春爛漫、恋爛漫

20080613 不二周助

二月にはちょっと早い小春日和と呼べるほどの良い天気に、わたしは目を細めた。
立ち入り禁止になっている屋上に寝そべっているのはわたし一人。
「くあぁ」
と欠伸を噛み締めてごろりと寝返りを打って、温かな陽気をさんさんとその身に受けた。先ほど、チャイムが鳴り五時間目が始まった。今頃『グッドアフタヌーンエブリワン』とかなんとか言って授業が始まっているに違いない(五時間目は英語だ)こんな良い天気にご苦労なことだ。…お昼ご飯の後の英語はマジで眠くなるからサボるしか無いと思う。もう一度欠伸を一つ。本当にぽかぽかと暖かいから眠くなってきて、わたしは本能のままに眠りに付いた。

「…ん」
ようやく目が醒めて、違和感。ぼんやりとした視界で辺りを見渡す。体の上に乗った違和感を手探りで掴んだ。それを視界に捉えると、…正体は
「学、ラン?」
真っ黒なそれは寝ぼけ目でもわかる。男子の学生服だ。寝る前には無かったそれに少々戸惑いつつ、視線を横にやれば其処には見慣れた男友達の顔があった。秀眉麗容と言うんだろう。寝ているそれは何処かの絵画のような美しさで、思わず見惚れてしまう(言っとくが奴は男だ)ぼんやりと、多分其処まで時間は経ってなかったけれども、彼を見つめてはっと気づいたわたしは手に持ったままの学ランを彼の上に戻してやった。そうすると
「ん」
と微かに声が聞こえたと同時に彼が身じろぐのが解った。
長い睫毛が、静かに踊る。パチパチと幾度か瞬きを繰り返すと彼はまだ眠そうに瞼を擦り、わたしの顔を見るといつもの笑顔で「おはよう」と言った。
「…周助、なんで此処にいるの?」
を探しに。そしたら気持ち良さそうに寝てるから、暫く見てたら何だか僕も眠たくなっちゃってね」
ふわり、とまるで溶けてしまいそうな優しい笑み。そんな顔で、そんな事を言われてしまったら、
「そう」
としか返せるはずが無い。そして今更ながら寝顔を見られていた事に一人慌てて顔を触ったりする。(ああ、良かった。よだれ、垂れてない)それから周助に
「学ランありがと」
とお礼を言うと、周助の笑顔がまたあった。どうしてそんなに綺麗に笑えるんだろう。不思議だ。
「今、何時くらいだろうね」
「そろそろ五限目終わるかもね」
「携帯持って来てないの?」
そう問いかけると周助は探す素振りも見せず、一言頷いた。なんで携帯持って来ないかな、と思う。わたしの場合は携帯を持って来てない以前の問題で、このご時世、幼稚園児だって持ってると言うのに、わたしはその当たり前の携帯を持っていない人間の一人だったからだ。だから、ちょっと周助が羨ましくてねたましい。折角携帯持ってるんだからちゃんと携帯しろってんだ!そういう態度が出てたんだろう(もともと隠す気も無いから良いんだけど)周助は
「良いんだよ、携帯なんて無い方が」
とクスリと落とすように笑うとわたしの腕を引っ張った。
「ひゃ!」
突然の事で、重力が周助の方に傾き、わたしはあっと思う間も無く、周助の胸にダイブする形になる。学ランを着てない周助の身体は冷たいかと思えばそうでもなく、…人肌って心地いいって本当だ、とこの場に似つかわしくない事を思った。唐突の出来事に思わず現実逃避みたいになってるのかもしれない。周助はと言えば、あまりスキンシップをしないタイプだとずっと思っていた。もう一人の友達の英二なんかとは毎日結構過度なスキンシップをしているけれども、実際周助とこうして触れ合うのは初めてかもしれない。改めて思うと、照れてきて、急激に顔が熱くなるのが解った。
「ど、どうしたの?」
問いかけた声は震えていたし、裏返っていたように思う。そんなわたしの反応が面白かったのか、周助の笑顔は崩れない。なんかちょっと癪だけど、この体勢じゃ強気に出られなくて、でも無理やり押し返すのも…なんて思っていると、周助の腕が背中に回ってきちんと抱きしめられた。
「て、てゆうか何で携帯無いほうが良いの?」
照れ隠しで携帯の話を振り返すと、周助の顔がゆっくりとわたしの耳元によるのが解った。吐息までも聞こえる距離で、そっと囁かれる。
「だって、携帯あったら邪魔でしょ?折角と二人っきりになれたんだから」
その言葉を理解して、再びわたしの顔が赤くなるまで、あと数秒。

彼女の好きなタイプを探れ!

