パコーン、パコーン。 テニスコートから聞こえるボールの音。時折聞こえる楽しげな声。 その先に居るのは、先輩達に負けず劣らずの強い意志のある瞳をした、少年。 朝の10分間の至福 今、私の目に映っているのはテニスコートだ。ウチの中学はかなりテニス――更に言えば男子部――が強いらしい、と言うことは私が入学する前から噂ではあった。だけれども私が入学した当初からはまだ一度も全国大会優勝をしたところを見たことが無い。いつも後ちょっとのところで負けちゃうのだ。・・・実力がある人はいるのに勿体無い。こう言っちゃなんだけど、今まではもう私が在学中には全国優勝なんて無理なんじゃないの?とか思ったりもしてた、手塚君には悪いけど。でも、それは過去の話で・・・今は、結構全国優勝出来ちゃうんじゃない?とか思っちゃったりしてる。と、言うのも。 「ヒュ〜オッチビやるぅ!」 今年入った、期待の新人の存在。結構強い。と言うことはもしかしたら彼が・・・全国優勝を導いてくれるキーなのかもしれない、と少なからず思う。何年に一人の逸材なんじゃないかってくらいの、凄いプレーヤーになる。心の中で、思った。 そんな凄い人と、絶対に知り合いになんてなれないと思ってた。あの日までは。 『・・・ねえ、それ何?』 『え?』 それは、いつもと変わらぬ朝の時間。突然かけられた声に、私は持っていたジョウロを落としそうになった。それから声をかけられたほうを見れば、いつも見ているあの後輩だ。しゃがんでいる私と立っている彼ではやはり身長差があるのか、彼が私を見下ろす。・・・私を、と言うには語弊があるかもしれない。もっと言えば鋭い眼差しが捉えているのはジョウロと水を遣ったばかりの新鮮な植物だ。ポカンとしながら後輩を見つめているとまた「ねえ」と声がかかって。ハタ、と気づいた私はえっと、と呟いてから食物名を続けた。。 『ミニトマト』 『ふぅん』 つまらなそうに吐き出された台詞に、やっぱり遠くから見てるイメージと変わらないかも、と初めての会話に笑みが出そうになる。この感情は恋情に似てるかもしれない、なんて思う。彼は白い帽子(なんとかってブランドの)を深く被り直すと、またミニトマトの苗を見つめた。「なんで棒立てんの」ぶっきら棒な声が響く。「まだ必要ないかもなんだけど、苗が育つと長くなるらしいから」拙い言葉で返せば、彼がまた「ふぅん」とつまらなそうに返した。それから、すっと伸びてきた腕。まだ小さすぎるミニトマトの苗をちょんとつつくように触ると、彼はまた「ふぅん」と呟いた。そんな彼をぼんやりと見つめる。するとまたゆっくりと聞こえる彼の声。 『いつ食べれんの?』 『夏頃かな』 『そんなにかかんの?』 うげ、と言った様子の顔。それが何だか可笑しくて、クスっと笑えば、彼はまた帽子を深く被り直し、「だってやったこと無いからわかんないじゃん」とちょっとだけ拗ねたように言った。テニスコートで見かけるあの生意気そうな、勝気な態度とは違って、何だか年相応なそれがああ、良いな・・・と思った。 ――― 好奇心だったと、思う。 そういえば、彼の名前を知らないな・・・。有名ではあったものの(さすがに1年でレギュラー取っちゃえば有名にもなる)殆ど私はその噂を右から左に聞いていた所為で、名前が思い出せない。名前、聞いてみようか。そんなことを思ったときだった。 『ねえ、アンタ名前は?』 それは私の言う台詞だったはずなのに、結局私の口から出ることはなかった言葉。ハ、と顔を上げれば逆光を浴びて見下げている年下の彼。その目は真っ直ぐで、ちょっとだけ、本当にちょこっとだけドキっとした。 『、だけど』 そう言えば、やっぱり返ってくる台詞は「ふうん」と言うつまらなそうな声ばかりだな・・・。そんな彼を見上げて思う。それから聞こえてきたのは「集合!」の合図だ。手塚君の低い声がコチラまで聞こえてきて、彼が「あ、」と小さく声を漏らす。