学校からの帰り道。いつもの公園を目指して、走る。公園の入り口で立ち止まり、息を整えながら辺りを見る。
―――季節は、冬。空こそ晴れてはいるものの、吹く風は冷たく、人の影はほとんど見えない。そんな中でベンチに座っている人影を見つけて、ゆっくりと近づいた。

「遅くなった?」

と言葉を紡いだ後軽く片手を上げながら挨拶をする。それが聞こえたのか、その俯いていた人影――も顔を上げ「……ううん」と、かぶりを振った後、同じように軽い挨拶を返してきた。

「ううん」と否定をしただけれども、それが嘘だと言うことに僕は気づいた。待っていたのが解るほど、彼女の顔が紅潮していたからだ。公園のベンチに座って、ただ一人。吐く息は白く、きっと体は冷たくなっているに違いないと思った。それでも、彼女はいつだってこの公園で、そしてこのベンチに座って僕を待ってくれている。
何故、彼女はそうまでして僕を待ってくれているのか、時々考えることがある。その考えの先の答えにも僕は何となく気づいていた。それは、が僕に向ける熱い視線。好かれている、なんて自意識過剰な想いだと思ったけれども、でも、きっとあながちはずれじゃないだろう。
そんな熱の篭った瞳で見つめられているけれども、僕はこの関係を自ら動かそうとはしなかった。心のどこかでこの関係を壊したくない、と思っているからだろう。…また、彼女を試しているのかもしれない。とも思っていた。

「ごめんね、引退した部活の顧問から緊急ミーティングがあるって呼び出されて」
「ううん、大丈夫」

は僕の入っていた部活の事を知っているから、随分聞き分けのいい様子で言葉を紡いだ。僕らの出会いはその部活の試合中、だったからだ。本来なら他校生の僕とが仲良くなる事など、中々にありはしなかっただろう。けれども、偶然が偶然を呼び、今ではこうして二人で会う関係にまで発展していた。
でも、僕らは決して付き合っている、と言う艶めいた関係では無かった。あくまで、友人。それが彼女と僕を指す適切な間柄だろう。

僕は先に買ってきていた缶の紅茶を彼女に手渡す。遅れてしまったお詫び、のつもりだ。「はい」といつもの彼女が飲むレモンティーを差し出すと、はほんわりと安心したような笑みを浮かべて「有難う」とそれを僕から受け取った。その時に触れた、指先。冷えたそれに、先ほどの予想が確信へと変わる。きっと、何十分、いや時間単位で待っていたに違いない事に気づいた。

「やっぱり何処か暖かいトコロに入ろうか?」

そう提案する。これも結構いつもの台詞だ。けれどもはその問いには頑なに首を振る。今日も然り。「ううん、良いの」と弱々しく首を振るから僕は何もいえなくなる。二人そろって短めのベンチに腰掛ける。後数センチ近づいたらお互い触れてしまいそうな距離。でもその距離まで近づくことはお互い無かった。いつもほんの少し開く距離。それが今の僕と彼女を差す距離なのだと何となしに思った。

何を話すわけでもない。穏やかな時が緩やかに流れる。きっと周りから見たら何寒空のした座り込んでるんだ。とか変な目で見られそうな構図だったが、実際僕はそうは思わなかった。…こんなにも寒い時期でも、何故か暖かく感じる。それはの持つ独特の柔らかな雰囲気のせいだろうか。

「寒くない?」

冬になってからめっぽう増えた台詞。そうすれば彼女はすっと僕を見つめ、ぽつりと呟く。「大丈夫」と。それからはっと気づいたように

「あ、不二くん、もしかして寒い?それならやっぱり何処かお店に…」

これもいつもの台詞。優しげな対応に僕はゆっくりと首を振って「大丈夫だよ」と返す。そうするだけでホラ、彼女は笑みをくれるのだ。何故にそんなに嬉しいのだろう。時々不可解に思うこともある。

大丈夫、とは言葉にしていたがそれが嘘だと言うことにも気づいた。次の瞬間にはぶるりと身震いして、いかにも寒そうに手を擦り合わせていたのだから。何故、こうも気を使うのだろう。冷たい風が容赦なく吹き付けると言うのに、彼女は断固としてこのベンチから動こうとはしない。「本当に大丈夫?」と問いかけるが、愚問だ。今日はいつもより風が冷たいような気がするのにも関わらず彼女の応えは絶対「大丈夫」なのだ。

