Adagio
ヤギュウの買って来たお菓子を二人仲良く食べていた。実際ヤギュウはお菓子等の類は食べないタイプだったががあまりにも美味しそうに食べるので釣られたというのもある。普段は手をつけないお菓子を口に含んで、他愛もない話をしていた。が6時間目の数学はちゃんと寝ずに受けたよと言う報告に始まり、実は彼は数学が得意なんだと言う情報を知った。今度教えてと言う質問に対してヤギュウは柔らかく笑うと「ええよ」と頷いた。そこで、はた、と考える。それはB組の授業を知っていた事に対しての疑問だ。B組に友達でも居るの?と言う風に質問をぶつけるそれに対してヤギュウは
「俺は自分のクラス以外の授業も覚えとるんよ」
「嘘ぉ!嘘は駄目だよっ」
「フッ、嘘じゃなか」
「え、じゃあほんとに覚えてるの?」
「いや」
「ほら、嘘じゃん〜」
言葉の応酬に、また少年が笑う。は嘘に過敏になってるように思えた。そこで、チクリ、とヤギュウの胸が痛んだが、ヤギュウは気づかないフリをしての頭にぽん、と手をやった。それから「嘘じゃない」と繰り返す。そして付け足すのは
「"冗談"じゃ」
…そう言うのを屁理屈と言うんだろう。は一瞬呆けてしまって、それから口を尖らせて「それってなんか…」と抗議したが本気で怒っているわけではなかったので、その話も後に一言二言で終わった。
二人同時にお菓子に手を出すので沈黙が流れた。一緒に食べたとしても食べ終わったのはヤギュウの方が早かったようだ。うまいこと口の中のお菓子を嚥下すると、今度はヤギュウの方が口を開きずっと考えていた事を問うた。「なあ」まだ本調子じゃない掠れた声が紡がれる。が視線をヤギュウの方にやって小首を傾げる仕草をした。
「…、5限に会った時、言うたよな」
「何を?」
「…仁王って奴が嫌いだって」
言うと、は暫く考えた風を見せた後、こくりと頷いた。肯定だと確かめて、少年は言葉を繋ぐ。「じゃあ、」聞こえた声はやっぱり元気が無い。は「うん?」と彼の言葉を聞き逃さないように聞き耳を立てた。
「自身は何かされたわけじゃないんじゃろ?」
「そう、だけど…でも、でもねやっぱり言い方ってものがあると思うの!…友達は真剣だったのに」
「でも、それでもし期待を持たせる事ゆうても、相手を傷つける事になるじゃろ?それならきっぱり断るのもいけんわけじゃないと俺は思う」
強い語尾に、は黙り込んだ。それからきちんとヤギュウの言葉を理解するように勤めて。…暫く沈黙した後、「そうだけど…」と声を小にして出した。確かに、彼の言うことも一理あるのだ。期待を持たせる言い方をしたら、二度友達を傷つけてしまう事になる。考えた後、ヤギュウの方を見上げれば…あ。何故か、自分が傷ついたような、少年の顔。
「も、しかして…柳生君の友達だった?ご、ごめんね…!」
はそう捉えたのだろう。自分だったら凄く厭だ。自分の友達を厭な風に言われたら誰だって好い気はしないだろう。その傷ついた顔の理由をそう考え、は眉根を寄せて思いっきり眉尻を下げて勢い良くヤギュウに謝った。けれどもヤギュウの口から零れたのは「いや…じゃなくて」と言う否定的な声だ。と言うことは友達では無いと言う事になる。そこで、は思ったのだ。
「…柳生君、優しい人だね…!」
そう、ヤギュウは優しい人なのだ。相手の事をちゃんと考えているんだと、ちゃんと周りの事が見れている人なのだとは認識した。ふわ、と微笑むと、ヤギュウはの笑顔にふっと視線を逸らす。「そんなんじゃ…」言った言葉は独り言に近く、に聞こえたかは知れない。風の音で消えてしまいそうなくらいの音量だったからきっと聞こえてないんだろう。そっぽを向いてしまったヤギュウの顔を見て、更に笑う。ほんの少し耳が赤い気がするのは照れているせいだろうか。クスクスと小さく笑むと、逸らされたヤギュウの顔が再びを向く。
瞬間、彼と目が合った。
