あ、今日も寝てる……

私は放課後体育館の中から彼を見て。吸い込まれるように足を止める。



つないだ手




 「休憩ー!」

大声でそういうと、練習をしていた部員達が一斉にそれをやめて、ボールを手に取ると、壁際に寄った。各々のバックからスポーツ飲料を取り出したり、タオルで顔などの汗を拭き取ったり…。それを見て、私は時計の針を見た。

 「じゃあ、20分後また始めるから、それまでゆっくり休んでおくこと!」
 「はい!」

私が言えば、部員達は大きな声で返事をして、まばらに散らばった。私はそれを一瞥すると、体育館から出る。外はぽかぽかといい天気で、冬だとは感じさせない。私は大きく伸びをして、水呑み場までやってきた。蛇口を上に向けて、水を出す。それに顔を近づけて、全体を濡らした。それがとっても気持ちいい。スポーツをした後のそれは一気に疲れをほぐしてくれると言うか。汗で気持ち悪くなったそれを脱ぐり去ってくれると言うか。私はタオルを取って顔に押し当てた。洗ったばかりのタオルからは石鹸のいい香りがして、更に気分を良くしてくれる。ふわふわとするそれで何度か顔に押し当てて、水気を吸い取ると、タオルから顔を離した。

あ、まただ。

それから視線をずらすと、またいつもの少年の姿。くかーって気持ちよさそうに寝ている。枯れてきている木陰で、無駄な日光を追い払って。私はもっと近くで見ようと、彼に歩み寄った。何度か彼が寝ているのは、部活中やその休憩の合間に見たことがあったけれど、それは全部遠目からで、近くに行ったことはない。また、近づいてみようと思ったのも今日が初めてだった。近くに行って、起こさないように気をつけて、しゃがみ込んだ。無防備な寝顔。子どもっぽくて、思わず笑みがこぼれた。規則正しい寝息が私の耳に届く。

 「芥川、君」

彼の名前を呼んでみる。至極小さな声で、呟いて。勿論、彼は起きない。
いつだっただろう。始めに彼を見かけたのは。まだ、入学式を終えたばかりで、初々しさが残ってた1年の時。バスケ部に入った私は、雑用を片付けながら、ふと、この木を見た。体育館から、丁度見えるこの大きな木。そこで、寝てたのが彼。そのころの私から見た彼の印象は"暇人"。来る日も来る日も、彼は寝ていた。そして、ある一定の時間になると、必ず誰かが起こしにきてて。気だるそうに立ち上がって、どっかに行く。
それから月日が経って、私は2年になった。まだ、彼の名前も知らない。1年経ったあの頃も、やっぱり彼は寝ていて。でも、変わったことといえば、迎えに来る人が一定の人になったこと。大きな男の人。その人は、簡単に彼を起こして、またどっかに連れて行く。
彼の名前を知ったのは、それから半年経った日。バスケ部の後輩が、彼の名前を口にした。"芥川滋郎"。それが彼の名前。同様に彼がテニス部所属していることもわかった。200人以上もある大きな部。それなのに彼の存在に気づかなかったのは、私がテニスと言うものに興味がなかったから。それに、いつも寝ている彼を見て、テニスと言うスポーツにたどり着かなかったから。

 「……今日は、まだあの大きな人来ないのかな?」

それを期に、ちょくちょくとテニス部についての情報が私にも入ってくるようになった。今までにも何度かテニス部について友人が話しているところを聞いてはいたけど、興味がなかったから、殆ど(ていうか全然)耳に入っていなかった。だから、当たり前の情報でも私にすれば耳寄りだった。実は芥川君はああ見えて、起きるとめちゃくちゃ煩いとか。そんな小さな情報でも嬉しく感じていた。それから、私は彼が寝ている姿を見るたび、ちょっと嬉しく思うようになった。でも、その反面あの寝顔を独り占めしたいとか、そんな独占欲を感じていることも。それに気づかないふりをしていたのに、やっぱり欲には勝てないのだろうか。今日、それに負けて今、目の前に彼がいる。スースーと変わらない寝息を耳で感じ取りながら、私はストンと木陰に座った。それから体育座りをして、膝に顎をつける。

 「芥川君……」

もう一度、呟いて。どうせ、起きやしないってわかっているけど。

 「ジロー、君」

今度は、名前で呼んでみて。やっぱり起きなくて。反応なんてちっとも返ってこなくって。んーって声を漏らして、またスースーと寝息が聞こえる。そよそよと風が吹いて。冬だからちょっと寒い。

 「好き……」

小さな告白。きっとこれも聞かれることはないけど。彼は絶対寝てるってわかるけど。

 「……さっ、もう戻らないと」

休憩時間がなくなってしまう。それにいつまでもここにいたら本当に離れられなくなりそうで。私はゆっくり立ち上がった。―――つもりだった。でも実際は彼から離れることが出来ずに居た。理由は、手。さっきまでは離れていた彼と私の手がしっかりと繋がれている。…正確には握られてる一方なんだけど。私は中腰のまま、彼を見つめる。まさか、聞かれてたのか?私の頭に不安が過ぎる。薄っすらと開かれた瞳が私を捉えて、体が動かなくなった。ぼうっとまだ夢の中に半分いるらしい彼は私をじっと見つめる。

 「動かないで……」
 「え?」
 「まぶCから」

どうやら、私は知らない間に彼の日陰になっていたらしい。私がどけた瞬間に、自分に日が当たって眩しかったらしく。目が覚めたみたいだった。私は中腰のまま、彼に謝る。手はきゅっとつながれたままで。そこが馬鹿みたいに熱い。

 「も、ちょっと……寝かして、樺地……」

それが、あの男の人の名前だろうか。あんな大きな人と見間違えるほど寝ぼけているのか。はたまた本当に私はカバジと言う人に似ているのか。……どっちにしろ、失礼な話である。私はまた瞳を閉じてしまった彼を見て、小さく息をつく。「じゃない…誰?」でも、また瞳を薄っすら開けて、私を見上げた。誰?と問われて、返事に困る。私が答えないでいると、彼は目をこすった。

 「感触が違う…」

そうしてまた、誰?と。名前を聞かれていることに気づいて。乾いた唇を開く。のどがカラカラに渇いていた。

 「、」
 「……?」

名前を言えば、彼は何度か私の名前を呟く。まだ、目は覚めてないようで。視点は定まっていなかった。うつらうつらと目は閉じられて。薄っすらと開かれてを繰り返して。

 「お願い…、もちょい、寝かして」

そういう彼を見て、私は一瞬躊躇したあとコクンと頷いた。

 「おやすみぃ、
 「……おやすみ、なさい」

ジロー君、って名前を呼んだら、すぐに彼から寝息が聞こえた。もう寝てしまったんだ。って思うと、ほっとしたような、残念なような複雑な気持ちになる。そして、感じるのは、手のひらの温もり。未だにつながれている手を見て、少しだけ顔が赤くなるのを感じた。その手は思いのほか強く握られていて。

 「……えっと、私は……帰れないってこと?」

手を離せば帰れるだろう。けどそんなの絶対私には無理。きゅってしっかりとつながれた手を見た。なんだか必要とされてるみたいで嬉しかったんだ。私はもう一度小さくため息をついて、彼の寝顔を見た。

休憩20分なんていわなきゃ良かった。

そう後悔をして、つながれている手を、握り返した。





― Fin





2005/01/31