授業が始まり、静まり返る教室。 その授業の先生が重要ポイントを説明している中。 私は、彼のことが忘れられませんでした。 Remains snow *杜撰感情* 「僕の気持ち、覚えておいて」 頭の中でぐるぐると繰り返される不二の言葉。額に残る感覚。不二の体温が残っているようだった。はそっとそこに手を近づける。ひやりと、少し冷えた自分の手が額に触れた。そこで、無意識のうちにの眉間には皺が寄る。その顔は困り顔。困惑しきった表情。 ……気持ちって、言われても…… そして、は心の中でぼそっと呟く。それからため息をひとつ吐いた。その後、目下のノートに視線を移す。まだ、真っ白なノート。そこでは今日はまだ一行も何も書いてないことに気づく。それからまた無意識のうちにため息をついて、とりあえず何か書かなくちゃ、と意気込んだ。前を見れば、びっしりと緑の黒板に埋まる文字。あれを書かなくちゃな、とは思うものの、実行に移すことが出来なかった。 何故なのか。それはきっとさっきの保健室の出来事が原因だ。頭の中を支配しているのは、不二の言葉。それがネックになって、何もする気が起きないのだろう。また、は小さくため息をついた。 「?」 すると、隣から至極小さな声が聞こえた。それに対し、は飛びかけた意識を元に戻す。それから横を向けば、眉間に皺を数本刻んだ手塚の顔。はどうしたの?と言う意味をこめて小首を傾げて見せた。それだけでの意図に気づいたのか、手塚の切れ長の瞳が更に細くなり、それがを鋭く捕らえる。それからまた小声で手塚がに喋りかけた。はそれに耳を研ぎ澄ませる。 「大丈夫か…?」 心配そうな声色。小さな声だったものの、隣に居たには十分聞こえるほどの大きさで。は手塚の優しさにぎゅ、と胸が締め付けられた。手塚を見れば、さっきと表情は変わらないものの、今の言葉を聞くと、心配そうな表情に見えなくもない。は……と暫く考えた後、はっと手塚の言葉で思い当たる節に気づいた。どうやら、具合が悪いと勘違いされたようだった。そんな手塚には、申し訳なさを感じながら、無言で肯く。それから愛想笑いを浮かべた。そうすれば手塚は少し腑に落ちないながらも、小さく肯いて、また黒板へと視線を移す。それから黒板に新たに記入された文字をノートへと写していった。はその様子を黙って見やる。 ……変わらない、手塚の態度。いや、以前に比べて明らかに優しくなった自分への態度。それを感じずにはいられなかった。また、自身その不器用な手塚なりの優しさを目の当たりにする度に、嬉しさを感じている。それは否めない。でも、ちらちらと横切るのは、先ほど言われた不二の一言。 「僕の気持ち、覚えておいて」 それを思い出す度に、胸が高鳴る。ドキドキと高揚していく気持ちは嘘じゃない。多分、まだ自分は不二のことが好きなんだろうと思った。それを考えると胸がぎゅっと苦しくなる。 …これじゃあ、最低女だ。 思わず自己嫌悪に陥る。不二のことが好きで、告白したくせに、手塚に告白されて今度は手塚も気になるようになる。なんて。そんな曖昧な状態で不二のことを本気で好きだなんて言って良いのだろうか。手塚のことも気になるけど、不二のことも好き。そんな風に言ったら、不二はどう思うだろうか?多分、幻滅されることこの上ないだろう。 …反対に、手塚くんに言ったら、どうなるかな…? 手塚はどんな反応を返してくれるだろうか。吃驚するだろうか。それともやっぱり幻滅するだろうか。後者のほうが確率的に高いと思った。真面目で、良く出来る生徒の鏡の手塚が、まさか笑って許すはずがない(もっとも彼は笑わないのだが)はそう考えると、頭を覆いたくなかった。 どうしよう、どうしよう、どうしよう。 頭の中では答えの出ない問いかけのみ。は眉根を寄せて、また小さく声を押し殺して息を吐いた。その間もじっと手塚を見つめる。手塚がもうこちらを向くことはなかった。さすが真面目なだけあって、今は授業のことしか頭にないようだった。は数秒見つめた後、また小さく息を吐いて自分も黒板へと視線を移した。