待ちに待った春休み。嫌な成績表ももう貰い済みだし、退屈な校長の話し、長ったらしい担任の小言は昨日終わった。これでもう私を縛るものは無いわけだ。春休みの間、したいこと、やりたいこと、行きたいところ色々あった。色んな計画を立てた。まず1日目はどうして、どうしよう。2日目はこうしよう。楽しみで楽しみで仕方が無かった春休み。いつもは無計画なくせに、今回ばかりはカレンダーいっぱいに予定を詰め込んで。さあ、いざ、1日目!と張り切ったものの……なんで、今年に限って…!
コヤツのせいで、私の計画は全部パーになったわけである。
それでも少女は
「ふ、ふえ…」
ああ、もうまた。そう予感した直後に、やってくるそれは我ながらおっきなくしゃみ。「くっしゅん!」なんて、もう何度目になるんだろう。いい加減止まってほしいものだ。でも、鼻がムズムズしてまたすぐに次の波がやってくる。くちゅん、ふえっくしゅ、はっくしょん!1日のうち、くしゃみをしないほうが少ないかもしれないと最近では思う。
「も、さ…いあ…くしゅっ」
目はめちゃめちゃ痒いし、頭は痛いし、もう最悪だ。
春休みにしようと思っていたこと、やりたいこと、行きたいトコ、沢山あった。カレンダーを見ればぎっしり詰まったスケジュール。これを書いてたころはまさかこんなことになるなんて夢にも思っていなかったのに。
まさか、まさか、私が花粉症になるなんて…!
この世に生を受けて早17年。今まで花粉症患者を傍で見て来たことはあるものの、自分には無縁だと思っていた。「もう目が痒くてたまらないの」とか、「ティッシュが手放せなくなるんだよとか、「マスクしなくっちゃ!」とか色々苦労話を聞かされたことはあったけれどもいつも「大変だね」くらいにしか思わなかった自分がなんて無責任だったのかようやく解った気がする。18年目にしてあの、脅威『花粉症』様にやられてしまったわけだ。
すんげー辛い。死ぬほど辛い
まさに、ティッシュとお友達、ならぬティッシュが恋人状態だ。貴方ナシでは生きていけない。くしゅん!とくしゃみをしたあとに、すぐ傍にスタンバイしているティッシュを手繰り寄せると私はティッシュを鼻に押し当てた。カシミア入りのそれは鼻の粘膜に優しい…らしい。今までは従来のティッシュとどう違うのよ?とか思っていたけれど、うん、なんだか違う気がする。多分今、「カシミアじゃないティッシュしか売れてなかったの」と母親が買ってきたら、何だか花粉症が悪化する気がする。全ては気がするだけだということはつっこまないで貰いたいものだけれども。
「に、しても、…ズズ、今日は折角精市とデートのよて、くしゅん!だったのに…!」
だーもう!たかが一言言うだけでもこれじゃあ一苦労だ。私はティッシュを鼻に思いっきり押し付けると、忌々しげに鼻を噛んだ。
カレンダーに大きく書かれた花丸印。その下には「精市とデート」とハートいっぱいに書かれた予定。凄く凄く楽しみだった。「この日は1日休みだから、どっか出かけようか?」とふわりと優しく微笑んでくれた彼に、子どもみたいに―ってまあ子どもなんだけどもね!―はしゃいでしまったつい先日のことを思い出す。
『い、いいの?』
『うん、の行きたいところあるなら、そこに行こう』
幸せだった。あのときに戻りたいと思う。まさかその数日後、当の本人が花粉症と言う病にかかってしまうなんて夢にも思ってなかったんだから。大好きな精市と、お花見デート。、…そんなの、今実行しようものなら死ねと言っているようなものだ。
はああ。…長い長いため息が漏れる。最近、引きこもってばかりで本当に退屈だ。…無菌の部屋にいない限りはあの魔の手(花粉症)からは逃げられないと、わかっている。結局は、どこにいても一緒なのだ。だけれども、外にいて四方八方から狙われるよりは、攻撃が少ないとは思う。