勿論、手塚君の「集合」の意味はテニス部全員を示しているわけだから、彼も総等するのだ。帽子のツバをくいくいと動かした後、踵を返す彼。あ、行ってしまう。 『ね、ねえ!君の名前は?』 そう思ったら、気づけば声を上げていた。すると彼はゆっくりと顔だけこちらに向けると「越前リョーマ」と。顔を見ればやっぱり仏頂面で。後輩何だからちょっとは愛想を良く出来ないものなのか、と思いながらも返事を返してくれたことが嬉しくて、私は「ふうん」と、彼が言った台詞に相槌を打った。彼はそのまま、振り返ることなくコートへ駆けていく。その姿をずっと見つめていた。 それが、越前リョーマとの出会いだった。 「はよっス」 「おはよ。もう休憩時間?」 あれから、越前君は朝練の時間に1回だけある休憩時間になると、顔を見せるようになった。初めは週に2回とかそんな少ないものだったけれども、最近では朝練があるなし関わらず毎日やってくる。「トマト、どうなった?」それがいつものお決まりの台詞だ。 出会った頃の植えたばかりの苗とは違い、今では立派なミニトマトらしい形が出来ているのはもう彼だって知っている。緑色の第一個目のミニトマトが出来たときには、「へえ、ほんと育つんだ」と子どもっぽく感心なんてしてた。って、まだ私も彼も子どもなんだから当たり前なんだけれども。 興味津々で見つめてくる緑の瞳に微笑みかけると、一つ、嬉しい報告だ。「実はね」と、笑いが止まらない。 「ほら、此処。色が赤くなったの」 「あ、凄い」 頑張ってきた甲斐があったのだ。うんうん、と隣でまじまじとミニトマトを見つめている越前君を見ると、顔が綻ぶ。じいっと何をするわけでもなくずっと見つめる越前君の目は、本当に純粋っぽいそれだ。私は出来たばかりのミニトマトに手を伸ばし、それを優しく苗と切り離した。プチ、と小さな音と共に簡単に離れたミニトマトを一瞥して、 「はい」 隣でしゃがんでいる越前君に手を伸ばした。私の台詞に「え?」とキョトンとした様子の彼を見て、笑ってしまう。「え、じゃないよ」と言いながら更に手を差し出せば越前君が私の掌のそれを見つめた。 「食べて良いよ」 明らかなそれを口にすると、越前君はまた小さく声を漏らした。それから続くのは「でも・・・」と言う否定形の台詞だ。「食べたかったんでしょ?」と笑い交じりで返せば、越前君の瞳がこちらを向いた。でもそれは一瞬の出来事で、直ぐにふいっとそっぽを向いた顔。 「違うって」 「だって、毎日来てくれてたじゃない?」 目の前の少年は明らかにふて腐れたような表情だ。図星を言い当てられて拗ねている?と思ったけれど、違うらしい。それは先ほどの私の台詞で立証された。聞こえてくるのは「はあ」と言う大きなため息だ。どうしてため息つくんだろう。私の頭は疑問でいっぱいだ。越前リョーマと言う少年と話す様になって、3ヶ月が経ったけれども、まだ彼のことは良くわからない。きっと一生全てを理解することなど出来ないんだろうと私は思う。 ?と首をかしげてみせると、越前君が面倒そうに口を開くのがわかった。 「はっきり言って、俺はトマトなんかに興味ないし」 「・・・へ?」 それは、衝撃的な言葉だった。時間が止まる。実際は動いているけれど、私の中で止まったような感覚がした。 「はっきり言って、トマトが枯れようが実ろうが、俺の知ったことじゃないし」 夢だと思いたかった。あれだけ毎日毎日「トマト、どう?」とか「どうなった?」とか「変化あった?」とかトマトに興味がありますって言う様子だったのに。・・・裏切られた感覚に陥る。いや、実際裏切られているのかもしれない。そう思ったら、フツフツとそれが沸きあがってくるのがわかった。″それ″とは言わずともがな、『怒り』だ。 「ひ、どい!」 私は怒りに任せて、右手を大きく振り上げて、そしてそのままの勢いで振り下げた。けれども、そんなのお見通し、と言った風に軽やかに越前君が私の拳を受け止める。