気がつけば黒板はもう書くスペースの無いくらいびっしりと埋まっている。はまたため息を落とし、未だ真っ白い自分のノートを一瞥して、この授業初めてシャーペンを握ると、ノートへと書き込みをしていく。その間も、頭の中では不二と手塚のことでいっぱいだった。はそれを振り払うかのようにがしがしと無理やり頭を掻いてぎゅっときつく瞼を閉じた。 悶々と考えた昼休み前の授業。長かった授業はチャイムの音とともに終わりを告げ、担当教師が帰っていく。私は机の上に無造作に置かれたノートや筆記用具を机の中にしまいこむと、何度目か解からないため息を吐いた。 それから時は進み、昼休みの時刻。少し重たい扉を押し開くと、ひゅう、と心地よい風がの頬を撫でた。はそれに気持ちよさを感じ、自ずと目を細める。それから数歩踏み出しんー、と勢い良く伸びの恰好をした。上を見上げれば晴天。雲ひとつない青空が視界に映る。眩しい太陽に瞳を細めると、後ろから声がかかる。 「はいはい、もうちょっと前に出る出る!通行の邪魔」 至極冷たく言い放たれた言葉に、清々しい気持ちが一変して急落下する。は小さく口を尖らせ納得がいかないといった表情を顔に貼り付けると、後ろの人物を恨めしそうに見つめた。それからひとつため息。 「むう…ってば冷たいんだから」 小さい子どものように頬を膨らませながら冗談交じりで言葉を紡ぐ。そうすれば声をかけられた本人…は呆れたように瞳を細めた。切れ長の瞳がよりいっそう細くなり、を捉える。それから至極大きいため息を吐くと、の横を通りすぎる。すたすたと無駄の無い動きで足を進め、フェンスの手前で立ち止まり、フェンスに背を向ける形で寄りかかり座った。は終始それを眺めていたが、ようやく、は、と気づき同じようにの元へと駆け寄る。右手に持っている小さな袋がゆらゆらと前後に揺れ、カタカタと小さな音を立てた。 「そんで、大丈夫なの?」 「うん、大丈夫!!」 お弁当の蓋を開けている際、一言二言会話を続けた後、が話を切り出した。一応心配しているらしく、は軽い調子でに問いかける。の聞き方は軽口風だったが、それは彼女の照れ隠し。それが解かったのか、は一瞬ポカンと間の抜けた表情を見せたものの、すぐに笑顔になると大きく肯いてみせた。心地よい風が吹いて、との髪を揺らした。 「でも、手塚って優しいね〜」 「え?」 それからまた、唐突な一言。行き成りの言葉にはまた間の抜けた声を上げた。きょとんとした顔でを見やる。しかし、当のは空を見上げながら暢気にご飯を頬張っていた。はそんな友人に対し、もう一度問いかけるように、え、と言葉を紡ぐ。すると、はそれに気づいたのか、空にやっていた視線をに移した。 「だって、のこと気遣ってくれてさ?これで新たな恋の始まり…なんてことになるかもよ!」 にんまりと笑ったの顔が、の瞳に映る。すぐにその言葉の意味を理解することが出来ず、は呆然とを見つめていた。しかし、数秒の後、ゆっくりとその言葉を理解すると、呆れたようにの名前を呼んだ。それからため息をひとつ。けれど、の表情は崩れることなく、気味の悪い笑顔のまま。―――何かを企んでいるのは一目瞭然。はそんな友人に対し、もう一度大きくため息をつくと、有り得ない、と一言だけ呟いて、持っていた箸でお弁当の中のプチトマトをぐさりと刺した。するとはの言動を見て、苦笑交じりに冗談よ、と続けた。 もくもくと弁当を食べ始めて、半ばに差し掛かったころだろうか。は口の中のご飯を飲み込むと、一息ついた。それから、のほうを見て、問いかける。 「それで?」 行き成りの質問には今しがた口の中に入れ込んだハンバーグを噛みもせず、を見つめた。ぽかあん、と言う効果音が流れてきそうなほどの間抜け面。は2,3度目をパチパチと瞬かせると、?と首を傾げてみせる。口に物が入っているため、発声は困難だ。もそれがわかっているため、小さく息を吐くと、また、同じ質問を繰り返した。 「それで、不二くんとはどうだったの?」 