ラスト・ブルー





「のう、聞いたか?」
「何ですか、仁王先輩」
「丸井が隣のクラスの子に告白されたらしいぞ。しかもその相手とやらが凄くすごーくべっぴんらしい」

仁王先輩の台詞に、わたしは持っていたスコアブックを思わず落としそうになってしまった。
けれどそれを寸でのところでぐっと堪えると、ぎこちなかったであろうが笑顔を浮かべ仁王先輩を見上げる。

「へえ、そうなんですか。そうですね。うちの部女子に人気がありますから」
「んー、まあそれなりにそうかもしれんのう。皆告白なんて日常茶飯事…まあ若干名例外はおるが。ブンちゃんの場合餌付けすればすぐ仲良うなれるしなあ」
「まあ、丸井先輩…甘いものに目がないですから」

語尾の方が上ずってしまったのを、きっとこの目の前の先輩は気付いたと思う。切れ長な瞳が、可笑しそうに三日月型に細められた。
それでも仁王先輩の性格上、言ってくる事などなかったので、わたしも敢えて気付かぬふりをする。

「お、そうこうしとるうちに色男さんのお出ましじゃ」

仁王先輩が視線を投げた方向―――部室のドアのところには、先ほどの噂の的が立っていた。
心なしか、頬が赤いように感じられたのは、きっとわたしの気のせいではないと思う。仁王先輩曰く"凄くすごーくべっぴんさん"ならば当然の反応と言えば当然。
それでもわたしはショックを隠しきれなかった。丸井先輩にそんな顔をさせる女性(ひと)。それでもわたしは丸井先輩にとってただの一後輩、マネージャーでしかないから、あからさまに落ち込み過ぎてもおかしな話だ。それに丸井先輩からしてみれば、なんでお前が?ってなってしまう。
一呼吸の後、わたしは微笑を浮かべると、丸井先輩に向かって話しかける。「どうでした?」と。
丸井先輩はまんざらでもないような、けれど少し困惑した様子で、「うん、まあ…悪くはなかった」とだけ呟いた。
もしかして。最悪なパターンが脳裏をよぎって、わたしは間髪入れずに問いかける。

「じゃあ、返事は」

OKなんかじゃありませんように!
醜い感情が心の中を占領した。本当穢いな、って思うけど、それでも…譲れない想いだ。出来れば丸井先輩の彼女への返事がNOでありますように!と強く願う。けれどもわたしの気持ちとは裏腹に、丸井先輩の返事は

「いや、しばらく待ってもらう事にした」

という、何とも曖昧な返答だった。わたしはその答えにOKでなくて良かったと喜ぶべきなのか…けれども待つと言う行為は、裏を返せばYESにもつながる可能性があるわけで。そう考えるとやっぱりわたしは手離しには喜べず居た。その間に、同じ部活仲間である切原君ががちょちょいとやってきて丸井先輩へと尋問するが如く

「でっ、でっ?もう答えってのは出たんスかッ?」

好奇心旺盛、と言った風な面持ちを隠すことなく丸井先輩へと熱い眼差しを浴びせる。
丸井先輩はそんな切原君に少し呆れながら、ため息交じりに「そんなすぐに答えなんて出ないってーの」と素っ気なく返事を返した。その返答にすかさずつっこんだのは柳先輩だ。

「そんなこと言いつつ、内心悪い気はしていないだろう」
「いや、まあ悪い気はしねーけどよ」
「丸井先輩この前好きな人いないっつってたじゃないッスかー!なら絶対OKっしょ!」
「そんな事言われてもなあ」

問いかけられた質問への返事は至極面倒そうだったけれども、表情を見ればやっぱり丸井先輩はとても嬉しそうで。さっきの悪い気はしないって言うのは本当なんだろうなって解る。
でもそんな事より、切原君の言った"好きな人いない"と言う言葉が、わたしの心に突き刺さった。別に、少女マンガの王道のように丸井先輩も以前からわたしを…なんて、ご都合主義に考えるほどわたしは自分に自信があるというわけではないし、自惚れてもいない。
けれども、現実を目の当たりにして、苦しかった。

