虹に触ってみたい
「さん、子どものころ、自殺しようとしたらしいよ」
「えー嘘だぁ」
「それがほんとなんだって!その時のキズ、今でも残ってるみたい。額にパックリと」
ひそひそとクラスメートの女子たちが噂する声を耳にして、噂の意中の女の方を見やった。
あんな堂々と大きな声で噂されてると言うのに、その女と言えば全くの無視。
、同じクラスの女子。彼女は噂なんて気にも留める様子もなく、ただ一人本を読んでいる。
その表情は微動だにすることはなかった。
さっき聞いた噂を思い返してみる。
自殺。と言う言葉に、俺は嫌悪した。自殺と聞いて気分の良くなる者は多分いねーと思う。
とは同じクラスになって、まだ三カ月足らずだが、何を考えてるのか良く分からない女、と言うのが印象的だった。
特別、親しい人間がいるようには見えない。むしろクラスの誰とも会話をしないと言ったイメージしかなかった。
笑顔なんてそう言えば見た事ないかもしれねーな。ぼんやりと考えていると、一時間目を知らせるチャイムが鳴って、俺は思考を停止させた。
まあ、どうせ、他人事だしな。程度にしか思ってなかったからだ。
★★★
昼休憩になった。今日の気分は外で食べるって感じだったから、俺は屋上へとやってきている。
ガチャリとドアを開けば、いつも利用の多い屋上には、数人の姿しか見えなかった。
まあ、外あちぃしな。なんて一人納得して、周りを見渡す。
「!」
すると其処に、朝噂の的だったの姿を発見した。
…弁当食べる奴いねぇのかよ
思ったが、まあ今日は俺も一人だから人の事はいえねぇか。
普通なら気にしないだろうけど朝の噂もあってか、どうもが気になって俺の足取りは自然とそいつのもとへと歩いていた。
自殺願望者を救ってやりてぇとか、そんなヒーロー気どりするわけではない。かと言って、「お前自殺未遂したんだって?」なんて茶化してやる気もない(そんな事言うほどガキじゃねーし)
ただ、純粋に興味があった。
あの無表情の下の感情ってやつ。
誰とも自ら話そうとしねー女。一体何を考えてんだろうか、って。
それと、ただ単に同じクラスだっつーのに一度も会話した事がなかったから、これを機にちょっと喋ってみっか、って程度。
「よ」
「…?」
「お前、一人で飯食ってんのかよ?」
そう聞けばは言葉も発さずただ一度だけコクリと頷いた。「隣、座んぞ」それから俺はの返事も聞かず(つっても返ってくるか謎だが)素早く隣に腰かける。そうすればは少し驚いた表情をするもんだから、俺は首を傾げた。
「…丸井君なら、別の人と食べた方が楽しいんじゃ」
「あ、俺の名前知っててくれたのかよ?」
「……同じ、クラスだし」
そう言って、ぽつりとつぶやいて、は少しだけ顔を伏せた。その瞬間、綺麗な黒髪が耳から落ちて横顔を隠す。
「つーか、俺今日一緒に食う奴いねーし。も一人だろ?なら二人の方が美味いじゃん」
「え?」
「ん?」
に、っと笑ったら、はまた少し驚いたように俺を見た。
それがなぜか凄く不思議で、また疑問そうな顔をすると、はしどもどしながら話を続ける。
「あ…ううん。ただ、私の名前、知ってたんだなって」
「お前…今、俺に同じクラスだしっつったばっかじゃん。俺だって同じクラスの奴の名前くらい覚えてるっつーの」
「…だって、それは…丸井君は、有名だから」
「お前も有名だよ」
いってしまって、しまったと思った。慌てて口を塞いだが、もう遅い。
にはバッチリ聞かれちまった後だ。しまった。って顔が露骨に出てたみたいで、どうしようかとフォローの言葉を考えていたけれど、上手い言い訳が見つからない。
そうすれば、が薄く笑った。
「そんな顔しないで」
そんな顔、とはどんな顔だよ。とは言えなかった。大体予想は付いている。更に罰が悪い顔をすると、「朝の噂の事とか、でしょ?」となんでもないように言った。
それがあまりにも平然と言うから、思わず「マジなんかよ?」と包み隠さない言葉を紡いでしまっていた。また、しまったと口を押さえても、やっぱり遅い。
「丸井君は、どう思う?」
突然問われて、俺は至極困った。質問を質問で返すなんて、卑怯だ。
それでもが俺の答えを待ってるのがわかったから、俺は俺なりに考えてみる。
