ガラッ

眠っていた私は、その音に目を覚まして、うっすらと目を開いた。





Remains snow
*雨霰*





「あれ?先生居ないのか……。勝手に休んじゃって良いのかな?」

はカーテンのほうに目を向けて、向こう側にいる人物を見る。その人物は、カーテン越しにだったが、先生を探しているらしく、辺りをきょろきょろとしていた。……見覚えのあるシルエットと聞き覚えのある声に、の頭にはある人の名前が思い浮かんだ。そしてカーテン越しにいた人物は、小さな音を立ててカーテンを開ける。その音と同時に、今が思ったことは、見事一致した。微かに、は目を開く。

……?」
「不二君……っ」

ただ、呆然と不二はの顔を見る。はそんな不二を見ていた。そして、確かめるように名前を口に出す。「吃驚した、も具合悪いの?僕もなんだ」先に次の言葉を出したのは、不二だった。その言葉に、自分のほうが驚いた、とは思った。けれどもそれをいちいち口に出せるほど、今のには度胸がなく、ただ黙り込む。不二はそんなの態度をあまり気にしていなかったようだ。のいるほうの反対側を一度見やって、にこりと微笑む。それから不二は、もう一つのベットの掛け布団をめくった。続いて上靴を脱いで、そこに座る。
はその行動一つ一つを見つめた。不二がゴロンと寝転ぶとベットが微かに軋む。はそれを片耳で聞きながら、慌ててぎゅっと目を閉じた。……でもいつの間にか、眠気など吹っ飛んでしまっていた。





?」
「な、何……?!」

しばらくして、沈黙が続いたあと、不二はの名前を呼んだ。は不二に背を向けて返事を返す。すると、一呼吸置いて不二は、ごめんね、と呟くように言った。は意外な不二の一言に言葉を詰まらせる。反対側を向いているため、不二がどんな表情をしているかはわからなかった。

「気まずくさせちゃって」

は何も言えないでいると、不二はそれでも構うことなく続けた。ずきっと胸が痛むのをは感じた。そして、は手を胸にやると、制服をぎゅっと握る。昨日の出来事がまた、フレッシュバックする。先ほど手塚の前で沢山泣いたにも関わらず、また、涙が出そうになって、はもう片方の手を顔のほうまでやって腕で瞼を覆った。

「べ、別に、不二君のせいじゃないよ」

それから、勇気を振り絞って、不二の言葉を否定した。声が震えているのが自分でもわかった。こんな声で否定しても、ただの強がりだとバレるだろう。それから、一度ふう、と息をついて、自身を落ち着かせる。それから不二の様子を見ようと一瞥した。すると、の動作が止まる。不二が真剣な表情でを見ていた。
……目が合う。は不二の真剣な瞳から、目を逸らすことが出来なかった。どきどきと鼓動が早くなって。ゆっくりと頬が紅潮していって。全血液が、顔に集中しているんじゃないかと心配になるくらい、の顔は熱くなっていた。

「そっか」

それから不二は安心したように微笑む。今度は胸が締め付けられるような感覚がした。それと同時に、やっぱり自分は不二が好きだと気づかされる。この笑顔が好きだった。この優しげな表情が好きだった。いつしか、一緒にいたいって。一番になりたいって、思っていた。色んな不二への感情がの頭の中をめぐる。は不二の言葉に返す言葉がなくて、また黙り込む。そして、何気なくカーテンに目をやった。すると、カーテンの隙間から時計が見える。は目を細めてそれを凝視した。まだ、授業は終わりそうにない。は思わず大きなため息をつきたくなった。そうなるとまだしばらく、この重苦しい空気に絶えなければならないのだ。は掛け布団を両手で握って、それを自分の顔を半分隠すように掛け直した。……もう、眠ることなど出来そうにもなかった。





