銀髪の髪がゆらっと揺れるたび、私の心もゆらりと揺れる。
A・SS・PA・RA
12月1日---あの子に向けられた視線
私は毎日、あの子の前を通り過ぎる。場所はテニスコートから少し離れたベンチの前。あの子は木陰になっているベンチに座っていつも読書。テニス部のファンの子がうじゃうじゃいる中で、良く読書できるなぁと初めは思っていたけど、すぐその意味はわかった。彼女はさん。確かテニス部の丸井くんの幼馴染、だ。その男の子の帰りを待っているのだということを知った。彼女たちはまるで姉弟の関係のようにとても仲が良く、噂では毎回テニス部の試合を見に行ってるそうだ。その噂が本当だってこと、私は知ってる。だって、私も今やテニス部の試合を毎回見続けているうちの一人なんだから。
彼女は今日も難しそうな本を読んでいた。到底私には読めないような洋書。さんは頭も良く、性格も穏やかな女の子。確か二つ下に妹さんがいるが、姉妹揃って顔も整っていて、木陰で読書をしている姿はまさに文学美少女。そんな子の前を、私は毎回通り過ぎる。彼女は私の存在に気づくことは無い。その顔を、本からあげることは丸井くんに声をかけられたときしかない。長い睫毛が顔に影を作る。女の私から見てもとても綺麗な人だと思う。彼女は決して私の存在に気づかないけど、それで良い。知ってもらおうなんて思っても無いし、実際私はさんと友達になりたいわけでもない。それでも彼女の前を毎日一回通り過ぎるのにはわけがある。この時間、この場所、この時。必ず、別の場所からの視線を感じるのだ。
今日もそれは然り。
幸村くんの声とともに、短い休憩時間に入った。コートで試合をしていた部員やフェンスに寄りかかっていた部員達は号令とともに各々各自の休憩タイムに入る。十五分間と言う少ない休憩の間、そのときが彼女の前を通る時間。フェンスの向こう側をちらりと見れば……ああ、やっぱり。向けられる視線。勿論、その視線は私に向けられたものじゃない。そんなこと解っている。あの子…さんに向けられた視線だ。重々解っているのに、私は彼女の前を通り過ぎる。もう一種のクセだな、って思った。
決して私の存在に気づいてはくれないだろうけど、解っているけど。でも、それでもあの人の目に少しでも私を映して欲しくて。私という存在を気づいて欲しくて。毎日毎日あの子の前を通る。その時間は数秒にも満たない短い時間。通り過ぎる瞬間、ちら、とコートに視線をやれば、彼がこっちを見ているのが解る。私を見てるんじゃないってわかっていても。私を通して彼女を見ているんだと解っていても。それでも、時々合う目にどきっとする。その度に、好きだなぁって思う。でもそんなことを思っても絶対に私の想いが伝わることはない。だって、彼と私の視線は同じ感じがするから。
……彼が、あの子を見る眼差しは、…彼女に恋してる視線だってこと。もう、どれだけ見て来たんだろう、彼のその視線を。
十二月に入って、急激に寒くなった。北海道のほうではもう気温はマイナス何度の世界で。あれだけ暑かった夏が一気に冬へと来た感じがした。ぶるっと背筋に震えを感じながら、風に抵抗するように身を丸くする。それでも今日も同じようにテニスコートに足を運んでる自分が切なかった。こんな想いまでして届くこと無い気持ちなのに、それでもそれでも会いたいなんて思って、一目でも良いから彼の瞳に私を移してもらいたいがために、コートへ向かう。これって軽くストーカーになるんだろうか、なんて思わないわけじゃなかったけど、気持ちは止められなかった。だって、私の気持ちは、フェンスの向こうできゃーきゃー騒いでる子のモノとは絶対に違うから。この気持ちは「憧れ」や「ファン」って一括りにするには余りにも重過ぎるから。
いつもの定位置についた私は、何をするわけでもなく少し離れたベンチへと腰掛けた。あの子とは離れた青いベンチ。風が冷たく私の頬を撫でる。ピリっと痺れる刺すような痛みに眉根を寄せながら、私はマフラーを捲きなおした。口元まですっぽりと覆い被せたマフラーは暖かかった。真っ赤な頬っぺたさえも隠してくれるほどの大きな面積のマフラーに顔を埋め、少し遠くに見える彼を見つめる。パートナーの柳生くんに何かを言って、ポンと肩を叩く。それを呆れたようにため息で返事を返す柳生くんを見て、きっと彼に無茶なことでも言われたんだろうなと想像した。でも何だかんだ言って気が合ってるみたいな彼らを見ていると笑顔になる。
十二月にも入れば、寒いためか見学客が減る。今日もそれは変わらなくて、夏に比べて半分以上も見学しに来てる子は少なくなっていた。時折、頑張って!と黄色い声が聞こえるけど、可愛いものだ。きっと今此処には熱狂的なファンは居ないんだろうと思う。ちら、と横目でもう一つの青いベンチを見れば、やっぱり読書をしているあの子の姿。こんな寒い季節にも関わらず、手袋もしないで本をめくっている。まあ、手袋したらページが捲りにくいんだろうけど。少し紅くなった手がちょっとだけ痛々しかった。それでも彼女の表情は変わらない。何をそんなに一生懸命に読んでいるんだろう。…ほんの少しだけ、好奇心。今まで友達にはなろうと思わなかったけど、ちょっとだけ、話してみたくなった。それは、本についての興味があったからなのか、それとも彼の意中の人だからなのか。多分、後者のほうが強いことは明らかだ。
