私には、好きな人がいました。中学のときからの片想い。凄く凄く好きで、好きで…愛していました。でも結局、私は自分の気持ちを彼に言うことが出来ず、卒業をしてしまいました。
もし、あの頃、私が何かしていたら、何か変わっていたのかもしれない。
今から、もう、二十数年も前のこと。…あの時私が―――。
First,Last love
「太郎」
職員室から出た彼の名前を呼んだ。そうすれば、見ていた書類から顔を上げて、私を見る。ああ、とほんの少しだけ顔を緩める。これはとても貴重なことだ。榊太郎。うち氷帝学園高等部で知らない人はきっと居ない。親はとても資産家で、その一人息子。成績優秀スポーツ万能、性格生真面目。三拍子揃ったそれは、全生徒の注目の的だった。私はそんな彼と友人の間柄だ。
太郎は「どうした」と言いながら私に歩み寄ってくる。私も私で太郎に近づいて、にっと笑いながら太郎の手にしている書類を指差した。
「それ、進路の?」
言えば、太郎はああ、と素っ気無く肯いた。私達は今、高校三年生。所謂受験生なワケだ。うちの高校は由緒正しい私立のエスカレータ式だけれど、高校となれば急に進路を変えて外部の大学に行ったり、はたまた高卒で働くものも出てくる。留学だって話も出てくる。でも多分太郎は…
「太郎はこのまま上?」
人差し指をぴんと上に差して言えば、太郎が少し困った様子を見せた。他の人達が見たら、全然いつもと変わらないって言うかもしれないけれど、私には解る。顔の本当にちょっとの変化だけど、私はわかる。なんて言っても彼とは中学の頃からの知り合いだからだ。ほんのちょこっとだけ眉が動いたのは彼が少しだけ動揺している証拠だ。良く見ればわかる太郎の変化。でもそれに私が気づくまで、一年もかかった。
十秒もかからなかっただろう。そうだな…と言いながら、書類に一度目を通す。私は太郎の横に立っていたから、それが良く見えた。第一志望、教育学部。そう達筆な字で記された言葉に、少しだけ太郎らしさを感じた。意外そうに見えるけど、実はそうでもないのかもしれないと思ったのだ。その太郎らしさに思わず笑みがこぼれて、ふっと声が漏れた瞬間、太郎が「?」と私の名前を呼んだ。ごめん違うの、と弁解しながらも笑っている私は説得力ないんだろうと自分でも思った。訝しげな瞳が私を捉えている。(太郎の怒とか負の感情は読み取りやすい)私は何とか笑いを堪えることに専念するとそれは数秒ののち、落ち着きを取り戻す。もう一度謝ると、太郎の顔は少しばかり呆れを含んでいた。
「違うの、太郎らしいなーと思って」
「…何故だ」
「ん?だって、真面目だし…」と言葉を返せば太郎がふう…と呆れたようなため息をこぼした。いや、ようなではなく実際呆れているんだろう。歩き出す太郎に遅れを取らないように追いかけるとすぐに追いつけた。本来太郎はやっぱり身長もあるし、せかせかした性格故歩くのが早いのだけれど、私を見つけて一緒に歩くときとか、自然と歩調を合わせてくれる。解り辛いがそれが太郎の優しさだった。ふふっと今度は太郎にバレないように微笑むと、二人で教室までの道を歩いた。
それが、大学受験の四ヶ月前の出来事だ。
* * *
それから、どんどん時が経って、年が明けた。1982年、元旦。受験生の私でも気分転換にと言うことで、太郎を誘って初詣に行った。受かるといいね。なんて言いながら、神社を後にして、近くの公園に立ち寄った。あったかい缶コーヒーを弄びながら、ブランコに腰掛ける。キィキィと何度か鎖の音がしたけどそれはすぐに止んで、あたりは正月を感じさせないほど静かだ。はあ、と息を吐けば白くなり、存在を主張するように私の目にくっきりと映る。買ったばかりのコーヒーは温かく、私の冷えた手をジンとさせた。真っ赤になってるだろう顔に押し当てると、手と同じくジンジンと感覚がする。ちら、と太郎のほうを見れば、もうコーヒーを飲んでいた。私も太郎と同じようにプルタブを空ける。カシュっとささやかな音がして、小さな穴からふわりとコーヒーの香りと白い湯気が出てきた。
