Adagio







HRに戻ったを待っていたのは、他の友人達だった。「二人で何サボってんの!」等色々と野次やらなんやら飛ばされた二人。そんな中二人はお互いの顔を見合わせただ笑って「内緒の話!」と返すしかなかった。
そして、何事もなかったかのようにSHRは終わり、教室中が開放感に包まれる。騒がしくなる室内ではいそいそと支度を始めた。今日は約束の日なのだから。朝からずっと楽しみにしていた放課後の密会。気がせって、筆箱を一度思い切り床に落としてしまった。気を急かしても意味が無い事は重々解っていたがそれでもせってしまうのだから仕方が無い。そんな様子に気づいたのもやはり友人達だった。話していた内容を中断させるとを視界に入れて。


「あれ?今日なんか用事?」
「えっ!」
「今日うちらより道してこっかって話してんだけど…」


問いかけられた質問にはただただ困惑した。
「え、っと」と言葉を濁してしまうと友人達の眉が中央によるのがわかる。ほんのりと紅く染まったの頬を見逃さなかった一人が「ははーん」なんて声を上げるものだから更には困惑してしまった。何か厭な予感が起きそうになったとき、それを遮ったのはだった。


「こらこらこら。にだって用事くらいあるわよ。いつでも暇なわけじゃないんだから」
「えーでもも気にならない?普通だったらこんな反応―――」
「詮索しない!」


ビシっと言い放たれては友人達も黙りこくるしかなかった。その顔はありありと不満げではあったが。厭な予感が中断されたことには少なからずほっとした。同時にに対して感謝の気持ちが募り「ありがとう」と真っ赤な頬のまま遠慮がちに微笑むともやんわりと笑み、「ほら、良いから行く」との背中を押した。


「う、ん!ごめんね!今日の埋め合わせはまたするから!」


学生鞄を引っつかんで後ろ走りしながら仲間達に早口で申し立てて、はその場を後にした。






★★★






先週も通った道を、誰にも見つからないように足早に通り過ぎる。その時にふっと目に入ったプレート。先週は音楽室の前で待ってたんだよなーなんて音楽室のプレートを見つめて、たった先週の事を懐かしい物のように思い返していた。それからはっとは気づくと其処の横にある階段に向かった。タンタンタン、と軽快な足取りで階段を登ると、見えてくる入り口。
ドアの前には前回同様に『立ち入り禁止』の札が置いてあった。そこでドアを一度かちゃりと回してみる。そうすればキィ、と言う古い金属質の音が小さく響いて重い扉が開かれた。は一度辺りを見渡してから素早く扉を閉める。それから内側の鍵を閉めた。メールで、そう指示を出されていたからだ。


「柳生くん?」


それから、一言。もう先に来ているであろう彼の名前を呼んだ。返事は直ぐに帰ってきて、「上」と一言。姿は見えない。でも何だか簡単に今ヤギュウがどんな姿をしているのかには想像できてしまった。きっと寝転がっているに違いない。それが可笑しくて、笑いを堪えながら先週も登った梯子に足を掛けた。カツ、カツ、と小さな音が靴と鉄の間から漏れる。


「っしょ、」


ようやっと頂上が見えたとき、視界に骨ばった掌が映り込んだ。え、と声も出ぬまま見上げれば、太陽の逆光に照らされた銀髪がきらりと視界に映り込む。「ほら」と先を促されてようやくは掌の意味を理解し、(掴まれ、と言う意味だ)そっとはヤギュウの手に自分の右手を添えた。それからはぐいっとヤギュウの力によって引き上げられる。の体はあっという間に登りきることが出来た。


「あ、ありがと!」
「ん」


慌ててお礼を述べれば矢張り帰ってくるのは短い返事。まだ出会って一週間だが、何となくヤギュウの言いそうな事が理解できるようになってきた。にとってそれは何故か喜ばしい事だった。自然と口角が釣りあがって笑顔になる。そのまま二人はタンクに身を潜むように座り込んだ。
そうすればの視界に映ったのは、先週見た、山のようなお菓子だった。前回食べ切れなかった新製品などのお菓子が既に用意されており(と言っても無造作に置かれているだけだが)目の前のヤギュウが約束を守ってくれていたのだと改めて思い、胸が温かくなる気がした。思わず笑みが零れる。それをヤギュウがどうとったのかわからない。「さ、食うか」の言葉から、が早く食べたいと思っているのとでも感じたのだろう。矢張り言葉少なに言い終えるヤギュウに、けれどもはそんなこと気にしてないのか「うん」と笑顔で頷いた。けれども


「……」
「?柳生君?」


さあ食うか、と促した割には行動を移さないヤギュウには小首を傾げてヤギュウの名前を呼んだ。突然黙り込んだヤギュウに疑問が募る。そうすればヤギュウが一度の顔を見つめた後、下を見て。それから一言、呟いた。


「手」
「手?」


言われた台詞をオウム返しには呟くと、ヤギュウがクックと可笑しそうに笑った。笑われてしまった事にほんの少しだけ恥ずかしさを覚えたであったが、その笑顔が優しいものであったから、は何も言えなかった。そうして黙って先ほど言われた台詞を思い出し、自身の掌に視線を落とし…


「う、わわ!ご、ごめんねっ!」


先ほど手を引っ張って貰ったままであった事が鮮明に思い出される。思い切りヤギュウの手を握りしめていたままだった事に気づき、は先ほどの恥ずかしさとは違う意味で顔を真っ赤にさせると、慌ててヤギュウの手を解放した。その慌てようにまたヤギュウはクックと喉を鳴らしたので、はとうとう恥ずかしさに顔を上げられなくなってしまった。けれども、気にしているのはだけのようだった。
至極平然と「で、食わんのか」と問いかけられて、恥ずかしさが無くなったわけでは無かったが、お菓子の誘惑には勝てず、は「食べる」と小さく反応するのであった。そんなの返答にまた彼の笑い声が上がったが、はそれを誤魔化すようにあけたばかりのお菓子を口いっぱいに頬張った。味なんて、わかったもんじゃなかったがは口に入れる度に「美味しいね!美味しいね」と繰り返していた。誤魔化す為の台詞だったという事にきっと銀髪の彼なら気づいているだろうとは思ったが、それでも口は止まらなかった。


「ほんと、美味しいよ!」
「解った解った」


何度目かの『美味しい』にさすがのヤギュウも堪えきれなくなったのか、笑いを孕んだ声で、に落ち着けとばかりに言葉を返す。は「本当に美味しいんだよ」と早口で言いやると、可笑しそうに「誰も信じとらんって言っとらん」と会話を返し、が美味しいと絶賛したお菓子を一つ口に含んだ。
そのヤギュウの動作をはポリポリと新発売のポッキーを口に放り込みながら、見ていた。長い、でも骨ばった"男"を感じさせる指をぼんやりと目で追うと、先ほどの離れてしまったヤギュウの掌の感触が蘇ってきた。何だか恥ずかしくなって一人顔を紅くなるのがわかる。それをヤギュウに悟られぬように、は更に慌ててお菓子を詰め込んだ。このペースで行くと今日は殆どが食べるだけで終わってしまうだろう。帰る頃にはお腹が膨れてしまっているのかもしれない、と厭な事を想像しただったが、それでもお菓子を食べずには居られなかった。何も無しでヤギュウと話す事が今日は出来そうになかったのだ。恥ずかしさで火照った顔の熱が引いたのは、夕暮れ時の放課時だった。










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