Adagio
『と、とにかく、今日はごめんね!』
そそくさと去っていくを見送った友人らは、当初の寄り道を変更して教室で喋っていた。メンバーに入っているが担任に呼び出されて職員室に行っているからだ。いつもならば先に行って待っている彼女達であったが、今日はそういう気分でもなく、教室で待つことにしていた。
夕暮れの校内は人気も疎らになり、噂をするには持って来いの場所だろう。朝行きしなにコンビニに寄って買ってきたポッキーを二人で分け合いながら、他愛も無い話を繰り広げる。
「それにしてもに男、かあ」
ポキン、とポッキーの折れる音が小さく鳴って、友人の一人が頬杖をつきながら言った。その台詞に便乗したのはもう一人の友人だ。
「でもさ、よくよく考えてみると最近の、メールする回数増えたと思わない?」
モグモグとお菓子を噛み砕きながら、もう一人の友人がそれに同調するようにコクコクと大きく頷いてみせる。そう、最近のの行動はところどころおかしい…不思議な点が多くなったように思う。疑問に思わなかった訳ではないが、に詮索するなと言われてしまってからは気にしないようにしていた。けれども、今日の発言はどうしても気になってしまう。彼女達やは、中学の頃からの友人であったから、結構長い付き合いだ。それなりの事も知っている。現にが仁王にフラれた事も彼女達は本人の口から訊く程の仲だった。けれどもは違う。高等部に入って外部入学してきたの事はまだまだ知らない事だらけだ。そう言えば、こういった類の話は聞いた事が無い。軽く、彼氏いるの?と尋ねた事はあったが、「い、いないよっ!」と即答されて以来自身の恋バナは一切した事も聞いた事も無いのだと気づいた。また、心のどこかで二人ともにはまだ早いと思っていたからかもしれない。実際、が男と会っていると知った今でも、あまり実感が沸かないのだ。
「でも、が好きな人と会ってるトコロって、想像できる?」
何気に不躾な質問をした友人の前で、新しいポッキーを手にした友人はその質問にフルフルと頭を横に振った。否定を思いっきりした後、想像してみるが、どうしても頭の中に浮かんでこない。一体どういう態度になるのだろうか、とか、が好きになる男性は一体どんな男なのだろうか、とか。そう言えばの男の好みすら知らない。
「恋愛とか、全然興味が無いように思えたのにね」
それは先日がフラれた次の日の出来事の事だ。あの有名な『仁王』の話をしたとき、彼女は知らないと言った。と、言うことはミーハーでは無いんだろう。イケメンを好きになると言うのは考えられない。そうすると消去法になるのは冴えない男。
「うわー…そんな男『彼氏』って紹介されたら私平然としてらんないかも」
「いや、まあ…あくまでうちらの推測だからどうとも言えないけどさ。現にかっこいい男とかそこまで興味無さそうじゃない?」
まだ見ぬ、名も知らぬの『好きな人像』を思い浮かべると、どうも自分達は腑に落ちない。当の本人同士がそれで良いなら他者が文句を言う事も無いだろうに。そう思うが、実際考え出すと納得が行かないのだろう。
「……ヤバイ男じゃないよね?」
「貢がされたりとかって事?」
友人の台詞にこくりと頷いた彼女の目は、真剣だった。実際ありそうで、怖い。言ってしまった友人もだんだんと不安になってくる。これがまだ別の友達の場合だったら笑い話で済みそうだが、だとそれが本当になりそうで怖いのだ。まさかぁ!と初めこそ笑ったものの、だんだんとリアルに感じられて、二人の笑い声は程なくして消えた。その時だった。
ブーブーブー