20070624 切原赤也

俺には今好きな人がいる。テニス部マネージャーの一つ年上の先輩。笑顔なんかちょー可愛くて優しくて明るくてもう俺の好みど真ん中を射てる人。そんな先輩に惚れこんで早1年。そろそろ行動を…と思うんだけど普段は積極的な俺が先輩の前じゃ役立たず。平行線のまま先輩後輩と言う枠から抜け出せてねぇ。何故なのか、考えてみた。……俺は先輩のタイプさえ知らないのだ。てわけで両思いの第一歩として先輩の好きなタイプを探ることにしてみた。
先輩!」
「ん?どうしたの、赤也くん?」
テッテと近づいて先輩の名前を呼ぶと先輩はふわりと笑って首を傾げた。くうやっぱり好きだぜ!なんて思いながら本来の使命を思い出す。
「あの、先輩の好きな芸能人って誰ッスか?」
聞けば「私の?」と小首を傾げて不思議そうな顔。それからううん、と考え込んだ先輩をただじっと見つめる。俺に出来ることは今先輩の回答を聞くことだけである。すると先輩は「好きな有名人じゃだめ?」と聞き返してきた。つまりは芸能人には興味がないってことなんだろうか?頭の中で考えながらまあ先輩の好みのタイプを知ることが出来るなら何でも有名人でもなんでも良いやと思いコクリと肯いた。すると先輩はちょっと考える仕草をして。
「そうだなぁ。今は…野口英世…樋口一葉…」
と呟いた。昔の偉人の名前が出てきてぱっと思い出す。そういえば先輩は読書家だと言うこと。良く図書館で姿を見かけると柳生先輩や柳先輩が言ってた気がする。さすが先輩。と感心したように言いやれば、先輩は?と不可思議な顔をして。
「前は夏目漱石とか新渡戸稲造も好きだったけど…でも一番好きなのは福沢諭吉かな」
にこっと微笑まれてきゅんと来る。ああほんと可愛い!と考えたところであれ?でも?と不思議な点が。夏目漱石と樋口一葉は国語で習ったけど、野口英世と新渡戸稲造と福沢諭吉って…作家だったっけ?ちげぇよな? そう考えて、きっかり5秒。 一つの共通点を発見する。

……お札じゃん!?

「ええっとそれって…」
もしかして、先輩ってお金大好きなんですか?
言いかけた台詞は先輩の笑顔によって遮られた。どうやら先輩と付き合うためにはお金が必要らしい。 将来の夢は絶対にテニス選手になろうと心に決めた。なんとしても先輩養わないとな…。

