抱きしめられた腕を今でも忘れられない……。



ドキドキが止まらない……。





Remains snow
*高鳴る鼓動*





今日から新学期だった。
はクリーニングに出した制服の袖に腕を通す。パリッとのりがきいていて、なんとも清々しく思う。気持ちも新たに3学期の突入!と言いたいところだ。けれどもどうやら、彼女には無理なようである。シャツのボタンをすべて止め終わると、リボンをつける。しかし頭の中では別のことを考えているためその手はおぼつかない。原因は昨日の出来事。そのことを思い出すと、は顔中を真っ赤にさせた。

ど、どどどうしよう……っ!!!あれは告白……

浮上しかけた感情にハッと我に返る。それから、なわけないじゃないか、と自分自身で問い掛けて置いて、ツッコミを入れる。はたから見ていたら怪しいことこの上ない。それから頬を赤くしたままブンブンと頭を横に勢い良く振ると、目の前の鏡をじっと見つめる。鏡越しに自分の顔を確認すると、ようやくここで自分の顔が赤いことに気づく。そして、頬に手をやって、パチンと軽く叩いた。

「普通どおり、普通どおりっ!」

それから独り言のように呟いてから、よしっと続ける。そして、机の横に置いていた鞄を右手で持つと、自室のドアノブに手をかけて、小さく息を吐いた。ドアノブを時計回りに軽くまわすと、カチャリと音が鳴り、ドアが小さく開く。はそれを大きく開けると、部屋から出て、後ろ手でドアを閉めた。

それから朝食を早々と済ませると、いつもより早い時間だが、家を出た。取り合えず、早く学校に行って、落ち着こうとしたのだろう。は少し早めのペースで歩く。早朝……、とは言わないが、やっぱり1月は寒い。はあ、と息を吐くと、白くなり空気と交じり合う。はマフラーを巻きなおして、首と口元を覆い隠した。

「……緊張するなあ……」

一体どういう顔して会えばいいんだろう?

きっと、手塚のことだから、昨日の今日で何かが変わることなどないのだが、それでもは平常心を保てるか不安だった。自慢ではないが、告白して振られるのが初めてであれば、告白(らしきもの)をされたのは、生まれて初めてなのである。の頬が、部屋の時同様に、淡いピンク色に染まる。きっと、寒さからくるものではないだろう。は、俯き加減で歩きながら、速度を更に速めた。……学校まで、あと10分辺りと行ったところか。にはとてつもなく早く感じられた。





「着いたあ……」

まるで、遭難して、奇跡の生還を成し遂げたもののような言動だった。は教室の前で、一度立ち止まる。このドアの向こうに、手塚がいると思うと、胸が騒ぎ出す。はスーハーと呼吸を繰り返して、ぎゅっと拳を握る。それから、よしっと心の中で気合をいれて、一歩踏み出す。それは小さな一歩だったけれども、にとっては大きな一歩であった。ガラ……、と引き戸であるドアが、左に動く。は何食わぬ顔をして、ドアを閉めた。そして、自分の席の方に目線を移す。

一番初めに目にしたのは、手塚だった。いつものように、読書をしている手塚を見て,はほっと安堵の息を漏らし、静かに席に近づく。そして、バクバクと騒ぎ出す心臓の音を隠しつつ、ストンと自分の椅子に座った。それから、チラリと横目で手塚を見やる。

「……おはよう、

そんなの視線に気づいたのか、手塚は読んでいた本を閉じる。それから、を見ると、挨拶を交わした。は全く変わらない手塚を目にし、わかっていたことではあったが、不思議に思った。何を考えているのか、さっぱりわからない。