―――何故かその瞳に吸い込まれそうになった。
ドク、との心臓が波打つ。この感覚の意味が解らない。その名をはまだ知らなかった。ドクドクドク、と不定期に騒ぐ心臓の辺りに手をやって、ぐっとコートを握る。
「やぎゅ・・・」
「なあ、」
が名前を呼ぶのを遮った声は、表情と共に真剣そのもので、はそれ以上言葉を紡がなかった。いや、紡げなかった、と言うべきか。紡ぐべきではないと判断したからか。次の間に開き途中の口をぐっと結う。の真摯な眼差しを受けて、ヤギュウが言いにくそうに口を動かした。
「もし、俺が…」
―――キーンコーンカーン……
紡ぎかけた言葉は、学校のチャイムにかき消された。良く通ったそれに、びくりとの肩が跳ねる。鳴り終わった後でも残響がまだ耳に残っているようだ。突然のそれに「吃驚したぁ…」と既にチャイムのほうに気持ちが行っている。そう言えば、気づけばもう暗い。外にいたにも関わらず、そろそろ放課の時間だと言う事に、その時初めて二人は気づいたらしかった。ペタンと座り込んでいるの横で気だるげな声が上がった。「よっと」と言いながら立ち上がる彼を見上げると、「ん」と差し出される掌。キョトン、と見上げていると、更に続く声。
「帰らんのか?」
「え、…あ」
「…後ちょっとしたら学校にお泊りって事になるがのう」
くつくつと可笑しそうに笑う彼に、狼狽したは「帰る!」と声を上げた。急いで差し出された掌に自分の右手を差し出してぎゅっと握る。その時には彼の顔を確認したら、もう先ほどの真剣さは無くなっていた。ほんのちょっぴりドキドキする心を押し隠して、上がってきた順番とは逆にが先にはしごに足をかける。―――タン、と下に着陸したは彼が降り立つのを待つ。とは違い残り2段くらいになったところで上手に飛び降りると見事着地して見せた。それからニ、と笑うとを急かすように走る。屋上の扉を開けて、元の形に戻す事に成功すると、二人は駆け出した。タンタンタンッと軽快な音階が流れる。さすがに人はいなくなっている校舎。この界隈にはもう自分と彼しかいないんじゃないかと言うような錯覚に陥る。実際はまだ先生達や、遅くまで部活をしている人らは残っていると思うが。
悪戯に成功したような、わくわくする高揚感。ハッハッ、と息を弾ませ階段を駆け下りる。あと5分もすれば完全放課だ。いつの間にかの掌は彼の手と繋がっていた。光のある場所へ導いてくれるような掌は何処かを安心させる。とは違った骨ばった掌が『男』を感じさせた。
★★★
「はあっはあっはあっ」
見事完全放課に間に合った。生徒玄関から滑りぬけるように外へと飛び出したとヤギュウ。外に飛び出した瞬間、は気が抜けたように肩で息をした。反対に彼は「何かあったのか?」と言った風な諦観した様子でを見やっていた。そして暫く考えた後「、確かマラソン得意だって言ったよなあ?」とヤギュウが問いかけた。
「あ、っあれはっ…自分のペースでっはし、走る…からっ」
まだまだ落ち着かない様子で途切れ途切れの言葉を彼はどうにか拾うと、同時に理解する。今回はどうやら自分が手を引っ張った所為でペースを崩してしまったらしい。確かに、結構速いペースで来てしまったかもしれない。とちょっとだけ反省。いつも傍にいるのは男連中だったから、そんな調子で接してしまった。しかも出会いが出会いで走るのが得意だと言っていたから(しかも1位でゴールしていたから余計だ)「スマン」ぽつり、と呟いた謝罪には俯いていた顔を上げた。目に映ったのはしょぼくれたまるでワンコみたいな銀髪の彼。見た目からはそぐわない仕草に、思わずは笑ってしまった。「いーよぉ」へらり、と笑いかけると、直ぐに表情戻ってしまったが。
それからが帰ったのは数分後の事だ。
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