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このむねいっぱいのあいを




『最近、どうしてる?』

日本での友達からの久々の電話はいつもこんな調子で始まる。ぼちぼちやってます。と笑いながら答えると、彼女が電話越しに笑うのがわかった。日本を離れたのは、もう二年前の事。彼女との付き合いはその三年前から。もう五年にもなる付き合いだ。

『アンタ、アメリカ行っちゃってから一回も帰ってこないんだもん。今年の夏くらいは帰ってきなよ』
「んー…そうしたいけどねぇ…」
『もう、夏休み入ってるんでしょう?』
「うん、だけど、これがまた結構課題が多くって、」
『日本でもやれるじゃん』
「そうだけど…でもせっかく本場のアメリカに来てるのに、1か月も日本に戻ったら、英語忘れちゃうよ」
『数週間とかでも良いじゃん』
「仕送り貰ってる分際で、短期間帰るだけの交通費だしてもらうのは気が引けるよ」

この会話は、去年もされた気がする。そうすると、彼女は一度沈黙して、それからさっきとは違う雰囲気の声が聞こえてきた。

『……まだ、忘れられない?』
「え?」
『…手塚君の事』

そう言われて、とっさに「まさか!」とは言えなかった。手塚君。私の、初めての彼氏の名前だ。正確にいえば初めての彼氏だった人の名前だ。
今でも時々思い出す。初めての彼氏の最後の言葉。

「別れよう」

その一言で、私と彼――国光との関係は終わりを告げた。彼は私より一個年下だったけれど、私よりもどこか大人びた存在だった。考え方も、しっかりしていた。そんな彼に玉砕覚悟で告白をしてOKをもらえた時はどれだけ嬉しかったか。今でもその時の気持ちを思い出すと、胸の奥がきゅうっとなる。

国光と付き合って、色々彼の事を知った。登山が趣味だと聞いたからには、彼と一緒に山に登った。高いところ嫌いなのに、でも上りきった後、景色を見て「綺麗」だと、感嘆した。

またひつまぶしが好物だと聞いたら、お勧めのお店に食べに行ったりもした。ウナギ、嫌いなのにね。…それでもその時一緒に食べたウナギは、今まで食べたどのウナギよりも美味しくて、本当に「美味しい」って、言葉だけじゃなくって感情までも揺り動かした。

国光は、どこか当時の高校生らしからぬ男で、現代器具と言われる携帯での電話やメールをあまり好まなかった。
彼曰く『一体何を話して良いのかわからない』と困っていた時の顔が今でも鮮明に思い出せる。
対照的に私は俗に言う携帯依存症でどこでも何をしていても携帯を構っていないと落ち着かなかった。けれども彼がメールや電話を苦手だとするのならと我慢してメールも電話も用事が無ければしなかった。
重たい女だと思われたくなかった、からだ。

けれどもやっぱり、さびしいときとかあって、そういうときどうしても我慢できずに「さびしい」と打ったメールには、必ず一呼吸おいて、電話がかかってきた。そんな、やさしい彼が大好きだった。

きっといつかは結婚するんだって、なんの根拠もなしに思っていた。高校生の分際で結婚、なんてそんなこと思っているのは私だけだったかもしれない。けれど、結婚しないにしても、きっとずっと私は国光の事を好きなんだと、根拠もなく思っていた。

だけれど、その思いは、あの冬の日もろくも崩れおちた。

「別れよう」

電話越しの声が、やけに耳についた。私の脳みそはまっ白になってしまって、なんて言ったのか正確には覚えていない。ただ、電話を切った後、私達の関係はこれで終わったのだと、悟った。実に呆気なかった。付き合っていた1年間は、なんだったのだろう。そう思った。
ツーツーツーと聞こえる受話器音がいつまでも耳について離れなかった。それでも、突然の国光の別れ話に、怒りは沸いてこなかった。ただ、空虚感だけが残ったけれども…それでも、涙は流れなかった。
決して悲しくないわけじゃなかったし、本当は辛かったのに…それでも涙は出てはくれなかった。

それから数カ月がたって、私は高校卒業後、留学をした。

『…
「…もう、くに…手塚君の事は、吹っ切れてるよ。二年前の事じゃん。どれだけ未練がましいんだって話じゃない?今アンタに言われるまで全然普通に忘れてたよ」

きっと彼女は私が嘘をついているんだと言う事に気付いたと思う。「」と私を呼ぶ声が、どこかつらそうだった。
久しぶりの電話がこんなになってしまって申し訳ない。どうにか流れを変えなくっちゃ、と意気込んで

『あのね。実は…ずっと黙ってたことがあるんだ』

けれども私が何かを言う間に、彼女の声が聞こえたのだ。その声はさっきと同様にどこかつらそうで。

「黙ってた、こと?」

私まで、その雰囲気がうつる。重苦しい雰囲気が私達を包んでいるように感じる。
『手塚君、の事』―――心臓が、大きく跳ね上がった。

『実は、手塚君がに別れを告げたのは…私の、所為なんだ』
「……どういう、事?」

まさか、彼女も国光を好きだった、とかそういうベタな展開なのだろうか。ずっと信じてきた親友と国光との関係を変に想像してしまう。

『…二年前、は私に言ったよね。…留学の件で悩んでる、って』

その時の事を思い出す。丁度二年前、確かに私は留学の事で悩んでいた。私の将来の夢の為には、留学が最先端だったのだ。けれども、そうすると日本を離れなくちゃならない。家族も友達も誰もいない土地で、一人でやっていかなくっちゃならない。言葉もうまく通じるかもわからない。
色々な不安があったから。でも、一番大きく悩んでいたのは、国光との関係だった。