腐女子な休日

20070623 忍足侑士

久しぶりのオフ。折角の休日なのだからと、忍足は張り切ってデートプランを立てていたのだが、いつもの部活の疲労で、出かけるのが嫌だとに言われてしまい、結局今回もお家デートになってしまった。
「あっ、もーーーーう!何でぇ!?」
そして、家ですることと言えば、まったりでも、イチャイチャでもなく。
『ごめんけど、今日は用事があるんだ』
「なんでよぅ!もう!」
乙女ゲーム。
が一生懸命やっているのは所謂オタクゲームである。男キャラを落とすゲームなのだが、どうやら上手くいかないらしい。隣に最愛の彼氏がいるにも関わらず、そんなの目にもくれていないのか、の叫びが部屋に響く。今が落とそうと狙っているキャラはどうやらそのゲームの中で一番難易度の高い男のようで、他のキャラとは比べ物にならないくらい手ごわかった。 何度目かのロードを繰り返すのだが、一向にデートが成功しない。パロメーターが足りないのだろうか、とは悶々と考えていたのだが、…結果は全部一緒のフラれエンド(つまりバッドエンドなわけだ)オタクとしては納得がいかない結果である。
「きぃ!なんで!攻略本見たらちゃんとこうすればOKのはずなのに!」
ぶっとい攻略本片手に広げてTVに向かって文句を言い続ける。その様子をじっと黙って見ていた忍足がようやく口を開いた。
「まあまあ、そうかっかせんと」
―――全くもってそのとおりである。
短気は損気。ゆっくりやっていけば良いじゃないか。間違いもあるさ。と忍足はマイペースだ。けれどもはそうじゃないらしい。「だって!」と血走った目で忍足を睨みつける。そんな彼女に苦笑を送ると、彼女の手からやんわりとコントローラを取り除いた。
「貸してみ」
「………侑士には無理なんだから」
そうぼそりと呟きながらは言われるがままコントローラを放すと、忍足を見つめる。すると忍足は怪しい笑顔を作った後、同じようにキャラを落としにかかった。
数分後の話である。
『君と、これからもずっと一緒にいたいんだ!』
TVから流れるBGMは今まで聞いたことのない音楽だ。あの物悲しい音ではない。「う、そ」思わずの口からぽつりと呟かれた言葉に忍足はニィっと笑みを浮かべた。「ようはコツや」言いながら、ホイとコントローラをに返す。
「え!なんで侑士できるのよ!」
納得がいかなくては忍足に掴みかかる。そうすれば。キラリと彼のめがねが光るのがわかった。
「ふっ、…経験がちゃうねん。経験が。くぐってきた修羅場の数がとは比べモンにならんねん」
この場合の修羅場とは、オタク道のことだろうか?自慢げに言う忍足に衝撃を受けた。ガガーーン!と効果音が背中から聞こえてきそうなリアクションをとる。その後はガクリと項垂れた。
「ざん、ぱい、です…!」
崩れ落ちるように手を床についたに、ふふん、と得意げな笑みを浮かべる忍足だった。けれども、冷静に考えてみてほしい。いくらゲームが出来ようともやっていることはただのオタク。一般人からかなりズレてしまっていることを。
こうしてオタクな恋人達の休日が過ぎてゆく。

