Adagio
カツーン…。
落ちた携帯が床にぶつかる音で我に返ったは、冷静を装ってゆっくりとの携帯を手に取った。その手は微かに震えていたものの、友人二人はその動揺に気付かなかったようだ。
、どうすんの?
友人達の声に、どうするも何もないでしょ。と一喝すると、は自分の学生鞄を手にとった。落としてしまったの携帯も今度は落とさぬようしっかり握る。ないと不便だろう。帰り際、届けてあげようと思い立ち、教室をあとにした。それに続くのは友人二名。
「だっての相手柳生だよ?仁王の親友じゃん!柳生通じてと仁王の仲取り持ってくれたってねぇ?」
「そうそう。友達ならそれくらいするよね。なのにったらうちらに内緒でこそこそと」
後ろからピーチク喋りはじめる友人達には振り返ると
「はミーハーじゃないもの。仁王を知らなかったくらいだよ。柳生と仁王が親しいなんてそんな情報ないわよ。それに知ってたとしてもあたしの恋との恋は別物でしょ」
至極冷静に突き返したが、の心は揺れていた。なんで?どうして?等、彼女達に言われるよりも強く感じているのはだ。けれど先程友人達に言ったように、きっと自身仁王と柳生の関係を知らないと言う線が強いと思うのもまた本心だった。
だけど、好きな人の名前を教えてくれなかったのは…?
の性格上、ぺちゃくちゃと自分の好きな人を言い触らすタイプではないだろう。はとてもシャイだから言えなかったに違いない。ただの照れだ。そう思うのに、どこかで疑ってしまう自分がいた。
もしかしたら、自分には知られたくなかったのでは、と。
そんなわけない。はそんな子じゃない…!
口にだしては照れ臭くて言ったことはないが、はを親友だと思っていた。いや現に今も親友だと思っている。出会ってからまだ半年足らずではあるが、といると自分が素で居られる、弱さも見せられると思っていた。の態度を見ても自身好かれていると、思っている。これはの自惚れではないだろう。
『ちゃんはかっこ悪くなんかないよ!…そんな一言で片付けるなんて、ダメだよ。…だって、伝わってきたもん。…ちゃんが仁王くんのこと大好きなんだって気持ち。すごい強く伝わってきたもん。…辛かったら泣けば良いんだよ。愚痴ったって良いんだよ。それは全然かっこ悪いことなんかじゃないよ。誰だって泣きたくなるときなんかあるんだし…あたしはそんなちゃん、可愛いと思ったよ』
『あたしもね…今、ちゃんに話聞いて貰って良かったって思ったの。すっごく気持ちがすっきりしたよ!』
『本当にありがとう。ちゃんが友達ですっごく嬉しい』
純粋無垢な親友、そんなを疑うなんて。は不安を拭い去るように頭を振って人気の無くなった廊下を歩いた。
★★★
「なぁ、もし俺が柳生じゃないって言ったら……どうする?」
真剣な声、真面目な表情でヤギュウはへ問い掛けた。突然の声掛けに口にくわえたポッキーが半分に折れる。「えっ…」事態が飲み込めず、の表情が笑顔から戸惑いへ変化した。
それって…、の続く言葉を遮るように、ヤギュウは「なんてな」と笑みを浮かべた。キョトン、との顔から緊張が抜ける。
言うて見たかっただけじゃ。がどんな反応するか見たくてな。予想通りの間抜け面ありがとう
きっかり、ヤギュウの言葉から三秒黙したは、からかわれたのだと理解した。カァ…と頬に赤みが差す。「ひ、酷いよ、柳生君てば!」照れを隠すように隣に座るヤギュウの肩をポカっと叩いた。スマンスマン、と軽口での謝罪に「も、う…っ、知らない!」言って、はヤギュウの反対側に顔を背ける。
「柳生君なんて、キライ」
ぷいっとすねた子供のような仕種を取ると、一呼吸を置いて、ヤギュウが至極真剣に「そりゃぁ困るなあ…」とつぶやいた。
「俺はを好いちょうのに」
続いた言葉に、の心が跳ねた。喜びをあらわにしかけて、またなんてな。と言われたら、とは考えて、「ま、また、からかって…!」もう信じないぞとでも言うように、そっぽを向いたまま言いやると、ふわっとの身体がソレに包まれた。えっと思う間に鎖骨辺りに回った腕がをそっと抱きしめる。ヤギュウの名を呼ぶ前に
「本気なんじゃけど」
耳元に被さる、甘い声。ぶわあ、と身体中の血液と言う血液が、活発に動き出す。先程よりも朱色を帯びた顔がそっとヤギュウへ向いた。目が合って、思いの外近すぎる距離にの腰が怖じけづき、後ろへ引きそうになるも、ヤギュウの腕がそれを許さなかった。いつの間にやらの腰へと回った腕が、逃がすまいと自身へ引き寄せ、もう片方の腕がの首に回り、頬を撫でた。
「…」
初めて呼ばれた名前にが口を開こうとした瞬間、ヤギュウの顔がさらに近づき、違いの唇が触れ合った。啄むような、短いキス。自身これがファーストキスとなるのだが、何故か驚きだとか嫌悪だとかそう言った感情は沸き上がらなかった。まるでヤギュウとこうすることが自然のように思えて、離れた唇がまた近づく。次に降ってくる感触には静かに瞳を閉じた。行く道を失った手がぎゅっと強くのスカートを握っていると、ふっとヤギュウが笑ったのが目をつむっていても解った。腰にやった手と頬に触れていた手がそっと外され、優しくの両手に触れると、重ねた唇を少し解放し、「手はここじゃ」導くようにヤギュウの首に回した。
「はず、かしいよ」
これ以上ないほど耳まで真っ赤にしたがポソリと抵抗するも、そんなの造作もない。
「大丈夫。俺しかおらん」
ちゅっとリップ音を立てながら囁く台詞に、柳生君が見てるじゃないとさらに対抗したがその声は弱々しかった。今更になり、見つめ合う事が恥ずかしく思え、は顔を俯かせた。
「全く…可愛いのう」
ふって来た声とヤギュウの右手がの顎を掴んだのは同時。くいっと上を向かされ、またキスが降ってきた。それから先程よりも少しきつめの、けれども優しさの残る抱擁。ぎゅっと抱きしめられた為、二人の距離はほぼゼロになった。もうスカートを握る事も叶わない。行く道を失ったの両手が、きゅっとヤギュウの肩辺りの制服を握った。それが今に出来る精一杯だった。
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