ピーターパンシンドローム




「今、どのくらい進んだのかな」

携帯をポケットから取り出して、時刻を確認する。それからため息をついて、ゴロンと芝生の上に寝転がった。ポカポカと日光が全身を包み込むような感覚。暖かさに思わず眠気が襲ってくるほど。全身で太陽の光を浴びながら、あたしは欠伸を漏らした。先日まであんなに寒かったのに、嘘のように今は暖かい。春の訪れを感じずにはいられなかった。それと同様に、今日は最高の卒業式日和になったことだろう。あたしは今度はため息をついて、ゴロっと横向きになった。

なんで、卒業なんて、あるんだろう

思わずにはいられない。大人になんかならなくて良い。まだ、子どものままでいたい。色んな考えが頭に過ぎる。でも全て思いつくのは、大人になることへの拒絶だった。

「なーにやってんだよ?」
「……ブン太?」

すると、いるはずのないブン太の声が聞こえた。あたしは横になった体制を仰向けに変えて見つめる。日光が目に入って、眩しかった。目を細めて見やれば、ブン太が呆れたような顔を浮かべながら、大好きなガムを膨らませていた。

「ったく、今日は俺達三年の晴れ舞台だぜぃ?」
「……」
「出席しなくってどうすんだって」

そんなの、わかってる。中学最後の式。今までの三年間を締めくくる、大切なモノ。わかってる。だけど、今のあたしには出れるモノではなかった。だって、こんなにも卒業と言う二文字を嫌ってるのに。



あたしを見下ろすブン太の顔は、暗く影を作っていて、そして太陽に背を向けた形だったので良く見えなかった。それでも、その声からは、呆れたままのようで。でも、何処か暖かな声色だった。「何で……ブン太、いるの?式は?」そう言えば、ブン太はまた呆れたようにため息をついた。あたしは何だかブン太の顔が見れなくて、顔を背ける。そうすれば、またブン太が息を吐いて、あたしの隣に腰掛けた。

「式始まる前、お前が列から外れてどっか行くのが見えて、気になって後つけたの」

はーあ、って言いながらブン太があたしと同じように寝転がった。あたしはブン太の言葉に耳を疑って、ブン太を見つめる。ブン太は上を見たままであたしのほうに顔を向けなかった。

「……なんで、放っておいてくれれば、良いのに」
「放っておけるわけねぇだろぃ?だって、お前今にも死にそうってか、捨てられた犬みたいな顔してたし」

思わず、反応してしまった。そんな顔していたのか。無意識にここに来ていたあたしは、ブン太の言葉にかなり驚いた。しかも、そんなことだけで、ブン太が来てくれたことに、嬉しさを隠し切れなかった。……期待しちゃ駄目だって言うのに。

「……式、出ないのかよ」
「何、言ってんの。もう始まって何分経ってるって」

思ってるの?あたしはブン太のほうに向かって横になった。ブン太はやっぱり上を見ている。時折ガムを膨らませる。すると、膨らませすぎたのかガムがパンと音を立てて割れた。それを口の中に入れて、ブン太が噛む。それから数回口を動かした後、やっとブン太があたしのほうを向いた。

「それがなんだってんだ」
「え?」
「今から出りゃ良いだろぃ?」

そう言って、にかって笑うものだから、こっちは唖然としてしまった。今からって。はっきり言って無理に近い。教室で遅刻したときにバレないように後ろからこっそり入るのとは訳が違うのだ。あたしの眉が無意識のうちに中央による。それでもブン太は意見を曲げなかった。「よっ」と、声を漏らしながら器用に起き上がる。

「ほら!行くぞ!」
「え、ちょ……!」

それから呆然と寝転んでいるあたしの手を掴んで、引っ張り上げた。本当に一瞬の出来事。吃驚しながらブン太を見つめる。ブン太は満足げに笑っていた。そして、やっぱり呆然と立ち尽くすしかないあたしの髪にブン太は手を伸ばす。次に優しい手つきであたしの髪を撫でた。どうやら、草が着いていたらしい。あと、ゴロゴロと何度も寝返りを打った所為か、頭はぐしゃぐしゃになっていた。それをブン太は直してくれたらしい。

「ほら、」

そう言って、差し出される手。その手を取っていいものなのか、あたしは躊躇った。少し前に出した手が、また脇の横に戻る。ブン太はソレを黙って見ていた。

「……あたし、やっぱ……出ない」
「何で?」
「……式に出たら、卒業を認めることになる」

卒業式に出なくても、卒業したことにはなってしまう。そんなこと頭ではわかっていた。でも、上手い具合に心はついていかない。卒業したくないものはしたくないのだ。だから、あたしは最後まで、無駄な足掻きをしようと思った。本当に無駄な足掻きだってことは重々承知だけれど。それでも、これはあたしのプライドだった。

「卒業、そんなしたくねぇの?」

ブン太が、あたしの顔をじっと見た。あたしはブン太の問いかけに、頷いて肯定する。するとブン太は何か考えるような仕種をして見せた。それからまた小さなため息を一つ。

「なんで」

そして、またブン太からの問いかけ。
応えようかどうか、戸惑った。でも言わなきゃきっとブン太は納得してくれない。長年の付き合いでわかってしまった。

「……過去の、ものに……したくないの」

ポツリと吐き落とすように言葉を紡いだ。ブン太は何も言わない。何だか居心地が悪かった。ブン太を見れば、ただあたしを見るだけ。続きを待っているんだってことが解かった。