?」
「え!?あ、お、おはよ……」
「どうかしたのか?」
「いや、別に!!何でも無いの!!あ、それより何読んでるの?」

そんなことを考えていると、手塚は?と不思議そうにを見やると、再度の名前を呼んだ。は慌てて我に返ると、これまた慌てて挨拶を返す。そんな尋常でない慌てぶりに、手塚は心配そうに眉をひそめた。切れ長の瞳が更に細くなる。それに対しては話を逸らすように、本を指差した。すると、今度は手塚が慌てる番だった。に気づかれないように、素早く本を閉じる。

……明らかに怪しい。は怪訝そうに本を見つめると、ボソリと呟いた。「如何したの?」そういえば、手塚は、何でもない、と一言返す。でも、到底なんでもなさそうには見えない。手塚を見ると、少し困惑したような、表情を浮かべている。はその手塚の不審な行動に疑問を抱き、聞こうと口を開いた瞬間。

「あ、手塚」

今、もっとも聞きたくない声が、の耳に届いた。それは、綺麗に良く通るテノールの声。…見知ったそれはの耳に浸透していく。は瞬時、ビクリと肩が震えるのがわかった。同様に凍りつくように動作が止まる。それから、ゆっくりと声のした方向を一瞥して、下唇を噛み締めた。足がガクガクとしだして、座っていなかったら、絶対に腰が抜けていたと思う。

「僕の勧めた星の王子様如何だった?英語バージョンも中々面白いよね?」
「……ああ」
「あ、。お早う」

その声の張本人は、教室に入ると手塚の元へときて、手塚の持っていた本を指差した。それについて、手塚は躊躇いながら頷く。それから、今までと何ら変わりの無い表情と態度で、まるで、昨日のことなんてなかったかのように、に微笑みかけた。「お、はよ……」もしかしたら、気まずくならないように、との彼なりの気遣いだったのかもしれない。だけれど、どうしてものほうは、今までと同じようには出来なかった。俯き加減で答えたを見ると、不二は何を思ったのか、少し彼女のほうを見やっていたが、不二は手塚の方に目を向けた。

「あ、手塚、それでさ……英語の辞書貸してくれない?忘れちゃって」

後頭部に右手をやって、あはは、と笑う、不二。その声には、微かにびくっと体を強張らせた。心臓がどくどくと早く脈打つ。顔が上げられない。は、ひざの上に置いた手を、ぎゅっと強く握り締めていた。……手が汗ばむのがわかる。

「あ、じゃあ僕戻るよ。辞書有難う、手塚」
「ああ」
「……じゃあ、もまたね」
「う、うん……」

時計を見て、不二は片手を顔の辺りくらいにやって、と手塚に背を向けた。その姿をは見る。すると、昨日の出来事が、フラッシュバックして、涙が出そうになり、下を向く。本来ならば、上を向くのだろうが、泣きそうな顔を誰にも見られたくはなかったは、敢えて下を向いた。それからすぐしてがらっという音で、ドアが開き、不二の姿は見えなくなった。それから、少し間を置いては口を開いた。

「て、づか君……その本、不二君に勧められてたんだね」
「……ああ」

頑張って無理やりに声を出したが、その声は、とても小さく弱々しかった。そして、少し掠れていた。きっと、気遣ってくれたんだ。は手塚の優しさに感謝しながら、目をぎゅっと瞑り、ゆっくりと目を開けて、手塚を見つめた。手塚もその視線に気づいて、の瞳を見つめ返す。

「そ、そんな気にしなくって良かったのに!!私、そんなヤワじゃないよ?本人が来たら、そりゃ動揺はするけどさ!名前、出してくれても良いよ?」

は精一杯の笑顔で手塚に言う。同時にひらひらと手を振って。けれども、やっぱりどこか不自然で、その笑顔が痛々しく感じられた。手塚はそれを感じ取ったのか黙ったままだった。





先生の声だけが、静かな教室に響いている。古典とは、何故こうも子守唄のように聞こえてしまうのだろうか。先生の声は、の耳に入っては、すぐに出て行く。という状態だった。はぼんやりと深緑の黒板を見つめる。しかし、その目はどこか遠くを見つめているようにとれた。