わたしはもう会話になど入る余地はなく、着替えをするだろう皆の邪魔にならないように(と言うのは建前で、本音はその場に居たくなかった)、「じゃあ少し席外しますね」と部室を出た。
部室内からは困った声、戸惑った…けれども嬉しそうな声を繰り返す丸井先輩の声が聞こえてくるが、今や台詞の意味など頭の中へは入って来ない。会話の応酬を何度となく繰り返した後、雑談と着替えは終わったようだった。余りにも長いしていると副部長に怒られるのではないかと、誰かが意見した瞬間、楽しげな雑談は終わりを告げて、数秒も経たないうちに部員が室外へ出てきた。
そんな彼らを見送って、なす術なくしているわたしに気付いた丸井先輩は視線をやると、コートへ向けた足をくるりと反転させ、わたしの方へと笑顔で駆け寄ってきた。屈託ない笑顔。初めてあった時には見せてくれなかった無邪気な笑顔の後、紡がれるのは「」ってわたしを呼ぶ声。

「なあ、部活後相談乗ってくんね?」
「…そうだん、ですか……何の?」

今回の告白の件だと言う事は解っていた。けれども敢えて気付かないふりをして、少し突き放したような言い方をしてしまった。
可愛げなくてしまったと思ったけれども、丸井先輩は気付かなかったようだ。わたしの言葉に先輩は少し困惑した表情を浮かべると、

「いや、…まあ、なんつうの?俺女子ってどういう風に扱えば良いかよくわかんねーし」
「…そういうの、仁王先輩の方が向いていると思いますけど…」
「いやいや、確かにあいつ良くわかってると思うけどよ…女の子の意見っつーの?聞きてぇじゃん」

そんな事言ったって、受けるも蹴るも、丸井先輩次第だと思う。
わたしが辞めた方が良い、とか似合ってると思いますよ。なんて言って、左右される問題ではない。
ううん。そんなのは綺麗事だ。ただ、わたし自身、好きな人から恋愛事の相談を持ちかけられる事が、辛いだけ。

「……ダメ?」

返事をしないわたしの機嫌を伺うような声が、降ってきた。少し背を倒して、わたしの顔を覗きこんでくる先輩に。
絶対嫌です。
なんて、誰が言えようか。負の感情がわたしの心を支配するけれど、それでも次のわたしの行動は決まっていた。







!わりぃ、待ったか?」
「いえ、仕事してましたから…大丈夫です」

部活が終わったら待ってろと言われた為、わたしは部室の奥の部屋で仕事をしていた。
…何もしないでぼうっと待っていると言う事態が嫌だっただけだ。―――と言うよりも何もしないと丸井先輩の事を考えてしまいそうで、そして、考えれば考えるだけ気持ちを抑える事が出来なくなりそうで。それが怖くて、わたしは必死に手を動かしていたら、仕事が進んでいただけなのだけれども。

「それで…」

なかなか切り出さない丸井先輩に、わたしはしびれを切らして問いかけると、先輩は少し言いづらそうにはにかみながら「ああ。まあも知ってるけど、俺告られてさ」
「知ってます。仁王先輩から聞きました…凄く、美人さんだ、と」
「あー…まあー…そうなんだけど

丸井先輩の言葉一つ一つが今のわたしの心をえぐっているなんて、先輩は気付きもしないだろう。
それでも、相談事をOKした瞬間から、こうなることは解りきっていた事。耐えるしかないのだ。
こんなに、こんなに辛いのなら、いっそ丸井先輩への想いなんて消えて無くなってしまえばいいのに、と思うのに。それでも、好きなんだ。

「実は……まあ…俺、断ろうと思ってるわけよ」
「…振る、って事ですか?」
「んー…言葉変えて言えばな」

その顔は彼女が嫌いで、とかそういう事ではないと、理解した。「どうして」自然な疑問が口をついて出ると、丸井先輩はまた言いづらそうな表情を浮かべると、わたしを一瞥してしばし黙りこんだ。何をそんな悩む必要があると言うのか。告白してきた相手を断ると言う事は、その人が自分のお眼鏡に叶わなかった以外、考えらけれども、どうしてと聞いたのはわたしだ。待つ事しか選択肢はない。すると丸井先輩はようやく口を開いて「まあ…なんつーか」と右手で口許を押さえながら、言いにくそうに話し始めた。

「俺、好きな奴とかって、まじいねーんだよ」
「それも、知ってますけど…だったら付き合ってみよう、とか思うと思うんですが…それとも好きじゃないから相手に悪いと言う事ですか?」

少し時間をおいて考えてみて、それからほんの少し付き合って、相手の事を良く知ってから結論付けても遅くはないのではないか。
その言う意味合いの事を述べた。実際、お前に言われたから付き合う事にしたわ!なんて言われたら、泣き崩れそうだけれども、それでも、今ここでわたしの気持ちを丸井先輩へ伝える事等出来るはずもない。
それに、期待もあった。いずれ、わたしが想いを伝える事が出来たとき、そういう風にもっとしっかり悩んでくれたら。とか、そういう。