と言ってもの事なんて全く分からないんだけど(今初めて会話したしな)
でも、ちょっと喋った印象で、感じた…直観は
「俺は、…お前が自殺するような奴には見えねえ、けど」
たった少しの会話で、なんでそう思ったのかわからない。
でも、ただ…噂で聞いていた人柄とは、到底思えなかったのだ。
喋り掛けても全く無視。鉄火面。長い黒髪から覗く瞳は睨みつけているようだ。
何度か聞いた噂。でも、今話しかけた時点で、ひとつもそれらに当てはまるものはない。
喋りかければ普通に会話になるし、ほんとに少しだが、笑った。黒髪から覗く瞳は、ただ大きいだけで…まあ、目力が強い、のかもしれない。
「……そんな事言ってくれる人、初めて」
そう、もしこいつがほんとに冷血人間ならば、こうして頬を赤らめたりしないはずだ。
「……なんで、屋根の上から落ちたんだよ?」
無粋だっつーことは理解してるつもりだ。けど、何かしら理由があるはずだ。
じっとを見つめると、は真っ赤な顔を俯かせて、それから、小さく歯を食いしばった。
数秒経って、が空を仰いだ。
「……雨がやんだ後の空に浮かんだ、ね」
ぽつり、ぽつり、と。
「虹に触ってみたい」
じっと空を見つめながら。
「とっても虹が綺麗だったから、そう、純粋に思ったの」
屋根から手を伸ばせば、なぜか、手に届きそうな気がしたの。あ、もちろん、すっごい子どもの頃の話!今では虹に触れるなんて、思ってないもの。
「…それで、手を伸ばして、屋根から落ちた、んか?」
「…うん。足が滑って、ちょうど庭の大きな木に引っ掛かって、そのおかげで幸いそんな大けがにはならなかったんだけどね。…あーでも、額に傷が残っちゃったけど」
言った瞬間、生ぬるい風が吹いて、の髪を揺らした。すると、長い前髪が踊って、素肌をさらす。
白い肌に不釣り合いな、一本のキズ跡。これがその時の名残なのだと直感した。
「これ」
無意識のうちにの額に触れると、の身体がびくりとこわばるのがわかった。
「ぁ」小さく漏れた声に、俺は我に返って手を離す。
「わ、わりぃ!」
「う、ううん、私こそ、ごめんなさい」
「なんでが謝るんだよ」
「…え…だ、って」
突然謝り返されて俺は疑問に眉をひそめた。そうすればは言いにくそうに額をさすって、
「だって、見て気持ちの良いものじゃ、ないでしょう?気味悪いもの。…だから」
そう、言われて。気付いてしまった。こいつがなんでこの暑いのに髪も縛らず、そして前髪も長いまま伸ばしっぱなしなのかを。
この傷跡を、人に見せないためだ。
そういう、気づきにくい気遣いをしているのだ、って事を。
「…お前、それわかりづれぇよ」
それから、今度は故意にの頭を触った。正確にいえば、前髪を、だ。の大きな瞳が俺を見つめる。
けれど俺は構わずにの髪を後ろに流した。そうすれば、また姿を現す、一筋のキズ跡。
「…何が気味わりぃんだよ。全然綺麗じゃん」
「そんな、嘘」
「何で嘘?だって、これはお前の夢の勲章だろぃ?虹に触れたいって思って、ガキん頃冒険した傷じゃん。純粋な心だったからこそのキズだろぃ?…もっと胸張れよ」
「……」
「俺だってなぁ!昔、テレビで戦隊物見た時、本気でヒーローになろうってジャングルジムから飛び降りた事あるんだぜ?まあもちろんかっこよく着地出来なくて、膝とか怪我して家帰ってかーちゃんにめいっぱい怒鳴られたけどな!」
誰だって、ガキん時はそういう経験あるっつの。そう言えば、はぽかんと言葉を忘れたように俺を見つめていた。「だから、虚勢張るなって」頭に触れた手で今度はの頭を撫でてやる。すると、はまた軽く俯いた後「ありがとう」本当に小さな声で言い放って、(その声はどこか震えてた)俯いたまま、右腕を顔にこすりつけた後、右手を下して、ぎゅっとこぶしを握る。その袖は微かに湿っているようで、ああ泣いたのか、って気付いたけれど、俺は何も言わなかった。
それから、ただは黙りこんでいた。
それは数分のようで、実際はそんなに時間がたってなかったかもしれない。けれども、俺には長い時間のように感じられた。
ふと、顔をあげたは、まるで泣いた後等みじんもなく、
「ありがとう、丸井君」
ふわりと微笑んだ表情が、凄く綺麗だと思った。
お題:虹に触ってみたい
Seventh Heavenさまより