君が笑う、僕も笑う

20050909 不二周助

今日も君が笑う。
だから今日も僕も笑う。

「あ、周くん!」
部活も終わり一人帰路に向かっているときに声をかけられた。下向きがちだった僕の顔が真正面に向く。そうすれば笑顔の君。
「あれ?…どうしたの?」
僕はに駆け寄って、そう問うてみた。そしたら返ってくる言葉は周くん待ってた!と言う一言。嬉しい言葉に笑顔になる。
「それならコートまでくれば良かったのに」
「ウン、でも、私も今終わったし」
「あ、役員会だったっけ?」
困ったように微笑む彼女。僕は確かと言葉を続けてに聞いた。彼女が僕の言葉にコクリとまた肯く。と同時にこんなに遅くまでやっていたことで心配になる。
「僕がいたから良かったものの、もう暗くなってるんだから…気をつけてね?」
そういえば、は曖昧に笑った。そんな彼女の行動一つ一つを愛しく思う。それと同様に、目が離せなくなって、なしじゃいられなくなる。
「でも、周くんいたからいいじゃない?」
首を傾げる仕草に思わず心臓の音が早くなる。早鐘を打つ僕の心臓が、僕自身良く解かった。
「全く、は…」
言いながらもが僕を必要としてくれるのが嬉しい。いつでも傍にいてくれるが愛しい。隣を歩いてくれる彼女を、大切に思う。
「ねえ周くん、帰ろ?」
一歩近づいてが問うた。僕はそれににこと笑顔で肯く。それからの隣を歩いて、自然に手を繋いだ。そうすれば……冷えた、手。
「……ねえ、?本当に役員会、今の今までやってたの?」
「……も、勿論だよっ!」
いくらなんでも冷えすぎじゃないか?不思議に思って問いかければ、少しどもるの返答。でも手を触ればそれが嘘だと言うのは明白で。僕はじっと、を見た。そうすればは少し戸惑ったように目をきょろきょろさせて…。
?」
僕はもう一度彼女の名前を口に出す。
「……ごめん、」
そしたら、の口から出るのは小さな謝罪の言葉。肩を竦ませる仕草に、小さい彼女の身体が更に小さくなったように思った。
「はあ…一体、何分くらい待ったの?」
呆れたようにため息をつけば、えっと、との口から言葉が紡がれた。それから考えるように人差し指を顎につける。……付き合って解かった、彼女の癖。
「えと40分、くらい?」
それから出た答えに、思わず出た言葉。
「馬鹿」
そう言えば、はひどい!なんて声を上げた。少し拗ねたような顔。馬鹿、なんて言っちゃいけないかもしれないけどでも言いたくなる。……まだ冬になってないからいいものの今日はいつもと違って一気に寒くなっていた。それなのに薄着のまま校門の前で一人で待っていたと思うと…。
「なんで来なかったの?寒かったでしょ?」
何も知らないで部活をしていた自分が情けなく思う。もし寒い思いをしていたら?そう考えるだけで不安に思う。
「だ、大丈夫だったよ…!」
ほんとに?思わず疑った言葉を言ってしまった。そしたらはこれはほんと!と言葉を返す。どもりもなく真っ直ぐと僕を見る瞳にこれは嘘なんかじゃないと、思った。
「それなら、いいけど…でも、今度からそういう時はすぐに来て。……心配だから、ね?」
「ほ、ほんと大丈夫だよ!」
真っ赤になる彼女を可愛いと思う。遠慮しているに違いない言葉。僕を気遣ってくれるを可愛いと思う。だけど、わかってほしい。本当に心配なんだってこと。また、僕は言葉を続けようとした。そのことを解かってほしかったから。けれども、僕の言葉は外に出ることはなくて反対に外に出たのは
「だって、周くんのこと考えてたら、気持ちがぽかぽかになるんだもん」
照れながら笑うの恥ずかしい言葉。自身も恥ずかしいと感じたのか、すぐに踵を返して歩き出す。
「さ、早く帰ろ!」
言葉を続けながら。それでも僕は思わず言葉を失ってただの後ろ姿を見ていた。それから我に返ったのは数秒後。
「……嬉しいこと言ってくれるね」
それから呟いて僕はに駆け寄る。そうして、少し前に出ての顔を覗き込む。案の定、顔を真っ赤にしたの顔。嬉しくなって、僕はにキスをした。
「しゅ、周くん!?」
これ以上真っ赤になれないくらい顔を紅くして、が僕の名前を呼ぶ。の言いたいことはわかってる。きっと"なんでキスをしたのか"。でも、僕はそれをあえて無視した。
「さ、帰ろう?」
そうして、さっきが言った言葉をに返す。はしばらくの間口を開け閉めさせていた。
「…はあ、もう…周くんには敵わないよ…」
それから項垂れて呟く。髪の毛の間から見えるその顔はまだほんのり赤い。僕はそんなの手をまた握って歩き出した。でも、ね。君は気づいていないかもしれないけど。きっと僕のほうが、君になんか敵わない。そう心の中で呟いて。少し後ろを歩く彼女の手を引いて、家路についた。
隣を見れば、笑顔の君。君が笑うから、僕も笑う。