まだまだ鳴りそうにないチャイムを、私はひたすら待った。顔を横に向ければ目に映るのは、大好きな人。

「手塚と、仲良いんだね。知らなかった」

暫くして、また不二がポツリと呟いた。時計を見ていたの耳にもそれは届く。は時計から目を離して、咄嗟に不二のほうを向いた。それから、なんとか声を絞り出す。

「そ、そうかな……」
「うんだって手塚って、女の子とあんまり話さないからさ」

が返せば、不二はまたすぐそれに対して言葉を並べた。は、不二の言葉に手塚を思い浮かべる。それは教室にいるときでも、部活のときでも、生徒会で壇上に上がったときでも。ほとんどあの無表情を崩さす、いつも冷静沈着な手塚の姿。確かに、手塚は女子とあまり話さないかもしれない。話し掛ければ話を返してくれる程度だろう。そう考えると、不二の言った意味をは理解できた。……つまりは珍しいものを見た、と驚いているところだろうか。それはあまりにも手塚に失礼なような気がしたが、は自分でそう解釈した。

「何か、気に入らなかったな」

しかし、の考えは違ったようだった。小さく呟かれた言葉は明らかに珍しいという意味ではない。は顔を紅潮させた。目線を逸らす。

ど、どういう意味なんだろう……?

そう心の中で疑問が生じた。けれど、それと同時に、小さな期待が生まれる。思わず目を逸らしてしまったは、また平常心を保って、チラリと不二の方を見やった。そして、見なければ良かったと後悔する。不二は、真剣な顔をしていた。テニスのときに見せる、あの表情をしている。すると。

「何てね、僕はもうを振っちゃったんだし、文句は言えないよね」

すぐに笑顔に戻した。いつもの安心するような笑顔に、はほっと安堵する。けれども、同じようにずきりと胸が痛んだ。……もしかして、不二は自分を振ったことを後悔してくれてるのだろうか?期待してもいいのだろうか?そんな自分本位な考え方が、頭の隅に生まれる。

「え……」

震える声で、思わず声を漏らした。もう一度、と言う意味を込めて。しかし、不二にはその声が聞こえなかったのか、理解できなかったのか、はたまた聞こえたし理解も出来たけれども、シカトを決めたのか。それについての返事はなかった。

、手塚のこと、どう思う?」

その代わりに、違う言葉が返ってくる。反対に質問の言葉。くすっと、笑いながらに言う。は「手塚」という名前に微かに反応した。不二の真意がわからなかった。には理解など出来なかった。
―――どうして、そんなことを聞くの?頭の中でぐるぐる回るように入っている一言。しかし、それを口に出来ない。度胸がないのだ。そんな自分に呆れながら、は震える唇をぐっと噛んだ。

「そんな、どう思うって……私は」

不二君が好きなのに。と思わず言いそうになって、口を閉じる。すると、続きが気になるのか、不二はん?と首を傾げる。不思議そうな表情がの瞳に映った。しかし、続きを言うことなどしない。もう、あんな辛い思いは嫌なのだ。2回も振られるなんて、自分には辛すぎる。は、苦虫を噛んだような顔をして、静かに口を開く。

「……何でも、ない」

それから、布団の中に入り込む。視界は真っ暗。視覚がなくなった今、一番発達したのは聴覚。不二の声が聞こえる。笑い声だと直ぐに分かった。はそれを遮るようにして、両耳に手を当てた。それに力を込める。けれども、それでも笑い声は聞こえてくる。どんな思いで笑っているのか、にはわかるはずもない。そんな中、は早く時間が過ぎて欲しいと、強く願うばかりだった。ぎゅっと瞳を強く閉じて、切に思う。

「ねえ、?」

すると笑いがやんで、また不二君が声をかけてきた。は、布団の中でビクっと反応する。だけれど、何も言わなかった。次に聞こえたのは不二の息をつく音。はぎゅっとシーツを握り締める。

「真面目な話で、あの告白って、まだ有効かな?」
「は……」

それから聞こえてきた声に、は素っ頓狂な声を上げた。は驚いて、布団から顔を覗かせる。それから不二の顔を食い入るように見つめた。不二の発言に、思わず脳内の機能が停止したように、は不二の言葉をすぐには理解できなかった。
突然の彼の発言に、私はただ、呆然と見つめることしかできない。彼の言葉が本当なのかはたまた冗談なのか私にはわからない。けど…一つだけ確実なものがあった。それはどんどんと早くなっていく鼓動の音。耳にこびり付いて、離れない。そう、私はまだ彼に恋をしているのだと言うこと。

