今日の理科の授業は第二理科室への移動。
第二理科室で今日はガスバーナーで何か実験するみたい。
実験ってはっきり言って苦手なんだけど、移動は好き。
だって、彼の近くにいれるから。 たった五十分の授業が、私の一番の幸せの時。
今日も変わらないって、思ってた。



*DISTANCE*




第二理科室に入った瞬間、理科室独特のあの匂いが鼻についた。この匂いからして理科室って苦手だ。教室の隅には大きな人体模型と先生お墨付きのガイコツが置いてあって、夜には絶対入りたくない場所。昼間だからこそ、まだ許せる範囲だと思う。(まあ昼間でも一人だったら絶対入りたくないけど)私はぎゅ、と持っていた教科書類を抱きしめると、いつもの定位置に腰をかけた。この場所は先生の組み分けによって決まっていて、私の場所は良いのか悪いのか…人体模型とは反対側の隅っこの席だった。大きな実験台用の机は、六人一組のグループとして構成されていて、私はその一番後ろの席に座っていた。

今日も人より少し早めにこの席につく。(と言ってももう何人か教室に来ているんだけど)それから教科書を机の下に入れ込んで授業が始まるのを待つ。…いや、私の場合授業を待つ、と言うよりも、あの人を待つ、と言ったほうが正しいんだけど。私の視界にはある一点の席。今はまだ空席だけど時期に来るだろう人物のことを思うと、胸が弾む。トクン、トクン、とガラにもなくときめいちゃったりなんかして。いつもぎりぎりに来るあの人のことを想う。

同じクラスになって早一ヶ月。念願叶って二年に進級後、初めて一緒のクラスになった彼。それを知ったとき密かにガッツポーズをしたのはクラス分けで彼の名前を見たときだ。これが少女マンガだったりしたら偶然席も隣になったりして自ずと彼と急接近!なんてことになるんだろうけど…。でも、人生そんなに甘くはなく。同じクラスになっても私と彼の席が隣になる、なんてことは全く無かった。それどころか一番遠くの席だったりする。私は廊下側の一番前で彼は窓際の後ろのほうだ。そして私の性格から、あまり積極性はないので親しくなることも出来ず、同じクラスになったにも関わらず私と彼はまだ一度しか話したことはなかった。しかも内容は「ちょっとどけて」の一言だけで、会話にもなってないのが淋しい…。で、このまま何もなしに過ぎていくのかなーとしょっぱなからへこんでいたんだけど、私は、気づいたんだ。

それはこのクラスになって初めて理科の実験をするってことでこの教室に移動になったときのこと。彼との距離がなかなか縮まらず、視界に入れることさえ困難だった毎日が変化した。この教室になったから彼の隣になれたとかそんなんじゃないんだけど。そう、この席からは、彼の後姿が見えるのだ。勿論後姿だけじゃない。真正面って言うのは無理だけど実験に参加しているときふ、と顔を上げれば彼の横顔が見えたりする。黒板を見てるフリをしてさりげなく彼の横顔を見ることも可能なのだ。それを発見して以来、私は第二理科室が大好きになった。まあ、教室を好きになっただけで理科自体が好きなわけではないけれども……。でもこの一時間だけは、毎日彼を想う中で最高に幸せな時間なんだ。この一時間があるなら理科の授業が毎日あったって良い。寧ろ毎日実験したいくらいだ。実験自体は好きじゃなくて反対に不得意分野だけども。

そんなことを考えていると、あ、やってきた。面倒くさそうに欠伸しながら席につく彼。がしがしと黒い髪の毛を乱暴に掻きながら。ドクン、って一際大きく胸が高鳴るのが解った。心が弾んで思わず笑顔になってしまう。でも笑おうものなら周りから変な目で見られるから耐えるんだけど。そうこうしているうちに授業が始まった。理科の先生が出席を取る間先生を見ているふりをして彼を見る。今にも眠そうな顔が見えて私まで眠くなってきそうだ。何度も何度も欠伸を繰り返す彼の目には薄ら涙が浮かんでいた。



実験がスタートした。今日のメインのガスバーナーを持ってきて、順序良く点火させる。上手くついたら今度は今回必要な薬品類を先生から必要な分量だけ受け取って、あとは先生の指示通り動けばいいだけ。至って簡単な作業なんだけど。…でも、私はこれが苦手だ。何回も失敗をしてしまうため多分先生のブラックリストの中にはでかでかと私の名前が刻まれているだろう。何度、薬品を爆発させてしまったことか。勿論、気をつけてはいるんだ。だけど、勝手に薬品が爆発するんだ。でも今回の実験は「いつもの小規模の爆発とは違って下手すると大怪我をしてしまうので細心の注意を払うこと」と、いつも以上に真剣な声で先生が言った。そんな危ないことを一端の中学生の実験でしないでもらいたい。心の中で愚痴るけどやらないと成績に大きく響くからやるしかない。今度こそ 爆発させないように、慎重に慎重に。いくつかあるビーカーを見比べる。何が何だかさっぱりだ。全部同じ液体に見えるのは私の気のせいだろうか?