今度は、ちゃんとした質問。はまた噛むことを忘れそうになった。噛み切れてないハンバーグが喉につまりそうになる。慌てて、誤魔化すようにジュースのパックを手に取った。そして、ごくり、と音を立ててジュースを飲み込んだ。一緒に、ハンバーグの塊も飲み込んだ。少し、むせる。そんな様子を黙ってみていたは、少し遅れて呆れながらの背中を叩いてやった。それからが落ち着いたのは、数秒後だ。 「なっ、なんでもないよ」 初め噛んでしまったのは、まだムセが残っていたからだろうか。もう1度はジュースを一口飲んだ。すう、と入っていくアクエリアスが、喉に浸透していく。ふう、と小さく息をついて、はにこっと笑って見せた。上手く誤魔化せただろうか。 「嘘」 …誤魔化せるはずが無い。の笑顔はだんだんと苦笑交じりへと変わっていった。同様に、何でもお見通しなんだなあと思うと、自分を知ってくれてるようで、少し気恥ずかしく思った。 「何か、悩みがあるんでしょ?それで、思いつくのは不二くん。告白したんでしょ?」 「うん…」 悩み、について聴かれ、は小さく肯いた。しかしながらの考えは半分当たりで半分外れだ。確かには不二のことで悩んでいた。それは間違っていない。けれども半分は、…手塚のこと、だ。しかし、は昨日に「不二くんに告白してくる」と言うことしか聞いていない。なので手塚のことを感じ取ることは出来なかったのだろう。は乾いた笑みを浮かべ、「ばれてた?」と返す。 「バレバレよ」 するとは呆れたようにため息交じりで返答した。そんな親友に苦笑して。は一旦端を置くと、浅い深呼吸を数度繰り返した。それから、を真っ直ぐと見つめると、小さく微笑んで。昨日の出来事と今日保健室であったことをに話し始めた。本格的に自分でどうしたらいいのかわからなくなっていて、…縋り付きたかったのかも、しれない。 「と、言うわけでさ…如何したら良いんだろうって思って…」 「うーむ…」 一通り話し終えたは、ちらっとを横目で見やる。するとは考えるように腕を組んでみせた。彼女の眉間に寄る皺が思いのほか深く、真剣に考えてくれているんだと言うことがわかる。瞳を瞑って小さく唸っていたが、その瞳はゆっくりと開かれた。 「で、まずの考えではどうしたいわけ?」 それから、静かな問いかけ。は真っ直ぐな瞳でを見る。そう言われるとは思っても見なかったは一瞬の言葉を理解することが出来なかった。しかしすぐにの言葉を飲み込むと、暫く考えた後無言では首を横に振った。 「わかんない…」 出る言葉はそんな曖昧な台詞。弱気な発言にはほんの少しだけ目を細めた。は言った後顔を伏せると、蚊の鳴くようなか細い声でもう一度繰り返し呟いた。するとはの顔を覗き込む。それから黙って口を開いた。 「やっぱ、不二君?」 言い終えた後、の言葉にはパっと顔を上げた。そうしての顔を見れば、さも当たり前、とでも言いたそうな表情だ。まあ、の言葉は当たり前と言えば当たり前の台詞だろう。黙って目を見開くには小さなため息をつくと、いまだ黙っている彼女へ続けて言葉を並べた。 「だって、そうでしょ?不二は初恋な訳だし?告白して振られたけど、不二はその後自分の気持ちに気づいたわけだし…ハッピーエンドなわけじゃん?」 それから「ね?」と微笑んで、は半ば放置状態だったご飯を口にする。はまだ目を見開いたまま何も言えない。……確かにの言うとおりだとは自身もすぐに思った。不二周助はが始めて好きになった男子。中学入学して一目惚れに近いようなスタートだったけれど、ずっと片想いをしていたわけだ。そんな彼に勇気を出して告白、そして惨敗…と落ち込んでいたところで結果は逆転。普通はそっちを取ってしまうであろう。は「うん…」と腑に落ちないような面持ちで頷く。しかし、何故か素直に喜べなかった。不二に告白されて嬉しくないわけではなかった、決して。寧ろ夢なんじゃないかと思うくらい、現実離れしていた。 それくらい夢にまで見た不二との両思い。 