『あのときは、このまま留学したら手塚君と離れ離れになるって、不安がってたよね』

そうだ。
あの頃の私は、国光が大事だった。きっと何年たったって、私は国光の事が好きだと自負していた。きっとこの思いは消えないのだと。きっとアメリカに行ったってずっと国光の事を想うだろう。それくらい、国光に惚れこんでいたし、私の世界の中心は国光だった。
けれども、反対に国光はどうだろう。国光に嫌われてないと言う自信はあったけれど(好きでもない人と付き合うなんて器用なまね、出来る人じゃない)でも私が国光を想う程国光が私を想ってくれてるとは、到底思えなかったのだ。きっとこの恋は私が離れてしまったら終わる恋だと、思っていた。

『だから、留学しなくても良いか、って、言ってたじゃない?』

そうだ。
国光を失うくらいなら、留学しなくっても良い。って思ってた。
別に最先端じゃなくっても良いじゃないかって。日本でもやれることはあるじゃないかって、そう思い直して。
でも…そんなときだった、国光に別れを切り出されたのは。

『あれ…私が、手塚君に、話したの。が、本当は留学したいけど手塚君とはなれたくないから日本に残るって言ってる、って』
「…え」
『……その話をした、次の日、から別れたって聞いて…私凄く後悔してた。でも…それで留学を決意したを見て…どうしても言えなかったんだ。…それに、手塚君の願いでもあったから』

の気持ちを尊重したい。でも俺と付き合うことで、の夢が台無しになるのなら俺は迷わない」

彼女から、聞いた国光の言葉。

、ごめん。…ずっと黙ってて』

そう謝る彼女の声は、今まで以上につらそうだった。
でも、違う。
…悪いのは彼女じゃない。…私だ。私が、弱かったからだ。こんなに、想われていたのに、信じ切れてなかった私が、悪かったのだ。

「…っ」

そう気付いたら、泣きそうになっている自分にも気付いた。

『…きっと手塚君はが想うよりずっと、あんたの事想ってくれてる。…アンタ、すっごい愛されてたんだよ』

だから、いつまでも逃げてないで、現実から目をそむけないで。

『…帰っておいでよ、…日本に』

切実な声に、本気で泣きそうになったけど、それでも涙は出てこなかった。



★★★



「…二年ぶりの日本だぁ」

そうして私は、今日帰国した。彼女の言葉で、ようやく…踏ん切りがついた。やっぱり私は逃げていただけだって事。このままじゃずっと何一つ変われない。
空港について、あらかじめ彼女に日時を連絡しておいたけれど、でも彼女の姿はまだ発見できなかった。どこにいるのかな。携帯を取り出してアドレス帳を開く、それから彼女のメールアドレスを開いてカチカチと携帯を打ち始めると

「…携帯依存は健在だな」
「……!」

声がかかって、心臓が、止まりそうになった。懐かしい…けれどもあのころよりもまた一段と落ち着いた声色。だけどやっぱり懐かしい声。恐る恐る振り返る。

「…っ」
「……久しぶり、だな

其処に居たのは、紛れもなく二年振りの、国光の姿で。

さんから、今日お前が帰ってくることを聞いた」
「……」
「…アメリカでの勉強は、どう…っ!?」

気付けば、国光に抱きついていた。けれども突然抱きついたにも関わらずきちんと抱きとめてくれる、腕。あのころよりも更に逞しくなったんじゃないかな。ぎゅう、と抱きしめると、「…アメリカに行って、更にスキンシップが旺盛になったのか?」なんて、間の抜けた声が聞こえた。
別れたはずなのに、もう他人のはずなのに、それでもどうしても止められなかったのだ。

「くに、みつ」
「……二年前は、悪かった」
「…っ」
「…だが、俺の所為で、お前の夢を壊したくなかった」
「……臭いよ、ばかっ」

ぎゅう、っと更に抱きつくと、そっと私の背に国光の手が回るのがわかった。けれど私とは違って、その腕は優しい。

「…臭いよばか、か。…なら、もう一つ臭くて莫迦な事を言って良いか。あの頃には言えなかった事」
「……な、に」

が好きだ」
「…っ」
「もう、あの頃のような子どもじゃない。を不安にさせる気はない」
「くに」
「だから………もう一度、とやり直させてほしい」
「…っ、ほ、んとに…臭くて、莫迦な事…っ」
「自分でもわかっているつもりだ……」
「ほんと、臭すぎ…っ」
「……それで、その臭くて莫迦な言葉の返事は?」



あの時流れなかった涙が、ようやく頬を伝って流れ落ちた。

「私も、国光の事、忘れた事、なかったっ」
「…お前も十分臭い事言ってるぞ」



 

お題:「このむねいっぱいのあいを」
星空カスケードさまより

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