Adagio
『…、応援してくれる…?』
の脳内で先ほど言われたの言葉が反響していた。一瞬、何を言われたのか理解出来なかっただったが、直ぐにそれを整理するように考えると、言葉に詰まってしまった。
何で!?だって、『無理、興味ない』とか言ってフラれたんだよ!?とか、そんな勝手な男の何処が良いの!?とか、ちゃんならいくらでも他にもっと素敵な人がいる筈なのに!とか、には色々思うところは合った。けれどもそれを今に直接言ってしまって良いものなのかどうか自分のちっぽけな頭で考えてみれば、答えは自ずと『言えない』になってしまう。だって、目の前の少女は応援される事を願っているのだ。それを無下に断ること等には到底できなかった。結局数秒の後の唇に乗って出てきた言葉は「う、うん!」と言う歯切れの悪い肯定だけだった。そんな自分が情けないと感じるだったが、肯定をもらえたは先ほどの憂いを帯びた表情を一変させ、ふんわりと微笑んだ。「有難う」それは心からの台詞だっただろう。
そんな友人の顔を見て、は更に落ち込むのだった。
★★★
あーもうあーもう、あたしの馬鹿馬鹿馬鹿っっ。
今は激しく自己嫌悪していた。12月の風が頬に突き刺さるのもお構いナシにが今居る場所は裏庭だった。時刻は昼時。本来ならストーブの着いた暖かい教室で友人達と机を囲んでランチをしているはずだったが今日は朝の出来事があってからか、いつものようにランチすると言う選択肢を踏めず、は一人お弁当を片手に教室を飛び出した。そして、誰もいない裏庭で一人反省会をしているところだ。冷めたお弁当を口の中に詰め込んで、泣きそうになりながら項垂れる。
アノ場で、どう言えば良かったのか、ずっと考えていたが答えなんて出ない。色々考えた。本当は本音を言ったほうが良かったんじゃないか、と。全く持って相手の男の事を知らないだったが今朝聞いただけでもロクな男ではないんじゃないかとは想像したのだ。そんな男が、自分の大好きな友達を幸せにしてくれるなんて想像もつかないし、振り向いてくれる可能性も低い。不毛、なんじゃないか、と失礼ながら思う。でもそれを思うのも友達の事が大好きだからこその考えだ。大好きで大切だからこそ、友人には幸せになってもらいたい。ずっと笑顔で居て欲しい。それがの願いだ。そう考えると、今朝のの選択肢は間違いではないのかもしれないとも思う。だって、本当は応援したくなくとも「うん」と答えた時点で、彼女は嬉しそうに微笑ったのだから。良心の呵責がを襲う。
結局自分は、自分の平和の為に本音を隠してしまったのだ。…嘘になるのだろうか?自分の最も嫌いなそれを、自分の守りたい平和の為に遣ってしまったのかと思うと、更に心苦しくなった。勿論、自身相手の男の事を全否定している訳ではない。振られても尚好きで居続けて、本気での事を幸せにしてくれる見込みがある奴ならば話しは別なのだ。
でも、詐欺師…なんだよねえ?良く解らないけど。
そうもっともが納得出来ないのはそこだった。詐欺師って結局は騙す人って事なわけで…。それって悪い事だと思うわけで。やり場のない気持ちがもやもやと胸の中に溜まりこんでいくのが解る。自分がいくらうじうじ考えていたって仕方が無いとは思う。だけど、まあのしたいようにすれば良いじゃないかとは思えなかった。…だって、傷ついて欲しくない。
結局休憩中も色々あーだこーだ考えたが、自身納得の行く答え等出てくる筈も無かった。
★★★
午後の授業は体育だった。この師走と言う時期にマラソンらしく、女子達は猛烈な勢いでブーイングを発していたが体育の教師はがんとして譲らなかった為、マラソンは予定通り行われる事となった。嫌々ながらの声がスタートする直前まで漏れていた。そんなマラソン否定派が大勢居る中、は稀なマラソン肯定派に居た。走るのは彼女の好きなモノの一つだった。苦手な体育の中で、唯一活躍できるのがマラソンだった。短距離のダッシュ力は無いものの、長距離で最も必要な持久力がには備わっていたのだ。
――― ピーーーーーーーーーィィ
と言う先生の吹いたホイッスルの音を合図に走り出す。殆どのものは面倒くさがっていてペースはゆったりだった所為もあり、は早い部類のトコロに居た。出発して数分後には先頭集団の中の上クラスに居た。はっはっはとテンポ良く息継ぎをして、適度な速さで苦無く走っているといつの間にかトップに躍り出ていた・・・と言った風だ。はそのままのペースで走り続ける。男子と女子は体格差が違う故、コースが別れる。途中まで一緒だった男子達(と言っても一緒に授業を受けているわけではなく、ただ単に一緒なスタートになったと言うだけの話だが)は先ほど別方向になったので、結果的に数分後にはが一番前というポジションに立っていた。
あとちょっとかな?
