片想イ卒業式
「ねー、寄せ書き書いて〜?」
教室内はやっぱりいつもの雰囲気のようで、実は違っていた。笑っているもの、泣いているもの、いつも元気が取り柄のムードメーカーなんて、元気を失っていたりする。それは今日でここともお別れだからだろう。3年間使ってきたこの中学とは今日でさよならで、わたしたちは春から高校生になる。つまり、今日、わたしたちは卒業式を済ませたのだ。そして見事クラス全員高校への合格も果たした。
――― なんか、呆気なかったな。
入ったばかりは、凄く長く感じられた。それなのに、もう気がつけば卒業。本当に月日が経つのは早いって思い知らされる。1年のとき、不安と緊張、好奇を胸にこの中学へ入学した。色々な出会いがあった。初め、友達が出来るのか凄く不安だったりもしたけれど、クラスの皆はとても良い人達ばかりで、すぐに打ち解けることが出来た。2年にあがって、中間地点に経たされた。部活では新しく後輩が入ってきて、ドキドキした。自分に指導とか出来るかとか、上手く先輩としてやれるか、とか。そして3年、受験を控えて、ピリピリしてた。だけど、クラスの雰囲気は変わることが無かった。いつも賑やか、それがウチのクラスの良いところだった。受験のときも、一緒に頑張って、励まし合って、そして支えて時には支えられて。
本当に数え上げればきりが無いくらい、楽しかった。そりゃあ、辛いこと悲しいこと、全然なかったって言ったら嘘だけど。でもそんなの忘れるくらいに、この中学生活はわたしにとって、最高のものだった。きっと、皆にとってもそれは一緒。だから、こんなにも涙する人がいるんだと思う。
「、も一緒に写真、撮ろ?」
「……ウン」
ぐすっと、きっと泣いていたんだろう。鼻の天辺を赤くさせて、瞳を潤ませている友人を見て、そんなことを思う。わたしは友人の持ったカメラを一瞥して、頷いた。そうすれば友達は嬉しそうに笑って、他の友達にカメラを手渡す。受け取った友達がカメラをわたし達に向けた。瞬時に友達が笑顔を作ってわたしの腕に自身の腕を絡ませる。わたしはそれを拒むことなんてせず、友人と同じように笑った。ハイチーズ、とありきたりな言葉が飛んで、フラッシュが光る。思わず目を細めてしまった。
「有難う、」
友人はわたしにお礼を言うと、別の友達のところへ行ってしまった。最後に記念を沢山撮っておきたいんだろう。わたしは役目も終わったので、自分の席に着く。周りは忙しなく動いているので、自分の席以外はがら空きだった。それが何だか切ない。もう、あと1時間もしたら、ここは無人と化すだろう。そして、もうわたしは二度とここで授業を受けたり、友達と笑いあったり、朝来て「おはよう」って挨拶したり、帰りに「バイバイ」って手を振ることもないんだ。何だか本当に切ない。さよならなんだと、卒業したんだと、実感する。わたしはフッと視線を斜め前に移した。その先には、笑ってる大好きな人の姿。やっぱり普段と変わらない。それが嬉しいような、また、彼にとっては卒業なんて取るに足らない出来事なのかと言う思いで何とも複雑だ。ジッと見つめていると、彼がわたしの視線に気づいたらしかった。女の子が卒倒するような素敵な笑顔を向けた。生憎わたしはもう何度となく見たため、慣れてしまったので倒れるようなことはないけれど。それでも、慣れたわたしですら、ドキドキと心臓が騒ぎ出し、顔が紅潮してしまうのだ。まさに彼の笑顔はマジックだった。
――― って、それはわたしが彼にホレているからなのだけど
「」
「あ、サエ」
すると、彼は友達との話を終えて、わたしのところに来てくれた。別に来てくれなんて頼んでないけど、それでも友達よりもわたしを優先してくれたことが嬉しかった。そんな彼にとっては何気なく、そして些細なことでも、泣きたいほど嬉しかった。笑顔で来る彼の名前を呼んで、自分も笑顔を作る。
「卒業、しちゃったな」
「……そだね」