「…あと、ちょっとだね」
一口コーヒーを飲み込んだあと、ふうとため息交じりでそう言えば、太郎には伝わったみたいだった。そうだな、言いながら、隣でゴクンとコーヒーを飲んだんだろう。喉が鳴るのが聞こえた。ちらと見れば、太郎は寒くないんだろうか、私とは違ってそこまで防寒をしていない。寒くない?そう聞こうと思った瞬間、私は口を閉ざした。
「…は、何部を受けるんだ?」
どき、と心臓が高鳴った。言わなきゃ…心の中で思うものの、中々言葉に出来なかった。思いとは裏腹に、私の口から出るのは真っ白な息だけだ。太郎を見やれば、太郎も私を見ていたんだろう、目が合って更にどきっとする。
「…は、薬学部、か?」
以前色んな難病と戦ってる人達のために、新たな薬を作りたい。そう言ったときのことを覚えていてくれたのか。太郎の言葉は私の耳に入り込んだ。私はコクンと肯く。肯定、嘘じゃない。そうすれば太郎はやっぱりなとでも言うように、ふっと笑った。今日の笑顔は、いつよりもわかりやすかった。本当に、ふって笑ったのだ。口角がいつもよりも上がって、優しい目を、した…気がする。その笑顔にツキン、と胸が痛んだ。言わなくちゃ。そう決意して息を呑んだ。
「進むべき道は違うが…あと少しだ。頑張ろう」
…言えなかった。太郎の瞳が、いつもよりも優しかったからだ。いつもきつい事を言う口から出るのは今まで以上に優しい声色。何で今、そんなことを言うんだろう。泣きそうになってしまって「うん、」…それ以上何も言えなかった。あっという間に冷えてしまったコーヒーを口に含むと、初めは甘かったのに、今では苦く感じた。太郎、ごめん。心の中でだけの謝罪。
* * *
時は更に過ぎて、二月になった。受験日は今月の14日。何も聖バレンタインデーに無くても良いじゃないかと、思ったのは受験日がわかった秋のことだった。でも実際受験が近づいてくればそんな愚痴を言ってる暇も惜しい。私の生活は、勉強、勉強、勉強と勉強一色になってきていた。それでも嫌に思わなかったのは、殆どその勉強の時間が太郎と一緒だったからだ。日が暮れるのが早いからと、帰りは送ってくれる。それが何よりの楽しみだった。そんなある日のこと。もう、受験は明日に迫っていた。
図書館で勉強をしようと思った私の耳に入り込んできたワンフレーズのメロディー。もしかして、と淡い期待をこめて、図書館とは違う道を選んで歩く。ドアの向こうからはさっき聞こえたときよりも優しい柔らかな音調が耳を刺激する。ドアの上に掲げられたプレートの文字は「音楽室」だ。ゴクっと生唾を飲み込むと、少しだけドアを開いた。あ、ビンゴ。そう思って更にドアを開ける。勿論、慎重に、邪魔しないように、だ。ゆっくりと扉を開ければ、相手はすぐに気づいたようだった。止まるメロディー。悪いことしたなと思う。それでももう引き返せない。ごめんと言いながら逃げるなんて選択肢、私には無いのだ。
「邪魔、しちゃった…?」
言いながら太郎の元に近づくと、太郎が首を振った。いや。と低い声で一言返って来て、安堵する。教室の中にある椅子のうちから一つ取ると、太郎の横にそれを置いてその上に座った。そうすれば何食わぬ顔で、太郎がピアノを奏で出す。優しい音色。落ち着いたテンポ。私これ好きだ。思いながら太郎の弾く曲に耳を寄せる。そうすれば、メロディーとは別の声と言う音が聞こえた。
「明日が受験だぞ」
「…その言葉、そっくりそのまま太郎に返してあげる」
「…気分転換だ」
「私も気分転換」
