Adagio







暦は師走。名前の通り、足早に、本当に駆ける様に日々の動きが早く感じる。最低気温が10度以下なんてザラだ。駆け足で去っていく日々を思いながら、は小さく笑みを浮かべた。ヤギュウと会って、早いことでもう一週間が経った。今日は、月曜日。月曜日と言えば約束の日だ。言わずともがな、ヤギュウとの。今日の放課後の事を考えるとどうしても口許が緩んでしまう事に気づいて、は慌てて口を噤んだ。一人にやにやする姿はそれはもうハタからみたら不審極まり無いだろう。いかんいかんと自分を叱咤して気を張る努力をする。と、


、何変な顔してんの?」


突然掛けられた声に、はピクリと身を固くした。それから相手を確認して、冷や汗をかきながら彼女の名前を呼ぶ。彼女――の顔を見ればよほど面白かったのだろう。笑みを浮かべた表情に、は今更ながらであるが羞恥心を覚えて「そんな、変な顔してた?」と小声で尋ねた。「百面相してた」返事は即答だった。更に、恥ずかしくなって身を小さくする。


「何か良い事でもあんの?」
「ふ、え!?」


問いかけられた台詞に、は思わず素っ頓狂な声を上げた。その顔からは「何故、良い事がある事が解ったんだろうか」と言った不思議そうな表情が見てとれた。勿論目の前の親友もそれに気づいてプっと吹き出す。突然笑われる意味が解らなくてはますます困惑した。


「聞かなくても解るわよ。だって、朝からずっと楽しそう。…と言うより、楽しみにしてるって感じ。だから何かこれから良い事でもあるのかなって思ったの」


言わずとも的確に答えてくれたの言葉にはエスパーみたいな超現象みたいな何かを感じた。たかだか半年足らずの付き合いの割にの性格を良く知っているようだった。「それで、どんな良い事?」興味深々に問いかけられて、は黙す。言おうか、言わまいか。親しい友人、と言う位置にいるには言っておきたい。うずうずと彼女の願望が強くなる。けれども、それを言うと、ヤギュウと二人だけの秘密を暴露してしまう事になる。悩んだ挙句は裏返った声で「ホラ、た、体育あるじゃん!」と返事した。それは明らかに怪しい逸らし方だったが、はそれ以上強くは入り込まなかった。「ほんと体育好きなのね」と呆れたように笑ってその話を打ち切った。こうした、のあっさりとした性格が大人っぽさなんだろう。はぼんやりと思った。不意に触れた頬が異常な熱を持っていたのに気づいたが、それを冷ます術を知らなかった。






★★★






昼休憩終了後、良い感じでおなかも膨れた時間帯の5限目は、体育だ。授業内容は先週もやった(ちなみに水曜日にもやった)マラソン。さすがに三回目ともなれば、女子も本気で厭だという態度を露にした。が、やはりそこは教師の威厳。譲れないものがあるのだろう。そんな彼女たちの言い分を軽く一蹴すると、やはり予定通りマラソンは行われた。やる気なさげに女子生徒達が構える中には居た。


―――ピィーーーーーーッッ
始まりのホイッスルが校庭に響き渡るのを合図に、勢い良く走り出す。始まってしまえば彼女達も走らざるを得ない。早く走り終えればそれだけ長く休憩が取れることをこの三回の実施のうち知ったので、仕方ないから走る、と言った風だったが。


規制正しい息継ぎで自分のペースで走る。いつも自分がいるグループの仲間はまだ全然後ろの方だろう。彼女達はマラソン反対派だったから。少しの寂しさを感じるものの、でもやっぱり走るのは気持ち良い。無意識にはグン、と速度を上げる。多分、または速いペースの子達のグループにいるらしかった。自分の周りに誰もいない。
誰もいない決められた道を、数メートル走ったところだった。(ん?)柱に寄りかかる人物を見かけて、足を緩める。銀髪に学校指定の体操服。それだけで、わかってしまった。