暫く経って、やっぱり僕らは公園のベンチに座っていて。ふっと、彼女が陰を落とした。伏せた睫毛が弱々しく震えている。「どうしたの?」と問いかければ、がぎゅっと唇をきつく結うのが解った。それからぽつり、と話し始めたのだ。

「今日は、聞きたいことがあるんです」

いつもと違う、敬語。話し方に真剣さがそこにあって。もう一度きつく唇を合わせると、数度口を開いては閉じを繰り返して見せた。―――そして、もう一度僕を見据える。意を決したような表情に、少なからず僕の鼓動は騒ぎ出す。けれども僕は平静を装った。

「何?答えられることなら、何でも答えるけど」

そう言えば、は一瞬だけ身を固くするのがわかった。今までにない重い空気にほんの少しの居心地の悪さを感じるが、僕はその空気の正体に何となく気づいていたからそう思ったのかもしれない。そして、の口がスローペースで動き出す。ゆっくりと紡がれていく言の葉に、心臓が高鳴った。

「――…好きな人って、居ますか?」

やっぱり。それが正直な感想だった。見つめればぎゅっと口を結い続ける彼女がいて。その瞳は渇望しているようにも、見えた。僕の意見を求めている。
正直なところ、どう応えればいいか、わからなかった。どれが正解でどれが不正解なんてそんな論理はありはしないのだけれども、咄嗟に出ては来なかった。この空気の正体を何となくわかっていたというのに、だ。問いかけられる質問が、それ系統であったということにも気づいていたと言うのに、だ。

好きな人。の言葉が頭の中を反芻する。例えばそれがLikeであるのならば少なからず居た。この目の前の少女も好きか嫌いかで判断するというのなら、間違いなく前者の一人だ。けれども今問われている『好き』は明らかにLikeではない事に僕は気づいていた。
彼女の『好きな人』を指すのは異性としての、好きだという事。
そう考えると、難しい。今まで恋人がいなかったわけではないのに、酷く難しい。今まで付き合ってきた人は全員あちらからの告白でスタートしたものばかりだった。それでもOKしたのは彼女たちの事が嫌いで無かったからだし、僕なりに愛していた…と思う。その気持ちを思い出しながら今問いかけられた質問の『好きな人』を考えると、出てくる答えは決まっていた。

「いない……のかな。よくわからないけど」

それでも結局、返せたのはそんな答え。何とも曖昧な返事。僕らしく無いと、自分自身思った。そうすれば、目の前の少女は一瞬顔を明るくさせて、でも何処か複雑そうな表情をした。先ほどの問いかけに『君が好きだよ』とかそういう甘酸っぱい台詞を期待していたのかもしれない。それでも、彼女に対する好きがLikeであると思われる以上、嘘でもそんな台詞言えなかったのだ。

「でも……どうして、そんなことを聞くの?」

話を進めるために、問い返す。そうすればは別の意味で顔を紅くさせて、困ったように眉根を寄せた。それからきっかり十秒間を置いて。

「私は……多分、いるんだけど」

静かに、そんな声が返ってきた。それから、ぎゅ、と拳を握る。不安な瞳が頼りなげに揺れているのに気づいた。

「でもこんな気持ちは初めてだから、どうすればいいかなって。男の子の意見も、聞きたくて」

少女の方は顔を伏せていて、その表情まではわからない。わからないけど――なぜだか、体が震えている気がした。今の意見を考えれば、その好きな人とは初恋と言うことになる。僕と彼女は同い年だから今年十八のはずだ。人と比べると遅い恋心に十分に戸惑っているようだった。僕はゆっくりと彼女の意見を聞き、「そっか…」とだけ言うと、顔を伏せた。