言葉のキャッチボールをしながらも止まることの無い指は私から見たらまるでマジックのようだ。無表情の顔からは想像出来ないほどキレイな音色。そう言えばピアノとかヴァイオリンとか、演奏者の心を表すと音楽教師が言ってた気がする。そんな知識を思い出したら、この優しい音色も肯けた。太郎は誰よりも優しいのだ。いつだって優しい。正義感の塊で、酷な事を言って人から誤解されやすいけど、でもその言葉は誰よりもその人のことを考えての言葉なのだと解っていた。何よりも誰よりも純粋なんだろう。高校生ともなれば、世の中の、社会の裏とかもわかってくる。愛想笑いだとか世渡りだとかで打算的な考え方が増え始める中、太郎だけは純粋だ。その人の本質を見抜いて、損得考えず、行動する。己の考えに正直なのだ。計算なんてそこには無い。太郎のそんなところが好きだ。人を寄せ付けないオーラを放ってるくせに寄ってきた人間には誠意を持って接する。
本当に、好きだ好きだ好きだ好きだ。…大好きなの。
「…?」
「え」
何故泣く、言われて私自身泣いていることに気づいた。頬っぺたに手をやれば、涙の後。ああ、本当に泣いている。慌てて制服の裾で拭って笑った。「感動したの!」って言えば、太郎が息をついた。呆れてるように捉えられるそれは、照れ隠しだ。…そんなことまでわかってしまうほど、私は太郎のこと好きだ。好きで好きで好きすぎてどうしようもない。こんなに好きになるなんて思わなかったのに。
「…受験が明日で、辛いのはわかる。…深く考えすぎず、俺達は俺達の成果を発揮すれば良い」
ぽろぽろ零れる涙。どうして私はこんなにも太郎のこと、好きになっちゃったんだろう。悲しくて淋しくて伝えられなくて、涙が溢れ出て止まらなかった。好き、好きだよ、太郎。私は、貴方が―――。
「太郎、ごめ、ん…っ」
泣きながら言うなんて最低だと思っている。女の涙は汚い。ずるい。何よりも誰よりもそう思っていたのに、私は卑怯だ。涙は止まらず私の頬を伝って制服をぬらす。この制服もあと一ヶ月もしないうちに見納めになる。辛かった。この制服が、この学校が、この空間が、私と太郎を繋ぐ、唯一の架け橋なのだ。その架け橋の期限は一ヶ月を切っている。いや、もう切れるのかもしれない。
「私、わた、し…」
震える声はまだ躊躇している。知られてしまうのが怖い。太郎は友達を大切にするタイプだけれど、一旦嫌いになってしまうと恐ろしいほど冷酷になってしまう。昨日まで優しかったのに、突然人が変わったように冷たい目をする。それは部活で一年で一人だけ補欠に選ばれてしまったときのことだ。ずっと友達だと思っていた人から聞いた陰口。それを知ったときの太郎は、一瞬だけ傷ついた顔をしたあと、信じられないほど冷めた目をして彼に言ったのだ。「実力で俺に勝てないから陰口か?」…背筋が凍るとはまさにその時のことを言うんだと知った。自分はそんな瞳で見られたくないと。思ったのだ。でも、今それを受けようとしている。
太郎も私の不穏な雰囲気に気づいたのか、今まで弾いていた演奏を途端にやめた。静寂と化す空間。それとは反意して騒ぎ出す心。
「」
彼の紡ぐ私の名前。中学三年の冬に初めて呼んでもらえた名前。同様に「太郎」と私が呼べるようになった瞬間だ。あの頃から、私の名前は特別になった。太郎に呼ばれるためだけにあるような、そんな感覚さえしたんだよ。太郎に言ったら馬鹿かって言われると思うけど、本当に本当に。
「太郎、私、ね。…黙ってたことが、ある」
涙は止まったみたいだ。枯れた涙が頬にまとわりついてるみたいで気持ち悪さを感じる。ぎゅっと拳を握った。痛いくらいのそれを決して緩めず、次の言葉を言うため口を開いた。「太郎、あのね」…もう太郎なんて呼べないかもしれない。そう思うと何度も無意識のうちに太郎の名前を呼んでいた。大好きなの、大好きなの。本当に。
「…私、此処の大学部へは行かない。…高校を卒業したら、別の大学へ行く」
それは親に勝手に決められた道。高校三年の秋に突然言われた婚約の話。正式に婚約するのは大学卒業後のことだ。あと四年も先の話。だけど覆せない、本当の話。私の婚約者になる人なんてまだ一度も見たことが無いけれど、きっと企業安泰のためには必要不可欠な人物なんだろう。そして彼の行く大学が氷帝じゃないだけの話。ねえ、太郎。私薬学部に行くって話、嘘では無いんだよ。ただ、氷帝じゃないだけ。
「…本当、なのか」