大体の距離を把握して、これくらいのペースなら最後まで余裕でたどり着けるだろうと予測をつけて、は走っている速度をほんの少し上げた。息が弾む。吐き出された息は白い物質となって空中を踊る。冬の薫りがの鼻を掠めて、冷たい12月の風が熱くなったの頬を冷ますように吹き抜けた。
「とーちゃくぅ!」
が見事ゴールしたのはそれから数分後の事だった。思ったとおりはトップを独走していたらしく、一足先に着いたグラウンドに人気は無かった。グラウンドの中央に立ったところでは嬉々して両手を挙げて喜ぶ。やっぱり走るのは気持ちいい。寒い12月の風も走っているときは苦にならない。自ずと笑顔になっていると、不意に、「ぷっ」と言う笑い声が聞こえてきて、自ずとそちらを見つめた。一人だと思っていたが、どうやら先客がいたらしい。?と視線をそちらに向ければ、見た事の無い男子生徒がを見ていた。銀髪のキレ長い瞳。どうやらさっきの笑い声はに向けたものだったらしいことには気づく。もしかして知り合いだったかな?と思い目を凝らして見てみたが、やっぱり見たことのない顔だった。そもそも銀髪の知り合いを忘れるほど自分自身ボケては居ないはずなのだからやはり知り合いではないんだろう。隣のクラスなんだろう。と結論付ける。体育の授業はA,B組合同だから。(ちなみには1年B組在住中だ)未だにくつくつ笑っている男子生徒をポカンと見つめていただったが、突然話をかけられて、我に返った。
「お疲れさん」
今でもまだ笑いが収まらないといった風に楽しそうな声をかけられて、は一瞬きょとんと腑抜けた顔をした後、コクンと頷いた。すると銀髪を揺らしながらを笑う彼。はほんの少し遅れて、彼の方へと歩み寄った。「そっちもお疲れ様」と掛け声をつけて。そうすればやっぱり何処かおかしそうに笑う男子生徒。
「いや、俺は走っとらんよ」
「あ、見学?」
そう言えば「そ」と短い返事が帰ってきた。暫く考えれば解る事だった。男子と女子の距離は随分違う。いくら男子の方が体力があるからと言っても、こんなに早くは完走出来ないだろう。しかもあれだけの距離を走れば身体は嫌でも温かくなるのにも関わらず、彼を見ればジャージを羽織って汗一つかいていないのだ。そんな事を考えていると「コホッ」と乾いた咳が聞こえて来ては「風邪?」と座っている彼に問いかけた。そうすれば「ん」とやはり短い返事が返ってくる。
「あ、じゃあ丁度良いや!はい、コレ!」
「…ん?」
「のど飴!ちょっと甘いんだけど、何も無いよりは良いかなって」
丁度ポケットに入れていた飴玉を差し出すと怪訝そうな顔を一瞬されたので急いで言葉を付け足してにかっと笑った。すると男子生徒は一度の手に収まっている小さな袋を一瞥して、フっと笑った。何処か小馬鹿にした笑みだったが彼女は気づかなかったらしい。何か可笑しかっただろうか?と首を傾げると、彼はの手中のそれに手を出すわけでもなく呆れたように喋りだす。
「幸せそうな面」
独特の方言交じりの声がの聴覚を刺激した。その言葉を理解するとはふんわりと微笑んだ。
「えへ。よく言われる」
勿論それは彼にとっては厭味だった。けれどもは真っ直ぐに受け取って嬉しそうに微笑むので、男子生徒はぽかんとしてしまった。(…普通、此処は厭味だと受け取るじゃろうに)半ば呆れながらを見て、はあ、と小さく息を吐き出した。
