲーセンで格闘ゲームをしたり、映画を観たり。気づかないままのほうが楽しかったのに。なんで、私は気づいてしまったんだろう。
気づいたときには失恋だったのに。なのに、どうして私は赤也のことを諦められないんだろう。
情けなくて自嘲してしまう。ふ、と笑みがこぼれるけども、涙も零れた。廊下のほうで、赤也の声がする。

「何処行ったよ」

ち、っと舌打ちをしながらの台詞に、びくっと身体が跳ね上がる。気づかれたくない。今は、泣いてる姿を見られたくない。だって、見られたら。
私が、赤也のことを好きなんだってことが、バレてしまう。それだけはあってはならない。だって、そしたら、もう本当にこの関係は崩れてしまう。気まずいまま、話しかけることも出来なくなって。この関係は壊れてしまう。
それだけは嫌だ。フラれても傍に居たい。そう思ったのは自分。たとえ、赤也が誰を好きでも、赤也とあの子が親しげに話しているのがどんなに辛くても、赤也と離れるほうが辛いと思ったのは。傍に居られないことの辛さと、傍に居ることの辛さ、どちらを選ぶのか考えて、傍に居ることの辛さを選んだのは私だ。
たとえ、さっきみたいに遠まわしにフラれたとしても、だ。だから、今は赤也に会いたくない。このまま諦めて帰ってくれれば、明日にはまた私は笑えれるようになる。
何事もなかったかのように、笑って「おはよう!赤也!」って気兼ねなく挨拶することが出来る。
でも、今会ったらそれは到底叶わなくなってしまって。…そんなの嫌だ。

「…っく」

嗚咽が止まることなく口から漏れた。と、同時に、赤也が立ち止まる。
カタ、と小さな音が鳴った。…ドアに寄りかかる身体が震える。どうか、気づかないで。

「…?」

けれども、そんな私の浅はかな願いは消えうせる。名前を呼ばれて、心臓が高鳴る。ああ、自分はこんなにも赤也のことが好きだ。悲しいくらい、切なくて涙するくらい、赤也のことが好きだ。
名前を呼ばれただけで嬉しいと感じてしまう。また、涙があふれ出た。ぐす、と鼻をすする音がなんとも格好悪い。もう、完璧に赤也にバレてしまった。
決して見えるはずもないのに、赤也の視線が私を見ているような気がした。
それでも、ドアが開くことはない。また、その気配もない。ただ、赤也はドアの前で立ち尽すのみだ。

「…、そのままで良いから、聞いてくれよ」

ぽつり、ぽつりと話し始める赤也の声が、耳元で聞こえる。
振り向いても勿論赤也がいるわけではない。彼はドア1つを隔てた向こうにいるのだ。黙ったまま赤也の言葉に耳を傾ける。
すると、次に紡がれるのは謝罪の言葉。ごめん、と赤也が小さく謝った。また、一粒涙が零れ落ちる。

「…傷つけて、ごめん」

悲しくなるくらい、儚いその言葉。次々と涙が溢れ出してくる。生暖かいそれが私の手の甲を濡らす。
何度か赤也は謝った。それから、小さく息を吐く音が聞こえる。

「俺、嫌だったんだよ。仁王先輩とが仲良くしてんの、見んの。…でも、その意味がわからなくて」

だから、理由なんてないなんて言った。…低い声で、呟かれた言葉が耳に残る。

「理由なんてないんじゃない、理由がわかんねぇんだよ」

がしがしと。多分、頭を乱暴に掻いているんだろう。良く、答えが解からないときに赤也がする癖だ。私はそれを想像した。
きっと今眉を寄せながら目を瞑っているであろう。一つ一つの仕草が、明確に思い出される。

「でも、結果、を傷つけて、わかった、かも」

はあ、と息を付く、赤也。深呼吸だろうか。私の涙は、いつの間にか引き始めていて、ぼやけた視界はだんだんとクリーンされて、綺麗に映し出されてきた。
背中が妙に熱く感じる。赤也がすぐ後ろにいるって、思うからだろうか。

「俺、のこと」

聞こえるのは、自分の心臓の音。
そして、静まり返った教室からは、今にも止まりかけの数時間も遅れた時計の時間を刻む音。
赤也の声が、また一度止む。すう…大きく息を吸い込む音が聞こえて、胸が高鳴った。

