「ごめん、僕好きな子いるから」
 
そうだよ、不二君だって男の子だもん。あんなにカッコいいんだ。好きな人くらい、いるに決まってる。どうしてそんな簡単なこと気づかなかったんだろう。
 
…私なんかお呼びじゃないっての。…ばーか
 
根が生えたように動かなかったはずの足が、すっと動けたのは不二君の言葉を聞いたからだと思う。凄く、ショックだ。そりゃあアレだけ優しくて、アレだけかっこよくて、アレだけなんでも出来る人なら、好きな人がいたって不思議じゃないはずなのに。勝手に、不二君はテニス一筋だって思い込んでた。莫迦みたい。しかも、その子は「笑顔の素敵な女の子」…私とは正反対じゃない。
 
由美子さんにこの2週間沢山助言してもらった。いっぱい優しさを貰った。勇気を貰った。頑張ろうって思った。強くあろうと。苦手だったバレンタインもいい日にしようと、そう思った。卑下することもやめようと努力した。だけど…でも、思い知らされた。
…結局、私なんかがチョコをあげるのは場違いなんだろう、って。
 
きっと、不二君のことだから、朝のあの子達と同じように「義理チョコ」っぽく言えば「有難う」って言ってくれるのかもしれない、だけど、それは義理チョコだったならの問題だ。本命は受け取らない。さっきの女の子がいい例だ。可愛い顔に、ばっちり決めたオシャレ。あんな子の告白を断るくらい、素敵な女の子に違いない。
 
…渡せないよ。
 
良い日にしようと思った。昔の嫌な思い出を断ち切ろうと思った。でも、でもさ…結局バレンタインを好きになることは出来ないのかもしれない。
ごめんなさい、由美子さん。そう由美子さんに心の中で謝って、ポケットに入っている携帯をぎゅっと握り締めた。
 
チクン、と胸が痛む。弱虫、意気地なし、…のアホ。
 
『女の子はね、どんな子だって笑った顔が一番可愛いんだから。…笑顔を大切にしよう?』
 
…折角言ってくれた言葉だけど、ねえ由美子さん。…私には笑顔は作れないよ。だって、だって他の子のほうが何倍も何十倍も可愛いんだもの。不二君の好きな子には、勝てそうも無い。
 
 
 

片道切符の終着点

 
 
 
何処をどう曲がって、どうやって此処まできたのか解らない。ただ、ひたすらに走っていると、由美子さんとばったりと出会ったあのウィンドーディスプレイの前にやってきていた。ウィンドーに映る自分を見やる。そこでようやく自分が今泣いていることに気づく。何一丁前に傷ついてるの、莫迦。莫迦。今まで慣れっこだったじゃんか。なのに、なんでこんなに傷つくんだろう。
今まで色々諦めてきたのに、でも、不二君だけは諦められなかったのかもしれない。鞄の中のチョコレートを取り出す。綺麗に包装されたチョコレート。渡したかったチョコレート。たとえ、想いは伝わらなくても、「有難う」って受け取ってくれると思ってた。それなのに、あんな可愛い子が断られた後で、どう渡せっていうの。明らかに無理じゃん。…あんな場面見てるのに、渡せるほど私は強くなれていない。
 
携帯のバイブ音がして、ポケットに手を突っ込んだ。涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま携帯を見れば、母親からのメールだ。…今日は遅くなるから適当にご飯食べててね、と書かれた文章を見て、ちょっとだけがっかりする。…由美子さんからかと思ったからだ。…そういえば今日は由美子さんとメールを一回もしてないことに気づく。だけど、今のこの心境をどうやって打てばいいのかわからなくて。そう思った瞬間、私は由美子さんに電話をしていた。
 
トゥルルルと機械音が私の耳につんざくように届く。でも2回ほどコールした後、はっと気づいて切った。…こんな明らかに泣いてますって声、聞かせたくないと思ったのだ。…今度は由美子さんに迷惑をかけようとしてる。…もう幾度となくかけたのにこれ以上かけるの?そう思ったら、電話も出来なくなってしまって、私は携帯の電源を切った。ピーと小さく音がなった後、携帯の画面は真っ黒になって、私はポケットにそれを入れ込んだ。
 