想いの果て ※死ネタ

20050908 不二周助

"出会わなければ良かった。"
そんな風には思いたくない。だって出会えた事でこんなにも自分は変われたのだから。出会えた事で自分のこの世に存在している意味を認められた様な気がしたのだから。
生暖かい風が僕の頬を撫でた。それは決して気持ちの良いものなんかじゃ無くただ感じるのはその風の優しさ。まるで僕を慰める様に。まるで僕に同情する様に。そんな風に、9月の風は僕を包んでいる様だった。
「…なんで?」
ポツリと問い掛けた言葉は、誰に聞かれる事も無く空気に消えた。頬には涙の痕がくっきりと浮かぶ。けれども僕の瞳からもうその後涙が流れる事は無い。何故なのか。…悲しすぎると涙も出ない。そんな事を思う。悲しい筈なのにそんな事を頭の片隅で考えている自分に呆れた。自嘲気味に笑ってそんな自分が滑稽に思える。
目の前には、綺麗な花々。黄色い小さな花が、辺り一面に咲き誇っていた。だけどそれを見て笑える程今の自分は大人に成れていない。この現実に付いていけて無い。まるで自分一人だけが取り残されたかの様に。それが酷く寂しく思うと同時に、付いていく事を心の底で拒んでいる自分がいた。ひゅう、とまた風が吹いて僕の髪を揺らした。ゆらゆらと空気に浮いて僕の頬に当たった。そして一瞬だけ髪の毛は僕の視界を隠す。まるで見るな。と警告している様に思えた。それでもそれは一瞬の出来事でしかないから、僕の目の前にはまたさっきの風景が映る。そして思い出されるのは、愛しい、愛しい人の笑顔。
「周助!」
いつでも、微笑んでくれていた。ふわりと優しく微笑む表情。大人に成りきれていない、子どもっぽい仕草。だけど、その中に時折見せる、大人の女性の顔。見る度に胸が高鳴った。抱きしめる度、幸せを感じた。そのピンクの唇に口付ける度、好きの強さが大きくなった。小さな身体を抱く度に、愛おしさが、日に日に増して。そしていつしか―――――手放す事が出来なくなった。
離れていかれる事を恐れる様になった。彼女が居なくなれば、きっと自分は自分でいられなくなる。彼女が離れていけば、きっと自分の存在意味は無くなってしまう。それ程までにも、僕は、彼女を必要としていた。僕は、彼女を欲していた。とても、とても。
「……それなのに、嘘だろう?」
ねえ笑って。いつもみたいに。そうして冗談だよ、って言って駆け寄って。抱きついて、顔を上げて。そして一緒に笑い合おう?きつく抱きしめ合って、唇寄せ合って、笑い合おう?頬を仄かに赤くさせ、照れ笑いを浮かべる彼女の姿が目に浮かぶ。
何度もした、抱擁。何度も繰り返しした、沢山のキス。愛しさ故に抱いた、細く、柔らかい身体。全てが、まだリアルに思い出される。その細い細い肩口に顔を埋めれば、優しい香りが鼻に付く。安心する温かい香り。触れる身体から感じるのは温かい体温。ぴったりとくっつけば、聞こえる君の少し早い鼓動の音。全てが、全てが真実で、本物だった。それなのに…。

何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。

「何で……っ」
細い細い肩口に、顔を埋める。いつもは香る、彼女特有の優しい香り。それなのに、今はそれさえも感じない。同じ様に抱きしめても、口付けても、何をしても、決して開く事は無い。照れた様に、はにかむ彼女の顔は、もう見えない。ただ感じるのは冷たくなった彼女の身体。ダラリと垂れる手足。その身体がもう、動く事は無い。僕の袖を掴む事も、僕の手を握り返す事も、僕のキスに答える事も、もう無い。それがただ、哀しくて、空しくて。大好きだと紡ぐ、少し高い、声も。柔らかく微笑む、豊かな表情も。もう、全てが無くなり、思い出となる。

"出会わなければ良かった。"
そんな風には思いたくない。だって、出会えたことで、こんなにも自分は変われたのだから。出会えたことで、自分のこの世に存在している意味を、認められたような気がしたのだからだけど、現実を受け止められないでいる。あまりにも、君は僕にとっては必要不可欠だったから―――
だから、笑って。その口で、僕の名前を沢山呼んで。そうして、大好きだよ、って言って。照れながら紡ぐ君の言葉が、僕は一番大好きなんだ……。
彼女が居ない。その事実に空虚感が襲う。――風がまた吹いて、僕の肩を叩いた。もう、彼女はこの世にはいないのだと。風は、そう僕に言っているような気がした。
…っ」

そして、僕の心にはただの喪失感のみが、あった。