その言葉とともに、太郎を見て驚愕した。いつものポーカーフェイスなんて何処にあるの?と言いたくなるくらい、彼の顔は崩れていた。驚きに満ちた目は、真っ直ぐと私を捉えているのに、私はどきどきするよりもずきずきした。…太郎の顔見れば、明確だ。…彼は今、傷ついている。そして私が彼を傷つけている。絶対に太郎だけは傷つけたくないと思っていたのに、誰よりも傷つけている。「」…私を呼ぶ声は、震えていた。私は太郎の顔が中々見れなくて、鍵盤を見つめた。白と黒の鍵盤はまるで私の心と太郎の心の色のようだった。でも決定的に違うのはピアノはその対照的な二つの色で、沢山の音楽をハモらせることが出来る。でも私と太郎はきっと一生交われない。酷く悲しかった。
「大学卒業したら、結婚するの」
言いたくなかった。知られたくなかった、太郎にだけは。大好きだからこそ言いたくなかった。愛してたからこそ知られたくなかった。それなのに、言わなければならないなんて神様は意地悪だ。淡々と言ってのけた自分が凄いと思えた。太郎の顔は見れない。でも、横には確かに太郎の存在を感じる。その事にどきどきした。
「そうか」
そう言ったのは紛れもなく太郎だった。カタンと立ち上がる感じが伝わって、私はやっと太郎を見た。…目はどこまでも冷たい。ゾクっと、息が出来ないくらいの感覚を知った。ああ、これが本当の恐怖だ。
「では明日の受験はお前には関係ないな」
「…っ」
「…受けもしない人間に、莫迦なことをした」
ガン、と乱暴にピアノの蓋が閉められた。そんなこと、するような人じゃなかったのに。涙がまた出そうになった。背を向けている太郎を見て、名前を呼ぼうとする。だけど、きっともう私に彼の名前を呼ぶ資格は無いんだろう。
「…たろ」
「…幸せにな、」
「………」
言いたかった言葉は、もう私の口からは出なかった。もう、名前を呼んではくれない。本当にそれが解ってしまって、涙が出た。好きな人に名前で呼んでもらえないことがこんなにも辛いなんて思わなかった。もう友達でも居られない。ガラ、とドアが開くのが解った。そのときに小さな声で太郎が何か言った気がしたけれど、それは余りにも小さくて私の耳には届かない。ガラっと同じように今度はドアが閉められた。途端に涙がまた溢れ出て今度は止まりそうになかった。このドアを隔てた距離、それが今の私と太郎の心の距離だ。それが辛辣に解って。
「太郎…」
私は一人、彼の名前を呼んだ。もう呼んだって振り向いてくれない。もう名前を呼んでもくれない。笑いかけてもくれない。きっと目も合わせてはくれないんだろう。
案の定、今まで隣にいてくれた太郎は、それから私の隣にはいなかった。ぽっかりと穴が開いた空間が淋しかった。そして、一ヵ月後、私は氷帝学園を後にした。
* * *
ねえ、太郎。もう言えはしないけど、もしあの時私が素直になっていたら、何か変わったのかな?本当はそんな婚約者のために外部受験したくなかったよ。本当は貴方の傍にいたかったよ。ずっとずっと隣にいたかったよ。
好きでした、誰よりも貴方が。大切でした、何よりもこの恋が。大事だったの、貴方との時間が。
貴方との想い出は、何よりの宝物です。最初で最後の恋でした。愛してました、本当に。
― Fin
あとがき>>大好きなみーたんに捧げます!た〜んじょ〜うび、おめでと〜♪ラッラララランラッララララン。(今、何月ですか)榊で悲恋!と言われて、ええ、どうしよこれみたいな感じだったんですが、勝手に過去ネタでやっちゃったぜ!あーもうごめん、きっとみーたんは生徒と教師の愛みたいな悲恋を想像してたんだと思うんだけど!思うんだけどーーーー!ハハッ無理ですた。なので、同級生ヒロインで。設定は高校三年生。高校で婚約者ぁあ!?って感じですがきっと氷帝みたいなお金持ちだったらアリかなと。で今ヒロインも榊と同じで43歳なわけですが既婚者、的なね(痛)こんな代物ですが受け取ってくだせえ!お持ち帰りはみーたんのみよ★
2007/01/11