「中学三年間を、あたしはまだ、終わりにしたくない。思い出になんかにしたくない!……大人になんか、なりたくない……」

一言言えば、まるで噴水のように言葉が噴き出してきた。もう、自分では止められなくて、どんどんと言葉を並べる。もう、ブン太の顔色を窺うなんて余裕がなくなっていっていた。

「子どものままがいい。みんなで馬鹿やって。他愛も無いことで笑い合って。そりゃ、高等部に行けばまた同じ面々が揃うかもしれない。永遠の別れじゃないってこと、わかってる…!だけど、それでも、中学3年間って言うのは、もうやってこない。もう同じ時はやってこないんだよ。そう考えたら、あたしはまだ、卒業したく、ない。中学三年の自分達とさよならしたくないの…!」

だんだん、涙が込み上げてくることに気づいた。喉が熱くなって、上手く声が出せなくなる。唾を飲み込むのが一苦労だった。

「あたしは、まだ……まだ、やってないこと、沢山ある。あたしは、もっと……ブン太と―――」

そこまで言って、あたしは我に返って口を閉じた。勢いに任せて、言いそうになってしまった。すると、ブン太は?と首を傾げる。行き成り静かになったあたしを疑問に思ったみたいだった。それに、最後に聞こえた自分の名前とその続きが、気になったようだ。

「俺と?」
「なんでもない」

不思議そうに疑問を吹っかけてくるブン太。でも、これは言えない。あたしは断固として口を開かなかった。そうすれば、ブン太は諦めたようだ。こうなったあたしにはもう何を言っても無駄だって、きっと気づいたからだろう。本日何度目かのため息をブン太がつく。

「で……言いたいこと、終わったのか?」
「………うん、」

暫く沈黙が流れた後、ブン太は自分の後頭部を撫でた。それからあたしは頷くと、そっか。とブン太が続ける。ブン太はそう呟いた後、上を見上げた。今も尚雲ひとつない快晴の空。さんさんと照りつける、太陽に視線を向けるブン太。それから、すう、と息を大きく吸い込んで、あたしを見た。

「じゃあ、ここからは、俺の番」

いつになく真剣な顔と声に、思わずごくりと喉が鳴った。黙って見つめると、ブン太はそれをOKのサインだととってまた息を吸い込む。静かさが、不気味だった。

「……俺は、と卒業したいぜぃ?」

紡がれたブン太の言葉にきゅっと口を強く結ぶ。言いたいことがあった。人の話聞いてたのかって。だけど、俺の番って言われたからには、口出すことも出来ず、ただブン太を見やる。

「俺もさ、子どものままで居たいとか、卒業したくねえって言うの気持ち、わかる。楽しかったもんなー」

ブン太の一言一言がずしりと重く圧し掛かった。……涙が出そうになった。

「でもさ、やっぱ、このままではいらんね。だったら、俺は、記された自分の道をちゃんと通りたい。これから、色々変わるかもしんねえし、不安が無いって言ったら嘘になる。はっきり言って、俺だって大人になんの、怖い。子どもの方が多分気が楽だって思う。けど、そう言って、ここにずっといたら、逃げたことになる。俺、負け犬は嫌だ。だから、式に出る。でも、一人はちーと怖いんだよなー」

ははって、笑いながら、ガムを膨らます。

「だからさ、。二人で挑戦してやろうぜぃ?ほら、良く言うだろぃ?旅は道連れ、仲良しこよしって」

それを言うなら、旅は道連れ、世は情け。だ。あたしはブン太らしい間違いにふっと小さく笑みを浮かべた。そうすればブン太も一緒になって笑う。

「だから、行こうぜぃ」
「でも、途中なのに」
「良いじゃん。行き成り入って、吃驚させてやろーぜ!んで、どうどうと卒業証書貰うんだ!な?俺って天才的だろぃ?」
「……馬鹿なだけだよ」

だけど、そんなブン太がとっても輝いて見えた。眩しく光って見えた。それは太陽の光の所為じゃない。あたしは苦笑を浮かべて、また差し出されるブン太の手に目を落とした。そして、考えた後、おずおずとその手に自分の手の平を乗せる。すると、ぎゅっと握られた。

「よし!いざ突撃!」
「……ねえ、ブン太」

引っ張られながら、体育館へと向かう。あたしは握られている手を見つめながら、小さく声を出した。……ブン太が振り返る。

「卒業式、終わったら……さ、」
「あ?」
「……話したいこと、あるんだ。……良い?」

じっと、ブン太を見つめて、ブン太の返事を待つ。ドキドキした。バクバクと心臓が飛び出そうなくらい、ビクビクもした。ブン太は器用にあたしのほうを向きながら、歩みをやめない。

「おう!俺もに話したいことあっから」



それから、あたしに向けて笑ってくれた。ここで初めてあたしはブン太の手を握り返した。前を見れば、体育館の扉は目の前にある。あたし達は、一度立ち止まって、顔を見合す。それから、また笑い合って、重々しい扉を一斉に開いた。





― Fin





あとがき>>とりあえず両思いの話。卒業って、楽しければ楽しい分だけ、したくないって思っちゃいますよね。ヒロインもそんな心境だったのです。中学の、ブン太に片想いをしている自分とさよならしたくなかったのです、多分。
2005/03/13