「えっと、それで?」
「加熱させなきゃだよね」

黒板に書いてある順序に良く目を通していると隣で同じグループの子が言った。私はその子の顔を見て、そうそう、と肯きながら一つのビーカーの液体を加熱し始める。今のところは順調、だと思う。少し安堵して、前を見る。あっちのグループも、概ね上手く言ってるみたいだった。彼を中心に笑顔がはじけている。とても楽しそうだ。自分もあのグループだったら良かったのに。そう思うものの、違うグループなのだから仕方ない。別にこのグループに不満があるわけでもない。うちのグループもいい人たちばかりだから、これはこれで楽しいし。

「バァカ、ちげぇよそれじゃないっつの」

でも、それでも彼の声が聞こえてくれば気になってしまう。まあそれは彼に惚れてしまった所為だってことはわかるから、仕方の無いことだ。だけどそう何度も彼の顔を見ようとするとバレてしまうから、あまり迂闊なことはできない。それに「ちゃん」なんて呼ばれてしまえば、そっちに顔を向けるしかない。後ろ髪引かれる思いで、私の名前を呼んだ友達の話を聞くべく耳を傾けた。

「じゃあちゃんはこれとこれを混ぜるのお願い」

今日のリーダーが一人ひとりに指示を出す。
私はそれに従って、言われたとおりそれをしようと思い、試験管を手にとって液体を混ぜることにした。

「あ、ちゃん!それじゃない、もう一つのほう…!」

彼女の言葉と私が入れた瞬間は殆ど同じだった。…時、既に遅し。である。え、と言おうとしたとき、慌てて駆け寄った先生が私の持っていた試験管を机の上に落とした。すると次に聞こえてくるのは爆発音。小さく煙が立ったあと、試験管が落ちたほうを見れば机に決して小さくは無い穴が空いていた。瞬きするのも忘れてしまうくらい吃驚した。て言うか吃驚するしかない、と言う感じ。怪我人が出なかったのが不幸中の幸いだと思う。爆発の瞬間アレを握っていたらきっと私の手は火傷とかくらいじゃ済まされなかったんだろう。呆然と見やったあと、鈍い痛みが私の頭に走った。思わず「痛っ」と声を上げてから上を見れば怒っている先生の顔。ああ、先生にゲンコツされたんだ…とぼんやりと思った。

!だから言ったろう!」

そして、先生の雷が落ちたのは言うまでも無い。ついてないなぁ、もう。 この日の理科の授業は、多分一生忘れられない苦い思い出として私の心に残るんだろう。ため息をつきたいのを堪えて心の中で涙を流した。



「うあーついてない」

私は今、教室に一人居た。机の上には真っ白な原稿用紙。とりあえず私の右手にはシャーペン。あの実験の後かなり怒られた私は、先生から反省文を書くようにと言われた。先生の言葉に異議を唱えたかったけど、かなりご立腹になってしまった先生に文句なんて言えるはずもなく。渋々放課後原稿用紙を受け取って、教室に戻ってきた。どうやらこの反省文を書き終わるまで居残りらしい。私は帰るに帰れずこうして用紙と睨めっこすることもう30分。睨めっこにもだんだん飽きてきた。今日は部活動も無くて全員が早めの放課だって言うのに。本当自分のアンラッキーさが嫌になる。反省文、と言われてもどう書けば良いのか。反省は勿論しているんだけど、それを文章に表すのは私にとっては、容易なことじゃなかった。

「ごめんなさい。もうこのようなことがないようにしたいとおもいます。ほんとうにすみませんでした。いごきちんとせんせいのはなしをきき、しっぱいのないようにしたいです」

これだけじゃダメなんだろうか?答えはNO。先生はこの用紙を全部埋めろ、と言ったからだ。しかも全部ひらがなの時点でNGだろう。そんなの足りない私の頭では無理なわけで。国語の得意な友達に助けを求めようと思ったけども、生憎彼女は用事があるらしい。…となるとやっぱり頼れるのは自分だけなのだ。

