これは涙なんかじゃないよ。
「そんなんお前が悪いんだろ!」
「何よ!向日自分の事棚に上げて!」
「それはだろ!」
ああ、なんでこうなっちゃうんだろう。
向日と喧嘩をしながら、頭の片隅で思う。(そんな余裕はあるみたいだ)
なぜか、向日とは顔を合わせる度、ケンカしてしまう。
出会ったときから、なぜかそうだ。私自身そんなに短気な方ではないハズなのに、どうしてか向日とだけは最終的にケンカになってしまうのだ。
それ以外の人達とはケンカらしいケンカなんてした事がないというのに。
「私がいつ棚に上げたっていうのよ!」
「今だろーいま!自覚ねーのかよっ」
「別に棚に上げてないじゃない!今回の事だって絶対向日が悪いんだから!」
本当は喧嘩なんかしたいわけじゃないのに。他の子達と同様に、向日と仲良く楽しくおしゃべりしたいと思っているのに。
なぜか口をついて出てくるのは、こういう言葉ばかりなのだ。
ケンカの内容がヒートアップして、だいぶん自分達の言葉も意味がわからないものになっていく。
事の始まりはそんな大したものではなかった。
ただ、向日が私のシャーペンを勝手に使って、使ったまま返さなかった、と言う些細なことだったのだ。
別にそれ自体なら大げさにすることなんてない。勝手にモノをつかわれるのも、他の人とかでも全然気にしない。
返ってさえくれば、文句など言わないのに。だけど、返ってくる間際の向日の言葉にカチンときてしまったのだ。
「だーもう、ちょっと借りたくらいで。うっせーな。小姑かってーの」
借りといてその言い方はないと思う。そこからこの大げさなケンカは始ったのだ。
教室のど真ん中でのケンカだけれど、これが日常茶飯事なので今や誰も気にも留めないところがちょっとだけ切ない。私達の関係がただのケンカ仲間としか思われてないってことを痛感するから、だ。
「…っはーー!」
すると、大げさに向日が大きなそれは巨大なため息をついた。
それからがしがしと頭を乱暴に掻いて
「っとに、可愛げねー女!」
それはもう、心底面倒くさそうに、叫んだ。
瞬間、私の中で、何かがガラリと崩れ落ちた、気がした。
視界がぐにゃりと歪みだす。それから幾ばくもないままポタリ、と頬を伝うそれ。
すると目の前にいるハズの(なんせ、視界が悪くてよくわからない)向日が驚いたような顔をした(気がする)
「ちょ!…!?」
「可愛げなくて悪かったわね!だったら別の子の借りれば良いじゃない!わざわざ私のなんか借りなくたって!」
「つか、泣くなよ!なんでこんなことで泣いてんだよ!」
「これは涙なんかじゃないよ。私がこんなことで泣くわけないじゃん」
ボロボロとあふれるそれを涙だと認めたくはなかった。
けれども、明らかにお前それは…って言った風な顔をする向日。
「いや、明らかに涙だろ」
「違うもん!……これは、これは」
いつだか読んだ漫画で、そういうセリフがあったよな。なんて思い返して
「これはっ、心の鼻水よ!」
「汗だろ!?鼻水って汚ねぇだろ!?」
「う、煩い!とにかく、泣いてなんか無いの!涙なんかじゃないの!」
ぐし、と泣いてるところをいつまでも見られたくなくって、私は目を強くこする。
そうすれば摩擦でちょっと瞼が痛かった。でもなりふり構わず拭っていると、ぐいっとその手が引っ張られて、「莫迦!」って叫び声。
「赤くなってんだろ!ほんと莫迦!」
「う、煩いなぁ!良いじゃん、向日には関係ない―――」
「けど!俺が嫌なの!…とにかく、こっち来いって!」
そう言って向日は私の返事も聞かずにぐっとそのまま腕を引っ張って教室を出た。
★★★
連れてこられたのは近くの水道場だった。それから、ばしゃばしゃって音が聞こえて、次の瞬間向日が私の目の前に濡れたハンカチを差し出す。
……正直、意外だった。ハンカチとかそういうの持ってるなんて。きっとそう言ったらケンカになるんだろうな。だったら言わなきゃ良い。そう思った、
「……これ、ちゃんと綺麗?」
「………」
思った、のに言ってしまった。可愛げねーって言われても仕方がない。
「…綺麗だよ。ちゃんと。…そういうの、うるせーからうちの親」
なのに、いつもと違う返事。いつもなら、絶対ココでケンカになると言うのに。
ぽかん、としていたら向日が「あーもう!とにかく大丈夫だっつーの!」って言いながら、そのハンカチで私の目を覆ってしまった。視界が、奪われる。
「ちょ!」
もう、離しても平気。言おうと思ったけれど、その手は離れない。
それから、はあ、って息を吐く音が聞こえた。
「……わる、かったよ」
「……え」
耳を、疑った。まさか、謝罪が聞こえるなんて。向日の顔が見たかったけれど、ハンカチで隠されてる所為で全然見えるはずもない。
「可愛げねーとか言って。…そんなんで泣くって思わなかった。…言いすぎた」
「…だから、別に、泣いてなんか」
「良いから黙って聞けって」
言われてしまって、私は途中のままの口を閉じた。
「…なんつーか、その…今までの事とかも、ごめん。一応悪いって思ってんだ、けど。でも、お前見てると素直になれないっつーか。その…思ってる事と正反対のこと言っちまうっつーか。えっと」
しどろもどろな声が耳に届く。
いつものハキハキとした声じゃない。一瞬向日の声を真似した別のだれかなんじゃないかって思うくらい。
「だからー、その、本心じゃ、ねーから。だから、その……あーーー!くそくそっうまくいえねーっ」
「……」
「だ、だから!その…他の奴に借りろとか、言うなよ。他の奴に借りたら、お前と会話、できねーじゃん」
遠まわし過ぎる言葉に、一瞬考え込んでしまった。
でも次の瞬間、私はあり得ない程ポジティブにその言葉を捉えてしまっている。
まるで、向日が私と会話をしたい、って思ってくれてるんじゃないかって。
「…でも、私ケンカなんか、したくないんだけど」
「俺も。……でも、今更、やさしくとか…ハズくて出来ないっつーか」
だーもう!わかれよ!!なんて言われても、わかるはずがない。
もし私の勘違いだったら、とか思ってしまって最後の最後は疑ってしまうのだ。
ハンカチを抑える手の力が緩まって、私はついにそれを取った。そうすれば、今まで見たこともないくらい真っ赤な顔をした向日の姿があって。
「……と、とにかく!本当に可愛くねーなんて思ってないから。むしろ、その反対っつーか!」
言われて、またぽろり、と頬を伝うそれ。
でもさっきまでとは違う意味での、だ。
「…泣くなよ」
「泣いてなんかないよ。これは」
「心の鼻水?」
さっきした会話だ。でもさっきまでとは空気が違うのが一目瞭然。
柔らかい、空気。多分、初めてだ。向日とこうやって穏やかに会話が出来るのが。
ずっと、憧れてた。
見上げると、やっぱりどこか赤い向日の顔。
「汚いなぁ。心の汗って言ってよ」
「……お前がそれ言う?」
呆れたような顔をされて、でもいつもの嫌な感じはやってこなくって、思わず「……あはっ」って笑ったら、向日が一瞬驚いた顔をして、それから同じように笑った。
「……ほんと、可愛げねー女」
「……」
「…さ、さっき言っただろ!正反対のこと言っちまうって!」
お題:これは涙なんかじゃないよ。
星空カスケードさまより