サエの声を聴くと、更に現実味を帯びて聞こえた。そして、サエの口から聴くと、無性に悲しさが襲って聞こえた。サエはわたしの席の前の席の椅子に座った。椅子に逆向きで跨った彼は背もたれに手をかけてわたしを見ていた。わたしも机の上で腕を組んで、小さく落とすように言葉を吐いた。何だか、そんな真正面から見つめられると、どうして良いか困ってしまう。見つめている、なんて自意識過剰なような気もするけれども、とにかく目が合うとどうして良いのかパニックになってしまうのだ。そのためわたしは何とかサエと目を合わせないように必死に自分の腕を見つめていた。それについてサエは何を言うことも無く会話を続けるので、少しばかりほっとした。
「何か、あっという間だったよな」
「ウン、本当そうだね」
懐かしむように、思い出を探るように、サエは言葉を紡いだ。人を落ち着かせるような声に、自然と口角が上がる。それでも、心は泣きたい気持ちが膨らんでいった。
「と一緒のクラスになって2年が経ったってことだね」
「ウン、そんで仲良くなれて1年3ヶ月……辺り?」
「4ヶ月だよ」
間違いを指摘するとサエが綺麗に笑った。わたしもそうだっけって笑い返す。心地良いと感じた。この何でもない時間が。でも、これもすぐに思い出になってしまう。この教室から出たら、過去になってしまう。そう思ったら、途中で笑えなくなってしまった。歯切れが悪く、は、は……って笑って、また自分の腕を見る。
「……元気、ないね?」
「そ、んなこと、ないよ…げんき、げんき」
腕組みをやめて慌ててあははと笑いながら両手を折り、拳を作った。サエがジッと見てくる。サエの瞳を見ることがどうしても出来ず、冷や汗を垂らしながら笑うしかなかった。サエの鋭い視線を感じながら、ただ誤魔化すように笑う。でもサエには嘘だと言うことがバレていたみたいだった。無理しなくて良いよ、と手首を優しく掴まれて、わたしは笑うのを止めた。掴まれた手首のところだけが異様に熱を帯びたような気がして、目はそっちに釘付けになる。「ちょっと、外に出ようか」それから暫くして、サエが真面目な顔をしてそうわたしに言った。わたしはそんなサエの顔を見ると、拒否出来る訳も無くコクっと力なく頷いた。
わたし達は人気の無い屋上に来ていた。中庭とか、校門は凄い人で考えついた先がここだった。屋上は、本当に人がいなくて、静かだった。音、と言えばコツコツとわたし達の歩くたびに聞こえる足音と、時折きつくなる風の音、それだけ。サエは手すりに手を乗せて、軽く握ってフェンス越しに見える景色を見ていた。わたしもそれに便乗して、サエの隣にやってきて、景色を見つめる。ここにも、何度も足を運んだ。不意に思い出す。辛いことがあったり、悲しいことがあったり、泣き出しそうになってしまったときには良くここに来ていた。そして、一人であそこの影で泣くんだ。だんだんと思い出される真新しい記憶達を辿って、小さく笑む。
「ここ、が好きな場所だろ」
不意に、言われてきょとんとしてしまった。(いや、そんな可愛らしい表情じゃないか、ただの間抜け顔)すると、サエはふわっと笑う。本当に綺麗に笑うよな〜って感心してしまうほど。まるで、何処かの有名な美術展に飾られている有名な絵画のような、そんな綺麗な笑顔。わたしは暫く固まったあと、肯定のために頷いて見せた。
「ウン、大好きだった。ここに来ると、自然と落ち着けた」
嫌なことがあっても、ここにくればすぐに吹き飛んだ。友達と些細なケンカをして、友達を傷つけて後悔した日もここに来ると自然と素直になれて、友達に謝ることが出来た。でもそれはここのお陰なだけじゃない。
「……サエも、居てくれたしね」
そう、サエもいてくれた。苦しいことがあったとき、どうしようもなく苛々していたとき、ここに来て一人で考え込んでいると、必ずサエがやってきてくれた。
――― やっぱりここにいた
そう言って、いつもの穏やかな笑みを浮かべて、わたしに手を差し伸べてくれた。他愛も無い話でも真剣に聞いてくれた。だから、きっとわたしは今こうしていられるんだと思った。本当にサエには感謝してる。いつもいつも決まって暫くすると、誰かに傍にいて欲しいって思ったときには、サエが来てくれた。それがどれだけわたしを救ってくれたか。サエにわかる?それと同様に、ここに来るたびに時計の針を気にして、もうそろそろサエが来るんじゃないか、って淡い期待をしてたこと、サエは知ってる?いつしか、真っ先に浮かぶ顔が親でも先生でも、親友でもなく、サエに代わっていったこと、気づいてる?