「好き…なのかも」

小さな声のはずなのに、はっきりと聞こえたそれは、私がずっと望んでた言葉。
また、涙が出そうになる。本当に、赤也は私を泣かせるのが上手だ。赤也を好きだって気づいてから、本当に泣かされてばかりだ。
でも、赤也の言葉を鵜呑みにするほど、私は単純じゃなく、素直な可愛い女なわけでもなく。

「嘘…だ、って…」

信じることが出来ないのは、あのマネージャーの子の存在。確か、赤也はあの子と付き合えそうだと言うことを聞いた。
現にもう付き合ってるんじゃないかってくらい、仲が良くて。好きなんでしょ?と震える声で尋ねれば、涙が零れ落ちた。

「…確かに、にはそう言った…けど、最近、何か、違うんだよ」

ぽつりぽつりと紡がれる赤也の声が、私同様に少し、震えている。
自ずと、焦ったような、声色で。

に、彼女が出来そうかもって言ってから、お前と距離が出来て」

でも、凄く真剣な声音に、安らぎを感じる。涙は止まることはないけれど、心地よい。

「仁王先輩まで現れて。…のこと、一番の女友達だって言ったくせに、言ってから、気づいた」

嗚咽が漏れる。鼻をすする音が止まない。
赤也の声が途切れ途切れに聞こえてしまう。

「俺、が離れてくことが、一番、嫌だ…って。マネージャーと話せなくなるよりも、何よりも、が離れてくことが、すげー辛い。他のやつと買い物行くよりも、映画見に行くよりも、カラオケで大声出すのも、ゲーセンで格ゲーするのも、とじゃなきゃ、つまんねえんだよ」

あまりの嬉しさに、言葉が出なかった。搾り出したような赤也の声が、私の耳に届いて。本気なんだと伝わる言葉に更に涙が加速していって。嗚咽も激しくなって、声を出すのが辛い。
それでも、言いたいことがある。ずっと、さっきまで胸に秘めていようと決めた言葉。

「…私、も…赤也のこと、好き…だよ…っ」

同じく搾り出すように、言った告白。お互いに流れるのは沈黙。
ドア一枚隔たった向こうの赤也は今、何を思っているだろうか?全く音がしなくなって、私も動けないまま。時が過ぎる。それでも、この沈黙さえも嬉しい。率直な意見だ。
伝えることが出来ないと思ってた想いが。こんな形で実を結ぶなんて思ってなかった。ずっと、辛いと思ってたのは私だけだと思ってた。
でも、そうじゃなかったんだ。赤也も、赤也なりに苦しんでたんだ。考えて、悩んで、葛藤していたんだ。そう思うと、本当に伝わったんだと言う実感がふつふつと湧いてくる。
私は、ドアの向こうにいる赤也の名前を呼んだ。少し間を置いて、赤也が返事をくれる。このやり取りが変わらないはずなのに、嬉しさが増えた気がする。
涙が頬を伝う、それだけが妙にリアルで、今の出来事が現実なんだと教えてくれてるような気がする。ほんの少し、ドアのほうを振り向いてみた。
勿論、赤也の姿は見えない。でも、きっと私と同じようにこうして座ってるんだと思った。同じことをしてる、それだけのことなのに、こんなにも満ち溢れている。

「赤也、大好きだよ」

私は、またドアに凭れ掛かって、今度ははっきりとした口調で言った。赤也からの返事はなかった。けれども私はそれでも構わないと思う。
確かめようとドアを開けようともしたくない。
今はまだ、このままで居たい。余韻に浸っていたいというのも勿論だけど。一番は、

照れるから。

今はまだ、赤也の顔を見る勇気がない。恥ずかしくて、顔が真っ赤であろう自分の頬を手で覆って。背中合わせで座っているであろう赤也の姿を想像する。目が合わせられないのは、それは…本当に貴方に恋をしているから。
だから、もう少しだけ、このままで。あと、3分でいい。そしたら、赤也の顔を見て、笑えることが出来ると思うから。


「大好きだよ」


3度目の告白。
今度は赤也に聞こえないくらい小さく呟いて、私は静かに瞼を閉じた。





― Fin