Adagio







がヤギュウと出会って、次の日の事だった。朝、普段どおりに家を出たは、いつもと変わらないペースで学校へ向かう。そこで、感じる違和感。さして気にしていなかったそれらだが、何故だか校内に入った瞬間からその違和感がとても強くなった。廊下に居る女の子達はどこか色めき立っている気がしてならない。今日、何かあったっけ?1年間の大まかなイベントを思い出す。12月、と言えば言わずともがなクリスマスイブにクリスマス、大晦日。…その前に何かあるかと言えば天皇誕生日だと思ったが、生憎まだそんな時期じゃない。改めて今日の日付を思い返してみた。124日。それが今日だ。


…なんか、あったっけ?


は必死に考えてみたがやはり解らない。ココまで皆が騒いでいる意味が。良く良く見渡してみれば女の子、ばかりのような気がしないでもない。女の子がココまで熱心になる日と言えば、バレンタインデーだったが年も明けてないのにイキナリバレンタインがやってくるわけもない。それとも、立海大高等部では124日にバレンタイン(なるもの)をする習慣があるのだろうか。は高等部からの進学なので、その辺の知識を知らなかった。いろいろ考えてみたが結局はやっぱりわからん。の一言である。そうこう考えあぐねているうちに、は己の教室へと辿り着いた。―――ガラリ、扉を開ける。「おはよう!」いつも言うように開口一番に言いやる。普段ならばそこで気づいた生徒が「おはよう」と返してくれる…のだが。今日は違った。誰一人の姿に気づいてはいない。?と小首を傾げる。シカトにしては何か違う雰囲気を汲み取っている。おかしい。とが思ったのは一瞬だった。そのわけは。


「あ」


そこにもやっぱり何処か色めきだった集団を発見。その中に自分の友人であるも発見して「やっぱり何かあるんだ」と悟った。すれ違うクラスメイトにぶつからないように、歩いて友人達の前にたどり着くと、ようやく友人達はの存在に気づいてくれたらしい。「おはよう」と一足遅く挨拶がされた。も「おはよっ」と元気良く返事を返す。


「ところで、今日って何かあるの?なんか校内が騒がしいような気がするんだけどっ」


興味深々と言った風にが誰に言うでもなく(この場合は周り全員と言った感じか)問いかけると、隣にいた友人が「え、何って…」と至極当たり前に喋りだそうとするのでその横で別の友人が「あ、そっかは高等部からだから知らないんだよね」と言葉を遮った。…やはり中等部からの伝統?みたいなものなのか…?とは思う。


「えっ、やっぱり今日って何か立海大での催しがあるの?」


確か、年間行事表を見たときはそういう類は書かれてなかったような気がしたが…結局のところざっとしか読んでないための記憶も曖昧だ。は更に問いかけると、一人が「ううん、立海大ならではって言えばならではだよねえ」と別の友人に苦笑を溢す。共感を促された友人は間違いないとコクリと頷いた。まだ、彼女たちの話している会話の意図が見出せないの脳内は疑問符だらけだ。そうすれば


「今日、仁王の誕生日なんだよ」


と、教えてくれた。
数秒間の沈黙が流れる。えっと…とは脳味噌をフル活動させる。仁王、と言う言葉に聞き覚えがある。確か隣のクラスでモテてて…そこまで考えて、ハタ、と止まったと思ったら


「詐欺師!?」


気づけばは叫んでいた。「バッカ、声が大きい」指摘されたのは至極当然の事だ。は突然の大声に恥ずかしさを覚えて辺りを見渡した。けれども今日ばかりは教室には響かなかった。理由はさっきの事柄だろう。一人の失態よりも『仁王の誕生日』の方が断然大事件なのだから。
仁王って人、そんなに人気者なんだなぁ…。改めては仁王に感嘆の息を漏らす。昨日まで存在自体を知らなかった男。(と言っても実際まだ会ってないからどうとも言えないのだが)教室内を見れば、その人気ぶりは余すことを知らないらしい。ふっと目に留めた男子達集団を見やる。そうすればクラスメイトの一人が「まあアイツはなあ」と言った風に苦笑をもらしているのが聞こえた。どうやら、反感を買っているわけでもないらしい。ここまで女子たちの視線を独り占めしてしまったら男子からは嫌われる、というのが少女マンガのセオリーであるが、仁王はそうではないらしい。何か良く解らないが「すごいなあ…」と純粋に感心してしまった。だからと言ってが仁王に関心を持つことはなかったけれど。


てゆうかたかが一個人のためのイベントって…!すごっ!