「……」
黙りこくってしまったわたしをサエが見てきた。わたしはじっとサエを見つめる。きっと、サエはわたしがサエのこと好きだって思ってること、知らない。サエの中でわたしはきっと「一番の女友達」だから。……前は凄く嬉しかった。彼の特別に近いって。どの女の子よりも先をいってるんだって、胸を張ってた。実は小さな自慢だった。だって、影では王子とまで言われて、ファンも多いサエ。嬉しくもなるし、自慢したくもなる。だけど、サエに恋して、思い知らされた。それは自慢なんかじゃないってこと。全く嬉しくないことだって。
そう気づかされたのだ、自分は論外だと言うことに。
周りの女の子はサエと仲良くないものの、告白が出来た。自分の思いをサエに伝えることが出来たのだ。しかし、わたしの場合は「一番の女友達」になってしまっている訳で、恋してるって気づいたときには、告白が出来るような状態じゃなかった。この関係を壊したくなくて。いっそ、仲良くなった時間を恨んだ。他の女の子が、告白の出来る女の子が羨ましくて、妬ましかった。
「、どうした?」
でも、それは過去のこと。今日でもう卒業なのだ。今言わずに、いつ言うのだ。もし駄目でも、この関係が壊れてしまっても、それならそれで、もう逢わなければ良いこと。それはとても悲しいことだけど、会わなければ悲しさもいつしか忘れられるし、サエとの思いでも、恋していた期間も素敵な思い出になる。そう、言うなら今しかない。今日しかない。今日を逃したらもう、終わりなんだ。ぎゅっと掌を握る。不思議そうに見てくるサエを見つめ返す。わたしは小さく息を呑んだ。
「サエ……」
「ん?」
好きだ、と。ずっと想い続けていた想いを、伝えるなら今しかない。だけど、やっぱり駄目だ。長年友達をやってきて、すっかり臆病になってしまっている。喉がカラカラに渇いて、言葉を出せないようにしている。拒否反応とでも言うのだろうか。やめたほうがいい、本能がそう伝えようとしてるのか。「?」名前を呼ばれることが、こんなに緊張することだなんて知らなかった。名前を呼ばれることが、こんなに特別なことだなんて気づかなかった。握っていた掌にじわりと汗が滲む。それでもわたしは手を握り締めたままだった。
「サエ、あのね」
出来れば、上手くいって欲しい。そして、これからもサエと一緒に笑い合いたい。でもそれは、友達では駄目なんだ。欲張りだと、我侭だとわかってるけれども。もう、この気持ちに決着をつけたい。いや、つけなければならない。卒業式をして、中学を去るのだから、同じように片思いも卒業しよう。そして、どっちに転んでも、良い思い出にしよう。後悔なんかさせない。
「わたしね……サエのこと……」
目の前にいるサエが強い風の所為でかすんで見えた。瞳が乾いて目を細めると更に見えなくなる。でも、反対に好都合だったのかもしれない。今、面と向かって言うにはあまりにも余裕が無さすぎた。ぎゅっと、スカートの裾を力いっぱい握る。
「サエのこと………好きです」
ついに、言った。ヒューと自分を打ち付ける風が痛かった。…同様にサエの視線も。どんな反応をされるのか怖くて、サエの顔は見なかった。でもきっと驚いてる。ううん、きっとじゃなくて、絶対。