小さな、けれどもこの静寂の中では良く通る音が数度存在をアピールした。何の音?なんて愚問だ。携帯のバイブ音。ガタガタとバイブの振動で何かが揺れる音も聞こえ、友人一人が「あんたの携帯?」と尋ねた。けれども問われた彼女は自身のポケットから携帯を取り出すと、着信は一件も無い。フルフルと顔を振ると「アンタじゃないの?」と問い返す。けれど彼女の携帯は机の上に無残にも置いてある。鳴ったら直ぐにわかるだろう。けれども、確かに今、自分たちの近場で鳴ったのだ。それが空耳だとは到底思えなかった。放っておけば良いんだろう。自分たちの携帯では無いという事は、このクラスの子が忘れてしまったのだから。けれども、何故か気になって。一体携帯必需品となったこの世の中、忘れた輩と言うのはドコの誰なのか。近場で鳴ったという事は、この近辺の机の中という事になるだろう。腰をかがめて調べてみると、直ぐにその携帯は見つかった。
「あのバカ」
「……忘れそうっちゃ、忘れそうだけどもね」
呆れた声しか出てこない。机の中から出てきた携帯。どなたの机?なんて調べるまでもない。のだ。そして赤い携帯は見覚えのあるもので。友人二人は顔を見合わせると呆れたように苦笑を溢した。
「でも最近本当メールする回数増えたよね」
振動を終えた携帯を見つめながら、また先ほどの台詞をぽつりと呟いた黒髪の女の子の問いに、もう一人が静かに肯定する。前はあまり学校内で構っているイメージがなかったのだが、最近は違う事を思い出す。休憩時間の度に携帯を覗いてはいそいそと返事を返している。
―――それは、ちょっとした好奇心。
忘れたのはなのだ。ちょっとだけ。ちょっとだけ。その言葉が二人の脳に呼びかけてきたように、二人は同じ事を思った。にやり、と意地の悪い笑みを浮かべる。
「ま、恨むなら忘れた自分を、ね」
聞こえはしないに対してそう呟いたのは、ショートカットの髪の毛の女の子。コクリ、と二人で意思を確認すると、その赤い携帯を開いた。カチ、と小さな音と共に、ディスプレイが友人らの目に映る。ショートの方がメールボックスのボタンを押すと、見慣れた名前と見慣れない文字。
「『柳生君』?」
メールボックスの中に一際多く載っている名前に、二人は思わず呆気に取られてしまった。まさか出てくる名前が『柳生』だとは思わなかったのだ。
「柳生って、あの……テニス部の?」
「紳士柳生?」
浮かんでくる人物はお互いに一致する人だ。果たしてその名前の人物が有名どころの柳生なのかはわからない。けれども、他に「柳生」がいるかもわからない。もし、あのテニス部の柳生だと言う結果となるなら、それこそ一体いつから?と言う事になる。
「ってば、テニス部に興味ないって顔してたのに」
黒髪の子がぽつりと携帯を見つめながら呟いたので、友人も矢継ぎ早に肯定を表す言葉を示す。だが、記された名前は『柳生』と苗字のみ。これじゃあ本当にあの『柳生』なのか判断出来ない。メールを見るしかない。二人は黙りこくったまま見つめあうと、一度大きく頷いて、
「こら、何やってんのよ」
ボタンを押そうとした瞬間、自身の手から抜け出る携帯電話。振って来た声に驚いて見上げると、そこには呆れた姿のが目に入って黒髪の女の子がヤバイと言う顔を現した。それから「もう帰ってきたの?」と続けて笑みを浮かべたがそれで誤魔化されるではない。直ぐにため息が振ってきて、パチリ、と携帯電話を閉じてしまった。
「プライバシーの侵害でしょう」
「でも、ほらだって気になるでしょう」
「でも、好い気しないでしょうが」
淡々と言葉が飛び交う。悪い事をしていると言う意識はあった。けれども、好奇心だ。一度ごめんと謝ったのは黒髪の子で、だけれど反対の女の子は「でも!」と更に声を上げた。
「ビックニュースだよ、!」
「何が」
「がメールしてる相手、あの『柳生』だよ!仁王のパートナーの!」
言い終わる前に聞こえた一際大きな声に、は反論する事も忘れて、瞬きをした後、「え」と、無意識に声を出した。握力を失った掌から、の携帯がするりと抜け落ち、カツーン、と音を奏でて床に落ちた。
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