―――浮き足立った雰囲気に、自分だけ取り残された感じがした。何だかんだ言いながら、皆イケメン(っぽい事を教えてもらったからはそう思ってる)がお好きらしい。「さすが仁王だよねえ」なんて友人の声を何処か遠くのほうで聴いていた。「この調子じゃもう両手いっぱいのプレゼント貰ってんだろうねえ」と。
すると、「、」…躊躇いがちに紡がれた声とトントンと叩かれた肩に、ハっとなって振り返る。そうすればがいて。のもの言いたげな顔には数秒経って意図に気づく。友人達に気づかれないようにほんのちょっとそこから遠ざかり、「どうしたの?」と問いかけると、ほんのり顔を赤らめる親友の姿。あ。その表情で、わかってしまった。


ちゃんも、渡すの…?」


小声で周りに気づかれないように問いかけると、は恥ずかしそうに、でも嬉しそうにコクリと頷いた。ああ、やっぱり。は瞬時に心の中で呟いた。ちらり、と視線を感じて親友を見上げると、何か期待してるような表情だ。それが何を期待してるのか、なんて聞く程はヤボじゃない。ににっこり微笑むとにだけ聞こえる音量で、


ちゃん、がんばれっ」


エールを送った。そうすれば、ああ。「ありがとう」嬉しそうに笑む親友の顔。それを見てはズキリと胸が痛んだが、それでも笑顔は崩さなかった。顔を見合わせて、パチン、と手合わせする。その手は緊張の所為か熱かったようには思った。上手くいってほしい。そう思うけど、やっぱりまだ仁王に対しての負のイメージが拭い去れなくて上手く応援できない自分居て…それが友人に言える筈も無いから、もどかしくて、嫌だった。






★★★






「あうー…居辛い…!」


晴天の下、の声が校舎裏に小さく響いた。はあ、とため息と共に出てきた台詞に、は一度ご飯を食べる手を止めた。また、嘆息をつく。昨日からため息をつくことが多くなった気がする。「はあ」思ったそばからまたの口から出た短い息。昨日は良い事もあったが、やっぱり腑に落ちない事があり、それが解決しないものだからやはり気分は優れるものではない。基本は前向き思考の持ち主だったが、それは自分個人の気持ち、の場合だ。他人の事となるとどうしても、自分よりも干渉したくなってしまった。それがおせっかいだとも自負していたが、性分と言うものは中々直せないらしい。他人本位で考えてしまうのも考え物だ、とまた短いため息を吐くのだった。


北風を一身に受けながら、今日もは一人お弁当を食べる。冷えたそれは温かい時よりも、やはり少し物足りなさを感じる。何度目かの短い嘆息を吐くと、下がり気味の気温の所為かそれは白い気体となっての前に姿を現した。白いそれはふわり、と現れて数秒の後、ふっと消えた。どこか寂しさを感じる。は気を紛らわせる為に思い切り口に押し込んだ卵焼きをゴクリと嚥下して。また


「はあ」


ため息をついたときだった。


「五回目」


振ってきた、言葉にの胸がドクン!と跳ね上がる。ビクリと身体を強張らせると、「お?すまん」と続けて声が振ってくる。聞き覚えのある声音に恐る恐るは顔を上げて―――硬直。見上げれば寒そうにほんの少し身を縮めてを見下ろしている銀髪の男の姿があった。


「柳生君!」


昨日知った彼の名前を紡ぐと、ヤギュウは「隣ええ?」とやはり自分のペースを崩さず安穏と問いかける。はすかさず「勿論!」と二つ返事で答えるとヤギュウは「ん」と短い切り返しで即座にの隣に座り込んだ。「うーさむ」の隣から多分独り言だろう、ヤギュウが身を縮めこませて呟く声が耳に届いた。ドキドキドキ、と先ほどまで静かだったが今や大音響で彼女の心に響き渡る。昨日から、自分は何処か可笑しいんじゃないかと言うくらい、ペースが乱れている気がする。勿論乱れたのはヤギュウと言う少年に出会ってから、だ。胸の高鳴りの意味が解らなくてとにかく隣に座っているヤギュウには聞こえませんように!と祈りながら、は平然を装った。「そ、言えば柳生君ご飯は?」何処か裏返っていないでもなかったがにはこれが限界だった。


「もう食った」
「早いね!」
「そうかの?…が遅いだけじゃろ」


意地悪い笑みを浮かべられてしまい、でもそれさえも胸の高鳴りの材料になってしまう事には気づいた。ドクドクドクと全血液が全力疾走している気がする。過敏に反応する自分の胸に手をぎゅっとやって、「そんな事無いもん」―――途切れ途切れに対抗すれば、クッと笑い声が聞こえた。でもそれは一瞬の事で(多分これ以上するとが怒りかねないと判断したのだろう)早々と咳払いと言う行為で笑いを食い止めた少年は「あー」と声を漏らし。


「どうした?」


突拍子もなしに言いやった。がキョトン、としたのは仕方の無い行動だったに違いない。問いかけられた『どうした』の意図が解らなくて小首を傾げて見せると、即座に理解した彼は「ため息ついて」と付け足した。頭の回転の速い人だとが思った事は誰も知らない。付け加えられた台詞を頭の中でリプレイさせて、は苦い顔を露にする。「ちょっとね…」声を抑えていった台詞は見事隣の少年には聞こえたらしい。「ん?」と拾われてしまい、は困惑した挙句、今日の朝の出来事を喋り始めた。










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