「ずっと、ずっと……好きでした」
声が震えて、上手く言葉を発せられない。だけどここが正念場なんだと思って、気合を入れる。もう、嘘とか冗談なんて言い訳は利かない。寧ろ、そんなことする気もない。ただ、正直な気持ちだけを伝えた。風があまりに強く吹くので、髪が揺れてわたしの目の前を隠した。それが更に不安を作る。
「……」
「す、ストップ!!」
名前を呼ばれて、わたしは思わず手を突き出し、大声を出した。そのときに、サエと視線がぶつかる。焦った。本当に、頭がパニックを起こしていた。それでもわたしはサエが黙ったのを確認して、ボソボソと呟く。
「あの、ね……その……言葉で言われるのは怖いから……」
なんて我侭なんだろう。だけど、今までの二年間をこんな形で終わらせたくなかった。
「だから……それ」
そう言って、わたしはサエを指差した。正確には、サエの制服。それでもって、ボタン。しかも第2ボタンを、だ。意味がわからないらしくサエが首を傾げていた。わたしはまたたどたどしく言葉を並べる。もっともらしい、言い訳。
「OK、ならさ……その第2ボタンをわたしの手のひらに乗せて?それで……もし、その……」
言葉が震えた。やっぱり、次の言葉は涙が出そうになる。もし現実にそうなったら、考えただけで涙が溢れ出そうだった。
「駄目、ならさ……そのまま屋上から……出て」
そう言って、わたしはサエを見つめた。サエはわたしをじっと見下ろしている。きっと、サエはわたしの一大決心に気づいてくれたのだ。わたしはそれを確認すると、勢い良く下を向いた。それからサエに向けて両手のひらを差し出す。手が震えた。下を向いた瞬間に、ポタっと雫が落ちた。涙だと言うことに気づいて、わたしは慌てて更に下を向く。泣くのは反則だと思った。暫くサエは動かなかった。何をしているのかはわたしにはわからない。考えられることは2つ。1つは、戸惑っているのだ。答えはノーなのだけれど、このままわたしに何も言わず立ち去るのを、悪いと思っているのではないか。もう1つは、オーケーで、ボタンを切ってくれている。でも、あまりにも遅すぎるサエの行動で2つ目のは絶望的だった。わたしはぎゅっと下唇を噛む。もし、困らせてるのなら、今言わなければならない。潮時、なんだと思う。諦めが肝心だ。そう思った直後。
「……サエ……?」
ポトリと、微かだけれども、でもしっかりと……わたしの手のひらに何かが落とされた。恐る恐る見上げると、そこには金色のボタン。嘘、と信じられない風にサエの胸を見た。ポッカリ開いた第2ボタンのあった場所。
「……嘘」
「本当」
「だっ、て……サエ、遅すぎ…」
信じられなくて、サエを見上げる。涙が浮かんで、顔がぼやけた。そうすると、サエが近寄ってくる。それから腰を屈めてわたしと同じくらいの身長差にすると、わたしの涙を拭った。
「だって、だってずっと俺を待たせただろ?おあいこ」
そう言って笑う彼は、やっぱり普段どおりの綺麗な笑顔で、わたしはせっかく拭いてもらったのに、また涙を漏らした。
その涙が、わたしの手のひらに落ち、ボタンを濡らした。
― Fin
2005/03/16