「僕もそんなに経験があるわけじゃないけど、それで良いなら…話を進めて?」

そう言えばは嬉しそうに、でも恥ずかしそうに笑んだ。「有難う」と続いた台詞に、ズキリ、と胸が痛む。でもそれは一瞬の事で、次に聞こえた心臓の音はどくんどくんと激しく動いていた。おかげで胸が痛い。理由はよくわからなかったけれど。「それで……どうすればいいのかな」次に問いかけられたの台詞に、僕は「まずの意見はどうなの?」と優しげに問いかけた。

何も気が付かなかったことにして、話を進める。ただ、相手の顔を見ることは出来なかったけど。そうすれば戸惑った様子で両手を絡め合わせて、

「やっぱり、告白とかした方がいいのかな。とか思う…けど。迷惑だったりしないかな、とも思う」
「好意を寄せられて嫌がる人なんて居ないよ」

はっきりとした声で言葉を紡ぐとは真顔でこちらを見つめていた。そんな彼女に、僕はやっぱり持ち前のポーカーフェイスで言葉を続けた。

「自分のことを好きでいてくれる人がいるって言うのは、支えになるから。その人が自分の事をすきかどうかは別として、でもそれでも…嬉しいと思う」

そこまで言ってから、ふと、顔を背けて、「まぁ、それまでの関係が壊れる……と言うか、変わるのは恐いんだけど、ね」私的な今の現状も織り交ぜて。ちらり、とを見つめると、どこか安堵した表情。「そっか…嬉しいもの、なんだね」勇気が出たようだった。最後に言った僕の台詞は勿論解ってはいるようだった。ふっと考えた(と思われる)後、彼女はようやくいつもの調子を取り戻したようだ。「よし」、気合を入れる声を紡いで、立ち上がる。それから数歩歩いて、僕を振り返った。その表情は笑顔。

「有難う、不二くん」

何処か吹っ切れたような顔に、僕はただ驚くばかりだった。僕は座りながら、うん。と小さく頷くことしか出来なくて。彼女の反応を待つ。そうすれば、僕に背を向けて、後ろ手で両手の指を絡ませる仕草をしながら、空を仰いだ。

「うん、確かに変わる事は恐い。…けど、頑張ろう、かな」
「そう」
「きっと、玉砕すると思うけど、もう止められないから」

言って、もう一度彼女が振り返った。その表情は今まで見ていた少女のあどけなさはなく、一人の、僕の知らない大人の女性のようなニュアンスを持っていて―――ドキリ、と胸が弾んだ。風が吹いて、彼女の綺麗な黒髪が踊る。顔に掛かりそうになった長い髪の毛を耳に引っ掛ける動作をして、また「ありがとう」と柔和に笑む。綺麗だ、と心から思った。

「それじゃあ、今日はもう行くね」

言って、彼女が背を向けた。その言葉に、ズキリ、と胸が痛む。行ってしまう、と気づいて、慌てて僕はその背に声をかけた。

「あ…最後に、一つだけ聞かせて」

そうすれば、ぴたり。と止まる足。けれども決してその顔が僕に振り向くことは無かった。それでも僕は立ち止まってくれた事で、次の台詞を声に出す。「その人って、どんな人?」心なしか、声が震えてしまった。それは、何故か。落ち着かない心で考える。
何故、彼女が僕を好いているのだと勘違いしてしまったのだろう。自意識過剰な気持ちではないと、何故高を括っていたのだろう。不安に駆られて、僕は余裕がなくなっていたのかもしれない。
問いかけた言葉に、やっぱり彼女は決して振り向かなかったけど、「どんな、と聞かれても困るけど…」と明らかに困った様子な声色が返って来て、そして、数秒後、それとは対照的な優しげな声が僕の耳に届いた。

「とっても優しい人です。…すっごく、すっごく」

本当に愛おしいと、その一言だけにどれだけの気持ちが込められているのかということに気づいた瞬間、ガツン、とまるで鈍器で殴られたような錯覚が僕を襲う。「……そっか」そうまで言われたらそれ以上何も言えない。結局、彼女の『好きな人』は僕では無かったのだと、思い知らされるだけだった。そして、同時に、空虚感が、襲う。

「じゃあ…また明日」

でもそんな僕をよそに、彼女はそう呟くように言って、今度こそ行ってしまった。その間、やっぱり彼女は僕を見ることは無かった。





You and Me





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