不二君のことが好きなのに、手塚君のことも気になる自分が嫌だ。

昨日のことがあってなのだから、手塚のことが気になるのは当たり前といえば当たり前だろう。でも、それがは許せなかった。フラれて、傷ついていたはずなのに、手塚に告白らしきものをされて、嬉しく思って……あまりにも現金すぎる。は真っ白なノートを睨み付けた。そして、シャーペンを持ち、真っ白なノートに黒板の文字を乱暴に書きこむ。不二の事はもう嫌いなんだと、自分に言い聞かせるように……。不二とはただの友達でしかないんだと、言い聞かせるように……。

「――では此処のところを…… 、読め」
「………」
!寝ているのか!」
「え?あ、いえ……っ!」

は我に返って先生を見る。先生が声を荒げるので、は慌てて教科書に目を落とした。けれども、肝心な場所がわからない。適当にペラペラめくるが、まさかそこを読むわけにもいかない。

「聞いてなかったのか?」

先生はかなり怒ってるらしかった。つかつかと、大またでの席へと向かってくる。……やばい、とは思い、顔を伏せる。そのとき、「先生」と、静かな教室の中、声が響いた。それは隣に座っていた手塚だった。は驚いて、手塚を見下ろす。手塚の瞳は、真っ直ぐに教師の方に向いていて、のほうに向くことはなかった。教師はいきなりの手塚の乱入に、から目を逸らすと、手塚を見やる。そうして、優しく問い掛けた。

「如何した?手塚」
は何やら具合が悪いみたいなので、保健室へ連れて行きたいのですが……」

その言葉に、はまたしても驚いた。目を見開いて、手塚を尚も見つめる。手塚は一度を一瞥すると、何も言わずにまた教師を見つめる。

「そうだったのか?言わなきゃ解らないだろ。じゃあ頼むな」
「はい」

勿論、手塚の嘘である。実際はどこも悪くない。しかし、先生は簡単に手塚の言うことを信じると、前を向き直って今度は黒板に向かって歩き始めた。それから手塚は立ちあがると、に声をかける。その声につられて、はゆっくりと席を立った。がらっと後ろ側のドアを開けて、廊下に出る。静かな廊下を二人歩いた。その間、手塚君は何も言いはしなかった。

また、気遣ってくれたんだ……

は、手塚に感謝と、申し訳なさを心の中で呟いて、少し前を歩く手塚を追いかけるように歩いた。長い長い廊下を、特に何も交わさずに、歩いた。そんな中、ずっとこのままでいたいなんて、私は心の隅で思っていた。



「失礼します」

手塚が保健室のドアをガラッと開けて言う。けれど、そこにはいるはずの保健医の姿は見当たらなかった。それでも手塚は平然と保健室に入る。はやっぱり入るのはマズイのでは……。と何だか真面目に考え、手塚とは反対に、ドアの前で立ち尽くしていた。しかし、手塚はそんなに気づいて、入るように促す。は少し躊躇いながら目を宙に泳がせていた。けれども、暫く考えた後、言われるがままは保健室に足を踏み入れる。ガラリとドアを閉めると、じんわりと我慢していたものが心の中から湧き上がってきた。……―――ノドが熱くなってくる。そして、瞳を潤ませて、それはの瞬きとともに流れ出た。一度流れると、止まらなくなって、は何度も何度もそれを袖で拭う。

「……っく」
「大丈夫か?」

泣いているを見てか、手塚は彼女の頭を撫でる。……不器用な動作だった。それから手塚はとりあえずを椅子に座らせる。その小さな優しさがとても痛く、同時に撫でてくれる手がとても優しくて、は涙を止める事が出来なかった。声は嗚咽とともに発せられて、最早、言葉になどなっていなかった。手塚はが落ち着くまでずっと、頭を撫で続けていた。