「柳生、君?」


問いかけた声に、ハッと気づいたのはヤギュウだった。銀髪を軽く揺らしながら声の掛かったほう――――を見る。それから「よ」と短い挨拶がかけられて、も慌てて返事を返した。それから、ふっと気づいた疑問。「どうしたの?」と浮かんできた台詞を口にする。男子と女子は距離が違う。とすれば勿論、道が途中で別れると言うことだ。此処は既に分岐点の後。つまりは女子コース。彼が居るのはおかしすぎるのだ。が疑問に思うのは最もだった。もしかして迷ったのだろうか?でもまさか迷う筈が無い。が頭の中で色々試行錯誤している間に、ヤギュウの口から真実が投げ出された。


を待っとった」


独特の喋り具合で言い、に近寄る。瞬間、ふわっとヤギュウの方から微かに香水(だろうか?)の薫りがの鼻を掠めた。へ?と小首を傾げてヤギュウを見上げる(何せヤギュウは背が高い)の表情がよほど面白かったのだろう。プっと笑いを吹き出すと、ポン、との頭に手をやった。カシカシ、との頭を優しく撫でる。


「どうか、したの?」


わざわざ授業中に待っていたと言うことは、よほどの用が在ったに違いない。結論付けて問いかけるとヤギュウは頭上に置いた掌をどかして、「ん」と小さく頷いた。それからゆっくりと走り出す。走りながら言うつもりなのか?と考えても一緒に走り出した。


「てゆうか、柳生君こっち女子コースだよ?先生にバレない?」
「その心配はないけ、大丈夫」


飄々と。本当に何でも無いように言うからもそうか。と納得してしまった。納得させる程の余裕振りがあったのだ。まだ知り合って一週間しか経っていないが、メールはアレから毎日やり取りしているし、自身何となくヤギュウの性格が解ってきていた。だから何となく、彼なら上手くやるんだろうな、と。
走り続けて、直ぐだった。


「あー…」


言いにくそうにヤギュウがそう口にしたのが引き金だった。走りながらはヤギュウの顔を見上げて次の言葉を待つ。そうすれば、銀髪の髪を揺らしながら「今日…なんじゃけど」と言いがたそうに言う。今日?とは首を傾げて考えてみたが、放課後の事を指しているのだと気づいて、「ああ!」と声を上げた。勿論ヤギュウへの視線は外さないまま。…言いがたそうにしている顔を見て、厭な予感が渦巻く。


「もしかして、ダメになった…?」


自分でも驚くくらい不安そうな声がの口から漏れると、前を見ていたヤギュウの顔がぎょっとしての姿を捉えた。「違!」とまで勢い良く言って、それから黙す。は彼の意図することが解らずただじっとヤギュウを見つめていると、さっきまでの威勢は何処へ消えたのか、ふっとから顔を背け、まだ自分を見ているの顔の前に左手をかざした。


「あんま見なさんな。前向きんしゃい。コケるぞ」


心配している風を装っていた台詞だったが実際の半分は。左手がから自分の顔を隠す事から照れているのだろう。それを見られないための言動だ。が、しかしその隙間からほんのり紅くなったヤギュウの頬をは見落とさなかった。照れてるんだ。とも気づく。クスッとヤギュウに気づかれないように笑った後「はーい」と頷いてちょっとだけ名残惜しいが前を向いた。確かに、転んだらシャレにならない。
前を向いた時だった。


「来れるか…と聞きたかっただけじゃ」


小さく、ポソと呟かれた台詞をが理解するのにほんの少しの時間を要した。のち、銀髪の彼の言葉を上手く嚥下してふわっと、それはまるで華が咲いたような笑みを浮かべる。の言葉は既に決まっていた。


「勿論!」


ずっと待ち望んでいたのだ。これでお預けだったらどうしようかと先ほど不安に思ったほど。それ程ヤギュウに会うのが楽しみで仕方なかったのだと気づいた。けれどもどうしてそこまで?と言う意味にはは気づいていないのだが。「楽しみだね」と変わらない笑顔で嬉しそうに言いながら走る。「…ん」数秒後、控えめな肯定が返ってきての笑みは更に深くなった。










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