ピンポーン、とうちのインターホンが鳴ったのはそれからすぐのことだった。誰だろう、宅配便の人かな、それとも母親の友達だろうか、ぼんやりと思う。一瞬、精市の顔が浮かんだけど、それは私の絶対的な妄想だ。だって、確かに今日遊びに行く約束はしたけれど、こんな花粉の多い日に出掛けられないと、朝メールで断ったばかりだ。ちゃんと精市だってわかってくれて、了承してくれた。…と、考えて、精市から来たメールのことを思い出してへこむ。自分で言ったことなのに、こうして落ち込んでるなんて、ほんとネガティブで困る。何もかもはこの、花粉の所為なのだ。
「ふえっくし!」
ほらまた。…窓も開けてないのに、どうしてくしゃみは止まってくれないのだろうか。このままじゃくしゃみ死にしそうだ。そんな死に方嫌だ。死に方に理想もへったくれもないけれど、でもあまりに間抜けすぎる。『くしゃみのし過ぎで死んだ女子高生』なんて新聞の片面に載ったらどうしよう、なんて有り得ないことを考えた自分を、我ながらバカだなと思う。…大体ほんとにそんなので死ぬのかは不明だ。そんな阿呆な考えをしていると、(花粉症の所為で脳までイカれたかもしれない)コンコン、と私の部屋をノックする音が聞こえた。お母さん?もしかして、さっきのお客は私に、だったのかもしれない。ドアの向こうにいる人物が誰なのかはわからないが、私は「どーぞ」と手短に答えると、カチャリとドアが開いた。
「せ、せいい…くっしゅん!」
そして、それが開け放たれたのと私が彼の名前を呼んだのはほぼ同時だった(と言ってもくしゃみの所為で名前を言えたのか定かではないのだけれど)ドアの向こうにいるのは、ひらひらと私に手を振って、さもそこにいるのが当たり前って感じの顔で微笑む幸村精市その人。私はと言うと、愛しの恋人の突然の出現に、ポカンとして座り込むばかりだ。
え、だって、わけわからない。だって、朝のメールには「仕方ないね」って、その一言だけだったのに…!メール内容を思い起こして、今目の前にいる人物をものごっつい勢いで見続ける。そうすれば精市は優雅な笑顔のままに私の部屋へと入ってくると、ふわり、と一度笑みを深くすると、私の頬をスゥっと優しく一撫でした。
その仕草をあまりにも自然に行ってしまうから、私はぼんやりと見ることしかできなかったのだけれど、次第に気持ちに整理がついたのか、今のこの状況がめちゃくちゃ恥ずかしくなってしまい、一気に顔の熱が上がっていった。
「ちょ、せ…!ぶえっくし!」
……顔の熱が上がっていったと同時に、花粉症も私の身体から離れてくれれば良かったのに。というか、寧ろもっと可愛らしくくしゃみが出来なかったのか、自分。―――そう心の中で悔やんでも出てしまったくしゃみは取り消せない。くしゃみをしたと同時に鼻水が出なかったのが不幸中の幸いと言うべきか。ぶくちゅ、えくち、と続けざまに2,3とくしゃみをすると、ようやくくしゃみは止まったようだった。あーえらい。ほんとしんどい。持っていたティッシュをこれでもか!ってくらい一気に引っつかんで、鼻に押し当てて、ようやく言葉を紡いだ。
「な、んでいるの!」
「いや、が出かけられないって言うから、」
「だったら!」
「だから、俺が会いに行けば良いって話しだろ?」
そうたおやかに笑うのが、この幸村精市と言う男だ。さすがテニス部。一筋縄じゃいかない彼らを上手くまとめる長である。というか、この部長して、彼らあり。と言ったところか。女の子のような柔らかな曲線を描いている瞳を見つめていると、精市は何の気なしに私の寝ているベッドへ座った。ギシ、と小さくベッドがスプリングして、え、と思う間もなく、私の顔からティッシュが除去された。それから、覗き込まれるように近づく顔。
「せ、精市?あんま近づくと、あの…!くしゅん!く、くしゃみが、出たときこま、るよ!」
「ふふ、良いよ。なら構わないから」
「いやいやいや!ぶくちゅ!君が構わなくても私が構うから!」
全くこの男は何処までが本気なのだろうか?と、考えたところで、きっと全部本気に違いないと考え直す。そんなの精市には愚問中の愚問なわけだ。てゆうか言ってる傍からくしゃみって…。ほんと花粉症って場をわきまえることを知らない…!はあ、とため息をつくと、嬉しそうににこにこにこにこと笑みを浮かべている最愛の彼氏がいて、その細められた瞳が、元に戻った。それから、骨ばった指が、私の鼻にちょん、と触れた。2,3度その指が行き来する。
