「とりあえず、ちょっとお話しましょう」
その言葉に、私は静かに肯いた。…結局、私は弱い。…なんで、由美子さんもこんなに優しくしてくれるんだろう?…私は促されるまま由美子さんの車の助手席に座った。
車内に入ると、一番に気づいたのは、大人っぽい香り。由美子さんに似合う、大人な、上品な…。「シートベルトつけてね」と促されて、私は言われるがままカチャリとシートベルトを締めた。それを確認した由美子さんはふわりと微笑むと、右に方向指示器を出した後、ゆっくりと車を走らせた。
その仕草も、とにかく様になっていて“大人”な雰囲気を醸し出す。綺麗で…かっこいい、人。
片道切符の終着点
暫く、車の中はかけていたクラシックの音楽だけが流れていた。由美子さんチョイスのそれは今の私の心にとても響く。ゆったりとしたスローテンポなそれは今流行りの歌のように激しくなくて、心地いい。
その曲も、香りも、車内の雰囲気もとにかく由美子さんの魅力をいっぱいに引き出している。フロントガラスから見える道をぼんやりと見ていると、慣れた手つきで由美子さんがハンドルを左に切る。緩いカーブを描いて曲がっていく車体。それすらも感激に近くて、同じ女なのにとても素敵に見えた。
…私が男だったなら、きっとこんな人に惚れるんだろう。間違っても私みたいな奴には誰一人惚れはしないのだ。そう思うとチクンと胸が痛むけど、当たり前な選択だ。
由美子さんは何も言わなかった。ただ、時折かけている音楽を鼻歌する。落ち着く声が当たり前のように私の耳に浸透して、それさえも、凄く素敵だ。こんな人のようになれたら、と思う。凄く厚かましい考えだって自負しているけれど、本当にそう思う。私は鞄をぎゅっと胸に抱くと、俯いた。すると、聞こえる由美子さんの声。
「……何があったの?」
言われた言葉に体が硬直するのがわかった。俯いた先に鞄を見つめて、…そう言えばチョコが入ってたんだっけ…と思う。割らないようにさっきよりも腕を緩める。こんなに必死で守ること、無いのにね。だって、もうこれは不二君に渡せない。
そう思ったら涙が出てきた。それは、チョコのことを考えてしまったからなのか、由美子さんの声が余りにも優しかったからだろうか。しゃっくりにも似た声が口から漏れる。嗚咽が止まらなくなって、涙も流れる。絶対今ブサイクだ。確信があった。
「…ちゃん?」
由美子さんが私を呼ぶ。それさえも優しさが受け取れて。涙が止まらないの。私の口からは「ごめんなさい」と言う言葉しか出せなくて。か細いそれは嗚咽に交じって聞き取り辛かったかもしれない。車が微かな振動を伝えた時に、私の瞳から一際大きな涙がポタっと鞄を濡らした。
どうすれば良いのかわからなかった。だけどあの後に平然と告白する勇気も、また義理チョコぶって渡すことも私には出来なかったのだ。そしてとった選択肢は今までと同じ。逃げること。…結局ね、私みたいな奴は負け犬って言葉がお似合いなんだよ。だから、泣くな莫迦。
キキィと、車が停車したのがわかった。脇に車体を引っ付けた由美子さんがハンドルから手を離す。そして、肩に触れる手。「…何があったの?」と、先ほどよりも柔らかなそれに、私の涙は一層溢れ出す。ぶわ、ととめどなく溢れるそれにふるふると首を振って、ぎゅっと瞳を閉じた。
「やっぱり、私、には…無理でした」
不二君に想いを伝えるどころか、チョコさえも渡す資格ないのだと、気づいてしまったのだ。だって、彼はいったもの、「好きな子がいる」って。言ったもの「笑顔の素敵な子」だって。…そんな人の話をされた後に、何も聞いてない不利をして、チョコを渡せるほど私の神経は強くない。そこまで莫迦じゃない。受け取ってもらえないって解った状態で渡せるほど、心は強くないのだ。
