小さい頃に聞いたおまじない。
そんなの小さい頃のあたしをからかうための材料にすぎなかったのかもしれないけど。
あのね、小指の爪を1センチ伸ばして、願い事をしながら切るとね、その願いが叶っちゃうんだって。
それを未だに信じて、今回やってるあたしは、バカなのかもしれないけど、どうしても叶えたいから―――。
きみの て あたしの て
九月二十五日は、好きな人の誕生日だった。彼はウチの学校のテニス部で唯一の二年生エースと言われている凄い人で。クラスの中でも明るく楽しいと評判の人だった。そんな彼に恋心を抱く女の子は少なくない。あたしも、そのうちの一人だった。
出会いは、入学式の日。初めての制服。初めての校舎。此処が三年間過ごす、学び舎。友達出来るかな。とか授業ついていけるかな。とか色々期待に胸躍らせて。校舎脇に咲いていた桜にお祈り。
"あのね、小指の爪を1センチ伸ばして、願い事をしながら切るとね、その願いが叶っちゃうんだって。"
小さい頃友達に言われたおまじない。あたしの願いは―――
「友達、出来ますように―――」
前もって持参していた爪切りをポケットから取り出して、何度も何度もお願い事を呟きながら、この日のために伸ばしていた小指の爪。パチン、パチンと爪を切っていきながら、形を整えて。終了。友達、出来ると良いな。淡い思いを寄せた。自然と口角が上に上がっていくのがわかったけど、あたしに止めることは出来なくて。思わず笑顔が零れた。
「…なあ、それって効くの?」
すると、頭上から突如聞こえてきた、声。驚いて上を見上げれば、一人の男の子。な、にしてるの!って言えば、彼は木登りなんて平然と答えながらさして高くない木からひょいっと下に下りてきた。それから、あたしの指を見て。また、問いかけられた同じ質問。「そのまじないって効くの?」と首を傾げながら。少し中央に寄った眉が、何とも胡散臭いと言葉にしているようだった。密かに信じているおまじないを見られたこと。そして、願い事まで聞かれていたことにあたしの顔は見る見るうちに真っ赤になった。
「中一になってまじないかぁー」
女ってほんと物好きだよな。と後ろ頭を掻きながら大あくび。恥ずかしさの余り泣きそうになった、そこに居辛くなって、あたしは何も言わないまま踵を返すと、勢い良く足を動かした。気分は競歩、だ。一刻も早くこの場から立ち去りたかった。恥ずかしさの余り顔から火を噴きそうだった、とはまさにこのこと。いそいそと元来た道を戻ろうとする。と。「なあ!」後ろから聞こえてくる、さっきの少年の声。でも、顔が向けられない。少年はそれでも構わないようだった。もう一度大きな声でなあって言ったかと思うと、スウ、と息を吸う音。
「俺がなってやるよ!友達第一号!」
突然の言葉に、耳を疑った。思わず、え、と声が漏れて振り返る。そうすれば笑顔の少年。彼はあたしのほうに歩み寄ってきた。あたしはそのまま動けないから、当然距離が縮まる。「何…」なんて言えば、彼がニっと笑った。
「だから!俺がお前の願い事叶えてやるって!今から俺らは友達!な?」
「ほ、ほんと?」
「おー!俺の名前は赤也!切原赤也。お前は?」
赤也で良いぜ、と言う彼が。ニッと元気に楽しそうに笑う彼が。そのとき眩しく見えたのは、きっと、太陽のせいなんかじゃないと思う。
「……!」
「オッケ!な!」
それが、彼、切原赤也との出会いだった。
「あれから一年半かぁ」
長いようで短かったこの一年半。あのとき祈った願い事は、赤也の「友達第一号」と言う言葉で見事叶った。それからも最高の滑り出し!とは行かないけど、沢山の友達が出来た。赤也は人見知りなあたしとは違って、とても人懐っこい性格で、すぐにクラスの中心になった。そんな彼と仲良くしてもらえて、彼伝手で友達も何人か出来た。一見怖そうな顔つきの原さんなんてきっと赤也の紹介がなければお近づきになんてなれなかったと思う(でも喋ってみるとすっごく可愛いんだ。第一印象って当てにならないってほんとだって思ったよ)きっとあたしの友達が出来るきっかけになったのは赤也と言っても過言ではない。きっと、あそこで出会ってなかったら。きっとそれから同じクラスにならなかったら、此処まで充実した日々は得られなかった。そんな彼は、あたしの中で「友達第一号」であり、「救世主」であり、「憧れの存在」だった。それなのに、いつからだろう。そんな彼に恋心を抱いてしまったのは。あたしと赤也とじゃ月とすっぽんだと言うのに、「いつか恋人になれたら」なんて願ってしまったのは。…ほんとに無謀だと自分でも感じている。でも、もう止められないから。
"あのね、小指の爪を1センチ伸ばして、願い事をしながら切るとね、その願いが叶っちゃうんだって。"
