Adagio
キーンコーンカーンコーン。
授業を終わらせるチャイムが鳴って、皆が帰り支度を始めた。早い集団なんかはもう既に廊下を出てしまっている。も出きるだけ早めに行こうと心がけていたので、挨拶が終わったと同時に鞄を引っつかむと、廊下を出ようとする。普段なら押し合いの間に入ることはしないのだが、今日だけは特別だ。ぎゅうぎゅうの出口に我もと入り込むと、突然呼ばれる名前。は声のした方(後ろだ)を振り向くと、良くがつるむグループのメンバーが居て。
「なあによ、今日も用事?」
つまらなそうな返事がの耳に入ってきて、思わず苦笑を漏らした。ごめんね、と謝るとは更に心苦しくなる。
「最近何か習い事でも始めたの?毎週毎週この曜日になると慌ててるよね?」
そのうちの一人が疑問をぶつけてきて、はどう答えるべきか迷ってしまった。けれども、出来る限り嘘はつきたく無い為、習い事ではない事だけははっきり否定しておく。それから銀髪の少年の事を言うか言うまいか迷っていると、少しずつの頬が赤みを増していった。それに気づかない友人達ではない。お互いの顔を見合わせて、今度は意地の悪い笑みを浮かべるとに詰め寄った。
「わかった!男だ!」
「きゃー!ついにも彼氏が!」
「ち、ちち違うよっ、彼氏じゃないよ!」
そうまで言って、自分が地雷を踏んでしまった事をは知る。面白半分で言ったジョークだったのだが、真面目にが答えたお陰で、彼女らには解ってしまった。今は彼氏では無いと否定をしたけれども、男と言うキーワードには触れなかった。それだけで彼氏ではないけど、男と会うと言うのが友人二人には解ったのだろう。にやりと笑った二人の顔は『面白いおもちゃ発見!』と言った風な表情で、このまま此処に居ると絶対尋問されるであろう事が予想されて、は人波のなくなった出入り口を見つめると、即座に逃げ出した。
「と、とにかく、今日はごめんね!」
そう言い残して。でもこのときは気づいていない。自分のしてしまった失態に。
★★★
スーハースーハー。
どのくらいそうしているのだろう。もうそれすらも解らない。ただ、緊張のあまり、深呼吸をする事しかの頭の中では考え付かなかった。ヤギュウに会って冬休みの予定を聞くと決意して、帰りのSHRが終わった後いつもの屋上へ現地集合だったのだが、今日ばかりは平然としては居られなかった。どんな顔をして聞けば良いのか。色々考えると、どうしてもこの先に一歩踏み出すのが躊躇われた。それでも入らないわけには行かない。きっとヤギュウは既に待っているだろう。何度か深呼吸を繰り返して、はようやく重い扉を開け放った。ドクドクと煩い心音を心の中で叱咤して、バタリ、とドアを閉めて彼の名前を呼ぶ。少しだけの声が高くなったのが自分でも良く解った。(それ程、緊張しているのだという事も思い知らされた)毎週同じ台詞。『上』と言う単語を聞いて、の胸は弾む。梯子に足をかけて、いつものように最後は引っ張ってもらう。ヤギュウの手が触れるだけで、その部分が凄く熱く、まるで火傷したような気がしていた。「ありがとう」とお礼を少年に向けると、パっと離される手。少しだけ淋しく感じていた。触られていると、ドキドキしてどうにかなりそうなのに、離れると淋しく感じるなんて、自分が可笑しいのではないかとは思った。
「さ、今日はどれを食うかの」
ヤギュウの紡ぐ言葉一つ一つが胸に染み渡る。適当にお菓子を漁るヤギュウを見やって、は冬休みの話をどう切り出そうか思い悩んでいた。頭の中では色々シミュレーションしたが、実際実行するとなると、上手くいかない。そうすると、「食わんのか?」と台詞が降って来ての思考は一時中断となった。ヤギュウが食べていたのは、最近話題の辛いお菓子だ。パクリ、と食べては思わず「う」と呻いた。想像以上に辛かったのだろう。けれども隣に座る銀髪の彼は然程でも無い様で、おかしそうにの様子を見ていた。
「、辛いの苦手か?」
「苦手…辛いのと苦いのより、何でも甘い方が良いよ」
「そうかの?」
「そうだよ!……その方が、絶対良い」
いつもよりもきっぱりと言い放つの言葉に、ヤギュウは「へえ…」と含みのある声を出した。それから楽しそうに「例えば?」と続けると、は少し考えてから、口を開く。唇の奥から紡がれる単語は『カレー』だとか『チョコレート』だとか『ガム』だとかそう言った類。
「あと………恋、とか」
言って、は口を噤んだ。自分で言った台詞が口をついて出た後後悔となる。
「恋、ねェ。……そういや、彼氏は?」
「い、いないよ!」
問いかけられた質問に、少々動揺しながら答える。ヤギュウにだけは誤解されたくないと、瞬時に思ったからだろう。そうすれば、更に「中学ン時とかは?」なんて追求されて、は言うか言わざるべきか迷った挙句、無駄に手を弄びながら、俯き加減で口を開いた。
「好きな人は、いたけど…」
「告白せんかったのか?」
聞いてくるヤギュウの瞳は、何処か真剣さを感じさせて、は多少の言い辛さを感じたが、きっと此処で黙秘をしても意味が無いだろう事が容易く理解できた。はコクリ、と小さく頷いて見せた。「なんで?」と次にやってくる台詞は何となくが次に言われるのでは無いかと予想したとおりの質問だった。
「……友達の、好きな人だったから」
「え」
「あたし、争いごととか嫌いだし、大好きな友達と喧嘩とか、したくないの」
ポツリポツリと紡ぐ言葉に、ヤギュウは黙り込むしかなかった。突然黙り込んでしまった彼を横目でそっと見やると、辛らつそうな表情が窺えて、は同情されているのだと感じて、直ぐに声を大きくして弁解の意を込めた。
「あ、で、でもね?好きな人と、友達と…を比べたら、友達の方が大きかったってだけの話。それにきっとそんな本気じゃなかったんだろうなって思うんだ。…友達の好きな人だからやめようって、その程度の気持ちだったんだと、思うし」
「…」
「……って、言っても、反応に困っちゃうよね。ごめん」
しゅん、と項垂れてはもう一度「変な事聞かせちゃってごめんね」と台詞を紡ぐと、気まずさからか、食べかけのクッキーを口の中に入れ込んだ。ポリポリと口の中で響くクッキーを砕く音がの聴覚を刺激する。
そんな中、はチラリとヤギュウを見やる。先ほどと打って変わって静かになってしまったヤギュウもと動揺にクッキーを口の中に入れている最中だった。そんな彼を見て、は心の中で『友達の誰も柳生君の事を好きじゃなければ良いなあ』と思った。
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