「…とりあえず、ゆっくりで良いから、話して頂戴?」
そう言った由美子さんの顔を見れば、真剣そのもので。肩に置かれた手はきゅっと強くなる。長い睫毛が微動しているのがわかった。…こんな私のことを心配してくれてるんだと伝わって、大声で泣きたくなった。だって、なんで由美子さんがそんなに辛そうな顔するのかわかんない。「また前の男の子みたいに言われた?」と聞かれて、フルフルと左右に首を振る。「ちゃん」と名前を呼ばれて、顔を上げれば、…なんで、由美子さんが泣きそうになってるの。
きゅっと胸が押しつぶされそうになる。私は、ゆっくりと今日あった出来事を話し始めた。
「―――そしたら、もう…不二君には渡せないって」
とにかく頭で考えるよりも喋っていた。多分支離滅裂した考えばかりだったと思う。それでも、由美子さんは嫌な顔一つせずに聞いてくれていた。何も言わない。ただ、私の言うことに耳を傾けてくれる。
心地よいメロディーを流していたMDはいつの間にか止まっていた。多分、由美子さんが止めてくれたんだろうと思う。そんな小さな心遣いが凄く、嬉しかった。涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠すように俯けば、ハイ、と渡される…ハンカチ。確か前にもこんなことがあった気がする。そうして顔を上げれば、由美子さんがふわりと笑って「手じゃ、追いつかないでしょう?」と私の涙をハンカチで拭いてくれた。……優し過ぎるよ、由美子さん。
涙を拭かれるなんて、保育園のとき以来だ。何だか恥ずかしいけれど、くすぐったくも嬉しい。涙を綺麗に拭ってくれると、「うん」と満足そうに笑う由美子さんの顔。
「可愛くなった」
…前にも言ってくれた『可愛い』と言う台詞。あのときは何もいえなかった。だけど、今回は違う。フルと頭を振って、可愛くないですと一言否定する。だって、こんな私が可愛いわけない。
すると私の額に、ペチっと軽い痛みが走った。思わず「痛っ」と声を上げれば、由美子さんの少し怒った顔。あ、デコピンされた?と思ったけれど、何もいえなくて。ただ、由美子さんの顔をぼけっと見ることしか出来なかった。まさか、叩かれるなんて思わなかったんだ。
「ちゃん?私それ以上ちゃんが自分を莫迦にしたら、怒るわよ?」
「……由美子さん」
「女の子はね、誰だって可愛いの」
そう言った由美子さんはまるで自分が「可愛くない」って言われたみたいに、悲しそうに眉をハの字にさせていた。…どうして、由美子さんはこんなにも私に良くしてくれるんだろう。そんな風に言われると、どうしても自惚れてしまう。少しは可愛いと思ってくれる人がいるのかな?って。莫迦なことを思っちゃうんだよ。
「…ちゃん、私はね、本当に貴方のこと可愛いと思うわ。だから、自信を持って頂戴」
置かれたままの掌がぽん、と私の方を叩いた。ね、と微笑む由美子さんの笑顔はとても綺麗で、どこかそれは母親のような感じがした。
「…それから、ちょっと私も話したいことがあるんだけど、良いかしら?」
それから、真剣な顔。微笑は消えて、何だか…言い辛そうな様子で問われた言葉。勿論、何故そんな顔するのかはわからない。だけど、私の選択肢は決まっている。勿論、OKだ。今まで沢山聞いてもらった。良くしてもらった。そんな人の気持ちを断ることなんて出来ないよ。コクン、とゆっくりはっきり肯くと、由美子さんはちょっとぎこちない微笑を浮かべて、「有難う」と言った。
「此処じゃ、何だから…ウチに行っても良いかしら?」
その言葉に頷いたのは、数秒後。そして再び車が動き始めた。…初めての由美子さんのお家。…どんなところなのだろうか、色々想像が膨らんだ。
―Next
2007/02/14