「っ…ごめん…」

ポツリと呟いたのは謝罪の言葉。あれから暫くして、ようやく一段落したらしい涙を、は人差し指で拭った。瞳から拭き取られた雫が人差し指に落ちて、流れるように床に沈む。はそれをぼうっと見つめた。「……何がだ?」すると、次に聞こえてきたのは、手塚の不思議に満ちた声。はゆっくりと目だけを上げて、その瞳を密かに細めると、言いにくそうに、目を逸らした。それでも、言わなければと思い、小さく口を開いて授業。と一言口にする。手塚はその一言で、の謝罪の意味を理解し、あぁ……、と言葉を濁す。は曖昧な返事をした手塚をもう一度見て、申し訳なさそうに顔を伏せた。

「サボらせちゃったね……、手塚君を」
「気にするな」

手塚はぶっきらぼうに答える。それが手塚なりの優しさだと、すぐにわかった。ぐずっと、は鼻をすする。そして、手塚は横目でを見やると「辛かったら言え」と真剣な目で言った。はその言葉にまた、熱いものがこみ上げてくるのに気づく。じわりと視界がぼやけた。

「昨日、言っただろう?泣いている姿は見たくないと……」
「……っ」

瞬時には下を向いた。またポタポタと涙がこぼれ、床に落ちる。涙は点々と床に水玉を作った。あんなに泣いたのに。とは無理にでも涙を止めようとする。ゴシゴシと無理やりにこするので、目だけでなく目の周りも赤くなってしまった。それでも、は気にせずにこすり続けた。何しろ、涙が止まらないのだ。しかし、それは手塚によって、止められた。掴まれた腕はピクリとも動かなくて、は手塚を見上げる。下がりまくった眉はなんとも頼りなかった。

「無理するな。我慢しようとするな」

手塚は少し怒ったように言うと、はせっかく拭き取ったにも関わらず、また涙を流した。滝のように流れる。涙腺がおかしくなったように、止まることはなかった。手塚は、掴んでいたの腕を離す。の腕はブラリと腹の脇に落ちた。もう、涙を無理やり止めるようなことはしなかった。

「ご、ごめん……」

その代わり、はもう一度手塚に謝った。それから、両手を上げて、手塚の方に進める。の腕は、そろそろと何か恐れるように進んでいた。……そして、一端止まると弱々しく手塚の制服を掴んだ。手塚はそれを黙って見やる。は、何か戸惑っているようだった。

「……?」

手塚は掴んだまま、何をするでもないの名前を呼ぶ。するとはビクリと肩を震わせて、ぱっと制服を掴んでいた手を離した。涙は、止まらない。頬を伝って、ポタリとまた一滴落ちた。手塚はそれを見て、ぐいっとの腕を掴んだ。そして、を自分の顔を制服に押し付ける。いきなりのことには目を白黒させた。

「て、手塚、君?」

躊躇いがちに、が手塚を呼ぶ。でも、手塚は何も言わなかった。は、ドキドキと高鳴りだした鼓動を手塚に聞かれやしないかと、一人慌てる。すると、手塚が今度はの肩を掴んだ。そして、ゆっくり引き離す。

「……涙、止まったみたいだな」
「え……」

は言われて、両頬に指を遣わす。本当だった。さっきまで、拭っても止め処なく溢れていた涙は、引き寄せられたときから止まってしまったようだった。きっと、驚いたあまりに止まってしまったのだろう。手塚はそんなを見やって軽く微笑む。

「とりあえず、この時間はベットで休め」

それからすっと立ち上がると、保健の先生には言っておく、とに言った。は無言で首を縦に振る。手塚はそれを確認すると、教室へ戻って行ってしまった。は手塚がドアから出るのを見送った後、ベットで休むために、白いカーテンに手を伸ばした。それから、カーテンをめくるとベットまで歩き布団をめくる。そして靴を脱ぐとベットの中に入った。

「ありがとう、手塚君」

それからは、ベットの中で小さく呟くと、瞳を閉じた。





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