「…可哀想に、真っ赤になってる」
その仕草は凄く恥ずかしい事なのに、反論出来ないのは、それが何よりも優しい仕草だったからに違いない。まるで自分の事のように苦しむ表情の精市に胸がツクン、と痛むのがわかった。スウ、と優しいそれはどこかこそばゆさがやってくるのに、嫌じゃない。それを数度繰り返された後、精市の指がすっと離れるのが解った。そして、次に来るのは、鼻への口付け。
「―――…っ!」
ちゅ、とリップ音をご丁寧にも立てた精市は、そっとそこから離れると、それでもまだ近い距離で私を見つめた。私も私で精市から目が離せなくなっているため、必然的に見つめ合う状態になる。抗議したいのに抗議出来ないそれは一種の催眠術にでもかけられたみたいで、私の声を亡くした。魚のように口をパクパクさせることしか出来なくて、相当間抜け面であろう自分の顔を予想しながらもそれを止めることは出来ないまま、精市を見つめる。そうすれば、ホラ。
「更に真っ赤になっちゃったね」
くす、とイタズラっぽく笑う最愛の人。
「バカ!」
意地の悪い発言に、私はそう大声で喋って、布団をぐぐぐと手繰り寄せて自身の顔を隠す。そうすれば、やっぱり柔らかな笑みを浮かべる精市。「ごめんね」と謝罪の言の葉を言うくせに態度の方は謝ってる態度じゃない。くつくつと可笑しそうに笑い続ける精市を見つめる。
「……?」
黙り込んでしまった私を不思議に思ったのか、可笑しそうに笑っていた精市の表情がきょとんとした顔になった。私の名前を呼びながら小首を傾げる姿は、美少年って言葉が良く似合う。私はそんな精市に小さく苦笑して、窓の外を見つめた。
「…本当なら、今頃楽しくお花見、だったのにね」
「……」
「私、精市と桜、みたかったな…」
ぽつり、ぽつりと呟く願いは、いまや難しい願い事だ。きっと今外に出たって楽しめないってことくらい良くわかってる。はあ、とつきたくも無いため息をつけば、突如私の頭を大きなそれが包み込んだ。…精市の、手、だ。ぽんぽん、と数度優しく撫でられて、私は顔を上げて精市の名前を呼べば、精市が柔らかに笑っているのが見て取れた。
「…せ、いち?」
「何も、今年だけじゃないだろ?…来年だって、再来年だって、桜は咲くんだから」
その言葉が、何よりも嬉しかった。きっと精市はそんなつもりなんて無かったのかもしれない。だけど、その言葉は、私にとってこれから先も精市の隣を歩いても良いって権利を貰ったみたいで嬉しかったのだ。
ぶわり、と涙腺が緩くなってしまって、瞳に涙が溜まるのが解った。そうすれば「は泣き虫だね」と快活に笑う精市。
「う、るさ…」
はは、と笑いながら、私の頭を優しく撫でる。…なんで、今年、こんなに桜を見たかったのか、なんとなく気づいた。それは。
「…精市の笑顔って、桜みたい、だからだ」
「え?」
「…儚くて、消えてしまいそうなんだけど、とても柔らかくて見ている人を安心させてくれるような…そんな、笑顔。桜みたいな、綺麗な笑顔…だなぁって」
そう言って笑えば、精市がまたふわっと笑った。
今年の桜はお預けだけど、絶対来年は見に行こう。そのときには、手作りのお弁当を持って、春らしいワンピースを着て、のんびりと、笑って過ごせたらいいよね。
サクラを愛す
「そういえば、くしゃみ止まったんじゃない?」
「え、あ、ほんと」
「…もしかして俺のキスのおかげかな?」
「んなわけな!」
「わからないじゃないか。…そうだ、もっとキスしたら花粉症も治っちゃうかもよ?」
「ちょ、だから!べ、ベッドに乗るな…!せいい…はっくっしゅん!」
「………」
花粉症が治まるまでは、甘いムードもお預けのようです。
あとがき>>花粉症ネタが書いてみたかった。…でも終業式後って…おま!もう入学式も新学期も始まってるよぉぉ!(桜塚●っくん風
2007/04/10