だって、興味、あるから。
あの、人に心を悟らせんとする彼が、唯一心に隙を見せる相手。どんな子なのか。興味がないわけではない。どんな人なんだろうって、考えなかったわけじゃない。何度思ったのかわからないくらい、想像した。噂では色々良い事ばかり聞くけどでもそんなの結局は噂で。今まで、話しかけたいと思わなかったけど。百聞は一見にしかず、だ。そう思ったら、あれだけ話しかけるのが嫌だったのに、私はベンチから立ち上がって彼女のほうへと向かっていた。
「ねえ、そこ、空いてる?」
声をかけると、さんは気づいてくれたみたいだ。え、と顔を上げる。端麗な表情が私を見上げて、少しの沈黙。もう一度空いてる?と聞けばさんは理解したのか、「空いてるよ」とにこっと笑って鞄を下に置いて席を空けてくれた。何だかちょっと悪いなって思いながらも素直にお礼を言って彼女の隣に腰掛けた。此処からは、さっきの私が座っていたところよりも良くコート内が見えた。さんはまた持っていた本を読み始める。私はそれを見つめる。
大きな瞳に、長い睫毛、白い肌が少しだけピンク色になっている頬。紅い唇。さらりとした長い黒髪に、長く細い、綺麗な指。どれをとっても綺麗だ。女の私から見てもそうなのだから男が見たら大抵は目を奪われちゃうんだろうって思った。そんなことを考えていると、相手が気づいたみたいだ。?と大きな瞳が私を見る。思わず女相手なのにどきっとしてしまった。「なあに?」と言われて固まる。私は咄嗟にそれ面白いの?と口走っていた。本当は本の内容なんてどうでもよかった、けど。すると私の気持ちには気づいてないさんは嬉しそうに肯いた。
「私、推理物すきなの」
笑った瞬間に髪の毛が揺れて、良い香りが漂ってきた。甘い、でも爽やかな香り。香水なんだろうか?と思ったけどそんなこと聞けず相打ちを打つ。するとさんは読みかけの本に栞を挟めるとパタンと閉じた。そして、赤茶っぽい瞳が私をくっきりと映し出す。
「同じ学年、よね?えっと確か…」
「って言うの。…、さん?」
低くも高くも無い、心地よい音階の声が耳に浸透する。綺麗な声に聞き惚れそうになる。とても素敵な女の子だ。遠くから見ても、近くから見ても。とりあえず名前を名乗って、さんの名前を確かめるように疑問系で問うと、さんは知ってるの?と少し首を傾げた。勿論知ってますとも。心の中でしか言えなかったけど、こくっと肯けば、恥ずかしそうに頬を紅く染める。たったそれだけの仕草なのに、一つ一つを釘付けにさせてしまうのはまるで魔法なんじゃないかって錯覚を起こしそうだ。
私はふっとさんから視線を外す。それから言葉にならない声を数度上げて、ぱっと目に映ったくんを見て、漸く言葉を紡いだ。
「そういえば、さんって毎日此処に来てるよね」
「うん、幼馴染がね、テニス部なの」
「そうなんだ」
勿論、そんなことは知ってた。知ってたけれど知らなかった振りをした。そうすればさんが指差して丸井くんを教えてくれる。もし機会があったら見てあげて、と笑う姿はまるで自分のことのように楽しげだ。本当に仲が良いんだな、と気づかされる。私はさんの言葉に肯くと、テニスコートに視線を移した。勿論、見ているのは丸井くんじゃなく、彼なんだけど。でもそんなことこの子は気づいてないみたいだ。嬉しそうにコートを見つめている。
すると、ふ、と彼がこちらを向いた。思わずどきっとしてしまう。勿論、彼は私を見てるわけじゃないんだろうけど。それでも、だ。それからひらひらと手を振って。隣を見れば、同じように手を振り返している、さんの姿。―――ズキ、と胸が痛んだ。
「…仲、良いの?」
未だに痛む胸に気づかない振りをして、何気ない素振りで尋ねれば、さんが私を見た。それから仲良いのかな?と人差し指を顎に当て、考える仕草をする。私から見れば、十分仲良く見えるそれに少し、嫉妬してしまうくらい。
「まあ、仲、良い…かな?雅治くんにはブン太もお世話になってるし」
ふふ、と穏やかに答える彼女に、切なくなった。どうして、どうして気づかないのか、って。他人から見れば気づくこともある。私はもう一度テニスコートを見つめると、ほら。やっぱり。……優しげな視線。見守るような視線。想いを抱いてるって、一目瞭然なのに。
彼のこの子に向ける視線は私が彼に向ける視線と重なる。
どれだけ彼が彼女のことを思っているのか、嫌というほど気づかされた。
ひらひらと振る手のひらも、彼女にだけ向ける笑顔も、全部全部あの子を想っての行動だということ。
そして、私には入る隙なんて一ミリも空いてなどいないのだと。
突きつけられる現実に、ズキリと胸が痛んだ。
…そんな十二月初め。…彼の誕生日まで、あと…四日。
―Fin
あとがき>>仁王BDに向けてのプチ連載。全四話予定。…だった小説です。無理だと思い短編に。もしかしたら気分でupするかもしれません(…)日付見ても解るとおり書いたのが12月1日なので本当は仁王が好きな子は赤也のお姉さんの筈でした…が、ドキサバのお姉さんがあまりにも上の親友とは不釣合いだったので急遽ブン太の幼馴染に変えた感が…!いたるところが間違ってるようなそんな作品です。
2006/12/01→2007/07/16(修正)