「お前さんみたいな奴は、悩みや嫌な事なんか無く、毎日楽しく過ごせるんじゃろうね」
今度の台詞はちゃんとトゲを含めて言ったつもりだった。けれどもやっぱりはワンテンポ遅れた後「そんなとんでもない!」と首をぶんぶんと左右に振った。今回も厭味だと気づかなかったらしい。
「あたしにだって嫌な事あるよ!…悩みも、最近出来たし」
「…へえ、どんな?」
差して興味も無いのに男子生徒は聞き返すと、今度は即座にから返事が返って来た。
「喧嘩と賭け事と嘘!」
言われた台詞にああコイツならそういうの答えそうだ…と知り合ってたった今なのに銀髪の彼は何となく納得できてしまった。けれども彼女の言葉はそこで終わりではなく続きがあったらしい。「あ、っと」と続く声を何気なしに聞く。自分から尋ねておいて全く誠意の無い態度だと自分自身感じていた。その後の答えも適当に流せば良いだろう。どうせ今だけの暇つぶしの関係だ。と適当に聞き耳を立てていた。が、それは直ぐに変わる。
「あと、仁王って人!」
「…ブッ」
突然の答えに彼は耳を疑った。嚥下しようとした唾が器官に入ってしまったらしく激しく咽こむとの心配そうな声が響く。「大丈夫っ?」名前も知らない男を本気で心配していると言った風な声に、彼はまだ軽く咳き込みながら大丈夫の意味での顔の前に手を出して制止させた。それが伝わったらしくは静かになる。咳き込みが落ち着いたのはそれから直ぐの事だった。はあ、と一呼吸して、咽込み中言えなかった質問をする。
「あー…なんじゃ、お前さんその仁王って奴になんかされたんか?」
眉根を寄せながら問いかけるとはまた一瞬呆けた顔をしてから表情を暗くした。…てゆうかさ。と続く台詞を、今度はちゃんと聞く姿勢で耳を立てる。沈んだままの表情は相当嫌な事をされたようで、男子生徒は知らずのうちに険しい顔を作る。
「あたしじゃなくて、友達が…ね」
「ん?」
「結構酷いフラれ方したの。だからなんかちょっと、ヤな人だなって。でも友達はまだ仁王って人の事好きみたいで、…それが悩み」
まるで自身がフラれたみたいに傷ついた顔をするので少年は咄嗟に何も言えなかった。するとはぱっと顔を上げて、「あ、今の他言無用だよ!」としーのポーズをするので更に少年はそれに対する返事が出来ずに終わった。自身、見ず知らずの男子に何を…と思ったのか早々と話を切り上げた。するとバッドなのかグッドなのかわからないタイミングで人がまばらに帰ってきだす。早いペースの男子達集団や女子が帰ってきた事がわかるとは「あ」と小さく声を漏らし、じゃあ戻るね。としゃがんでいた体を起こした。そして振り向き様にポイっと投げるそれ。反射的に彼は何とかそれをキャッチして掌のそれを見やる。飴玉だった。そういえば最初に勧められていたな…なんて頭の隅で考えていると、
「じゃあ、風邪お大事にね、柳生君!」
と声をかけられたので、やっぱり反射的にを見上げ「は?」と間の抜けた声が漏れた。はその「は?」の意味を何故俺の名前を知ってるんだ?と言う風な疑問の声だと推測して、自分の胸元をちょんちょんと当てた。そこで彼は自分の着ているジャージを見下ろす。ああ、ネームを見たんだと納得が言った。そして再度顔を上げたときにはもうの後姿は遠くの方に行っていた。
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