 
 
見上げた空は、もう茜色。2月の空だと言うのに、まだ日が落ちないのは暖冬だから?そんなどうでも良い事を考えながら、私は目的もなくぼんやりと歩いていた。行き急ぐ人たちの間を通り抜け、歩く。もうかれこれ何時間歩いているのかわからない。だけど真っ直ぐ家に帰る気にはなれなくて、ただひたすらに歩く。…雑踏に紛れていたかった。煩い車のクラクションとか、おしゃべりな女子高生の電話の声とか、はしゃぐ子ども達の笑い声とか、とにかく色んな音を聞いて気分を紛らわしたかったのかもしれない。
本当なら、今日は自分の気持ちを精一杯ぶつける日だったのに。克服しようと、ようやく変わろうって、変わるならこの日をスタートにしようって思ってた日だったのに。
不二君の言葉が離れない。好きな子がいる。そうはっきりと言ったのだ。顔は見えなかった。だけど、きっと優しげな笑みを浮かべてたに違いない。だって、すっごく、すっごく優しい声、してた。慈しむような、愛おしそうに言ってたんだよ。…その笑顔を私に向けてくれたら…そんなどろどろした考えが頭の片隅から離れない。莫迦じゃないの、私なんか無理に決まってるのに。そんな阿呆な考えを断ち切ろうとするけど、今日は無理だ。…ただ、ひたすらに悲しい。ああ、そう言えばどうせフラれるって何度も思ってきてはいたけれど、実際ああいう場面に出くわしたことってなかったっけ?…間接的にはあるかもしれないけれど、今日が初めて私のフラれた日になるんだ。そう思うと凄くショックだった。やっぱり、私バレンタインは好きになれないかもしれない。塗り替えられたバレンタインの想い出は「初恋の失恋」なんてちょっと私に似合いすぎて笑える。
でも、そんな心とは裏腹に涙が出てきた。
 
なんで、泣くの。何で私泣いちゃってるんだろう。当たり前のことでしょう?不二君みたいな素敵な人が私なんか見てくれるわけないじゃない。
 
そう思うのに、涙は止まってくれなくて。視界がぼやける。鞄の中には本当なら渡すはずだったチョコレート。それを思うと更に切ない。こんなことなら、勇気を出そうなんて思わなかったら良かった。結局、ブスが一人前に変わろうなんて思うのが間違いなのよ。…結局生まれたときからブサイクの運命なんて決まってるんだもん。…お似合いだよ。
 
クラクションの音がした。プップと控えめなそれ。それでも私にとってはどうでも良い音で、ただ泣きながら歩き続ける。すると私の横を赤い車が通った。ああ言う車に乗る人はきっと綺麗な人とかかっこいい人なんだろう。そう思いながらちょっと前のほうで止まった車を見やると。その車の窓が開いた。
 
ちゃん!」
 
そして、聞こえてきたのは、私の名前。私の視界に映るのは…
 
「由美子、さん」
 
初めて会ったとき同様に素敵な笑顔を浮かべる、由美子さんの姿。私は泣いていた顔をぐしっと拭って、顔を隠すように俯いた。「泣いてたの?」そう心配してそうな声がかかってきて、私は、慌てて目を擦って、顔をあげてみせた。「いえ」と強くいえたら良かったのかも知れない。だけど、それは今の私には無理で、酷く小さな声だった。由美子さんの顔が少しだけ歪む。もう一度由美子さんが私の名前を呼ぶ。それから何かのボタンを押した。その後チッカチッカと後ろのテールランプが光ると、由美子さんが車から降りてきた。それから私の前までやってきた由美子さんは、やんわりと笑うと、ぽん、と私の背中に手を添えて。
 
「とりあえず、ちょっとお話しましょう」
 
その言葉に、私は静かに肯いた。…結局、私は弱い。
…なんで、由美子さんもこんなに優しくしてくれるんだろう?…私は促されるまま由美子さんの車の助手席に座った。
 
 
 
 
 
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2007/02/12