けれども、わたしの期待を裏切る様に、丸井先輩は今までで一番残酷な一言を、ためらわず口にした。


「つか、俺今は恋愛で、右往左往するより、とりあえず今はテニスの事だけ考えてーわけ、で」


しん―――と、心が冷えてゆくのと、「ああ」と短い言葉を走ったのはほぼ同じだった。
だってわかって、しまったのだ。
この先、わたしがどんなに丸井先輩を好きで居ようと、この想いは丸井先輩にとってただの重荷で、伝わる事のない感情だと言う事が。

そう言った意味で吐き出した「ああ」は丸井先輩には"納得"だとか"同意"だというようにとられたようだった。
共感してくれる仲間を見つけてほっとした様子で、わたしの大好きな笑顔を浮かべている。

「良かったぜぃ。に相談して!なら俺の気持ち解ってくれるだろうなーって思ったんだよ。…仁王辺りは、お子様じゃのーとか言いつつ馬鹿にしそうだろぃ?」

だから、相談するならって決めてたんだと、快活に笑った。ようやく喉の奥の小骨が取れたような、解放感にも似た晴れ晴れとした笑顔。

"無邪気っちゅーのは、もっとも残酷な邪気やのう"
そう言葉にしたのは、仁王先輩だったと思う。その時の仁王先輩は何が言いたかったのか解らなかった。だって、無邪気って、長所じゃないんですか?そのような風に返したと思う。―――けれど、今なら、その真意がわかる。
確かに、無邪気は―――罪だ。

「丸井先輩がの気持ちを、素直に言うのが一番だと、思いますよ」
「そっかあ?でもよー、テニスが一番だからーなんて言ったら傷つけることになるんじゃね?」
「確かに、傷つくとは思いますが……でもわたしは、遠回しにしていると余計期待を持たせてしまって、相手を更に傷つけることになってしまうと思いますから…」
「そっか…」
「そうです。…だから、素直に言うのが、わたしは一番傷つけない選択だと、思います」

半ば、自分に言い聞かせるような、台詞だった。
丸井先輩にアドバイスをしているようで、―――本当は自分に強く言い聞かせていたのではないかと、思った。

「そっか!…うん、に相談して良かったぜぃ!さんきゅうなっ。あ、それと…この事は」
「解ってます、秘密、ですよね?」

何とか笑顔を作って、口許に人差し指をやると、先輩も同じ仕草をした後、わたしの頭をくしゃりと撫でた。本当にありがとな、お前は自慢の後輩だよ。と目が、優しいはずなのに、わたしの心はズキズキ痛んだ。







「…よ」
「…におう、先輩」

あれから丸井先輩と別れたわたしは、帰る気になれず部室に居た。まだ仕事が少し残っているんだと、適当な理由をつけて。
丸井先輩は残ろうかって言ってくれたけれど、今はただその優しさが痛かった。最後の精一杯の演技で笑顔を作ってどうにか先に返ってもらい、―――そして部室には静粛が訪れる筈だった、のに。
カタン、と小さな音を立てて振り返ると、そこには仁王先輩がいた。「…よ」の後、先輩は何を言うでもなくわたしの隣まで歩いてくると、椅子に座っているわたしを見下ろした。

「…振られ、ました」

勿論、丸井先輩には告白なんてしていない。けれど、実質振られたようなものだ。
今の彼には、わたしは映っていない。彼を魅せているのは―――テニスだけだ。これから先、わたしはこの締め付けられる気持ちを隠したまま部活に出なければならない。いつか、わたしの心が丸井先輩ではない誰かに魅せられるようになる、その日まで。

「…さよか。…
「………」
、泣いても、よかよ」

その声は優しくて、どこまでも、優しくて。
この人は、全てを知った風に、包んでくれる。
それなのに、脳裏に浮かぶのは、やっぱり丸井先輩で。

「っ…ふっ…ぅ」

慣れた仕草でわたしの頭を引き寄せると、自分の胸にわたしの顔を押しあてた。
それから、ぽんぽん、とまるであやすようにわたしの頭を規則正しく叩く。
ぶわり、
目の前の布が、溢れだした水をふき取るけど、。



それでも、わたしから出る水は、しばらくは止まってくれることはなかった。





― Fin





後書
久しぶりの夢が、悲恋で申し訳ないです。そしてブンちゃんの扱いが雑ですんません。一応、丸井夢ですが、図的にはテニス←丸井←ヒロイン←仁王。テニス最強やん。今年最後の締めくくりがこんなんで申し訳ありません…(笑)
2011/12/31