本当ならば泣きたくなるくらい嬉しい出来事のはずなのに、何故、はそう思うのか、自分でも良くわからなかった。きっと、手塚からの告白がなければ即刻うん、と肯いていたであろう。 え、どうしてそこで手塚君? 不意に浮かんだ手塚の顔にははた、と思考を停止した。そしての思考停止とが声を出すのはほぼ同時で。 「もしかして…」 考え込むに箸を突きつけてにやりと笑う。の笑顔に底知れぬ不安を感じつつ、は眉根を寄せる。そして、冷え切ったウインナーを口の中に入れた。やっぱり作り上げてからの数時間後のウインナーと言うのは硬い。パリっと感の無くなったそれを奥歯で噛み砕きながらの顔を見やった。以前の顔はにやけたままだ。にやけ顔のままは続きを口にする。 「手塚のほうに惚れた?」 言い終わった瞬間とがむせるのはほぼ同時だった。ぶほっと音をさせながら次に続くのはごほごほ、と言う咳。ウインナーが気管に入ったのだろう。中々止まらない咳にの顔がどんどんと紅くなっていく。トントントンと多少乱暴に自分の胸の辺りを叩くと、真正面で見ていたは「あーあ」と言いながら、の横に移動すると、彼女の背中を優しくさすった。それから、落ち着いたは、ふう、と安堵の息を漏らすと、キッとを睨んだ。 「そんなんじゃないよ!」 の言葉に、一瞬呆けたような顔をしただが、すぐにさっきのあの、憎たらしい笑顔を取り戻すと「照れなくてもいいのに〜」と茶化すように言った。その言葉には思わず立ち上がる。の顔はさっきのウインナーのムセとは違う紅さを帯びていた。茶化されたことが嫌だったのか、はたまた図星を指されて嫌だったのか…。の表情からはどちらであるのか汲み取れはしなかったけれど。どっちなんだろうか…顔を真っ赤にさせるを見上げながらぼんやりとは思った。 「違う…!!!」 「そ…そんな、一生懸命否定しなくても冗談よ」 思いのほか、の声は大きくの耳に届いた。そんな彼女の態度に驚いたのか、は目を細め手を振った。の態度を見て、落ち着きを取り戻したのか、ぽかんと口を半開きにした後、我に返って、ストンとゆっくりと座り込んだ。 「が変な事言うから…っ!」 顔を赤くさせながら、遠慮がちに、言った。さっきの威勢のよさは何処へ消えたのだろうか。今の目の前にいる彼女は急にしおらしくなり、小さく取ったご飯を口の中に入れた。はの代わりように心の中でつっこみながら、彼女の言葉に続ける。 「いや、でも真面目な話でさ?如何なのかな〜と思って。だって、恋愛感情無いなら、不二君と付き合う筈じゃん?」 言った後、は先ほど口に入れたご飯をごくりと飲み込んだ。それからきゅっと唇をかみ締める。そして小さく口を開くと本当に囁くくらいの音量で言葉を吐き出した。「そ、そうだけど…」の言葉は今のにとって何よりも痛い言葉だったのかもしれない。自分でも思っている疑問を彼女に言われてしまい、肯定しか出来ないようだった。ぐさぐさと、箸でご飯を突付く姿は、自分でもわかっていた、と決して声には出さないけれども、そう言っているようにには見える。その様子にはにばれない様に小さくため息を落とす。 「まあ、決めるのはアンタだけどさ。ゆっくり考えればいいんじゃない?」 そう言うの言葉には肯いて蒼く晴れ渡った空を見上げた。自分の心とは正反対にからりと晴れた太陽に思わず瞳を細める。ちかっと眩しいくらいのお日様。そのとき、昼休みの終わりを教えるチャイムが鳴った。休みの間では一番長い昼休みはいつもよりも早く終わったように思う。 「さ、教室に戻ろう?」 「うん、そうだね」 ぼんやりと考えているとはいつの間に片付けたのだろう?弁当箱を片手にに笑みを送った。はその笑顔に促されるようにようやく微笑む。それからよりも早く立ち上がったは、空いているほうの手をに手を差し伸べる。はその手をとって、立ち上がった。五時間目は英語だ。本鈴が鳴るまで後五分。 はの手のひらを握り締め、二人で屋上を後にした。 ― Next あとがき>>補足:【杜撰】・・・不確かなこと。手おちの多いこと。という意味。 2005/12/14 |