「はあ」

でもこれ以上進まないペン。降参、白旗を揚げたいくらいだ。
私はとうとうそれをほっぽってペンをくるくると回し始めた。

「あれ、?」

すると、ガラ、と元気良くドアが開き、聞こえてくるのはこれまた元気な声。しかも、聞き覚えのある声で。もしや…とすぐにピンと来てしまった私の心臓はヒートアップ寸前。ドキドキバクバクドクドクと一つの心臓からは色んな音の大演奏。ギギ、とまるでロボットみたいに機械的な動きで振り向けば、ああ、ほら、やっぱり。

「き、切原君っ」

どうしたの?と言えば彼は忘れもん、と一言言いながら私の横を通り過ぎた。突然の彼の出現に顔が硬直する。横目で彼を追うと、テニスをしていたのだということが安易に想像できた。ユニフォームが視界に映るだけでドキドキする。今日は部活動ないはずなのにユニフォームと言うことは自主練なんだろうか?

は何してんだよ」

それから問われた質問。実際触れて欲しくなかったけど、自分だけ質問しといて答えないわけには行かないから簡単に説明をした。そうすれば彼はすぐに納得してもらえて、ああ、って。

「で?出来そうなわけ?」
「いや…それが…全然…お手上げ状態です。でも用紙全部埋めなくちゃ帰れないし…」
「ふぅん…」

初めて彼とこんなに話した。
それだけで幸せにも関わらず、彼は私の前の席に座ると用紙を眺めた。


近い、近い、近い、近いっっっ!!


そのため、かなりの至近距離。もうちょっと私の手を動かせば彼の髪に触れられるくらい近い。間近すぎる彼の顔のアップにドキドキが急上昇して止まらない。彼は私を心臓麻痺にさせたいんだろうか。それでも何も言えずにただ彼を見つめる。彼は訝しげに用紙を見つめるとちょっと失礼と私のペンケースからシャーペンを取り出した。

もう、このペンケースは絶対捨てまい。

「って、切原、君?」

それから今度は私が訝しげに見る番だ。彼は用紙を自分側に向けるとそこにがががと文字を書き並べていった。私の字とは対照的な元気いっぱいの男の子っぽい角ばった字。何をしているんだ、って聞きたかったけど、きっと今そんな質問をしても無駄だろう。私はとりあえず彼の動作が止むまでひたすら待った。ってひたすらって言ってもそんなに時間はかかってないんだけど。

「よっしゃ、出来た!」

それから一分もかからなかっただろう。ポトっと言う音と一緒にペンが机の上を転がる。彼を顔を見れば満足げだ。私は用紙のほうに目を落とす。そして、次の瞬間こみ上げてくるのは。

「プッ」
「あ、笑ったな」

堪え切れなかった笑いが口から飛び出た。原稿用紙を見ればびっしりと文字が書かれている。それは良いことなんだけど、内容が宜しくない。困ったように口を尖らす。

「た、多分これじゃあ先生怒るよ」
「だって反省文だろ?反省してんじゃん。つーわけで帰るぜ!」

言った彼の言葉と私の腕を引っ張るのはほぼ同時だった。「でも書き直さなきゃ」と言う暇もないまま、ガタンと椅子が後ろに引かれて立ち上がる。それから彼は歩き出してしまうから。私は慌てて用紙と鞄を引っつかんで彼についていった。なんで私は切原君に引っ張られてるのか…。疑問に思わなかったわけじゃないけど、でも、拒むなんて無理だから。

って帰る方向右だったよな!」

次に問われた質問に私は慌てながら肯いた。
一緒に帰ろう、なんて誘われたから、何で彼が私の帰る方向を知ってるのかなんて不思議に思う暇もなかったんだ。

「…いいだろ、な!」
「う…っ」

そして、見上げれば笑顔の彼。
あまりに満面の笑みを浮かべるから言葉につまってしまった。けども、すぐに平静を装って、ゆっくりと肯いた。

「う、うん!」

ああ、反省文結局直してないけど、もういいや。先生、私は愛に生きることにしたから。明日怒られるのを覚悟して、くしゃ、と用紙を握り締めた。ずっと見てるだけの存在だったのにこんなことでまさか仲良くなれるなんて…。居残りもたまにはいいかも、なんて思ったのは私だけの秘密。

余談だけれど、大嫌いな理科のお蔭で、次の日には彼の私への呼び方は「」から「」へと変わっていた。





― Fin





あとがき>>夢で見たものを小説にしてみました。でも夢で見たお相手は全くわからない男の子だった。…一体誰だったのか、同級生とかじゃなかったのは確か。うぅむ、なんかよくわからんが、ゴメン(?)ちなみに爆発は実話。あたしが爆発させたわけじゃないけどね!

2006/05/01