それが悔しくて、左手の方を素早く振り上げる。けれども、それは今度は下げる前に彼の手に寄って遮られてしまった。両手が塞がった状態で、それでも今度はどうやって攻撃してやろうか、なんて野蛮なことを考える。それだけ、イライラしたのだ、彼の言葉に。だって、ずっとずっと大切に育ててきたそれを、侮辱されたんだから。ぎゅっと顔をゆがめる。そうすれば、また越前君は呆れたようにため息を吐き出した。「最後まで聞きなよ、先輩」ふう、と息を吐くのを聞きながら、私は唇を噛み締めた。それを合図のように越前君が口を開く。 「・・・トマトは単なる、口実。・・・実際は、アンタに会いたくて毎日毎日こうしてきてたんだけど?」 「っ」 「だって、先輩、テニスの話したってわかんないでしょ?・・・トマトの話してるときだけ、嬉しそうにするし・・・先輩に合わせてたこっちの苦労知ってくれても良いんじゃない?」 また、私の中で、時が止まった気がした。先ほど越前君の言ったことを考える。どういうこと、なんだろう。私に会いたくて、と彼は言った。トマトは口実だ、と。私に合わせたんだ、と。それって、一体どういうことなんだろう?軽くパニックを起こしている頭で考えても正しい答えなんか出てくれない。ずっと堂々巡りを繰り返している私に、越前君が口を挟んだ。 「鈍いね、先輩」 知ってたけど。そう続けられて、更に解らなくなる。確かに私は運動オンチだし、そこらへんの人に比べれば鈍いと思う。でも、そんな姿を越前君に見られたことは無いはずだ。なんで知ってるの、と恥ずかしさが募るけれど、でも問題はそこじゃないと気づく。今は、彼の言いたいことを理解するのが先決なのだ。・・・それでも答えなんて出ないのだけど。 ス、と彼の手が私の手首から外される。ぼんやりと追いかけると、その手は私の頬に触れた。暖かい掌が、自分の熱と溶け合うようなそんな感覚に陥る。「越、前・・・くん?」戸惑いにも似た声が、私の口から無意識に漏れた。すると、緩やかに越前君の唇が動き出す。 「ほんと、わかんないんスか?・・・俺が、先輩を好きってこと」 「え・・・」 「・・・だから、知りたいと思ったんだ・・・先輩のこと」 投げかけられる台詞に驚きを隠せない。でも、その目は真っ直ぐで、偽りなんてなくて。笑い飛ばすなんて選択肢選べなくて、ただ、黙す。そうすれば、頬の手が外れて、変わりに両手が私の肩に置かれた。そして、近づいてくる越前君の顔。ちゅ、と言う可愛らしい音が、私の耳に届く。そして、同時に触れた唇。触れられたところに手をやれば、妖艶に笑う、年下の彼。頬に触れたそれは紛れもなく彼の唇だと言うことに気づいて顔が紅くなる。 「え、えち、えちぜ!」 「今はこれで勘弁しておいて上げるよ、」 そう言って、帽子を深く被るから彼の顔なんて見えなくなってしまう。え、勘弁ってなによ?どういうことですか?あたまは大量の疑問符で大混雑中だ。答えなんてそうそう出そうに無い。 「集合!」 ・・・のに。私の心とは裏腹に聞こえた、休憩終了の合図。それを聞いた越前君は立ち上がると、私に背を向ける前に一言。 「ま、これからもよろしく、せ・ん・ぱ・い?」 その笑顔が、凄く憎たらしくて、生意気で、年下には見えなくて。どこか挑戦的で。―――ポカンとしているうちに彼はコートに向かって走って言ってしまった。取り残された私は、一人、考える。 好きとか、嫌いとかそんなのわからない。だけど・・・彼の気持ちが本当にそうなのかとかも、一体何を考えてるのかも理解なんて出来るわけない。でも・・・それでも、知りたいと思うこの気持ちは、一体なんなんだろう。わからないこと尽くしだ。だけど。 一つだけわかるのは。 朝のこの10分間が、何よりもどんなことよりも幸せだと感じている自分がいると言うこと。 コレが恋なのかどうかは、わからないけれど―――。 ― Fin |