小さい頃に何度も聞いたおまじない。年を重ねるにつれ、そんなの嘘だとかただの噂だとか、叶ってもただの偶然だとかで周りからいつの間にか聞かなくなったおまじない。バカバカしいって思わないわけじゃないけど。でもね、もしかしたら…入学式のときみたいに、叶うかもしれないじゃん。そう、思うんだ。他力本願だって、気づいてないわけじゃない。でも、でもさ。何かに頼らずには居られないんだよ。…怖いんだ。何もなしでこの気持ちを伝えて、赤也との関係が一気に壊れてしまうのが。だから、占いに頼って、おまじないに頼って、それで告白して振られたらさ、辛くないわけじゃないけど。それでも、「ああ、結局おまじないなんて当てにならないんだよね」って少しだけ、傷が癒せるような気持ちになると思うんだ。そんなこじつけをしてじゃないと、告白出来ない。…臆病者の考え方。今日は、九月の二十五日。赤也の誕生日に告白しようと決めた。今日の占いは決して良くなんかなかったけど、それも理由の一つ。良くない結果だから、もし振られてもやっぱりなって思うことが出来るって思った。
どきどきと胸がこれ以上ないくらい早く波打つ。話したいことがある。って言ったら赤也は?と不思議そうな顔をしていたけど、きっと「誕生日プレゼントについて」とかなんとかと思ってるに違いない。きっと、あたしが告白するなんて微塵も思ってないんだ。だって、あたしは良くも悪くも赤也にとって「友達第一号」であってそれ以上でもそれ以下でもないからだ。小指の爪を見つめる。赤也に告白すると決めて伸ばし始めた小指の爪。1センチほどに伸びたそれをじっと見つめて、深呼吸をする。深呼吸を終えた後鞄の中に入れっぱなしのポーチからミニ爪きりを取り出す。…あの時願ったものは「友達が出来ますように…」そして、今回願うのは。
「あたしの気持ちが、赤也に伝わりますように―――」
決して両思いになれますように。とか、彼女になれますように。とかは言えない。おまじないで叶っても空しいだけだと、気づいているから。パチンパチンと爪を切りながら何度も何度も同じ言葉を繰り返す。一年間分の気持ちを込めて。最後に形を整えて、小さく深呼吸すると、カタ、と小さな音があたしの耳に通った。
「…あか、や」
そこに経っていたのは自分が呼び出した、赤也本人だった。赤也の姿は今まで部活をしていたからだろう、まだレギュラージャージのままで。額に光る汗をみると、試合が終わった直後に来てくれたんだということが窺えた。赤也は開いたドアからスッとあたしの前までやってくると「何話って」と言葉を続けた。…のもつかの間、別の方を一瞥して。
「なんだよ、またやったのか?」
パっと振り返れば、すぐに赤也の言いたいことがわかった。赤也の目に映っているのは、無造作に置かれた爪きりと、丸めたティッシュ。おまじないをやったことはバレバレで。あたしは隠すのも出来ないまま、うん、と小さく肯いた。赤也の顔を見ればまた呆れたような表情。「ほんと好きだよなぁ」なんて言いながら、額の汗をジャージで拭う。そんな、赤也にとっては何気ない一つ一つの仕草でさえ、あたしは目が離せなくなる。
「どうしても、叶えたかった、から」
ポツ、と呟くように落とすと、赤也の瞳があたしを捉えた。どうやら、いつもと違うあたしを感じ取ってくれたらしく、赤也の顔もマジになる。「…、今日の話って」さっきとは違う声色のそれにドキドキする。ああ、世の中の告白する子の気持ちってこんなんなのか…冷静じゃないのに、どこかぼんやりとそんなことを思った。
「赤也、あのね。あたし…」
そんなに遅い時間じゃないはずなのに、もう夕陽色に染まった教室は、いつまでも夏なんかじゃないんだと語っているようだった。いつの間にかもう秋の季節を感じさせる。最後になるかもしれない、誕生日プレゼント。それを考えると、手が震えだす。まだ、伝えてもないのに、涙が出そうだった。言葉にしたくて、赤也に知ってもらいたいって気持ちは強いのに、拒絶されたらって思うと怖くて出ない。どんな理由をつけたって、だめもとだよ!と弱気に考えていたって、結局は臆病者だ。カタカタと唇が震えて言いたいことも満足に言えない。弱虫。
「あたし、あの…」
ツン、と鼻先が痛くなる。ああ、あたし今、泣きそうだ。そう感じて涙をぎゅっと堪えた。すると、触れる、手。
「え」
赤也の手だ。バっと顔を上げて赤也を見れば、そこに見えたのはいつもの元気そうな顔じゃなくて。莫迦面でもなんでもなくて。優しそうに笑う、君の顔。初めて見る表情にドキドキが止まない。さっきの不安もまだ少しあるけれど。
「言えよ。ゆっくりで良いから。…待つから」
言ってくれる言葉に安心、した。まだ震えは止まらないけど。それでも落ち着く言の葉に。
「あたし、赤也のこと、好き、なの」
ずっとずっと好きだった。
そう言ったら、握っていた手がぐいっとあたしを引っ張って。あっという間に抱きしめられた。それから頭上で聞こえる言葉は「言うのが遅すぎだっつーの」って言うぶっきらぼうな赤也の台詞。はあ、ってため息をつきながら、でもしっかりとあたしを抱きしめて放さない力強い腕。感じるのは暖かな体温と、汗の匂い。
「もう、友達第一号は卒業な」
その言葉に、嬉しくて、涙が出た。
これからは恋人としてよろしく。そういってニッと笑う赤也は、一年前の彼と重なって、眩しかった。
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2006/10/01