「じょ、冗談でしょ……!」

は不二の突然の告白に唖然としていた。けれどもすぐさま我に返ると、どきどきと鳴り止まない鼓動を隠すようにつっけんどんに言い放つ。…それはきっと、あの告白の日の辛さを思ってのことだろう。それからガバっとまた布団の中に潜り込んだ。しかし、次に聞こえたのは、不二の真剣な声色。

「冗談じゃないよ」

優しい、だけれども真剣な、強さのある声で言われ、は思わず涙腺が緩むのを感じた。自分が泣きそうになっていることに気づいて、慌ててぎゅっと瞼を閉じる。そして、震える声で、唇に言葉を乗せた。

「……嘘。だって、友達だって……言ったじゃん、友達以上に見れないって……」

あの時の光景を思い出す。雪が降り積もったあの日。勇気を出して告白をして。見事に玉砕してしまったあの日のことを。あの時で自分の恋は終わったのだと、そう思っていた。が感傷に浸っていると、だんだんと目頭が熱くなる。そして、ぎゅっと瞳を閉じていたにも関わらず、涙が頬を伝った。はそれを乱暴に拭う。それでも涙は止まらなかった。止め処なく溢れては、白いシーツの上にポタリと落ちる。涙の後が、シーツについた。ぐず……と鼻をすする。

「友達だって、思ってたから。でも、手塚と話してるところを見たら」

不二は、続ける。静かに、ゆっくりとそしてはっきり、言葉を紡ぐ。そして、一端そこで言葉を留めてしまった。は未だに流れつづける涙を拭って不二の言葉を聞く。いや、自然と耳に伝わってきたと言うほうがいいかもしれない。それから、次に言われる不二の言葉を待った。

「でも、今気づいたんだ。が好きなんだって。まだ有効なら、付き合おう?」

そして、戸惑う。ずっと欲しかった言葉。いつかはなれたらって夢見てた言葉。それが今現実となったのだ。嬉しさがこみ上げる。しかし、は素直には喜べなかった。

「で、でも……私……」

出るのは、躊躇いの言葉。そして、頭を過ぎるのは、手塚のこと。には何故手塚のことが思い浮かぶのかわからなかった。しかし、すぐにそれはあの日、手塚に告白されてしまったからだと、納得する。はそれを消し去るようにブンブンと首を横に振った。涙がいつの間にか止まって、頬が乾く。そして、次に目の前を見れば、不二が自分を見ていることに気づく。見つめられる視線から逃げるようにして、寝ていた身体を慌てて起こす。すると、丁度いいタイミングなのかはわからないが、予鈴がなった。長かった1時間は終わったのだ。はほっと心の中で安堵する。緊張しっぱなしだったので妙な開放感があって、少しだけ表情が和らいだ。不二は予鈴を少し聞いてからベットから降りる。それからの方へと近づいてきた。の顔がまた少し強張る。が黙って不二を見ていると、不二はの前で一度止まって、腰を屈め……。

「覚えておいて、僕の気持ち」

の額に軽く触れるだけのキスを落とした。それから不二は小さく微笑むと、カーテンを開けた。シャッと言う音が周りに響く。不二はそこから出ると、またカーテンを閉める。はカーテンの奥に消えてゆく彼の後ろ姿を黙ってみていた。次に、ガラっと言う音がの耳に届く。不二はを見ることなく保健室から出ていった。は誰も居なくなった保健室で、ベットに座ったまま、そろそろと額に手を伸ばす。それから、ボフッと枕の上に倒れこんだ。顔を埋める。の顔は真っ赤に染まっていた。

それから、保健医の先生が来るのはあと1,2分先の話。顔を朱色に染めるを見て、熱があるのではないかと誤解され。それに対してが慌てて保健医に必死で弁解をしていたのは、また別の話。





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